« 菅野労働法の四半世紀 | トップページ | カチンの悲劇とクビの圧力 »

2010年4月11日 (日)

「もちつけblog(仮)」さんの拙著書評 その6

橋口昌治さんの拙著批判に対するレスポンスをわたくしが書いたとたんに、タイミング良く「もちつけblog(仮)」さんが、その分野に関する書評を第6弾として書かれています。

http://webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-118.html

テーマは大きく二つ。

>労働組合再生のために -企業内への包摂か、業界・職種同士の連帯か

>利害を怖れないこと、あるいはポピュリズム批判について

です。

前者については、(おそらく橋口さんによる)アマゾンの「S/H」名義の書評を引用しつつ、

>このように【積年】ともいうべき対立に対して、どのように解決を見いだしていくべきなのか。企業内組合に包摂するとすれば、どうやっていけばいいのか。著者としては、漸近的にできるだけ多くの企業の組合に対して、「メンバーシップを企業内のすべての労働者に開く」よう働きかけていく事を提唱するのだろうと思います。(注1) 制度的にどうすべきかについては、後々触れる予定です。

と述べられています。

さらに、注で昨日の黒川滋さんのコメントを取り上げ、

>本稿についてはおそらく、前掲「橋口昌治さんの拙著批判について」での、「きょうも歩く」さんのコメントが重要な意味を持つはずです。

・・・・・・

首肯します

と述べられています。いかにもいいタイミングでした。

後者については、

>もし、「改革」することが「痛みを伴う」のならば、それは上から降ってくるのではなく、互いに利害をぶつけ合って、そしてその中で合意し、それに伴う痛みを、引き受けるべきだ。著者の述べるところはこれでありましょう。
 巷間に流行るベーシック・インカム論が、ともすれば、利害関係者同士による葛藤を忌避するためのものになってしまっている気味もあります。その点でも、著者がこの「BI論」に批判的なのは、無理なからぬことです。

と説明しつつ、

>ただし、著者はアクティベーションを支持されており、当然労働者の雇用は流動化する以上、企業内労働組合を社会的な枠組みとするならば、労働者はいくつもの労働組合を渡り歩くことになります。企業内労働組合に何度も入りなおすとなった場合、「新参/古参」の間での対立は懸念されないのでしょうか。

という疑問を提起されています。

ここはなかなかに深い問題をはらんでおり、きれいな議論としては職場に根ざした労働者代表システムとより広い労働市場レベルの(欧州的な意味での)労働組合の役割分担という形になるのですが、現実の日本ではその基盤がないため、そういう形で論じてみても嘘くさくなってしまうという問題があるのですね。「もちつけ」さんの慧眼の通り、ここは突っ込むといろいろと問題が湧いてくる領域です。

|
|

« 菅野労働法の四半世紀 | トップページ | カチンの悲劇とクビの圧力 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/3288/34172184

この記事へのトラックバック一覧です: 「もちつけblog(仮)」さんの拙著書評 その6:

« 菅野労働法の四半世紀 | トップページ | カチンの悲劇とクビの圧力 »