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2010年4月18日 (日)

大学の2/3を職業訓練校にせよという議論

「日本経営学界を解脱した社会科学の研究家」が「現代社会・産業経営に関連する諸思想および諸問題を総合的に論究してい」るという「社会科学者の時評」なるブログがあり、先日、大学の2/3を職業訓練校化せよというエントリを書いていました。

http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=2857658

正直申し上げると、このブログの特に歴史関係のエントリには、いささか(というより相当程度)トンデモ系の匂いがぷんぷん漂い、あまり言及したくない気持ちもこれあったりするのですが、まあその辺はないことにして(もし万一興味があればリンク先をどうぞ)、当該エントリの中身だけ紹介します。

話の糸口は、先日の『中央公論』に載った山田昌弘氏の「学歴を費用対効果で格付けする」を引用して、

>現在における日本の高等教育は「投資」ではなく「投機」ということばがふさわしい・・・。「教育の投機化」は,教育投資の結果の予測がつかず,利益を生むどころか教育に投じたお金や時間や努力が無駄になる可能性が高まる事態を指している。

 しかし,日本の現状をいえば,高等教育を受けなければヨリ悪い状態に陥る「可能性が高い」という意味で,
教育「投機」をせざるをえない状況にいまの若者は追いこまれている。

で、

>就職制度の大きな変革が必要である。つまり,教育投資のリスクを分散する仕組を作らねばならない。その大きな隘路が新卒一括採用が中心の雇用慣行である。・・・教育投資が無駄になれば本人もつらいが,社会的な損失でもある。いまくらい,学校と就職とのあいだをつなぐ新しい制度が必要になっている時はない。

と、論じていき、そこから(おそらくご自分の勤務する大学の惨状に対する憤懣の現れではないかと推察されますが)

>高等教育としての意味のみいだしにくい日本の大学が多い
 本ブログの筆者が,日本の教育制度それも,主に大学・大学院段階に関して論究してきたのは,大前提の話として,日本の大学
〔2009年度現在で 773校も存在する〕の「3分の2」を,高等教育機関」である「大学ではなくさせる」ことであった。

>日本にある大学〔大学院も含めて〕の「3分の2」を「大学ではなくさせる」という提案は,つまるところ,教育的な投資効率に関してもいえば制度上,それらの大学を抜本的に「費用対効果」が上げられる職業訓練学校に変更・改編させるほかないという提案である。

と主張していきます。

このあとの「解脱した社会科学者」氏の表現はなかなか激烈で、ここに引用するのもいささか憚られるので、関心のある向きはリンク先をどうぞ。

(追記)

「ふま」と思われる人物が、本論ではなく「トンデモ系」というところをコメント欄に書き込んだため、だいぶお怒りを買ってしまったようですね。

いうまでもなく、わたくしは本エントリで取り上げた「大学の2/3を職業訓練校にせよという議論」がトンデモだなんて全然いっておりませんで、むしろその方向性は共通しているのですが、とはいえ、「明治天皇は孝明天皇の子どもではなく、長州の何とかさんの子どもだ」みたいな陰謀論的「歴史秘話」にまともにおつきあいさせていただく気も全然ありませんので、あまりそこには触れたくもありません。

つまるところ、「解脱した社会科学者」氏のわたくしに対する批判は、

http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=2871132

>濱口は,昨今における「現実の教育システムの圧倒的大部分はなお職業への指向性がきわめて希薄なままで」あるから,「文部科学省管轄下の高校やとりわけ大学が職業指向型の教育システムに変化していくには,教師を少しずつ実業系に入れ替えることも含め,かなり長期にわたる移行期間が必要で」あると指摘している(145頁)

 さて,本ブログの筆者はそのように〈悠長な視点〉を構え,経済社会対策史的に「職業指向型の教育システムに変化」を待つようでは,21世紀の日本産業社会はよりいっそう低迷化への歩調を加速するほかない。文部科学省がいつも実行しているように急速に,「日本の大学のうち3分の2」を,いままでの「どちらかというといつまでも古典的・伝統的な教養型大学教育」から「職業訓練型大学教育」へと,一気に改編させる集中的な方策の実行が
〈火急の課題〉であると主張した。

という時間軸上の長期短期の問題に尽きるように思われます。

これと同様の批判は、たとえば松本孝行氏も、

http://matton.blog91.fc2.com/blog-entry-363.html

>ただ、最後の結論部分がいただけません。それでは遅すぎる、個人的にそう思います。

>著者の言うような方法は確かに民主的な手続きを経ており、制度としては非常にキレイです。ただ、民主的な手続きというのは時間がかかるものなのです。時間がかかる民主的な手続きをとることは、現在の労働諸問題においてはまったく非現実的なものであると言わざるを得ません。今必要なのはキレイな方法で労働問題を解決することではなく、なりふり構わず問題を解決する圧倒的パワーとスピードが必要なのです

という形でされています。

わたしは、こういう「遅すぎる」という批判が出てくるのは当然だろうと思っておりますし、それにはそれなりの理由があると思いますが、一方で、『POSSE』のインタビューでも述べたように、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/posse04.html(私は格差論壇マップをどう見たか)

>濱口:私がこうした評価を行うことが困難な理由があります。私自身を位置付けにくいからです。なぜ私自身を位置付けにくいのかというと、実は、これらとまったく別の軸があって、それは、理念と現実をどう考えるかということです。現実可能性の中で物事をどこまでいうかというまったく別の軸があるのですよ。

>・・・そうすると、中長期的な「あるべき論」と、「今現在なにをやるか」という議論が、いやおうなしに乖離せざるを得ません。場合によっては、中長期的にはこの方向が望ましいんだけれども、当面の議論としては、現在の制度的枠組みのもとでは、それに反する方向を強化する政策をとらなければならないということもありえるわけですね。

何でも全部今すぐやれるという発想には、実務者でありかつ研究者でもあるわたくしとしては肯うことができないものがあります。ここは、そこをすっ飛ばした議論のできる人とそうでない人の違いでしょうね。

(再追記)

「解脱した社会科学者」氏は、トンデモ呼ばわりされた怒りのあまり、3法則で有名な池田信夫氏の陣営に馳せ参じることにしたようです。

http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=2871132(付記)

>『池田信夫 blog(旧館)』a)「濱口桂一郎氏にはフリーターが見えないのか」b)「濱口桂一郎氏の家父長主義」c)「厚生労働者の家父長主義を解説したパンフレット」などの参照を薦めておきたい。

「天下り教授」「なんちゃって教授」=濱口桂一郎のつたない議論展開を,ボロクソに批判する池田の記述内容に関しては,数多くのコメントもぶら下がっている。これを全部読むのはシンドイが,池田はともかく本文中で,hamachan なる人物を,こう裁断している。東大法卒も各種各様:ピンキリということらしい。

 「一つの記事の中で矛盾したことを書くのは」「頭がおかしいと思われてもしょうがない」。
 「彼は日本語が読めないようだ」(以上 a) から)
 「〔池田信夫の〕ブログは,バカは相手にしないことにしているが・・・( b) から)


こういう池田氏の罵倒に、自らも大いに賛同するという趣旨のようでありますな。

それならそれでかまいません。ただ、池田氏が、「解脱した社会科学者」氏の次のような叙述に満腔の賛意を表してくれるかどうかは定かではありません。池田氏は労働問題にはトンデモな所がありますが、こういう歴史問題にはそれなりにまっとうな判断を下す可能性もあります。

http://pub.ne.jp/bbgmgt/?daily_id=20090725(明治天皇は偽物か替え玉か)

>右側の大室寅之祐は大室寅之祐なのであって,けっしてもとの本物の明治天皇(第122代天皇「睦仁(むつひと)」1852年-1912年,称号は祐宮(さちのみや)ではなかったのである。けれども,本物の睦仁天皇が暗殺されたあと,この大室が明治天皇とすぐに入れ替わって,その後の明治天皇になった,ということなのである。「しかし,この史実は,絶対に日本国民に知られてはならない禁忌中の最高の禁忌(タブー)だった」

ちなみに、この記述のネタ本は、太田龍の『天皇破壊史』だそうであります。某阿久根市長とよく似た趣味をお持ちであります。

もし幸いにして、池田信夫氏がこの主張をトンデモではなく、大いに賛成だと言ってくれたら、「解脱した社会科学者」氏も、わたくしを罵倒した甲斐があったというものでありましょう。

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コメント

何か故・森嶋通夫の大学再編案を想起する内容って気がしますね。

そもそも最近では本来なら大学というより専門学校に近いのまで大学で教えていて、有力な専門学校が大学に転換したりするってのも珍しくありませんし。就職難になっている高校職業科の問題とか高等専門学校も含めて、専門職養成を見直すべきではないかと思ったりしますけど。

http://pub.ne.jp/bbgmgt/
新刊の書評を見つけました。私も、先生のグランドデザインがいったいどこにあるのか正直掴みかねました。身分が保証されている大学の教員と違って、政治的ポジションを鮮明にはできないということもあるのかと思いますが・・

上ブログは、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

>政策提言力のない「知識ひからかし型」の学問(?)営
>為に,いったいどれほどの理論的な価値がみいだしうる
>のか,大いに疑問である。

それは、濱口氏が、体系的な学問的訓練を受けていないアマチュアだからです。だから断片的知識を披露することしかできない。彼のブログを読むと、経済学をはじめとした「理論」に対する過剰なコンプレックスを覆い隠すための、枝葉末節の知識の披露が延々と続いていて、痛々しい。
Posted by HE at 2010.4.20 23:55:54

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

というコメントを引用していますが、私は先生の見解が枝葉末節とは思いません。が、細かい知識や事実関係より、先生には、もっと大局観を理論的に提示していただきたいと思います。

「社会科学者の時評」は日本経営学界を解脱した社会科学の研究家と称していますが、御存じのとおり実は経営学者の裴富吉氏です。ブログ作者の裴富吉氏の背景を知ると、彼の主観的主張がそのまま反映されていることが理解できます。
その批判的内容には、著名人などの写真をわざわざ犯罪者のごとく掲載していますが、自身のプロフィールは掲載しておりません。また、天皇に関する書籍の紹介では、「自身の書籍」をあたかも偶然ネット検索で見つけたように仕向けております。日本経営学界を解脱した社会科学の研究家裴富吉氏は、自身の主張に適した資料を採集して論述されているので、読者は巧妙にその主観性を客観的であると勘違いされるのでしょう。
彼が最近主張する「大学は2/3は不要」との論も、自身は3流大学教授職であったのなら、当事者として「行動」することができる立場で、結果として何もしていない。自身の勤める3流大学を1流にするために具体的に何かをしたとか、自身の勤める3流大学を自身の主張に沿ってまずは潰すとか、自身が「行動」するということは当事者としての学者としてはできなかったのでしょう。なぜなら自身の言われる3流大学の教職にあっても、給与は頂きながら「解脱」していたのでしょうから。
同様に批判的な学者に池田信夫がいるが、少なくとも彼はブログで自身を明かした上で主張している。日本経営学界を解脱した社会科学の研究家裴富吉氏にはできない芸当でしょう。

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