事務派遣崩壊の歴史的根拠
派遣法制定以来の「パンドラの匣」が遂に開き、「ファイリング」とか「事務機器操作」という専門職の名目で派遣されてきた一般事務職派遣が追いつめられつつあることは、本ブログでも何回か取り上げてきましたし、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/99-babf.html(99年改正前には戻れない-専門職ってなあに?)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/99-48d9.html(いよいよ「99年改正前には戻れな」くなった!)
人材派遣業界のブロガーの「さる」さんもコメントされていますが、
http://ameblo.jp/monozukuri-service/entry-10455183438.html(5号、8号、パンドラの匣)
拙著『新しい労働社会』でも詳しく述べましたが、やはり1985年に労働者派遣法ができるときの理論的ごまかしをそのままにしてきたことのツケが、今になってこういう形で噴出しているのだというしかないように思われます。
その理論的ごまかしを、ある意味できわめてわかりやすく示しているように思われるのが、『大原社会問題研究所雑誌』昨年2月号で、わたくしの論文と並んで掲載された高梨昌先生の論文です。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/604/604-01.pdf(労働者派遣法の原点へ帰れ)
高梨先生は、「労働者派遣法の原点へ帰れ」と言われるわけですが、ではその「原点」とは一体いかなるものであったのか、こそが重大な問題です。
この高梨論文には、その原点の建前バージョンと本音バージョンが非常にわかりやすく書かれています。
まず、建前バージョンです。
>まず事務処理関係の業務については,派遣法制定当初の理念に立ち返って,専門的知識,経験を必要とする業務に限定するポジティブリスト方式を採り,登録型派遣を認める法体系に再構築し直すことを提案したい。
派遣法の当初に試案として提案した業務は13業務で,これらの業務は専門的職業別労働市場として外部労働市場を形成しており,終身雇用・年功制で形成されている企業内労働市場とは競合しない市場として棲み分けたことを指摘したい。つまり,外部と内部のそれぞれの労働市場は相互に交流する重ね合わさった市場ではないから,いわゆる「常用代替」は起きえないことに着目したことが,ポジティブリスト方式を採用するに当たって専門的知識・経験を必要とする業務に限定した理由である。
>もともと専門職の業務は,相対的に高賃金の市場を形成しており,したがって派遣会社は,高付加価値の業務であるため収益率も高く,良好かつ健全な派遣市場の形成に役立つと考え,ポジティブリスト方式を提案し,かつ年功制に立つ長期安定的雇用システムの正社員の労働市場とは棲み分けているから派遣期間制限は提案しなかったのである。
私が知る限り、今から四半世紀前の日本の労働市場において、「ファイリング」とか「事務機器操作」といった独自の高賃金層の専門職集団が存在したという歴史的事実は存在しませんが、なぜこのような建前バージョンの理屈をでっち上げなければならなかったかは、そのすぐあとの記述に非常に明確に書かれています。
>ところで,「登録型派遣」を事務処理派遣で認めた理由について触れなければならない。それは,これらの専門的業務に従事しているのは専ら女子労働者であることに着目したからである。労働者派遣法の立法化問題が審議されていた当時は,いま一つ男女雇用機会均等法の立法化が重要な労働政策の課題として審議されていた。均等法の最大の争点の一つは,女子労働者の職業生活と家庭生活との関連のつけ方にあった。
周知のように,第二次世界大戦中に,女子労働者が繊維産業の現場労働者にとどまらず,あらゆる産業や職業分野に進出しはじめ,未婚女子が雇用労働者として就業することが当然視されるように労働観が変化し,敗戦後も経済的生活難もあって,この雇用慣行はより一般化してきた。さらに戦後経済復興と経済の高度成長過程を経て,大規模経営がリーデングな経営体として定着するにつれ,事務的書記的職業への労働需要が急増してきたが,ここに雇用機会を得たのが後期中等教育を受けた女子であった。ところが,これらの事務労働分野へ進出した女子も,結婚・出産を機に退職し,家事労働の専業主婦となる者が圧倒的多数派を占めていた。いわゆる「夫婦役割り分担型家族観」が支配的家族観であったことが,こうしたライフスタイルを女子がとる根底にあったが,家庭電化商品の普及や出生率の低下などによって家事労働が軽減されるとともに,子育てから解放された家庭の専業主婦が,雇用労働へ再登場して就業する傾向が目立ちはじめてきていた。いわゆる年齢別労働力率のM字型カーブの形成である。
ところが,彼女たちの多くが独身時代に身につけてきた事務的書記的労働への再就職は必ずしも円滑に進まなかった。というのは,これらの労働需要は専ら大規模経営や公務労働で,いずれも中途採用者へ門戸を閉ざす,いわゆる「企業閉鎖的労働市場」であったためである。
この記述は、戦後日本の労働市場の展開をきわめて的確に描写しています。そう、労働者派遣法が対象としたのは、まさにこの「事務的書記的職業」についた「後期中等教育を受けた女子」でした。彼女らを指す言葉は、かつてはBG(ビジネスガール)、その後はOL(オフィスレディ)であり、普通の「女子社員」として(当初は高卒で、その後は短大卒で)学卒採用され、「お約束」に従って結婚退職する人々であり、別段医者や看護婦のような独自の専門職集団を形成したわけではありません。
いったん結婚退職した彼女らは、まさに「中途採用者へ門戸を閉ざす,いわゆる「企業閉鎖的労働市場」」のゆえに再就職することが困難であったのであり、その彼女らにかつてやっていた「事務的書記的職業」の仕事をマッチングさせることができたのは、「事務処理請負業」と言う名前で行われていた派遣業以外にはほとんど存在しなかった、というのもまた歴史的事実であるわけです。
男性並みの無定量の働き方に女性を合わせることを無言のうちに前提としていた男女均等法と同じ年に、それまでのOL型の気楽な働き方で働き続けるルートを提供する労働者派遣法が制定されたことの歴史的意味がここにあるのです。
派遣で働く事務職の女性たちにとって、派遣という働き方がそれ自体悪いものであるわけではなかったことの理由もまたここにあります。
これが労働者派遣法制定の本質的理由を語る本音バージョンです。しかし、この「本音」は、誰の口からも明確に語られることはありませんでした。
表向き語られたのは、現実社会に存在しない「ファイリング」だの「事務機器操作」だのといった虚構の「専門職」をでっちあげて、専門職だから大丈夫というロジックで正当化する論理でしかありませんでした。
そのツケが、四半世紀を経て今噴き出しているのですから、その解決の道も四半世紀前のごまかしをきちんと認め、一般事務職の派遣を認めた本当の理由はこれこれであり、専門職じゃないなどというはじめから分かり切っていた理由でぶっつぶす代わりに、こういう形で認めていこうじゃないか、と率直に訴えること以外にはないのでしょうか。
それとも、この期に及んでなお、四半世紀前の「専門職」という虚構にしがみつくつもりでしょうか。それは、事務職派遣の崩壊以外の何ものにもつながらないと思いますよ。
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拝読しているhamachan先生こと濱口桂一郎氏のブログ、EU労働法政策雑記帳に、今人材派遣業界を震撼させている2.8通達
のことが書かれていた。
⇒事務派遣崩壊の歴史的根拠
しかもまたまた私のような拙い文章力の者の書いた記事を引用戴いている。
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