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裁判はある意味、弱者には無縁の、強者同士の対決の道具

New_2 本日したで紹介した『日本労働研究雑誌』4月号ですが、基本的には是非現物をお読みいただきたいのですが、ひとつだけ、小畑史子先生が柏労働基準監督署の稲垣署長にインタビューした「労働基準監督署は何をするところか」の中に、是非引用しておきたい一節があったので、ここにもってきます。

>小畑 ・・・では、労働について学ぶ人へのメッセージをお願いします。

>稲垣署長 理論だけでなく、現場での実態を踏まえた研究をお願いしたいと思います。

万一労使関係がこじれたとして、労働者が理路整然と自らの状況を説明できることは少なく、裁判によって物事を解決すること自体、いろいろな意味で恵まれた労働者以外にはあり得ないことを押さえていただきたいと思います。その条件とは、たとえば解雇問題で、訴訟を引き受けてくれる弁護士を知っている、弁護士に支払う金がある。当面の生活資金がある、職場復帰後に経営者側と顔を合わせないで済むほどの大会社であること、などです。裁判はある意味、弱者には無縁の、強者同士の対決の道具であるように感じます。

労働問題研究者にリアルな感覚があるかどうかは、この辺がいいリトマス試験紙になるんですね。

わたくしが今年度プロジェクト研究として取り組んできた労働局あっせん事案の内容分析は、まさにこのあたりの問題をきちんと定量的に示したいという問題意識から出たものです。

以前、本ブログでも、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-fb88.html(クビ代1万円也)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-8516.html(「クビ代1万円」すら「ムダ」ですか?)

最近も

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-dbc9.html(東京財団の政策提言『新時代の日本的雇用政策』)

の後ろの方でちらと触れていますが、

この中間報告書がもうそろそろまとめられますので、現代日本の職場における労働紛争のナマの実態を認識していただく上で有用ではないかと考えております。

なんにせよ、こういうリアルな認識は労働基準監督官として常に労働問題の前線で活躍してきた方であればこそという感じです。

そういえば、だいぶ以前、「さとる」と称する誰かさんのイナゴさんがどこからか飛んできて、わたくしの議論の内容に対する批判を書くだけなら別に大いに結構ですが、それは一切なく、いうにこと欠いて、「学問的業績がない人間が学位を出すとはこれいかに?そんなことで院の教員になれるなら労働基準監督署のおっさんでも教授になれるだろうが。」などと、下劣なことを書き散らしたこともありましたな。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_c013.html(一知半解ではなく無知蒙昧)

いうまでもなく、「どこぞの学術博士よりも、優秀な監督官の方がよっぽど労働問題の本質はつかんでいる」のであって、そのいい証拠がここで取り上げたインタビュー記事でありましょう。ここでわたくしが引用した部分に限らず、小畑先生のインタビューは各方面に渉って重要な点を引き出しています。是非現物に当たって読んでいただきたいと思います。

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コメント

日本では、裁判も、それに労働基準監督署も、ごく普通の労働者には遠い、あるいはそれほど身近ではない存在ですが、欧米ではどうなんでしょうね。ヨーロッパとアメリカでは、これまたかなり違うとは思いますが。
私が関心があるのは、日欧の違い、その差異が何に拠っているのか、その差異のどこをどのように、日本の参考にできるのか、ですが。

投稿: 哲学の味方 | 2010年3月31日 (水) 13時10分

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