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2010年3月

2010年3月31日 (水)

EU職場のいじめ・暴力協約

Rojyunn1716 『労働法律旬報』の3月下旬号(1716号)が発行されました。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/592

この中の海外労働事情で、わたくしの「EU職場のいじめ・暴力協約」が掲載されています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roujunijime.html

なお、過去に職場のいじめ問題について紹介したわたくしの論文は、次のところに集めてあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/eujouken.html(EU労働法・社会政策(労働条件))

稲垣労働基準監督署長インタビュー続き

昨日のエントリの続きです。昨日は、わたくしの現在の研究課題との関連で「裁判はある意味、弱者には無縁の、強者同士の対決の道具」というところを引用したのですが、それに続く部分も、労働問題に関心を持つすべての人に是非読んでいただきたい内容なので、ちょっと長めですが引用しておきたいと思います。こういう一節が胸に響くタイプの人と全然響かないタイプの人が世の中には入るんでしょうね。

>小畑 ・・・最後に、労働基準監督官を志望する方に一言頂戴できますか。

>稲垣署長 志望者が労働者のためにと志を抱いて、ストレートに労働基準監督官を目指すのであれば是非、監督官におなりいただきたい。救うべき弱者は驚くほど多く、法律だけでは裁ききれない様々な事情を抱えています。監督官は、警察官がうらやましがるほど、どこへでも監督のために立ち入り、労働者のために働くことができます。その結果、他の官庁とは比較にならないほど様々な世情に通じることになる。それはそれで職業の醍醐味です。なお、弱者=労働者が常に正しくはなく、強者=企業が常に不正をはたらいているわけではないことは理解しなくてはなりません。それを踏まえた上で、さらに高い観点から、弱者のために働いていただきたいと思います。

もし志望者が私のように、いったん民間に勤め、夢破れ、あるいは職場になじめないのであれば、さらに強く労働基準監督官になることをお勧めします。志望者の民間経験は大いに役立つでしょう。労働者の申し出を受けて事業上を監督した際に、笑顔で対応する総務担当者が何を考えどのように上司に報告しようとしているか、いったん民間に勤務した者でないと分からない心の動きを読み取ることができるでしょう。そのことが逆にねじれた労使関係の解決の糸口・落としどころを見いだす手助けになるでしょう。サービス残業の実態を見抜くことも可能になるでしょう。いずれにしろ、ここでは民間と違って、違法な無理難題をいうお客に物事の道理を曲げてまでつきあう必要はありません。その意味では法律は正義です。

確かに、監督官にはいったん民間に就職してから思うところあって監督官試験を受けたという方が結構多いですね。

2010年3月30日 (火)

裁判はある意味、弱者には無縁の、強者同士の対決の道具

New_2 本日したで紹介した『日本労働研究雑誌』4月号ですが、基本的には是非現物をお読みいただきたいのですが、ひとつだけ、小畑史子先生が柏労働基準監督署の稲垣署長にインタビューした「労働基準監督署は何をするところか」の中に、是非引用しておきたい一節があったので、ここにもってきます。

>小畑 ・・・では、労働について学ぶ人へのメッセージをお願いします。

>稲垣署長 理論だけでなく、現場での実態を踏まえた研究をお願いしたいと思います。

万一労使関係がこじれたとして、労働者が理路整然と自らの状況を説明できることは少なく、裁判によって物事を解決すること自体、いろいろな意味で恵まれた労働者以外にはあり得ないことを押さえていただきたいと思います。その条件とは、たとえば解雇問題で、訴訟を引き受けてくれる弁護士を知っている、弁護士に支払う金がある。当面の生活資金がある、職場復帰後に経営者側と顔を合わせないで済むほどの大会社であること、などです。裁判はある意味、弱者には無縁の、強者同士の対決の道具であるように感じます。

労働問題研究者にリアルな感覚があるかどうかは、この辺がいいリトマス試験紙になるんですね。

わたくしが今年度プロジェクト研究として取り組んできた労働局あっせん事案の内容分析は、まさにこのあたりの問題をきちんと定量的に示したいという問題意識から出たものです。

以前、本ブログでも、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-fb88.html(クビ代1万円也)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-8516.html(「クビ代1万円」すら「ムダ」ですか?)

最近も

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-dbc9.html(東京財団の政策提言『新時代の日本的雇用政策』)

の後ろの方でちらと触れていますが、

この中間報告書がもうそろそろまとめられますので、現代日本の職場における労働紛争のナマの実態を認識していただく上で有用ではないかと考えております。

なんにせよ、こういうリアルな認識は労働基準監督官として常に労働問題の前線で活躍してきた方であればこそという感じです。

そういえば、だいぶ以前、「さとる」と称する誰かさんのイナゴさんがどこからか飛んできて、わたくしの議論の内容に対する批判を書くだけなら別に大いに結構ですが、それは一切なく、いうにこと欠いて、「学問的業績がない人間が学位を出すとはこれいかに?そんなことで院の教員になれるなら労働基準監督署のおっさんでも教授になれるだろうが。」などと、下劣なことを書き散らしたこともありましたな。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_c013.html(一知半解ではなく無知蒙昧)

いうまでもなく、「どこぞの学術博士よりも、優秀な監督官の方がよっぽど労働問題の本質はつかんでいる」のであって、そのいい証拠がここで取り上げたインタビュー記事でありましょう。ここでわたくしが引用した部分に限らず、小畑先生のインタビューは各方面に渉って重要な点を引き出しています。是非現物に当たって読んでいただきたいと思います。

日本生産技能労務協会の政策提言

いわゆる製造請負関係の業界団体である日本生産技能労務協会が、「業界の健全化に向けて」という副題をつけて、政策提言を行っています。

http://www.js-gino.org/img/policy_suggestion.pdf

近年の風潮では、とかく一律に悪い奴らと片付けられがちな人材ビジネスが、良心ある業界として健全に発展していくためには、味噌も糞もみんなまとめて褒めちぎっていたかつての規制緩和論と同様に、味噌も糞もみんなまとめてやたらに叩けばいいという近ごろの風潮は却って逆効果なのですが、その辺を理解するためにも、この政策提言は是非広く読まれてしかるべきだと思います。

直接的には今回国会に提出された派遣法改正案に対する批判なのですが、それだけではなく、いままで調子に乗って拡大してきた中で増大した悪質事業主への厳格な規制の必要性をきちんと主張しています。こういう議論が、まだ世間で規制緩和イケイケだったころにきちんとされていれば、と思うところが大きいのですが、それはそれとして、味噌と糞はちゃんと分けて議論しようよ、という方向への一つの一里塚として、こういう形で業界自らの政策提言が出されることには意味があると思います。

具体的な提言事項としては

>特定派遣事業の届出制から許可制へ

として、特定派遣事業が

>悪質な事業主の隠れ蓑的な存在になっている実態がある

と指摘し、

>一般労働者派遣事業と同等の参入規制を設けることで、悪質な派遣事業主を排除することが可能になると考えます。

と述べています。

そして法令遵守、社会保険加入の徹底、セーフティネットに触れたあと、

>労働組合との意見交換の機会

という項目を立て、

>労働組合との連携の強化による具体的な課題に取り組むことにより、業界横断型の労働組合の組織化等を検討していきたいと考えております。

と述べています。本ブログでも何回か触れたように、労使対話の欠如こそが派遣・請負問題が格差社会の諸悪の根源としてフレームアップされた一つの原因でもあったことからすると、こういう方向性が示されていることは望ましい方向性といえます。

製造請負という業種に関わっては、

>ものづくり支援サービス業に関する新法の制定

とともに、

>請負事業の許認可制度の導入

>請負事業管理責任者の認定資格制度の導入

などを求めています。

味噌と糞をきちんと仕分けできるような適切な規制のあり方はどうあるべきかについては、いろいろと議論があるでしょうし、これから改正派遣法が成立してもその完全施行までには5年という猶予期間もあるので、その間にじっくりと議論されることが望ましいと思います。

いずれにしても重要なことは、数年前までの糞も味噌だと言いつのる安易な規制緩和論でもなく、近年の味噌も糞だと片付けがちな規制強化論でもない、味噌と糞とを噛み分けた議論でもってこの問題に取り組んでいくことでしょう。

初学者向け・・・じゃない「初学者に語る労働問題」

New 『日本労働研究雑誌』4月号は、「初学者に語る労働問題」という特集ですが、いやあ、とても「初学者に語る」というよりはかなりハイレベルの文章が並んでいるような・・・。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2010/04/

それは、特集を組んだ側もちゃんとわかっていて、「特集趣旨」では、

>本特集が想定する初学者とは、労働問題全般に対して素人というわけではなく、特定の専門分野に熟達している玄人である。

と断り書きをしています。つまり世の中、ある分野の専門家といえども、他の分野では素人みたいなもんだ、というそういう「素人」さん相手の特集なのであって、労働問題何も判らんという一見さんが即読んでなるほど、というような生やさしい文章ではありませんぞ、と。

>本特集の読者は、問題として認識する現象は同じくするものの、専門が異なればそのアプローチや解釈の仕方に大きな違いがあることに驚かれるかもしれない。本特集の読者は、問題として認識する現象は同じくするものの、専門が異なればそのアプローチや解釈の仕方に大きな違いがあることに驚かれるかもしれない。

これはとても重要な点でしょうね。本日都内某所の某会合でお話ししたこととも関わりがあったりします(謎)。

>労働問題研究は、時代の要請と学術基盤の間を架橋していく過程に存在する。時代の要請が先行し学術基盤の熟成を待つ問題もあるし、逆に学術が先んじていて、それが現実の労働問題の解決に資することもある。いずれにしても重要なことは、時代の要請と学術の間のダイナミックな相互作用を促すように、細分化された専門を架橋してゆく知的営みであろう。特定の専門に熟達しつつも異なる分野では初学者であるかもしれない読者に、専門を超えた議論を進めてもらい、労働問題の解決への新たな糸口を見出してもらうこと。これが本特集の企図である。

ということで、是非直接本誌を読んでいただきたいのですが、とりあえず目次を示しますと、

【マクロ経済環境と労働問題】

1990年代以降の労働市場と失業率の上昇
照山 博司(京都大学経済研究所教授)

雇用調整
太田 聰一(慶應義塾大学経済学部教授)

社会的排除――ワーキングプアを中心に
岩田 正美(日本女子大学人間社会学部社会福祉学科教授)

大学の就職支援・キャリア形成支援
上西 充子(法政大学キャリアデザイン学部准教授)

【労働政策】

賃金カーブと生産性
児玉 直美(経済産業省商務情報政策局産業分析研究官)

小滝 一彦(経済産業省経済産業政策局企業法制研究官)

最低賃金引き上げのインパクト
安部 由起子(北海道大学大学院公共政策学連携研究部教授)

【制度的環境(法、規制、監督)】

ヒマからクビへ――法と経済の視点から解雇を考える
神林 龍(一橋大学経済研究所准教授)

労働者とは誰のことか?
大内 伸哉(神戸大学大学院法学研究科教授)

内藤 忍(JILPT研究員)

労働時間
荒木 尚志(東京大学大学院法学政治学研究科教授)

労働基準監督署は何をするところか
小畑 史子(京都大学大学院地球環境学堂准教授)

【内部労働市場】

雇用区分の多様化
今野 浩一郎(学習院大学経済学部教授)

パートタイマーの基幹労働力化
本田 一成(國學院大學経済学部教授)

派遣のメリット・デメリット
島貫 智行(山梨学院大学現代ビジネス学部現代ビジネス学科専任講師)

日本企業のコア人材のキャリア形成
金井 壽宏(神戸大学大学院経営学研究科教授)

均等処遇と女性人材の活用
大内 章子(関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科准教授)

日本企業のリストラと心理的契約
服部 泰宏(滋賀大学経済学部専任講師)

社員格付制度の変容
平野 光俊(神戸大学大学院経営学研究科教授)

【労使関係】

労働組合の役割――組織率の向上について
村杉 靖男(法政大学大学院特任研究員)

「春闘」の意味と役割、今後の課題
久谷 與四郎(労働評論家)

エッセイとして味わい深いのは、解雇を指す言葉が江戸時代の「ヒマを出す」から「クビにする」に変わっていったことから説き起こす神林先生の「ヒマからクビへ」でしょうが、これはもう全文読んでもらうしかないので、ここでは大内伸哉先生とJILPTの内藤さんの「労働者とは誰のことか?」を取り上げます。

ここでは、はじめに労働者性をめぐる議論の簡単な整理をした上で、自転車メッセンジャー3人の話が3ページにわたって紹介されます。ここはかつて自ら自転車メッセンジャーであった内藤さんの半ば参与観察的ヒアリングですが、その最後のところで、Bさん、Cさんがこう語っているところが示唆的です。

>Bさんは、「(労働者として)保護される立場・・・なのか・・・は個人的には、僕はどちらでもいいと思っているというか、間で見つけてもいいと思うんですけれども」と前置きした上で、今は、労働者として扱われないから、その保護が与えられないという側面と、個人事業主として扱われるけれども、会社と対等な関係に立っていないから、報酬が下がるリスクだけが大きいという側面があり、結局、会社の「いちばん都合のいいところだけを・・・押しつけられている」と考えている。実際、本社の配車係に「お前らライダーは走っていればいいんだと言われたこともある」という。

>Cさんも「僕も会社と対等になってはっきりさせたいですね。・・・請負なら請負で、こっちも歩合率も個別で交渉したりして、そういう歩合なら引き受けませんみたいなことも云ってみたい。・・・むしろ請負契約でも時間の自由度があって、それなりに稼げた上でですけれども・・・そうしたいなと、そうなって欲しいなと思っています」と話す。

これを受けて、大内・内藤さんは、

>ほんとうの問題は、実は、労働者かどうかの線引きをするという発想自体にあるのではなかろうか。線引きをするからこそ、線の向こう側とこっち側のどちらに来るのかについて神経を使わなければならないのである。

>ほんとうに自由に働いていれば、経済的な困窮に陥っていたり、過酷な勤務条件になっていたりしても、自己責任と突き放して良いのか、ここから考えてみる必要がある。労働者という法的な区分けに該当するかどうかに関係なく、働いている人全員が、そのニーズに応じて法的な保護を得られるようにするということも、考えてみる必要はないだろうか。これは、メッセンジャーたちの求めている働く人としての尊厳の問題にもつながっていくと思われる。

と問題を提起します。初学者どころか、個人請負就業をどう扱うかという今日の大きな政策課題に対する重要な提起というべきでしょう。

とかく、「労働者性を認めないのはけしからん!」と叫ぶことに向かいがちな労働運動関係者と、労働の現場をなんら見ることもなく「個人請負は今後、主流なワークスタイルの一つになる 」と暢気にいってるだけの空想的な人々ばかりが目立つ時代ですが、雇用に限らずディーセントな多様な働き方を実現していくということの重要性を改めて考える必要がありますね。

(参考)本ブログにおけるメッセンジャー及び類似職種のバイク便ライダー関係のエントリとしては、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_b0e1.html(バイク便ライダー)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_bc1c.html(ソクハイに労組)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_6ae7.html(ソクハイユニオン)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_57e9.html?no_prefetch=1(バイク便ライダーは労働者!)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-5512.html(バイク便:労働者としての地位確認など求め初提訴)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-7067.html(『ノンエリート青年の社会空間 働くこと、生きること、「大人になる」ということ』)

2010年3月29日 (月)

卒業後3年は新卒扱いに 大学生の就職、学術会議提案

今朝の朝日に、本ブログでも何回か紹介してきた、日本学術会議の大学と職業との接続検討分科会の報告書の件が記事になっています。

http://www.asahi.com/national/update/0329/TKY201003290001.html

>大学生の就職のあり方について議論している日本学術会議の分科会は、新卒でなければ正社員になりにくい現状に「卒業後、最低3年間は(企業の)門戸が開かれるべきだ」とする報告書案をまとめた。最終報告書は近く、文部科学省に提出される。同会議は、今の就職活動が、学生の教育研究に影響しているとして、新しい採用方法の提案などで大学教育の質についての検討にもつなげたい考えだ。

 日本学術会議は、国内の人文社会・自然科学者の代表機関で、文科省の依頼を受けて話し合っている。報告書をもとに同省は議論に入る。

 今回、就職にかんする報告書案をつくったのは「大学と職業との接続検討分科会」で、就職活動早期化で、大学4年間で学ぶ時間を確保できにくくなっている弊害などが出ていることから、対策を考えてきた。

 日本の企業は、大企業を中心に、新卒者を採用する傾向が強い。中途採用はあるものの枠は狭く、希望の企業に採用されなかった学生が「新卒」の肩書を持つために、留年するケースもある。

 報告書案では、「新卒一括採用方式」について、特定の世代に景気変動の影響が出やすい点を問題視。卒業後すぐ採用されなければ正社員になるのが難しいことから、卒業後最低3年は在学生と同様に就職あっせんの対象にすべきだとした。

企業側にも新卒要件の緩和を求め、経済団体の倫理指針や法律で規制するより、既卒者を新卒者と同じ枠で採用対象とする企業を公表することを提案。政府にも、卒業後も大学の就職支援を受けられるように法律を改正するなど速やかな対応を求めている。

 また、就職活動で学生が学業に打ち込みにくくなっている現状についても、規制のみで対応することには限界がある、と記述。大学が学生をできるだけ長く社会から隔離するのではなく、インターンシップなどの機会を早くから整備することが重要とした。

 大学が就職活動のスキルやノウハウを伝え、資格をとるよう促す動きについては大学教育全体で職業的な能力を育て、成績評価を社会でも意味を持つよう改善することなどを求めた。

まあ、マスコミ的にはどうしても、報告書で言えば最後の第5節の「就職活動のあり方の見直し-当面とるべき対策」が中心になるのでしょう。ただ、分科会で1年近く議論してきた一人としては、じっくり読んでいただきたいのはむしろその前のところではありますが。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-d1fd.html(日本学術会議大学と職業との接続検討分科会一応終了)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-c4bb.html(日本学術会議大学と職業との接続検討分科会報告書案の続き)

2010年3月28日 (日)

shndysさんの拙著評

shndysさんの「what I read」というブログで、拙著『新しい労働社会 雇用システムの再構築へ』の書評をいただきました。

http://d.hatena.ne.jp/shndys/20100328/p1

>ほとんど学術書のような筆致で、細かく論を追う根気がないので拾い読む。一歩引いた地点からの解説は、「同一労働同一賃金」といったよく聞く主張をそのデメリットも含めて政策全体の中で理解する上で有用。「正社員の過重責任の緩和が必要」、「生活給制でメリットを享受したのは政府」、「初期の成果主義導入の本音はコストカット」、「職務給の推進と社会保障給付の拡大はセットで」など、説得力のある議論が展開される。「過半数代表」とか「断交(ママ)」とか、身近に起こってはいたけれど、ここまでのパースペクティブを持って議論していたとは思えない。

拙著のパースペクティブの広がりを評価していただいていることはありがたいことです。

失業保険と生活保護の間―ドイツの求職者のための基礎保障―

国会図書館の発行している『レファレンス』の2月号に、社会労働調査室の戸田典子さんの「失業保険と生活保護の間―ドイツの求職者のための基礎保障―」が載っています。

http://ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/201002_709/070901.pdf

労働市場のセーフティネットをめぐる議論が盛んに行われる中、ドイツの制度について歴史的にさかのぼって詳しく解説している本論考は有用です。

目次は次の通り。

はじめに
Ⅰ ドイツのセーフティネット
Ⅱ 失業者支援制度の成立
1 失業扶助の起源―失業保護と緊急保護
2 職業紹介・失業保険法―失業支援金と緊急支援金
3 失業保険制度の崩壊
4 職業紹介・失業保険法の復活
5 雇用促進法から社会法典第3 編へ―失業手当と失業扶助
Ⅲ 失業者支援制度のゆらぎ
1 失業扶助受給者の増加
2 失業扶助と社会扶助の競合
3 連邦政府と自治体の競合
Ⅳ ハルツ改革―失業扶助と社会扶助の一体的改革
1 失業扶助と社会扶助の統合
2 改革後の給付内容
3 運営機関
Ⅴ ハルツ改革後の課題

むすび

「むすび」で、わたくしがむかし書いた解説の一節が引用されたりして、おもわず懐かしかったりします。問題構造はその時から明らかであったわけですね。

>日本でも、セーフティネットの間を埋めるために、生活保護制度を活用する、新たな制度を創る、などの対策がかねてから提案されてきた。

全国知事会及び全国市長会が共同で設置した「新たなセーフティネット検討会」が平成18 年に提案した「稼働世代のための有期保護制度」は、就労可能な世代を対象とする、最長5 年の期間を定めた保護制度である。制度適用期間中は、現金給付だけでなく、福祉事務所及び関係機関が積極的に被保護者と共に、就労自立のために目標を定め、プログラムを組み、複合的な就労阻害要因を除去し、職業紹介等を行う(98)。連合も、雇用保険と生活保護との中間の「第2 層のネット」として、就労・自立支援と連携した最長5 年間の給付制度を提案している(99)。

濱口桂一郎東京大学客員教授(執筆時)は、「長期失業者や受給資格なき失業者に対して、モラルハザードを回避しつついかにセーフティネットを及ぼしていくか」を雇用保険制度が直面する「最大の課題」と位置付け、「従来の欧州諸国を見習って失業給付の所定給付日数を単純に延長したり、あるいは国庫負担による失業扶助制度を野放図に導入」するなら「欧州諸国が脱却しようとしている長期失業の罠に陥ってしまう」と警告し、「多くの長期失業者が雇用保険制度と生活保護制度のはざまで無収入状態に陥っていることを考えると、生活保護制度についても労働法政策上に明確に位置づけ、失業給付受給終了後の失業者に対する所得保障として積極的に活用するとともに、従来からの生活保護受給者も含めて、その就労促進を制度の中核的要素として組み込んでいくことが考えられる。」と述べている(100)。

失業者支援制度や公的扶助が手厚いために、かえって人々がそこに安住する傾向もあったヨーロッパでは、現在、労働の場に参加させることにより人々を社会に包摂する「アクティベーション」が社会政策の主流となっている。ハルツ改革もその流れを汲むものである。ドイツと異なり、就労世代へのセーフティネットが極めて不十分な日本では、追い詰められ、労働市場に投げ出された人々は、劣悪な労働条件の仕事にも就かざるを得ず、ワーキングプアを形成している。唐鎌直義専修大学教授は、「労働力を窮迫販売する人の登場は、労働市場の競争原理を通じて、失業していない現役労働者の賃金や労働条件を引き下げる方向に作用する。失業者に対する所得保障は、非失業者の賃金や労働条件を守るために制度化された側面を持っている。(101)」と述べている。健全な労働市場の構築のためにも、雇用保険制度と生活保護制度の問題点と可能性を十分に検討した上で、セーフティネットを張り直さなければならない。 
(とだ のりこ)

この問題に関わるわたくしの文章としては、上で引用していただいた『ジュリスト増刊労働法の争点』を含め、以下のようなものがあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/juristkoyouhoken.html(『ジュリスト増刊 労働法の争点(第3版)』「116 雇用保険の法的性格」)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seroukakusa.html(『世界の労働』2008年1月号 「格差社会における雇用政策と生活保障」)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shitsugyohoken.html(『季刊労働法』221号「労働法の立法学」シリーズ第18回「失業と生活保障の法政策」)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/fujoworkfare.html(『季刊労働法』224号「労働法の立法学」シリーズ第19回「公的扶助とワークフェアの法政策」)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/econo1002081.html(『週刊エコノミスト』2月9日号セーフティネットのあるべき姿 支えきれなくなった「家族」雇用保険と生活保護の再構築が急務)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/bltsafetynet.html(『ビジネス・レーバー・トレンド』2010年4月号 「労働市場のセーフティネット-雇用保険制度等の展開と課題」)

『働くことと学ぶこと』

61442 佐藤博樹先生編著の『働くことと学ぶこと-能力開発と人材活用』(ミネルヴァ書房)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.minervashobo.co.jp/book/b61442.html

この本は、

>自己啓発と社員教育を活かす働きかた

能力開発はいかに働く人びとのキャリアや処遇に関係するのか

本書では、現在の能力開発だけではなく、過去の取り組みも含め、企業による能力開発の機会提供が働く人びとのキャリアや処遇にどのような影響を及ぼしているかを分析する。その上で働く人びとの能力開発にかかわる課題を把握し、それに基づいて政策課題を検討する。経済産業省の委託調査「働き方と学び方に関する調査」の成果。

で、次のような内容からなっていますが、

はじめに
第1章 働くことと学ぶこと
    ――能力開発の現状と課題
第2章 「最初の三年」は何故大切なのか
第3章 集中的な仕事への取り組みとその能力開発効果
    --「必死で働くこと」と能力開発
第4章 能力開発の就業率・収入への効果
第5章 女性の就業継続と職場環境
    --学卒後三年間の仕事経験
第6章 「初職非正社員」は不利なのか
     --「最初の三年」の能力開発機会とその後のキャリア
第7章 民間企業の能力開発

「最初の3年」というのが結構重要なキーワードのようです。

玄田先生と堀田聡子さんの第2章の最後の一節から、

>「3年は辛抱しろ」「石の上にも3年」。職場でも耳にする、そんなよく知られた言葉を真に実効性のある効果的なものにするためのポイントは、3年の間に適職体験を積ませることにある。仕事が自分に向いているという経験は、職業能力に対する自己評価を高めると同時に、就業継続を促進し、さらに稼得水準も向上させるという効果をもたらしている。そんな適職感覚体験は、個別に相談する体制が整っている職場に「必死になって」働き続けることを通じて獲得しやすくなっている。

ちなみに、この第2章の冒頭のエピグラムとして、山口瞳の『新入社員諸君』の一節引用されています。併せ読むとより効果的です。

>私の経験でいえば、忠誠心や愛社精神を振り回す男にろくな社員はいなかった。乱暴なようだけれど会社主義を捨てろと言いたい。あいつはいつ会社を辞めるのかとはらはらさせられるような男が結局は大きな仕事をしたものである。自由に働こう。ソレカラ、学校を出たら勉強は終わりだと考える社員もだめだった。社会こそ本当に身に付く学問の場なのである。会社主義から自由主義へ、学校主義から社会主義へ!私が言いたいのがそれだ。もうひとつ。世の中には一宿一飯の恩義というものがある。3年間だけは黙って働け!やり直しがきくという若さの権利を行使するのは、義理を果たしてからにしてもらいたい。

2010年3月27日 (土)

東大教師が新入生に勧める本

東大出版会の広報誌『UP』4月号が送られてきました。

毎年恒例のアンケート「東大教師が新入生に勧める本」ですが、今年は労働関係から社会科学研究所の玄田有史先生と水町勇一郎先生が登場しています。

玄田先生は、

①「暗夜行路」志賀直哉

②「失われた場を探して-ロストジェネレーションの社会学」メアリ・ブリントン

>経済学の研究者に必要とされる「クール・ヘッド(冷静な頭脳)とウォーム・ハート(暖かい心)」をまさに体現した一冊。若者の未来はどうすれば開かれる。自分たちの問題として考え、行動するヒントが満載だ。

余計な一言ですが、「愚鈍な頭脳」と「冷たい心」を組み合わせた自称経済学者ほど始末に負えないものはありませんな。ま、それはともかく、あとは玄田先生関連の書物です。

③「希望学」全4巻

④「人間に格はない」

>どうすれば誰もがハッピーに暮らせるか、あきらめずに愚直に考え続けることこそ経済学である。

水町先生は、

①「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」村上春樹・安西水丸

「沈まぬ太陽」山崎豊子

おっと、「沈まぬ太陽」ときましたか。

>日本社会の実態(ウラ側)を知ることができる(一応フィクションとされていますが)。

まあ、何が実態かというのも立場によって違って見えるところはあります。

この小説の副読本として、文春新書の『JAL崩壊-ある客室乗務員の告白』も役に立ちます。

②「法学」松尾浩也・高橋和之

「労働社会の終焉-経済学に挑む政治哲学」ドミニク・メーダ

>彼女の考察は近年のフランス(さらにはEU)の社会政策の思想的基盤の一つとなっており、

といえるのでしょうか、わたしはいささか疑問もありますが、でも労働についてラディカルに考える上では大変刺激的な一冊です。

③「希望学」全4巻

「<法>の歴史」村上淳一

>「歴史」を知らないと「法」は語れない。

全面的に賛成。労働の歴史を知らず、労働法の歴史を知らない者が、一知半解で労働法を語ると見事にトンデモを演じることになります。

④水町「労働法」

連合総研「労働法改革」

本ブログでもご案内したとおりです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/hp-b6a3.html(『労働法改革』をよろしく!)

EUの新成長戦略

生活経済政策研究所の『生活経済政策』2020年4月号に、わたくしの「EUの新成長戦略-知的で持続可能で包摂的な成長」が掲載されています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/eu2020.html

>本年3月3日、欧州委員会は『欧州2020-知的で持続可能で包摂的な成長への欧州戦略』(EUROPE2020 A European strategy for smart, sustainable and inclusive growth)(COM(2010)2020)を公表した。これは、2010年を目標年度に2000年に策定されたリスボン戦略を受け継ぎ、次の10年間のEUの経済社会政策の基軸となるべき戦略である。昨年11月24日に欧州委員会作業文書として一般協議が行われ、各国の政府、労使団体、NGO、専門家、一般市民など1400通もの回答を踏まえて、とりまとめられたものである。本稿では、労働社会政策分野に重点を置きつつ、この新戦略の全貌を紹介したい。

最後のところで引用している「社会保護社会的排除統合報告書」のプレス発表資料のタイトルの「有効な社会政策なくして出口戦略なし」という台詞は、なかなかキメのいい台詞です。

わたくしの論文のほかには、特集として「新たな公共事業の可能性」などが載っています。

『経営法曹』メンタルヘルス特集

経営法曹会議から『経営法曹』163号をお送りいただきました。特集はメンタルヘルス実務対応。労働科学研究所の鈴木安名(あんな、じゃなくて、やすなさん。男性)氏の基調講演と、会員弁護士による討論です。

鈴木氏によると、もっとも留意すべきなのはパーソナリティ障害。特に最近増えてきているのが自己愛性パーソナリティ障害だそうです。パーソナリティ障害への対応原則は

>脅かしには屈しない。特別扱いしないということです。会社が一貫した対応をしてきたかどうか。指導、教育、注意ときっちりやってきていない例ほど、トラブルになります。

>最初は不適切な言動を黙認・容認し、いよいよとなってから、対応する。つまり出遅れ対応です。ルール違反への出遅れ、休職期間満了への出遅れ、そういう出遅れが、大体、トラブルを引き起こします。

ということなんですね。

討論に出てくる設例もいろいろと考えさせます。

>うつ病に罹患している社員がおり、欠勤して療養に専念するよう勧めているが、これに従わず、遅刻・欠勤を断続的に繰り返し、出社しても居眠りをしたり、集中力に欠け、ミスを連発するなど、担当職務をまっとうできない状況である。就業規則所定の休職事由である連続欠勤の要件は満たしていないが、休職を命ずることはできないか。

>就業中、奇声を発したり、奇矯な振る舞いに及ぶ社員がおり、正常な判断能力を有しているとは思えない。カウンセリングや医師の受診を勧めたが、「自分を病人扱いするのか」と反抗してこれに応じない。業務命令として会社の指定する医師の診断を受けるよう命じてもよいか。

>設例2で、受診命令を発したが、「自分は病気ではない」と主張して受診せず、なお奇矯な言動を繰り返し、業務遂行上重大な支障が生じている場合、解雇することはできないか。

実は、現在研究中の労働局あっせん事案の中にも、メンタルヘルス事案が相当数含まれています。現在の職場の大きな問題であることは間違いないですね。

まあ、職場に限らず、本ブログでも先日来いろいろあったように、メンタルヘルスな人の行動はまことにやっかいなものではあります。

その後ろに、特集とは別に「法律実務Q&A」でも「メンタルヘルス経歴詐称と解雇の可否」という質問が載っています。

>当社は、電気設備工事を業とする株式会社です。当社は、従業員採用時の面接において、メンタルヘルスについての既往歴(うつ病等の治療の有無等を含む)や、職歴の中で仕事が困難となった身体的事情はなかったか等を質問しています。その際に、「うつ病などの既往歴はない」と答えた人物を採用したのですが、実際は、採用面接時点でうつ病の治療中で、試用期間経過により本採用した後1ヶ月も経たないうちに、うつ病を理由に休職を申し出た場合、会社は退職(解雇)にすることはできないでしょうか?

健康情報というセンシティブな個人情報保護と経歴詐称による懲戒解雇の関係をどう考えるかですね。

「名ばかり役員」労組加入OK 佐賀地裁「解雇は無効」

朝日の記事ですが、

http://www.asahi.com/job/news/SEB201003260010.html

>会社の経営に関与しない「名ばかり役員」に就任させられた従業員の男性(42)が、労組に加入したことを理由に解雇されたのは不当だと佐賀市のゴルフ場運営会社などを訴えた訴訟の判決が26日、佐賀地裁であった。判決は解雇を無効とし、会社側に未払い賃金575万円と慰謝料30万円の支払いを命じた。

 判決によると、ゴルフ場に勤めていた男性は、2007年5月に運営会社が設立された際、承諾なしに取締役に就任させられた。経営責任を問われるのを恐れて翌月、相談先の労働組合に加入すると、08年3月に解雇された。

 判決で野尻純夫裁判長は、役員となった後も男性の勤務実態に変化はなく、経営にも関与していなかったことから、役員の実体はなかったと認め、「従業員と違わない立場であり、労組加入を理由とした解雇は違法」と判断した。

この記事、「解雇」って書いてますけど、承諾もない名ばかりとはいえ「取締役」は「解任」できても「解雇」はできないような。そもそも、取締役を誰が解任したの?と会社法的には疑問が湧いたりしますが、まあ、そういう法学部的感覚の通用する世界ではないということなのでしょう。

労働者が労働者としての権利を主張できなくするために取締役にしてしまうというのは、六法全書的にはなかなかシュールな世界ですが、まあ民俗労働法(フォーク・レイバーロー)的にはそれほど違和感のない世界なのかも知れません。

2010年3月26日 (金)

『契約社員の人事管理』

JILPTの資料シリーズとして、『契約社員の人事管理-企業ヒアリング調査から』が出ました。

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2010/0065.htm

>近年、契約社員が増加しつつある一方で、その人事管理の在り様については、ほとんど明らかにされていませんでした。そこで、本資料シリーズでは、契約社員がどのような仕事に従事し、どのような処遇を受け、そこでどのような問題が発生しているのかを運輸A社、卸売B社、ホテルC社、百貨店D社、情報通信E社、書店F社、サービスG社(コールセンター)の計7社を対象とするヒアリング調査により明らかにすることに取り組みました。この結果、企業が契約社員をさまざまな職種において、さまざまな目的のもとで活用し、その人事管理のあり方も多様であることが明らかになりました。

執筆者は高橋康二さんと前浦穂高さんですが、二人とも去年JILPTに入ったばかりのフレッシュマンです。また、二人ともこの調査等を踏まえてディスカッションペーパーを執筆中です。

概要は次の通り。詳しくはリンク先のPDFファイルをご覧ください。

>(1)職種/業務内容

職種は、乗務職(A社)、営業事務職(B社)、サービス職(C社)、専門職(C社、E社)、販売職(D社、F社)、営業職(E社、F社)、開発職(E社)、コールセンターオペレーター(G社)となっている。

(2)活用目的・理由

活用目的・理由をみると、人件費・コスト削減のため、期間の定めのない社員として雇用するリスクを回避するため、専門知識・技術・即戦力の活用のため、売り場運営に特化した人材を育成するため、試行的雇用のためとなっており、特定の活用目的・理由に集中しているということはない。なかには、契約社員が事業の主戦力となっているケースもある。

(3)契約期間・更新

契約期間をみると、1年契約が大半であり、それ以外には3年契約がみられる。

他方、契約更新の実態をみると、「雇止めの例なし」、「原則として更新」、「特段の問題がなければ更新」、「雇止めの例は少ない」、「大半が更新」、「人事評価に基づき更新」、「最長5年が上限」など幅がある。

また、試行的雇用を目的とする場合には、「正社員登用できなければ契約終了を検討」、「正社員登用できなければ契約終了」といった運用をしている。

(4)賃金制度

賃金制度には、いくつかのパターンが見受けられる。第1に、「月給+賞与」で「昇給あり」とするケースがある。これらの契約社員は、賃金水準は別として、賃金制度についてみるならば、一般的な正社員と類似しているといえる。

第2に、「月給」のみで「昇給あり」とするケースがある。これらの契約社員についても、勤続にともない一定程度の賃金上昇があるものと考えられる。

第3に、「月給+賞与」で「昇給なし」のケース、「月給」のみで昇給しないケースもある。これらの契約社員については、一般的な正社員とは賃金制度が大きく異なっているといえる。

第4に、年俸(毎年更改)というケース、月給が契約更新時に更改されるケースがある。これらについては、業績や働きぶりなどによって賃金が少なからず変動するものと考えられる。

(5)能力開発

能力開発のあり方をみると、正社員と同様にOJT、Off-JTを実施しているものが多い。

他方で、入社時研修以外は能力開発をしていない、入社時以外はOJTのみ、基本的には正社員と契約社員とで能力開発のあり方に違いはないが正社員に対してのみ付加的Off-JTを実施というように、正社員に比べて能力開発の機会が少ないケースも見受けられる。

また、正社員と契約社員の役割の違いを踏まえて、正社員とは別にOff-JTを実施するというケースもある。

(6)正社員との均衡処遇

正社員と契約社員の均衡処遇への対応についてみると、第1に、正社員より賃金水準は低いが、格差を縮小する方向ではなく、正社員化で対応しているケースがある。

第2に、正社員より賃金水準が低いが、業務内容、採用基準などから、合理的な水準だと考えられているケースがある。

第3に、それとは反対に、正社員より賃金水準が高いが、高度なスキルに相応しい水準だと社内で受け止められているケースがある。

第4に、コスト削減を目的として活用している職種では、処遇格差が問題となっており、試行的雇用を目的として活用している職種においては、賃金水準は低いが特別な問題は生じていないという企業もあった。

第5に、そもそも正社員と契約社員とで賃金水準の差がほとんどないケースもある。

(7)正社員登用・転換

契約社員の正社員登用・転換の実態をみてみると、第1に、原則として全員を正社員化ないし正社員転換するケースがある。

第2に、もっぱら試行的雇用を目的として契約社員を活用しており、入社者の7~8割が正社員登用されるケースがある。

第3に、選抜による正社員登用制度を設けているケースがある。ただし、そこには、正社員登用制度があるが希望者が少ないというケースも含まれる。

第4に、原則として正社員登用はないというケースもある。

2010年3月25日 (木)

OECD『よくわかるヒューマン・キャピタル』

41532591012007101m130 OECD編、ブライアン・キーリー著、立田慶裕訳『よくわかるヒューマン・キャピタル 知ることがいかに人生を形作るか』(明石書店)をお送りいただきました。

表紙映像は、まだ明石書店のHPに本書が載っていないので、OECDのサイトから原著の表紙映像を持ってきています。

http://www.oecd.org/document/1/0,3343,en_21571361_37705603_41521985_1_1_1_1,00.html

本書は、OECDインサイトというシリーズの一冊で、OECDの分析やデータを使って今日的問題を分かりやすく解説するものです。

目次は次の通りです。

第1章 変化への投資

第2章 人々の価値

第3章 初めの一歩

第4章 学校への出発

第5章 生涯を通しての学び

第6章 大きな展望

第7章 測定を超えて

内容を日本語で要約した文章がOECDのサイトに載っています。

http://www.oecd.org/dataoecd/29/1/38435787.pdf

>労働の世界はこの20~30年で様変わりしている。大半の先進国では、製造業は労働力構成比の低下に歯止めがかからず、給与面でも総じて他のセクターほど伸びていない。先進国ではこれまでにもまして「知識」労働者―コールセンターの労働者から建築家、教師、金融機関従業員まで含まれる―が経済の行方を左右するようになっているのである。
個人や国がこのように拡大しつつある知識経済の恩恵を受けられるかどうかは、主に教育、技能、才能、能力といった人的資本にかかっている。したがって、各国政府は人的資本のレベルアップにこれまで以上に力を入れている。このための最も重要な対策の1つが教育と訓練であり、教育と訓練は今日では経済成長を促す要因としてますます重要性を高めていると見なされている。
しかし、通常4~5歳前後から10代の終わりか20代の初めまで行われる正規の教育は、人的資本の形成において限られた役割しか果たさない。人的資本の形成については、教育として捉えるのではなく、学習という一生涯続くプロセスとして捉える方が、多くの点でより有益である。
経済や雇用の視点から見ると、人間の生涯学習の可能性はいよいよその重要性を増している。従来の職種は安価な労働力が手に入る国や地域に移っている一方、急速な技術革新を背景に最近までほとんど存在しなかった職種が生まれたり、そのために必要とされる知識が一変したりしている。その結果、今日では誰しも労働人生を通じて技能や能力を磨き続ける必要があるのである。
本サマリーでは、人的資本の概念、経済成長にとって増す一方であるその重要性、幼児期、正規教育期、成人期に政府や社会が行うことのできる人的資本開発策について取り上げる。

本書全体に、今までのOECDの出版物からの名文句が箴言のように引用されていまして、それをぽつぽつととばし読みしていくだけでも面白いです。

日本学術会議大学と職業との接続検討分科会報告書案の続き

昨日の

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-d1fd.html

の続きです。

>2.学生の就職問題に関連するこれまでの対応

若者を取巻く困難については、その構造的な性格を踏まえた対策を講じることが必要であるが、これまでの対応においてはその点が十分でなかったと考える。以下に大学、企業・経済団体、政府の対応を概観する。

(1)大学の対応

学生の就職問題に対する大学の関心は主に2点に集中してきたと言えよう。1点は、学生の就職支援である。現在、少なくない私立大学が、入学者の定員割れを起こしているが、卒業生の就職状況は、新規の学生募集にも大きな影響を与えると考えられており、経営上の観点からも大きな関心事項である。多くの大学では、この問題に関して、入学後の早期からのキャリア教育や、カウンセリング・面接対策等の就職支援を積極的に展開している。

もう1点は、過熱し早期化した「就活」に学生が巻き込まれることによって、大学の授業が多大な影響を受けることであ。多くの大学教員がこのことを深刻な問題と感じており、大学団体を通じて経済団体に対して就職活動の早期化の是正を求める要望書が提出される等の対応がなされている。

しかしながら、こうしたことは、どちらかと言えば問題の現象面に着目した対応であり、現在の大学と職業との接続の在り方自体の変革につなげようとする対応、すなわち、学士課程教育の本体部分において、職業能力形成の機能を高めようとする取組みは少ないように見受けられる6。

6 職業能力ということに関して、各種の資格の取得が想起されることがある。もとより大学の教育課程を通じた資格取得は一概に否定さるべきものではないが、しかしそれが学士課程教育の体系性の中にきちんと位置付けられていることが重要である。4年間の学士課程教育そのものが、学生に対して、「大学卒業生にふさわしい」職業能力を身に付けさせるものとして機能すべきであり、学士課程教育の本体部分は職業能力形成に役立たないことの埋め合わせとして、資格取得がちりばめられているようなことであれば本末転倒であると言えよう。

(2)企業・産業界の対応

企業が学生に求める能力を高度化させているとの言説があることについては既に述べた。一方で、採用活動の早期化是正の問題については、従来より、日本経団連の倫理憲章によって、学事日程の尊重や、選考活動の早期開始の自粛等が定められている。しかし、厳しい経済環境の中で新卒採用を縮小することが、却って「厳選化」の圧力となり、他社との競争に遅れを取らないために、倫理憲章の遵守を考慮しない傾向が強まっているとも言われている。多くの大学教員がこのことを問題視していることは①に述べた通りである。

一方で、大学教育の在り方に対して、近年、経済団体からの提言が活発に行われるようになっている7。こうした提言が産業界から行われることは、大学教育における職業能力形成の充実を考える上で有意義なことであり、単に大学教育に対する「圧力」として捉えられるべきではない。

しかし、産業界からの提言の多くは、実際の企業の採用活動が、大学教育の成果を重視せず8、かつまた採用活動自体が大学教育に大きな影響を与えていることについては無自覚である。この問題の改善が図られないと、従来の大学と職業との接続の在り方を変革することは困難である。

7 例えば、平成20年4月に日本経団連から出された「競争力人材の育成と確保に向けて」は、人材育成の場としての大学の重要性を指摘して、企業が求める人材像を踏まえた教養教育の充実や、厳格な成績評価の実施による学生の質の担保等を提唱している。

8 理工系の分野では、大学で何を学んできたかを重視する例も少なくないと言われている。分野の特性とともに、修士課程への進学者が多いこととも関係すると思われる。

(3)政府の対応

この問題に関しては、政府においても各種の対応が講じられてきたが、ここでは主に2つのアプローチに絞って述べることとする。一つは、若者の「勤労観・職業観の醸成」9 を目的として、学校教育における進路指導やキャリア教育の充実を図るアプローチである。これについては、従来、主として初等中等教育において施策が推進されてきたが、平成22年1月現在、文部科学省の中央教育審議会において、大学による「キャリアガイダンス(社会的・職業的自立に関する指導)」の実施を法令上明確なものとするため、このための規定を新たに大学設置基準に盛り込むことが審議されている。

もう一つは、社会人や職業人として求められる能力を具体的に同定し、大学教育等の改善に活用してもらうことを企図したアプローチである。主なものに、「若年者就業基礎能力」10、「社会人基礎力」11、「学士力」12 の3つがある。本件審議は、文部科学省から日本学術会議に対して依頼を受けた、大学教育の分野別質保証の在り方に関する審議の一環として行われているものであるが、元来、同省からの依頼は、3番目の「学士力」を提唱した、同省中央教育審議会の答申の問題意識を踏まえて行われたものである。

2つのアプローチのうち、前者については、職業能力形成そのものを対象とするものでないことは明らかである。一方、後者のアプローチは、大学教育の職業的意義の向上をも企図したものではあるが、3で後述するようにその関係性は限定的であり、未だ「大学と職業との接続」の在り方の変革を大きく変えることにつながるものではない。しかし、大学教育の分野別の質保証という課題は、後者のアプローチの企図を大きく敷衍するものであり、大学教育の職業的意義の向上に極めて重要な役割を果し得るものと考える。

9 平成15 年6 月に、当時の内閣の文部科学大臣、厚生労働大臣、経済産業大臣、経済財政政策担当大臣から構成された「若者自立・挑戦戦略会議」が発表した「若者自律・挑戦プラン」より引用。

10 平成16 年 厚生労働省、11 平成18 年 通商産業省、12 平成20 年 文部科学省中央教育審議会

(4)若者の移行問題についての発想転換の必要性

以上に見たように、未だ大学、企業、政府の何れにおいても、従来の大学と職業との接続を変革しようとする自覚的な動きが出ているとは言いがたい。

かつての日本社会においては、若者が学校から職業へのスムースな移行を遂げていくことが長期にわたって自明視されており、移行を支援するスキームの必要性は意識されてこなかった。しかしそれは世界的にも希有なことであったし、最早かつてのような時代が戻ることはないであろう。今後は、むしろ根本的に発想を転換して、若者が学校から職業に移行するのには大きな困難が伴うという認識を自明のものとして、若者に対する支援策を抜本的に再構築しなければならないと考える。

そのために先ず取組むべきこととして、次節において、分野別の質保証を通じた大学教育の職業的意義の向上とともに、現在の就職活動の在り方を改善するための現実的な方策について検討する。

注3の「4年間の学士課程教育そのものが、学生に対して、「大学卒業生にふさわしい」職業能力を身に付けさせるものとして機能すべきであり、学士課程教育の本体部分は職業能力形成に役立たないことの埋め合わせとして、資格取得がちりばめられているようなことであれば本末転倒であると言えよう」という一文などは、昨今の大学の右往左往ぶりに対する鋭い皮肉になっていますね。

日本経団連国際協力センターの解散

日本経団連国際協力センターから、『第20回アジア諸国人事労務管理者育成事業実施報告書』とさらに分厚い『第20回アジア諸国人事労務管理者育成事業研修員論文集』が、『niccニュース』の最終号とともに届きました。

日本経団連国際協力センターは、

http://www.nicc.or.jp/

>日本の経済界・産業界の立場から、アジアを中心とした開発途上国の経営管理者の育成、経営者団体の健全な発展への支援、ならびに企業及び経営者団体幹部間の交流促進を通じて、これらの国々の持続的な経済発展に貢献することを目的として国際協力を行って

きた団体であり、わたくしも

>民間レベルの国際交流、顔の見える国際協力を促進するという観点からも、NICCが担うべき役割は、今後ますます大きくなっていくものと確信

しておりました。

改めて数えてみたら、いままで計7回も研修の講師として協力させていただいたことになります。大変意義のある事業に協力させていただいてきたと考えています。

しかしながら、その最終号によりますと、

http://www.nicc.or.jp/jp/documents/vol19.pdf

>このようなNICCの活動や財団の運営は、日本経団連の会員を中心に活動主旨にご賛同いただいた企業・団体の皆様から毎年拠出いただく国際協力活動支援金によって支えられ、政府からの事業補助および事業委託を受けて継続して参りました。しかし現下の厳しい経済情勢の中、事業収支が赤字に陥るなど大変苦しい財政状況に直面いたすこととなりました。そこで、私どもは財団を取り巻く時代の流れ、諸環境の変化を踏まえ、改めて財団の将来を客観的に見通した結果、現在取り組んでいる収支の改善策をもってしても、NICCが今後、安定的な財政基盤を確立し、独力で事業を継続・発展させていくことは困難であると判断し、誠に残念ではありますが、本年3月末をもって財団を解散することを、理事会ならびに評議員会にて決定するに至りました。

とのことです。「誠に残念」という気持ちを共有するとともに、こういう本当の意味での国際協力がむずかしくなる状況を悲しく感じるところです。

あまりごちゃごちゃ書くと、かえって関係の皆様にご迷惑がかかるやも知れませんので、この程度にしておきますが、これもまた一つの民間ベースの労働外交であったことを記憶しておきたいと思います。

『ビジネスレーバートレンド』4月号

201004 JILPTの『ビジネスレーバートレンド』4月号が発行されました。特集は「現下の雇用・失業問題とその対策―現状をどう捉え、どう対応するべきか―」です。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2010/04.htm

有識者アンケート「失業問題と今後の対応について」
太田聰一 慶應義塾大学経済学部教授 黒坂佳央 武蔵大学経済学部教授 佐々木勝 大阪大学社会経済研究所准教授 駿河輝和 神戸大学大学院国際協力研究科教授 中窪裕也 一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授 八代尚宏 国際基督教大学教養学部教授 脇田成 首都大学東京大学院社会科学研究科教授 浅尾裕 JILPT 研究所長 加瀬和俊 東京大学社会科学研究所教授 黒田祥子 東京大学社会科学研究所准教授 鈴木宏昌 早稲田大学商学部教授 田中堅一郎 日本大学大学院総合社会情報研究科教授 丸谷浩介 佐賀大学経済学部准教授 矢野昌浩 琉球大学法文学部教授

雇用失業構造の実証的分析
藤井宏一 JILPT 統括研究員

労働市場のセーフティネット――雇用保険制度等の展開と課題
濱口桂一郎 JILPT 統括研究員

ドイツの失業対策――「雇用の奇跡」と労働時間
JILPT 招聘研究員 ハルトムート・ザイフェルト

<事例報告>パート等有期契約組合員に対する雇用維持方策
――UI ゼンセン同盟にきく

という構成です。わたくしは雇用保険、生活保護、その間のいわゆる第2のセーフティネットに関する概観的解説を書いています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/bltsafetynet.html

読んで面白いのは、もちろん有識者アンケートの方です。その意見に賛成するしないは別にして。

経済同友会の提言「日本的コーポレート・ガバナンスのさらなる深化」

3月24日、経済同友会が「日本的コーポレート・ガバナンスのさらなる深化」と題する提言を公表しました。

http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2009/pdf/100324b.pdf

社外取締役、社外監査役、役員指名・役員報酬決定プロセス、執行役員など様々な論点について議論が展開されていますが、本ブログではやはり、「経営者と従業員との関係の調和」という項目に注目しておきたいと思います。

>グローバルに説得性のあるコーポレート・ガバナンスの仕組みを構築していく上で、日本企業が持つ経営者と従業員との間の信頼関係はガバナンスの有効性を高める役割を十分に担っている。

日本企業の終身雇用制度、企業内組合、経営者と従業員との定期的なコミュニケーション機会というものは、戦後の高度経済成長を人材確保と労使の目標の共通化という形で支えてきたと言える。このような日本企業の制度や習慣により培われてきた経営者と従業員との間の信頼関係は、迅速な意思決定の実現、現場での創意工夫、例えば英語にもなっている従業員の「改善」活動が安全で高品質な製品を生む源泉になっているといった日本企業の強みとして、各企業に保たれており、今後も引き続き強みとして維持すべきである。

なお、経営者と従業員との関係に関しては、民主党の「公開会社法(仮称)の制定に向けて」というペーパーによれば、監査役の一部を従業員代表から選任する、との記述が見られる。従業員代表をガバナンス機関に置くという考え方はドイツにおいて見られるものであるが、ドイツで監査役会といわれている機関は資本家及び労働者双方の代表から構成されるもので、その主たる役割は経営を執行する者の選任・解任及び執行の監督であり、日本の監査役会とは権限や機能の面から異なるということに留意する必要がある。

日本企業の監査役に従業員代表を導入しようとする目的やその役割は、現時点ではまだはっきりとはしておらず、今後の議論により明確になってくるものとは思われるが、従業員が被るかもしれない不利益を排除したり牽制したりするような役割だけを求めるのであれば、株主との利害対立の可能性もあり、監査役の職務としては不適切なものとなる。監査役は特定のステークホルダーの意見を代表するものではなく、取締役に対する適法性監査を職務とする監査役の機能上、従業員代表を監査役とすることは適切ではないと考える

従業員代表を監査役とすることは適当ではないという結論自体は、経営者団体としてはそういう結論になるのだろうと思いますが、論理展開の中で一点だけ指摘を。

ドイツで監査役会といわれている機関は資本家及び労働者双方の代表から構成されるもので、その主たる役割は経営を執行する者の選任・解任及び執行の監督であり、日本の監査役会とは権限や機能の面から異なるということに留意する必要がある」というのは、まさにそのとおりであって、ですから、わたくしはドイツ会社法の「Aufsichtsrat」を監督役会と訳すことにしています。

つまり、ドイツ会社法は、会計監査くらいの役割に従業員代表を付けているのではなく、会社の執行役をその上から監督するというより重要な役割に付けているということです。その役割はむしろ「取締役」という言葉にこそふさわしいとも言えます。

その意味で、「従業員が被るかもしれない不利益を排除したり牽制したりするような役割だけを求めるのであれば・・・監査役の職務としては不適切」というのは間違いではないのですが、それならむしろ正面から取締役にする方が適切という議論もありうることになるでしょう。

実をいえば、スウェーデンなどでは、重役会のメンバーとして従業員代表が複数(1000人未満企業は2人、1000人以上企業では3人)参加することとされていて、まさに「特定のステークホルダーの意見を代表するもの」となっています。日本の会社法の考え方からすると、適法性監査に限られる監査役よりも、取締役に従業員代表を付ける方が整合性があるのでしょう。

(参考)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sankachap6.html(EU加盟諸国の労働者参加の制度及び実態(連合総研「日本における労働者参加の現状と展望に関する研究委員会」最終報告書))

2010年3月24日 (水)

EU労働時間指令 もういっぺん労使への協議からやり直し

EU労働時間指令については、本ブログでも何回か取り上げてきましたし、累次の解説論文で繰り返し説明してきたところですが、

(参考)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/eujouken.html

最近のものとしては

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hirobaunion0909.html(「EU労働時間指令とは?」『ひろばユニオン』2009年9月号 )

5 労働時間指令改正案の廃案
 
 閣僚理事会では長期間にわたる交渉の末、2008年6月になってようやく政治的合意が成り立ちました。指令案提案から4年近く経っていました。その内容は次の通りでした。待機時間については不活動部分は労働時間ではないが休息期間にも勘定できないというのが原則ですが、労働協約や労使協定または労使への協議を経た国内法によって異なる取扱いができることとされています。つまり、労働時間と待機時間の活動部分の合計が原則13時間以内となり、拘束時間はそれより長いことが可能となるわけです。これはやはり医療分野の要望が大きいのでしょう。
 オプトアウトは恒常的制度として生き残りました。ただし、使用者は労働者が合意しないことや合意を撤回したことを理由として不利益取扱いをしてはなりませんし、個別雇用契約の締結時またはその後4週間のオプトアウト合意は無効です。さらに、オプトアウト合意後6ヶ月間または試用期間はいつでも合意を撤回でき、その後も2か月の告知期間をもって撤回できます。オプトアウトの場合でも、労働協約または労使協定で別様に定めない限り3か月平均で週総実労働60時間という上限が、また待機時間の不活動部分を労働時間と見なす場合には65時間という上限が付されます。逆に言えば、労働協約または労使協定による場合にはこの部分については青天井となり、元に戻って休息期間を除く週総実労働78時間が上限となるわけです。
 この共通の立場が欧州議会に送られて、再び全面的な反発を受けました。2008年12月に欧州議会が採択した第二読修正意見は、オプトアウトと待機時間の双方について、共通の立場にまとめられた妥協を全面的にひっくり返しています。今年に入って、欧州議会と閣僚理事会の間で調停委員会が開催されましたが、4月に最終的に決裂してしまいました。

いったんつぶれた話を、もういっぺん、一から始めるには、条約に基づき、労使団体への第1次協議から始めるしかありません。

というわけで、本日2010年3月24日、欧州委員会は労働時間指令の見直しについて、7年ぶりに労使団体への第1次協議を行いました。

http://ec.europa.eu/social/main.jsp?langId=en&catId=89&newsId=740&furtherNews=yes

>The European Commission has requested the views of workers' and employers' representatives on the options for reviewing EU rules on working time.

The first stage consultation asks the European social partners whether action is needed at EU level on the Working Time Directive (2003/88/EC) and what scope it should take. This represents the first step towards a comprehensive review of the Directive and comes after previous attempts to revisit the existing legislation reached an impasse in April 2009.

ただ、今回の協議文書は、ぽしゃった前回のやつの7年遅れの繰り返しというだけではなく、新しい話題もいくつか盛り込まれています。

>In the meantime, other issues have been added to the debate, reflecting fundamental changes in the world of work over the past twenty years. For example, average weekly working hours in the EU have fallen from 39 hours in 1990 to 37.8 hours in 2006 and the share of part-time workers in the workforce increased from 14% in 1992 to 18.8% in 2009. There is also more and more variation in individuals' working time over the year and over working life, reflecting more emphasis on work-life balance measures such as flexitime and time credit systems, as well as increasing workers' autonomy in parallel with the expansion of the knowledge-based economy.

As a result, the Commission is planning a comprehensive review of the existing working time rules, starting with a thorough evaluation of the current provisions and issues in their application, before considering the different options to address these issues. The review will be shaped by a set of policy objectives, including protecting workers' health and safety, improving balance between work and private life, giving businesses and workers flexibility without adding unnecessary administrative burdens for enterprises, especially SMEs.

労働時間規制のあり方自体を包括的に見直していこうということのようです。

日本学術会議大学と職業との接続検討分科会一応終了

昨日、日本学術会議 大学教育の分野別質保証の在り方検討委員会 大学と職業との接続検討分科会の第17回会合が開かれ、ほぼ終了しました。

今後細かい字句修正の上、文部科学省に報告されることになると思います。

現時点で学術会議のHPに載っているのは、1月26日時点の報告書案なので、それ以上のことをここに書くのは控えておきますが、なかなか面白い報告書になっております。主として執筆に当たったのは本田由紀先生と児美川孝一郎先生の両幹事ですが、その他の委員の発言も随所に盛り込まれております。

http://www.scj.go.jp/ja/info/iinkai/daigaku/syoku.html

http://www.scj.go.jp/ja/info/iinkai/daigaku/d-shidai14.html

ここでは、最終報告書とあんまり変わっていない冒頭の「1.若者を取巻く困難」の部分を、1月26日時点の報告案から引用しておきます。

http://www.scj.go.jp/ja/info/iinkai/daigaku/pdf/d-14-2.pdf

>1.若者を取巻く困難

(1)若者が直面する就職問題

バブル経済の崩壊以降、卒業時に安定した正規雇用での就職先を得ることができず、結果として不安定な非正規雇用での就労に従事することを余儀なくされる大学卒業生が顕著に増加している。一旦非正規雇用での就労に従事した者は、その後に正規雇用の職を得ることが極めて困難になるという日本の労働市場特有の構造は、若者の就職問題を一層苛酷なものとし、「ロストジェネレーション」と呼称される、90 年代の厳しい就職難に遭遇した世代の苦境は、今日に至るも抜本的に解消されることがなく、日本の社会に刻まれた深い傷跡となっている。その後の景気の回復によって、就職を取巻く状況は一次的な改善を見せていたが、一昨年末の世界同時不況の到来により、再び深刻な就職難が懸念される状況となっている。

また、従来から、多くの企業は採用に当たって、積極性や協調性などの学生個々人の人間性や、将来的な「訓練可能性」¹などを重視してきたとされるが、近年、企業が学生に対して求める能力の要求水準が高まる、あるいは、若者一般に対する企業の評価が厳しいものとなってきていると言われている。しかし、そこで要求される能力に関しては、一定の職業生活を経験して初めて身に付くのではないかと思われるような高度な対人能力や、常人では思い付かないようなアイデアを考える発想力、いままでの人生での大きな困難を克服した体験等、大学教育との関係が薄く、目的合理性を持った努力では対応が困難なものばかり求められているかのような言説も振りまかれている²。

こうした状況は、大学生の将来展望を不透明なものにし、多くの者が非常に早期からの就職活動の必要性を意識して、長期間にわたって就職活動に多大なエネルギーを注ぎ込まざるを得ないようにさせており、学生の学業生活に甚大な支障を及ぼすばかりか、メンタルヘルス面でも少なからぬ問題を発生させている。また、企業にとっても、近年の過熱する就職活動(採用活動)は、非常に費用対効果が良くないものと感じられるようになっていると言われている。

¹ ここでの「訓練可能性」は、採用後に企業の中での配置や処遇に応じて自己の職務能力を開発していくことのできる柔軟な学習能力を意味している。企業の採用に当たって、大学の「序列」が重視されてきたことは周知の事実と言ってもよいであろうが、大学の序列が、大学入試の受験能力という意味で個人の学習能力を表す一つの指標であると解すれば、このようなふるまいもある意味で自然なことと言えよう。

² 特定の学生に内定が集中する一方、内定が全く取れない学生が多数生じるとされる現象も、こうしたことと密接に関係していると思われる。

(2)問題状況の背景-日本的雇用システムとその成立基盤の動揺

社会・経済の仕組みは、金融、産業、雇用、社会保障、教育などの様々なサブシステムによって構成され、それぞれが相互に補完・調整し合い、全体として効果的・効率的に機能する。しかし、環境変化の中で特定のシステムに変容が見られると、諸システム間の補完関係が機能不全となり、そこには社会的な矛盾や困難が蓄積していく。

若者の就職をめぐる問題状況についても、現象面にのみ着目して対策を講じても、問題の解決には寄与しないと考える。以下に見るように、この問題の根底には、日本の社会・経済を取巻く環境の不可逆的な変化があり、そのことに由来するサブシステム間の不具合として問題が発生していることを理解することが重要である。

① 日本的雇用システムと大学教育

日本の雇用は、大別すれば、正規雇用者を中心とし、長期雇用、年功賃金、企業別組合を「3種の神器」とするいわゆる「日本的雇用システム」と、その外部に広がる非正規雇用者を中心とする周辺システムから成立してきた。日本的雇用システムは、かつての高度経済成長期を通じて形成されたものであり、恒常的な人手不足を背景として、企業に優秀な人材を囲い込む上で、重要な役割を果してきた。そこでは、長期雇用を前提とした手厚い企業内訓練を行うことが広く行われており、新規の採用者に求められたのは、(1)で述べた「訓練可能性」や、積極性や協調性などの人間性であり、専門性に根ざした実践的な職業能力ではなかった。

一方、大学に関しては、第二次世界大戦後間もなく行われた学制改革の一環として、1949年に多数の新制大学が発足し、以後、進学率の上昇と相まって高等教育人口が急激に拡大し、産業界での旺盛な人材需要に応えることとなる。しかしまた、当時の日本は、東西の冷戦体制が激化する中、左右のイデオロギー的な対立が陰に陽に社会を分断する傾向が次第に強まり、大学を含む教育界では、左翼的な考え方の影響もあり、特に文科系の分野を中心に、教育を職業との関わりから考えることを、教育を産業に従属させることとして否定的に捉えるような傾向も広まった3。

3 職業的な能力形成ではなく、「専門分野の研究後継者の養成課程」であるという視点が、長く大学教育の質保証に係る暗黙の規範として機能していた面があると考えられる。しかしこのような視点が、大学教育の規模が飛躍的に拡大した時代において、一部の選抜性の高い大学ばかりでなく、すべての大学において共有されるべきものであるかはもとより自明ではない。(大学教育の規模が格段に小さかった戦前の日本の大学は、大学令に「大学ハ国家ニ須要ナル学術ノ理論及応用ヲ教授シ・・」と規定されていたことが象徴しているように、国家のエリートの養成機関としての性格が強く、その枠組みの中で、研究者養成と職業人養成とが伴に包摂されていたと考えられる。)
80年代から90年代にかけて、「国際」や「情報」、「環境」等をキーワードとするいわゆる「四文字学部」が多数開設されたことに関して、今日では否定的に評価する言説も多いが、研究後継者の養成を暗黙の規範とする伝統的なディシプリンではなく、現代的な課題について学際的なアプローチを介して学ぶことを目指した意図はそれなりに了解可能である。しかしこのような教育課程においても、やはり職業能力の形成という視点が重視されることはなかったと思われる。当時の時代状況における限界と言うべきかもしれない。

② 日本的雇用システムの動揺と縮減

職業能力形成に無関心な大学教育と、大学教育の成果を殆ど問うことなしに、企業特殊的な訓練を施して「会社人間」に染め上げる日本的雇用システムとの間での「大学と職業との接続」は、本来は相反するものの間に成立した逆説的な親和性の上に、長期にわたって一見順調に機能してきたが、それはあくまでも経済の持続的な拡大という恵まれた環境を前提としたものだった。

しかし91 年のバブル経済の崩壊後、長期にわたり経済の停滞が続き、グローバリゼーションの下での競争圧力が強まる中で、以前のような長期雇用と年功賃金を保障した正規雇用を維持することは、多くの企業にとって負担となる。このため、非正規雇用に対する規制緩和がなされ、正規雇用を縮小して、非正規雇用を増大させる傾向が顕著となるが、その際、現役労働者の雇用を守る上からも、まず「雇用の調整弁」とされたのが若者の新卒採用であった。また、長期雇用と年功賃金に基づく人事体系の流動化は、それらを前提として行われてきた企業内教育の在り方にも影響を及ぼしており⁴、新卒の「厳選化」傾向とも相俟って、学生に対する要求水準の高度化をもたらしていると言われる。

従来の「大学と職業との接続」が前提としていた環境の半ばは失われてしまったのである。

⁴ もちろん人事体系の変化は会社によって一様ではなく、経営体力の強固な大企業においては、従来型の人事体系を維持しているところも少なくないと思われる。しかしそのような企業でも、生産現場や関連子会社においては、ここで述べたような日本的雇用システムの変化と縮減が進行している場合が少なくないと思われる。

(3)大学と職業の接続の機能不全

若者の就職をめぐる問題の根底には、低成長時代に入った日本経済の下で正規雇用の縮小が進行する一方で、この間大学進学率が上昇を続け、大学卒業生の数が急増したため、労働市場における需給バランスが変化したという厳然たる事実がある。

このような状況にあって、従来の「大学と職業との接続」が、その内実においては全く接続していなかったことが露わとなり、学生は、大学教育を通して自身が身に付けた職業能力を殆ど主張できない状況で、しかも、不首尾に終わった場合のセーフティーネットもないままに、厳しい就職活動に臨むことを余儀なくされている⁵。しかしまた、企業においても、依然として学生に対して大学教育を通して身に付けた職業能力を問う姿勢は見られない。まずこのことの不自然さを直視し、大学教育の職業的意義を高めることを手始めとして、大学と職業との接続の在り方を変えてゆくことが必要である。

その上で、教育以外の問題についても目を向けないわけにはいかない。大学教育の職業的意義を高めることにより、従来の大学と職業との接続の在り方を改善したとしても、雇用が過小なままであれば、多くの者がディーセントワーク⁶に従事する機会からこぼれおちていくことになる。

今般の世界同時不況が発生した際に、日本の経済とそれを支える雇用が極めて脆弱であり、従来の仕組みが限界に来ていることを我々は痛感することとなった。もとよりこれは学生のためだけの問題ではないのであり、困難ではあっても、日本を取巻く環境の不可逆的な変化に対応して、今までの社会・経済の仕組みを構築し直す努力を行うべきであると考える。

⁵ 選抜性の高くない大学の学生にとって、とりわけ問題は深刻であると考えられる。

⁶ ここでの「ディーセントワーク」とは、個人の能力と貢献を適切に反映した賃金やワーク・ライフ・バランスを可能にする労働時間のみならず、個人の継続的な向上可能性の展望が開かれているような働き方を意味している

2010年3月23日 (火)

千田孝之さんの拙著書評分載全13回

千田孝之さんのブログ「ごまめの歯軋り」に毎日少しづつ分載された拙著書評です。

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/5bfe4efebc090223fac67624940dab4f(1回)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/82f7e32a1ee764b7628780adad0b4fdc(2回)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/c4093de8a2a101d14e37e46323e4192c(3回)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/6c49ef7f764c6937fd624721ba621efe(4回)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/3ced0bde44b5f7d470499f2747ce8957(5回)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/aa8b8d0d5ae9072f4495481eecde0721(6回)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/697066c56155123f3648a824cd22252d(7回)

1)命と健康を守る視点から労働時間規制 (1)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/ee4dc8dd2c6f1d7e0b298c5dffc5b2c7(8回)

1)命と健康を守る視点から労働時間規制 (2)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/d9cc79ccacd637558034d618ce46bbba(9回)

2)非正規労働者の派遣問題 (1)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/b5f9489ef8d3f0a5b3856683327c6605(10回)

2)非正規労働者の派遣問題 (2)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/c553bae6bb5429a8e2a3f54d42b2cff1(11回)

3)賃金と社会保障の連環 (1)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/576ff4557de81220d6438175ca40724c(12回)

3)賃金と社会保障の連環 (2)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/a3c29c272151f828951747f9ff56296d(13回)

4) 労働組合と産業民主主義

「もちつけblog(仮)」さんの拙著書評 その5

「もちつけblog(仮)」さんが拙著『新しい労働社会』に対する書評の5回目をアップされています。

http://webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-117.html(社会保険と労働時間 -ベーシック・インカムを唱える前に- 濱口桂一郎『新しい労働社会』(5))

内容は、拙著の内容を超えて、本ブログのほかさまざまな論説を駆使されて、

■ベーシック・インカムと、労働における「承認」の側面■

■ベーシック・インカムは、貧乏人に冷たい?■

■負の所得税の検討をする前に、英国労働史に学ぶ■

■労働時間削減という、より現実的な「夢」■

といったテーマについて論じておられます。

2010年3月22日 (月)

田中萬年「用語『普通教育』の生成と問題-『職業訓練』忌避観醸成の背景-」

田中萬年先生のHPに、「用語『普通教育』の生成と問題-『職業訓練』忌避観醸成の背景-」がアップされました。

http://www.geocities.jp/t11943nen/

http://www.geocities.jp/t11943nen/ronbun/1003FutuuEd.pdf

>職業訓練はその重要性が注目されるのに反し、正しく認識しようとする機運があるとはいえない。この大きな要因は、わが国のきわめて歪な教育観によると考える。

>職業教育への蔑視感があれば職業訓練が尊重されるわけはない。この職業教育蔑視の問題は、「普通教育」政策により生じていると考える。問題を明確化し、その打開なしに本質的な「職業訓練忌避感」を解消しえないといえる。

>職業教育が重視されない社会は、より以上に職業訓練が軽視される問題が派生する

という問題意識から、教育界における用語法や憲法の規定などについて考察を進め、最後のところで

>戦後にアメリカの学校制度をモデルにしたが、わが国のような「普通高校」という考えはわが国独特であることを考慮すべきであろう。単位制=選択制という制度は同じであるにもかかわらず、アメリカではわが国のように職業(専門)高校と普通高校を明確に分離しない、いわゆる総合制高校である。そこではわが国のすべての高校の内容が修得可能なのである。

「普通」とは不思議な言葉である。人々は”普通”を求め、”普通”に安堵する。同様に教育に用いた「普通教育」を日本人は信奉している。しかしながら、「普通教育」には日本的な解釈が盛り込まれていたといえる。今日の日本人は「普通教育」の言葉を盲信し、結果として職業教育、特に職業訓練を人々が疎んできたのである。「普通教育」への正しい再評価がなされなければ、職業訓練のみでなく、職業教育への再認識はおぼつかないといえよう。

と述べています。

ちなみに、今から4年近く前に、本ブログのエントリでこれに関連する問題を取り上げ、コメント欄で若干の議論をしたことがありますのでご参考までに。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c586.html(専門高校のレリバンス)

>本田先生自身がこれまで(朝日新聞的?)平等主義者ではないかと勘ぐられるような発言をしてきているのも確かではあるのですが、この問題についていえば、むしろ実務家的な中等教育の多様化論を主張していると解すれば済むことであって、文句をつけている人々の方が、一元的な普通教育至上主義に囚われているように思われます。

>本田先生の発言の意義は、そういう普通科のリスクにあまり気がついていないで、職業高校なんて行ったら成績悪い馬鹿と思われるんじゃないかというリスクにばかり気が行く親御さんにこそ聞かせる意味があるのでしょう(同じリスクは、いたずらに膨れあがった文科系大学底辺校にも言えるでしょう)。

>本田先生の言われていることは、詰まるところ、そういう世の中の流れをもっと進めましょう、と言うことに尽きるように思われます。専門高校で優秀な生徒が推薦枠で大学に入れてしまうという事態に対して、「成績悪い人が・・・」という反応をしてしまうというところに、この辺の意識のずれが顔を覗かせているように思われます。

2010年3月21日 (日)

日本革命的共産主義者同盟によるhamachan糾弾

日本革命的共産主義者同盟(JRCL)中央委員会の機関誌「かけはし」で、わたくしの派遣労働についての論説が糾弾されておりましたので、どこがどういけないと批判されているのか、特段のコメントを付けずに、読者の皆様に供覧いたします。

http://www.jrcl.net/frame091130c.html2009.11.30号

>しかしこれらの方策は、それこそ派遣労働の非人間的な実態を、あるいは派遣労働者とは非人間的に「安く」使ってもいい存在だとのまるで身分制度のような社会構造を、あらかじめ前提にしなければそもそも成り立たない。これは文字通り不正義ではないか、そしてこれらの主張の裏にあるものは、人間の平等、尊厳や、最低限度の健康で文化的な生活などの、端からの破壊ではないのか。このような前提の上では、例えばこの間、識者としてたびたび登場する濱口桂一郎氏が主張するような派遣労働者の処遇「改善の工夫」などは、ほとんど意味をなさない。

http://www.jrcl.net/frame100101f.htmlかけはし2010.1.1号

>しかし現在なおも、均等待遇かそれとも派遣法抜本改正かという二つの道があるかのように、あるいは均等待遇と派遣労働の両立が可能であるかのように問題を提出し、派遣労働者の利益を図ると称しつつ、現在の派遣法抜本改正に向けた闘いに水を差そうとするメディアや一部論者が絶えない。
 代表的論者は濱口桂一郎氏であり、その見解は『世界』09年3月号の「派遣法をどう改正すべきか―本丸は均等待遇―」として提示され、さらに岩波新書の『新しい労働世界』の中でも同趣旨がやや詳しく述べられている。あるいは朝日新聞は12月9日付けで、派遣労働者の保護を優先すべきとする、非常勤公務員の肩書きをもつ派遣労働経験者の投稿を掲載し、同紙の意向をにじませた。後者の場合、「保護強化」の内容は不明だが、ドイツが参照例とされているところから察すると、趣旨としては濱口氏と似た見解だと推察できる。
 このような主張は、派遣労働者への非道な仕打ちを通して社会的課題となった均等待遇への道を実はむしろ遠ざけるのであり、きっぱりと退けなければならない

と、いうことだそうであります。

確かに、派遣労働というチープレーバーがやれなくなったら外国に逃げ出すぞ、といった露骨な資本の論理を振り回す論者を叩くのと違い、派遣労働者保護こそが重要と主張するわたくしのような議論は、せっかくの派遣攻撃に「水を差す」いらだたしいものであるのは確かでしょうね。そのいらだたしさの感覚だけはひしひしと伝わってきます。

2010年3月20日 (土)

生協総研「経済危機とくらし研究会」

本日、生協総研の「経済危機とくらし研究会」というところにお呼びいただき、お話をして参りました。中身は雇用システムがどうしてセーフティネットがこうしたというような話なので、ここでは省略します。

私のあとは大澤真理先生の「小泉改革を決算する」と、農林中金総合研究所の重頭ユカリさんの「欧州におけるソーシャルファイナンス」というお話で、特に後者は余りよく知らない分野なので、いろいろと勉強になりました。

ソーシャルファイナンスとは、金融面での利益と同様に社会的な利益を求める組織ということで、イタリアの倫理銀行(バンコ・エチカ)とか、オランダのトリオドス銀行とか、フランスの連帯ファイナンスとかあるようです。

興味を惹かれたのは、フランスの従業員貯蓄法の2001年改正で、3つのプランのうち一つは、連帯的な企業として国が認定した企業に投資するものとしなければならないとされたということでした。フランスの場合、連帯ファイナンスの大部分は失業者に自営業として起業させる融資のようで、この連帯制度への優遇税制は失業対策的な意味が大きいみたいですね。

2010年3月19日 (金)

『人材ビジネス研究-6年間を振り返って』

東京大学社会科学研究所人材ビジネス研究寄付研究部門のパンフレット『人材ビジネス研究-6年間を振り返って』をお送りいただきました。

3月10日のエントリで紹介した『実証研究日本の人材ビジネス』(日本経済新聞社)がアカデミックな研究成果のとりまとめとすれば、こちらは一般向けの雑誌記事をあつめたポピュラー版でしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-c8e2.html

アデコの雑誌に載った佐藤博樹先生の記事から始まって、『ものづくりサービス』に連載された佐野嘉秀、高橋康二、木村琢磨さんらの記事、コールセンター関係の雑誌に載った仁田道夫先生の記事、『月刊人材ビジネス』に載った高橋康二、堀田聡子さんらの記事、最後は文部科学省の雑誌?に載った佐藤先生の記事、という具合で、一通り読むと、この人材ビジネス研究の全体像が浮かび上がってくるようになっています。

最初のアデコの雑誌の佐藤先生のインタビュー記事から、とても大事なことを述べているところをピンポイント的に。

>そもそも、正社員と非正規社員の違いとは何でしょうか。

正社員の働き方の本質は「無限定」雇用が基本です。仕事の内容、働く場所、労働時間が基本的に無限定です。・・・

一方、派遣スタッフを含めた非正規社員の本質は「限定」雇用にあります。業務内容、働く場所、労働時間、さらに雇用期間などが限定されています。・・・

>自ら非正規社員という働き方を積極的に選んでいる人が多くいると思うのですが。

その通りです。正社員が良いというのは、先ほどの「無限定」という働き方がよい、望ましいと主張しているに過ぎないことを認識すべきです。では、「限定」という働き方を選ぶことが間違っているのでしょうか。・・・

問題は、

>非正規社員の雇用は不安定だと言われます。しかし、通常、企業は職場限定や仕事限定で、雇用期間を無期で雇用することができません。「この事業所の経理として定年まで雇います」といった雇用は、「その仕事がなくなった場合は雇用契約を解除できる」という社会的な条件がないと実現は困難です。日本では実態としてそれが難しいのです。

というところなのでしょうが、実は、法制的にはそういうジョブ限定、場所限定の無期契約というのはできないわけではありません。ただ、日本社会で「正社員」というと「無限定」がデフォルトなので、わざわざ限定するよ、と明示しないと、無限定と見なされてしまいます。ここから「ジョブ型正社員」の構想という話が必要になってくるわけです。

「常時雇用」派遣とは何を意味するか?

本日の日経新聞の経済教室は、先日ご紹介した東京財団『新時代の日本的雇用政策』の執筆者である岩井克人先生と佐藤孝弘氏による「鳩山政権の雇用政策の基軸 技能蓄積と生産性に的を」が載っています。

中身は上記提言の要約ですので、ここで改めて紹介しませんが、その中の一点、派遣法改正をめぐる論点で「常時雇用、定義見直せ」というのは、筋からいうと常用派遣の事前面接禁止にこだわるのよりも数段レベルの高い議論なんですが、ちょっとだけ補足しておきたいことがあります。

この論点については、佐藤孝弘さんがご自分のブログで、やや詳細に説明されていますので、まずそれをご覧いただいた方がよいのですが、

http://blog.canpan.info/satotakahiro/archive/344

ここで佐藤さんが引用されている業務取扱要領の文言は、

>具体的には、次のいずれかに該当する場合に限り「常時雇用される」に該当する。

1.期間の定めなく雇用されている者

2.一定の期間(例えば、2か月、6か月等)を定めて雇用されている者であって、
その雇用期間が反復継続されて事実上①と同等と認められる者。すなわち、過去1年
を超える期間について引き続き雇用されている者又は採用の時から1年を超えて引き
続き雇用されると見込まれる者

3.日日雇用される者であって、雇用契約が日日更新されて事実上1と同等と認められる者。 すなわち、2の場合と同じく、過去1年を超える期間について引き続き雇用されている者又は採用の時から1年を超えて引き続き雇用されると見込まれる者

というものですが、「具体的には」というからには、具体化する前の基本的考え方があるはずです。それは何かといえば、業務取扱要領のそのすぐ前に書いてあります。

>「常時雇用される」とは、雇用契約の形式の如何を問わず、事実上期間の定めなく雇用されている労働者のことをいう。

いいですか。「雇用契約の形式の如何を問わず、事実上期間の定めなく雇用されている」を具体化すると、上記3つのいずれかになるというのです。

おかしいんじゃないか、と思われるでしょう。1年経った後はどうなんだ。そのあと雇止めされてしまったら、「雇用契約の形式の如何を問わず、事実上期間の定めなく雇用されている」にならないんじゃないか、と普通の神経を持った人ならそう考えるはずです。

なぜ業務取扱要領のここはこういう表現になっているのでしょうか。

実は答は簡単です。

ここで区別しようとしているのは、特定派遣事業と一般派遣事業だからです。そして、現在までのところ、この二つの類型は、事業を開始する入口でしか意味を持っていません。特定派遣事業なら届出でいいけれども、一般派遣事業なら許可制になる、というただそれだけです。それ以外には、何の区別もないのです。

入口でしか意味を持たない区別だから、つまり入った後では常時雇用の派遣労働者であろうが登録型の派遣労働者であろうが、法律上は何の区別もない、そんなこと一切知ったこっちゃない、という、そういう仕組みであるがゆえに、「雇用契約の形式の如何を問わず、事実上期間の定めなく雇用されている」という原則を具体化する際に、上記のような普通の神経ならおかしいと思うような3つの要件のどれかに当たればいいなどという仕組みになっていたわけです。

ところが、今回の改正案は、そうではないのですね。入口だけではなく、入った後でも常時雇用かそうじゃないかは法律の適用上重要な区別です。

本日閣議決定された法案の要綱はこれですが、

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r985200000050fd-att/2r985200000050jz.pdf

登録型派遣の禁止の規定はこうです。

>派遣元事業主は、その常時雇用する労働者でない者について労働者派遣を行ってはならないものとすること。ただし・・・

「労働者派遣を行」うというのは、入口だけではなく、派遣を続けている限りずっと「労働者派遣を行」っている状態です。1年経ったら知ったこっちゃない、というわけにはいきません。1年経った後でも、派遣が続いている限り、その派遣されている者が「その常時雇用する労働者」に該当するかどうか、がこの禁止規定該当性という形で問題になり続けます。

これが特に面白い事態を引き起こすのが、今回の改正の重要なポイントである労働契約申込みみなし制度との絡み合いです。

この点については、今週発売された『季刊労働法』228号に載せた「労働者派遣法改正の動向と今後の課題」の一番最後のところでやや詳しく論じておりますが、その基本的考え方は以前本ブログでも書いたことがあります。

煩を厭わず、ここにもう一度引用しますと、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-673e.html(常用有期派遣労働者を雇い止めできるか?)

>今回の改正(5年後施行分)によって、いわゆる専門業務(わたしは「専門業務」なる概念には「いわゆる」という接頭辞を付けないで使う気にはなれませんが)や育休代替・高齢者・紹介予定派遣等の場合を除き、「常時雇用する労働者」でない者を派遣することはできなくなります。しかし、この「常時雇用する労働者」の中には、有期労働契約を反復更新する「常用有期」も含まれます。

さて、ある派遣会社が有期契約で反復更新して雇用する労働者を例外業務等でなく派遣しているとしましょう。

1年契約を3回繰り返して3年経ったところで派遣が終了したとします。さて、派遣会社はこの「常用有期派遣労働者」を雇い止めすることが出来るでしょうか。

もし雇い止めできるとすると、この「常用有期派遣労働者」は、「反復更新を繰り返して実質的に期間の定めがないのと同視できる」までには至っていなかったと云うことになります。

しかしながら、そうだとすると、それはそもそも「常時雇用される」の定義である「事実上期間の定めなく雇用されている労働者」とは言えなくなる可能性があります。

雇い止めできると云うことが「常時雇用され」ていないことの現れであると見なされると、これは違法派遣ということになります。

違法派遣と云うことになると、第1次施行分に盛り込まれている雇用契約の申し込み見なし規定が適用されることになります。

つまり、常用有期派遣労働者を雇い止めすると、派遣先が雇用契約を申し込んだと見なされて、派遣先との間に雇用関係が成立してしまう可能性があります。

そうならないためには、もとにもどって、反復更新された常用有期派遣労働者は「事実上期間の定めなく雇用されている労働者」なので雇い止めすることは出来ず、どうしても切りたければ正規の手続きに従って解雇するしかないということになりそうです。

ということは、常用有期派遣労働者は期間の定めがあるといいながら雇い止めできないので、事実上期間の定めのない労働者ということになり、わざわざ上のように条文上で書き分ける実益があるのかという問題が生じます。

無期じゃなく常用有期であることにどういう法的実益があるのかを、派遣法の制度の枠組みの中できちんと説明するのは、こう考えてくるとなかなか難しそうです。

重要なことはこうです。

法律上の文言には、上記現行業務取扱要領の3つのどれかであれば「常時雇用」に当たるなどという規定はありません。「常時雇用」といえば、上記要領のいうように「雇用契約の形式の如何を問わず、事実上期間の定めなく雇用されている」ということであり、それをこれから派遣事業を始めるという入口ではなく、雇止めされてしまったという出口において、どのように解釈すべきか、という問題は、答は出ていないということです。

少なくとも、入口で許可が必要か届出でかまわないかという判断のためだけに用いられてきた基準を、雇止めされたという出口でそのまま使えるかどうかについては、裁判所の判断はまだされているわけではありません。

いよぎん事件は、わたくしの判例評釈にもかかわらず、登録型だったという判断で終わってしまいましたが、もし最高裁今井判事の意見の如く「常用型」だったのではないかという判断にたって議論を展開すると、異なる判断になった可能性が高いように思われます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-a073.html(いよぎん事件最高裁判決今井功反対意見)

このあたりは、みんな判ったような顔をしてしたり顔でいろいろと云いますが、実は結構大きな問題が潜んでいるのだと、私は思っています。

登録型派遣で事前面接をしてはいけない本当の理由

小倉弁護士から下の記事に、事前面接禁止の理由が容姿差別であるという趣旨のコメントがつきましたが、もしそうならそれは直接雇用の面接にも言えるはずだと解答しておきました。

では、労働者派遣に事前面接を禁止する理由はないのかというと、ちゃんとあります。それは労働者派遣という仕組みそのものに内在する問題です。

これについては、昨年神戸大学で開かれるはずだった日本労働法学会で発表するはずだった報告の中で簡単に触れていますので、その部分を引用しておきます。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/gakkaishi114.html(請負・労働者供給・労働者派遣の再検討)

>2 登録型派遣の本質

今日問題となっている登録型派遣とは、そもそもいかなるビジネスモデルなのだろうか。

実をいうと、登録型派遣事業が労働者派遣法でいう「自己の雇用する労働者を、当該雇用関係の下に、かつ、他人の指揮命令を受けて、当該他人のために労働に従事させること」という労働者派遣の定義に該当するかどうかは疑問の余地がある。登録型派遣事業の場合、少なくとも派遣の注文を受けた段階では「自己の雇用する労働者」ではない。その労働者が「自己の雇用する労働者」になるのは労働者派遣が開始される時点だからである。ところが、そこから過去に遡って、まだ「自己の雇用する労働者」ではなかったはずの者を「自己の雇用する労働者」であったかのように見なして、その配置行為として派遣が行われるという法的構成をとっている。このような法的構成が可能なのは、派遣の注文を受けて適当な派遣労働者を登録されている者の中から選び、その者を労働者派遣するという意思決定をして、実際にその者が派遣先に行って就労を開始するという一連の流れを、時系列に沿って発生する事象ととらえずに、すべて同時に発生するものと見なしているからであろう。極めてアクロバティックな論理であるが、そのような構成をとらなければ、登録型という労働者派遣形態が労働者派遣法に定める「労働者派遣」ではなくなってしまう。

 しかしながら、このようなアクロバティックな法的構成に基づいた法律上の概念規定は世間的には決して一般的なものではない。むしろ、登録型派遣とは使用者責任を派遣元が負ってくれるというサービス付きの職業紹介であるという認識のほうが一般的であるように見える。このような認識は、2007年末に規制改革会議が公表した規制改革要望の中で、全国地方銀行協会が事前面接の解禁を求めた際に、「事前面接を解禁することで、雇用のミスマッチが解消され、求職者・求人企業の双方の利益につながる」と述べていることからも明らかであろう。経営側にとっても、派遣先は「求人企業」であり、派遣労働者は「求職者」なのである

世間の常識からすれば、このほうが働くということの道理にかなっている。派遣先で働く生身の人間に会ってはならないなどというのは、いかにも非人間的である。しかしながら、この規制は派遣先と派遣労働者の間に雇用関係を成立させないための人為的な規制である。現実に派遣先で働く生身の人間に、にもかかわらず派遣先とは一切雇用関係がないと突っぱねるための法的装置であり、現実には派遣先が当該職務に適格な労働者を雇い入れようとする行為であるにもかかわらず、それを唯一の使用者である派遣元の配置転換に過ぎないという法的仮構を貫くための防波堤なのである。

 常用型派遣事業であれば、派遣の注文を受ける前から既に派遣元の「自己の雇用する労働者」なのであるから理屈は立つ。しかしながら登録型派遣事業の場合、まだ派遣元の「自己の雇用する労働者」になっていない者を派遣先が面接して就労を決定してしまった後で、派遣開始と共に派遣元が雇い入れたから過去に遡って面接の時点でも派遣元の「自己の雇用する労働者」であったことにするのは困難であろう。登録型派遣事業において事前面接を解禁することは登録型がよって立つ論理的基盤そのものを失わせてしまうことになる

つまり、まだ派遣元と雇用関係のない登録者と派遣先が事前面接して「この人!」と決めてしまったら、それが採用行為ではないというのは難しいからなんですね。「登録型派遣事業において事前面接を解禁することは登録型がよって立つ論理的基盤そのものを失わせてしまう」のです。

逆に常用型の場合、形は出向と同じで、自分の雇用している人を派遣先に会わせて、「この人!」と決めてもらっても、自分の雇用している人であることに変わりはないのですから、登録型の規制におつきあいして禁止しなければならない理由は、少なくとも派遣法内在的にはありません。

容姿による差別がけしからんという論点はそれとして議論すべきですが、その際には直接雇用における容姿差別も含めて議論がされるべきでしょう。

2010年3月18日 (木)

最近の拙著書評

引き続き、拙著『新しい労働社会-雇用システムの再構築へ』への書評を紹介します。

http://book.akahoshitakuya.com/b/4004311942(読書メーター)

03/18:蒼1228 法整備の歴史から、諸外国との制度の違いまで薄い新書なのに説明されていて勉強になりました。新卒一括採用で、職業訓練を企業内で行っているのはそれそろ大規模な変革が必要ではと思った。

twitterでも、

http://twitter.com/t_sakatoku/status/10612459868

>『新しい労働社会』(濱口桂一郎)を読んだ。EUとの比較などの視点を持っている分、現実的で地に足のついた内容だと感じた。その辺も踏まえてしっかり考えようとすると結構複雑だな、この分野は・・・。機会があれば他の本も色々読んでみたい。

今年に入ってからは特にtwitterでの書評が多いように感じられます。

自動車の自由と歩行者の自由

yellowbellさんの「背後からハミング」が、ポエム風の「秋葉通りの信号機」というエントリで、いろいろ応用可能な大事なことを書いています。

http://d.hatena.ne.jp/yellowbell/20100317

ざっくり筋だけ書きますと、信号機のない秋葉通り。信号機の嫌いなドライバーがびゅんびゅんすっ飛ばす。おばあさんはいつまでたっても渡れない。

>自由、自由、自由。

自由じゃなければ、自動車を走らせる価値がない。

歩行者が待っていても、信号機がなければ停まることはないさ。だって僕以外の誰かがきっと止まるもの

で、秋葉通りに信号機ができてしまった。それもびっしりと。そうすると、

>信号機嫌いのドライバーは、もう、秋葉通りを走らない。

信号機のない道を探して、くねくねと細い道をかきわけている。

走りにくい、事故のリスクも高い、細くて人の多い道を、くねくねと自由であることを求めて走っている。

自分が停まらないことが、交差点に信号機を増やしているとも知らずに、今日も。

自由を探して、自分が不自由になっているとも知らずに、

自分の自由で、社会に不自由を作っている。 

このエントリの最後の所まで読むと、これが例の「非実在青少年」がらみで書かれたということがわかるけれども、この「自分の自由で、社会に不自由を作っている」というのは、いろんなことに応用可能です。

だいたいにおいて、サヨクな方々はこういう非実在青少年だとかいうたぐいのことについては自由至上主義の極地で、ちょっとでも信号機をとりつけようなんていうと悪逆の極みみたいに思う一方で、派遣労働とかになるとちょっとでも自由を認めたら世界が終わるみたいに考える傾向にあるようですし、逆にウヨクな方々は企業という自動車をびゅんびゅんすっ飛ばす自由を小指の爪の先の垢ほどでも制限しようものならこの世は闇の中に堕ちていくような金切り声を上げる一方で、表現の自由とかには大変冷ややかという傾向がありますが、どっちも、「自分の自由で、社会に不自由を作っている」というメカニズムには盲目という共通した傾向があるようです。

そういう人々ばかりが互いに金切り声を張り上げ続けると、世の中はますます住みにくくなる一方なんですがね。

時々信号機に止められながらもそこそこスムーズに自動車を走らせることができる自由と、時々信号機に止められながらもそこそこスムーズに横断歩道を渡ることのできる自由を、ほどほどのところでバランスをとりながらうまくやっていくという知恵を、この金切り声ばかりの社会に取り戻すことができるのはいつのことなのでしょうか。

派遣法改正案と三者構成原則

結局、社会民主党にとっては「政治主導」の方が「三者構成原則」よりも偉いンだぞ、ということであったようであります。

今週発売の『季刊労働法』で、わたくしが今回の派遣法改正案について解説論文を書いておりますが、与党修正が入るところまでは書けませんでした。

ただ、今回の行動の労働政策決定過程論的な意味については、その中の一節がいささか皮肉な意味でいい解説になっているようにも思われますので、全文は是非雑誌をお買い求めいただきたいところではありますが、その一節だけここに引用しておきます。

労働側にとって都合のいい話のはずなのに、なんで連合は文句を付けるんだと不満をお持ちの方にとっても、有用かと存じます。

第2章 2009年総選挙のマニフェストと政権交代後の立法過程

2 三者構成原則の重要性の確認

 さて、ここで政策決定のあり方にかかわる根本問題があります。一般的な民主主義政治理論によれば、選挙で多数を得た政党が国民の信託を得たと見なされる以上、その選挙公約に基づいて前政権の政策を改め、新たな政策を遂行していくことは当然となります。しかしながら、こと労働政策に関しては、国際労働機構(ILO)の掲げる政労使三者構成原則が世界的に確立しており、労働組合と使用者団体の意見を聞きながら政策を形成していくべきことが規範となっています。

 この点については、本誌222号の鼎談花見忠・山口浩一郎・濱口桂一郎「労働政策決定過程の変容と労働法の将来」)や他の諸論考*3において、筆者が力説したところです。近年、規制改革会議労働タスクフォースのように、三者構成原則を公然と否定する議論が政府の中枢近くにおいてすら行われるようになりましたが、今こそ労働問題のステークホルダーである労使が政策決定に参加するという三者構成原則の重要性を強調すべき時期ではないでしょうか。

 実は、1990年代後半以降、政府中枢の規制改革会議や経済財政諮問会議が労働政策についても規制緩和に偏った方向性を示し、労働行政における三者構成審議会はそれを追認するだけという状況が続き、労働側が不満を募らせるという事態が進んでいました。これはとりわけ派遣法の改正に顕著であったため、この際三者構成審議会はパスして、政権交代の勢いを利用して労働側の要求を一気に実現してしまおうという発想が労働側に生じても不思議ではなかったかも知れません。しかしながら、そのような目先の利益にとらわれた発想で行動した場合、将来の選挙で再び与野党逆転が起こった場合、同じような「仕返し」をされる可能性があります。より長期的なマクロ的労使関係の安定性を考えれば、政権交代の勢いに頼るのではなく、三者構成原則の重要性を強調しておくことが重要であることが理解されるはずです。

 連合が政権交代後にとった行動は、まさにこの発想に基づくものでした。9月17日の政労会見において、当時の高木剛会長は鳩山首相に対して、「労働政策の検討にあたっては、ILOの三者構成主義に基づき、公労使による審議会での議論を引き続き行う」旨を要請したのです。こうして、他の行政分野では審議会が役所の隠れ蓑だとして軒並み機能停止に陥る中で、三者構成の労働政策審議会は従来同様、労働政策決定の中心としての機能を維持することとなりました。

 以下に述べる労政審の審議が可能になったのも、連合がここで三者構成原則を強く弁護したからであるということは記憶にとどめられるべきでしょう。

(追記)

ちなみに、労務屋さんも即座に同じような反応をしておりますな(笑)。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100318

2010年3月17日 (水)

東京財団の政策提言『新時代の日本的雇用政策』

1_2 東京財団(写真は会長の加藤秀樹氏)から、政策提言『新時代の日本的雇用政策~世界一質の高い労働を目指して~』が公表されました。

http://www.tkfd.or.jp/research/project.php?id=13

http://www.tkfd.or.jp/admin/files/2009-14.pdf(提言本文)

いわゆる「派遣切り」問題を契機に労働者派遣法改正案が今国会で提出されるなど、雇用政策のあり方がいま改めて問われています。民主党政権の関心は格差是正や労働者保護に集中し、日本経済全体の生産性向上を目指す政策立案とはなっていません。そうした路線の行きつく先は結局「限られたパイの奪い合い」です。

今後、派遣法をはじめ雇用関係の重要政策が次々に検討される予定です。東京財団では、この喫緊の課題に応えるべく、最新の労働経済学における実証研究の成果も踏まえて、日本の雇用政策の新たな理念と体系的な制度改正案を提言いたします。


<検討メンバー>
岩井克人(東京財団主任研究員、東京大学教授)
村松幹二(東京財団研究員、駒澤大学准教授)
神林 龍(東京財団研究員、一橋大学准教授)
清水 剛(東京財団研究員、東京大学准教授)
佐藤孝弘(東京財団研究員兼政策プロデューサー)
冨田清行(東京財団研究員兼政策プロデューサー)

神林龍先生は、いろいろなところでおつきあいさせていただいている労働経済学者ですが、他の先生方は理論経済学や法と経済学を専門とされる方々で、正直、ここまで労働問題の本質をきちんと踏まえた提言をされていることに感激の思いがするほどです。

とりまとめに当たった東京財団の佐藤孝弘さん(以前拙著の書評をしていただいたことがあります)の的確なセンスが提言全体のクオリティを高めているのでしょうか。

http://blog.canpan.info/satotakahiro/archive/246(佐藤孝弘、怒涛の読書日誌@東京財団)

>これまでの雇用に関する政策論争には大きな混乱がみられる。政策立案の基本として、複雑な問題点を整理して政策目的を明確にし、それが複数ある場合はそれぞれ別な政策を割り当てなければならない、という原則があるが、昨今の与野党の労働に関する議論においてはそのような整理がなされていたようには思われない。

>非正規雇用の増加という新たな現実に対して、どのような政策的な対処がありうるのだろうか。ここ数年なされてきた議論としては大きく分けて二つの方向性が論じられてきた。
一方の見方は、非正規雇用を「悪い雇用形態」とみなし、禁止する方向の議論である。もう一方は、現在の正社員を「既得権」とみなし、解雇規制を緩和せよという議論である。前者に対しては、そうした過剰な規制は失業を増加させてしまうという反論があり、後者に対しては正社員を含めた労働者をさらに不安定な地位に置くだけであるという反論がなされてきた。
しかし、これらの議論が行きつく先は結局は現在あるパイの奪い合いという袋小路であ、将来の方向性は見出せない。そこで、新たな軸として必要となるのが技能蓄積と生産性向上である。

>本政策提言の基本理念は「技能蓄積と生産性向上による労働の質の向上」とし、そのための雇用のルールの見直しを提示していきたい。

>・労働者の技能蓄積、生産性向上の観点から、経済主体(労働者・企業)にインセンティブを与えていく政策(主に第2章~第4章)
・現在の制度が経済的に合理的でない結果を生む行動を労働者と企業にさせており、それを中立的にすることで改善する政策(主に第5章~第6章)

これまでの論争では、経済的な効率性と労働者の保護や分配が対立的に語られることが多かった。しかし、イデオロギー論争を離れ、生産性向上の観点から精緻に実態をみていくと、経済合理性の範囲内においてウィン・ウィンの関係が築くことが可能な分野がたくさん存在することがわかる。政権交代後も混迷を続ける雇用政策の議論に、本提言が解決の糸口を提供できれば幸いである。

以下に示される提言の数々は、部分的には異論のあるものもありますが、全体として極めてリアルな労働問題認識に基づいており、是非とも多くの人々に読まれるべき値打ちがあります。

まず、最低賃金の引き上げによる生産性の向上です。

【2】最低賃金の引き上げと労働の質の向上
(政策提言)
最低賃金を引き上げ、それを生産性向上の起爆剤とする。期間と上げ幅の大枠を決定し、それを事前に宣言した上で段階的に引き上げていく(例えば10 年かけて東京地域の最低賃金を1000 円まで引き上げるなど)
・最低賃金の引き上げに企業が対応できるよう、先行して企業内訓練に対する支援の充実と投資減税の拡充を行う
・社会保険制度における、いわゆる「130 万円(103 万円)の壁」をなくす

ここは、最新の労働経済学の研究成果を用いて、「最低賃金上昇によるスピルオーバー効果」を示し、

>、現在企業内で働いている労働者への支援と合わせて最低賃金の引き上げを実施することで貧困対策と生産性向上を同時に実現できる可能性を示唆している。

とし、

>このような政策をとることで、生産性を高めるアイデアを持つ企業は強化され、ビジネスを拡大し、賃金を下げることで業績を上げてきた企業は苦しくなることとなる。

と述べ、

>我が国は低賃金労働に依存する経済から転換し、生産性をより高めていくべきである。雇用の「質」において、世界一を目指すことが今後の日本の国家目標のひとつとして考えるべきではないだろうか。

と力強く主張しています。自国民の窮乏化によってしか生き残れないような企業にばかりやさしくすることが日本の将来を切り開くわけではないということですね。

次は派遣労働についてですが、

【3】労働者派遣の制度
(政策提言)
・労働者派遣法における、「常時雇用」の定義を、期間の定めなく雇用されている者のみとする
・従来からの禁止業務(港湾運送・建設など)と専門26 業務を除いた業務(製造業務も含む)については、登録型派遣は認めず、「常時雇用」(無期雇用)の労働者のみ労働者派遣事業を認める。これらの業務については、派遣期間の制限を設けない
・労働者派遣業事業はすべて許可制としたうえ、設立時の最低資本金規制、供託金制度を設け、参入規制を強化する
・専門26 業務については、業務の専門性の有無、業務の危険性の有無、技能蓄積の機会の有無、といった幅広い観点から、抜本的な見直しを行う

派遣労働については、わたしはそもそも業務限定方式という出発点に疑問を持っていますので、いささか意見が違うのですが、問題意識としては共通するところがかなりあります。

【4】セーフティネット、技能蓄積と教育訓練
(政策提言)
・雇用保険と生活保護の間を埋め、連続した制度へと再構築する
・学校教育と就労支援政策の連携を深める
・就労の相談相手となるキャリアカウンセラーを充実する
・「若年者トライアル雇用」「日本版デュアルシステム」の強化・拡充、給付つき税額控除特に勤労税額控除)の導入等により、セーフティネットにトランポリン機能を組み込む
・社会保障や税制を含めた各種制度はなるべく個人の働き方に対して中立的にする

ここで述べられている

>まず必要なのは、雇用保険から生活保護に至るセーフティネットについて、相互の関係も含めて一貫した制度として整理し直して再構築するということである。それぞれにつき、以下のような方向性で考えるべきである。
・雇用保険→適用範囲の拡大
・雇用保険と生活保護の間→就職活動や職業訓練を条件とした給付金、住宅支援
・生活保護→雇用へと戻すインセンティブを組み込む

という方向性は、上の二つは現に進みつつあり、生活保護についてもすでにそういう方向性はあるのですが、どこまできちんと意識されているかが問題でしょう。本提言が

>労働者にとって、働かないよりも、働いたほうが得になるような環境を用意することが重要である。

ということをしっかりと踏まえて書かれていることは、読む側に大変安心感を与えます。

【5】有期雇用の制度
(政策提言)
・「いつでも切ることができ、給料も安く、一生懸命働く労働者」などは存在し得ないという認識を経営者に持たせるために、有期雇用について、使用者が労働者に対し、無期雇用への雇用契約転換の期待あるいは契約の反復更新への期待、を持たせた場合には無期雇用とみなす旨を法律で規定する
・有期雇用の期間を制限しない。ただし、3 年を超える部分については労働者側からは期間の定めのない契約の時と同様の手続きで辞められるものとする

経済学なるものの社会的意義は、世の中にはトレードオフというものがあり、「いいとこどり」はできないということを世の人々に教え諭すところにあるのではないかと、私は思っていますが、経済学者を名乗る人々の中に「いつでも切ることができ、給料も安く、一生懸命働く労働者」がありうるかのように論じる人々が絶えないのは不思議なことです。

もちろん本提言は、

>通常、正社員への契約の転換の期待を持つ有期雇用の労働者は、その期待が強ければ強いほど実際に払われる賃金以上の努力を労働の現場で払うこととなる。職場において「認められる」ためである。その分、使用者は利益を得ることができるが、こうした状況は労働者個人にとってマイナスであるだけでなく、経済全体にとっても非効率である。また、実際リーマンショック後に起こったように、この認識のギャップが紛争の種ともなる。
日本の有期雇用の法制度を前提とした場合、有期雇用の労働者は、使用者サイドから見ればどこまでいっても「いつでも切れる」労働者である。にもかかわらず、労働者に対しては正社員への移行をほのめかし、賃金以上の努力を労働者に行わせているのが現状は改める必要がある。

という認識に立っています。

【6】無期雇用の制度
(政策提言)
・解雇をめぐる個別紛争について、総合労働相談制度や労働審判制度の機能を強化する
・違法な解雇が行われた際の、労働者の申し立てによる金銭賠償の制度を設ける
・労働時間について、新たに残業時間の総量規制を設ける

解雇規制の問題については、本ブログでも何回も繰り返し論じてきましたが、主として経済学者からなる本提言が、

>解雇規制の議論では、経営状況の悪化による解雇の議論と、差別的・恣意的解雇の議論とが明確に区別されないまま行われているがまずは両者の関係を整理する必要がある。

という的確な認識に立って議論を進めようとしている点は、かつて本ブログ上で、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/wedge-2092.html(WEDGE大竹論文の問題点)

>大竹先生に限らないのですが、とかく経済学系の方々が解雇問題を論ずるときには、ややもすると、あるいは場合によっては、意識的に、別に企業経営上解雇をする必要が生じていないにもかかわらず、使用者の特定の労働者に対する何らかの感情や意図に基づく不当な解雇は許されないという解雇権濫用法理の問題と、企業経営上労働投入量を削減せざるを得ず、そのために誰かに辞めてもらわなければならない、という場合の整理解雇の問題を、混同して議論する傾向が見られます。

>ある人が、経済学者は生理学者であり、法学者が病理学者であるといいましたが、整理解雇は生理現象であり、ちゃんと働いているのに「お前は生意気だから首だ!」ってのは病理現象であって、後者は、人間は合理的に行動する者であるという経済学者の想定からすると、なかなかすっと入らないのではないかと思われます。

病理学者である法学者にとっては、異常性の表れである一般解雇の規制がまず第一義的なもので、合理性の表れである整理解雇はその応用問題に過ぎないのですが、生理学者である経済学者にとっては全く逆なのでしょう。

と論じたわたくしからすると、議論がここまできたか、と感無量の思いであります。

ま、それはともかく、本提言の

>そもそも、解雇規制を緩和するというのはいったいどういうことを意味するのか。具体的な法制度を考えていくほど、そう簡単なことでないことがわかる。世界のどこを見ても、本当の意味で解雇が自由な国は存在しない。解雇自由とは、使用者がある労働者について「顔が気に食わない」とか「女性だから」といった、全く合理性のない理由に基づいて行う解雇をも認めるというものである。
こうした差別的・恣意的な解雇については、アメリカでは差別的な解雇を禁止する法律が発達しており、厳格に規制している。また、ヨーロッパ諸国の多くは解雇に「正当事由」を求めることで不当な解雇を規制している。
日本においては明文法でなく判例によって、差別的・恣意的な解雇は解雇権濫用法理、特に経済的な理由に基づく解雇については整理解雇法理が形成されてきたが、既に述べたとおり、整理解雇法理についても、組合同士の対立に起因する政治的な意味を含んだ差別的な解雇を解決する過程で形成されたという事情がある。
従って、「アメリカに倣って解雇規制を緩和する」といったとき、まず労働法に「解雇は自由である」と規定した上で、別途恣意的・差別的な解雇を規制する法律を作り、その中身を確定していく作業が必要となるが、その結果現れる状況が、現在の解雇規制による正社員の「クビにしやすさ」とどれだけ異なるか、疑問である。

という議論については、おおむね賛成なのですが、ただ整理解雇法理が4要件にせよ4要素にせよ、やや形式論的に捉えられすぎてきた面はあると考えています。この意味では、私は、解雇に正当事由を要求した上で、その正当事由としての経営上の理由による剰員整理については、立法による整理解雇法理の一定の緩和が望ましいと考えています。

また、違法解雇の救済方法としての金銭解決についても、

>一方、裁判における違法解雇の救済方法としては、現状では解雇無効の場合、原職復帰しか選択肢がない。しかし、実際には、違法解雇には納得できないが、職場には戻りたくないといったケースも多いものと考えられる。したがって違法解雇の際には、現職復帰という原則は維持しつつも、労働者側からの申し立てによる金銭解決の選択肢を用意すべきである。

というにとどまらず、ある種の破綻主義に基づき、懲罰的補償金の支払いにより、使用者側からの金銭解決も認めた方がいいのではないかと考えています。むしろ、労働局のあっせんにせよ、労働審判にせよ、クビ代が安すぎる傾向にあることに対してどう考えるかという問題意識がありますが、これについては、また改めて。

このあとも、

>現行の法制度では、労働時間の上限規制はなく、時間外労働をした際に割増賃金を義務付ける規定のみである。労使で36 協定を結び、割増賃金さえ払えば何時間でも働かせて良いということになっている。割増賃金の議論は、あくまで賃金の議論であり、そこに政策思想として“健康”という考え方は入っていない。

正社員の健康という観点はもちろん、非正社員の職を正社員の過剰労働が奪っているという側面もあり、何らかの労働時間規制を導入するべきである。

とか、

>近年の組織率の低下傾向や、労働組合に属していない非正規雇用の増加は既存の労働組合に新たな課題をつきつけている。労働組合は組合員だけの代理人なのか、非組合員を含めた職場の全ての労働者の代表なのか、という問題である。
前者の方向であれば、それを補完する政策対応が必要となる。労働組合が全ての労働者の代表たりえないのであれば、いわゆる「労働者代表制」の導入も検討すべきであろう。

>労働組合には、正規・非正規の枠を超え、これまで以上の大きな役割を果たすという高い理想を持って活動することを期待したい。

と、まさにわたくしが繰り返し述べてきたことを真っ正面から提言していただいており、心躍る思いが致します。

「極めて非典型」な労働者

昨日、欧州議会の雇用社会問題委員会が開かれました。そこに提出された文書資料はここにアップされていますが、

http://www.europarl.europa.eu/meetdocs/2009_2014/organes/empl/empl_20100316_1500.htm

その中に、大変興味深いタイトルの決議案とそのバックグラウンドとなる欧州生活労働条件改善財団(EUにおけるJILPTみたいな研究機関)の報告書です。

これがグリュニー議員提出の決議案で、

http://www.europarl.europa.eu/meetdocs/2009_2014/documents/empl/pr/808/808006/808006en.pdf

これらがEU財団の研究報告書と背景ペーパーです。

http://www.europarl.europa.eu/meetdocs/2009_2014/documents/empl/dv/studyflexibleformsatypicawork_/studyflexibleformsatypicawork_en.pdf

http://www.europarl.europa.eu/meetdocs/2009_2014/documents/empl/dv/studyveryatypicalwork_/studyveryatypicalwork_en.pdf

いずれも大変興味深い論点を提起しているのですが、EU財団の研究報告を一瞥してみると、こういうのが「極めて非典型」(very atypical)とされています。

‘very short’ fixed-term work of less than six months (which may also include ‘very short’ temporary agency work);
‘very short’ part-time work of less than 10 hours a week;
non-contract work;
zero hours or on-call work.

6か月未満の超短期契約(超短期派遣を含む)、週10時間未満の超短時間パート、契約のない労働、ゼロ労働またはオンコール労働などです。

>The hypothesis explored in this study is that ‘very atypical’ forms of work are not only particularly flexible but also, by their nature, extremely precarious.

これら「極めて非典型」な労働形態は極めて柔軟なだけでなく極めて不安定(プレカリアス)だと述べ、

>First of all, most of the very atypical workers live on a low, or even very low, income, as outcome of the amount of hours worked and the short job tenure. Secondly, these forms of work give no clarity regarding the future – especially in terms of job and employability. As outlined, the employability aspects have been discussed among economists, but positive developments still need to be soundly proven – for non-standard forms of work in general, not to mention ‘very atypical’ forms of work in particular. Moreover, beyond the employment contractual arrangement, a short job tenure and low income (corresponding to a few hours work) have an impact on unemployment subsidies, pensions and workers’ rights. In addition, precarious work can jeopardise people’s capacity to pay rent, ability to obtain bank credit, and opportunities
to build a family. At societal level, the impact of precarious employment on social cohesion and birth rates should not be underestimated.

低所得で将来が不安定で、出生率にも影響する云々と、日本の議論をなぞるような感じですね。

最近の拙著書評いくつか

さすがに出版から8ヶ月近くなり、拙著への書評も連日のようだった一時の勢いはなくなってきましたが、それでもときどきネット上に出てきます。

学ゼミ読書会の「しょひょうとかかいたり」というブログで、

http://gakuzemi.blog118.fc2.com/blog-entry-8.html(「はたらけど、はたらけど……」とは仰いますが)

あと、twitterで2件ほど。

3月9日 by FewZio
http://twitter.com/fewzio/status/10241083491(『新しい労働社会』を読んで、なかなか良く問題を捉えていると思った。ところがネットで見ると、著者の濱口氏を非難している人がいる。調べてみて、その非難には根拠がないことがわかった。なんとまぁ)
 
3月9日 by meizentower
http://twitter.com/meizentower/status/10233497194(濱口桂一郎『新しい労働社会』岩波新書、2009。急いで読んだからあまり頭に残ってないが、近年のトピックに対してもバランスよく議論出来ているのでは、と個人的には思います。)

2010年3月16日 (火)

『季刊労働法』228号

Tm_i0eysjiyoi2g 『季刊労働法』2010年春号(228号)が刊行されたようです。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/004421.html

>●社会保障の構造改革という号令のもとで、介護保険制度は、公的責任の縮小と福祉の契約化が進められてきました。しかしその結果、介護が本来の役割を果たしているといえるのでしょうか。グッドウィルの不祥事、障害者自立支援法施行後の利用者・施設の負担増などの報道により、福祉の担い手を民営化させたことによるデメリットが噴出している感は否定できません。介護の担い手である介護労働者の処遇改善に政府が力をいれるなど、構造改革という流れがストップし、それが反対の流れに向こうとしている現在、労働法の見地から、介護分野における規制緩和を検証し、介護労働の諸問題の解決策を探ります。

●第2特集では、「注目分野別の判例動向」と題して、「女性差別賃金」、「配転・降格」、「期間途中の労働契約の解除と休業手当」といったテーマに関する近時を裁判例を統括します。

ということで、目次は次の通りです。

■巻頭言■
雇用社会と法の支配の確立
熊本大学名誉教授 清正 寛

特集
介護労働と法の現在

介護事業の規制緩和と介護労働の法的課題 
 日本大学教授 林 和彦
派遣労働者・有償ボランティアと介護労働
 流通経済大学教授 大場敏彦
介護労働者の雇用と能力開発をめぐる課題
 千葉大学准教授 皆川宏之
介護事故と介護事業者の法的責任
 山形大学講師 阿部未央

第2特集 注目分野別の判例動向
配転・降格をめぐる最近の判例動向
 日本大学教授 新谷眞人
近年における男女差別賃金に関する注目判例の動向
 中央大学教授 山田省三
期間途中の労働契約の解除と賃金―いすゞ自動車事件とプレミアライン事件をめぐって
 神奈川大学准教授 坂本宏志

■特別寄稿■
労働者派遣法改正の動向と今後の課題
労働政策研究・研修機構統括研究員 濱口桂一郎

■研究論文■
雇用危機と労働者住宅―何が問題であったのか
早稲田大学教授 石田 眞
雇用改革の失敗と労働法(2)
 ―さらなる立法を考える
青山学院大学教授 手塚和彰

■連載■
個別労働関係紛争「あっせんファイル」(連載第10回)
 あっせん技術論―「技術」の可能性と限界―
九州大学教授 野田 進

アジアの労働法と労働問題(6)
台湾の外国人労働法制
岩手大学准教授 早川智津子

■同志社大学労働法研究会■
「労働組合法上の労働者」は何のための概念か
同志社大学教授 土田道夫

■神戸労働法研究会■
医師の宿日直勤務の断続的労働該当性と宅直勤務の労働時間性
 奈良県(医師時間外手当)事件
 奈良地判平成21年4月22日労経速2040号3頁・労判986号38頁
神戸学院大学准教授 梶川敦子

■イギリス労働法研究会■
イギリスにおける派遣労働と2010年派遣労働者規則
専修大学教授 有田謙司

■筑波大学労働判例研究会■
技能実習生の受入れ期間による管理費の賃金控除・徴収と解雇の違法性
 オオシマニットほか事件 和歌山地田辺支判平成21・7・17労判991号29頁
岩手大学准教授 早川智津子

■北海道大学労働判例研究会■
昭和観光(代表取締役ら・割増賃金支払)事件
 大阪地判平成21年1月15日労判979-16
 関連判例:昭和観光事件(大阪地判平成18年10月6日労判930-43)
北海道大学客員准教授・弁護士 淺野高宏

わたくしは派遣法改正の動向を書いております。派遣関係では有田先生がイギリスの派遣法制について書かれているようですね。

この目次を見て興味をそそられるのは、梶川先生による例の県立奈良病院事件の判例評釈と、早川先生による技能実習生の事件の評釈です。

「地域」に主権はないはず

生活経済政策研究所から送られてくるメールマガジン、3月15日付けの第215号のコラム「ひとこと」に、次のような一節がありました。

>阿久根市政が混乱しています。竹原信一市長の議会軽視と専横ぶりは、ちょっと度が過ぎているようですね。まあご本人は大阪府の橋下知事を見習ってリーダーシップを発揮しているつもりのようなのですが、マナーもルールも無視した専横ぶりをリーダーシップと勘違いする竹原市長や選挙で選んだ市民の民度の問題でもありますね。こうした事例を観ると、地方分権や「地域主権」に反対する皆さんが、地方に権限移譲するのは問題だと騒ぐ気持ちがわかるような気がします。こうしただめな首長や議員による混乱も経験しながら、それを乗り越えて住民が自己決定する努力を積み上げなければ、いつまでたっても国依存体質は変わらないのですが。与えられた民主主義を本当の民主主義にするためにも、鳩山政権が本気で「地域主権改革」を推進することを期待します。もっとも、憲法上、主権は国民にあり、連邦制ではないので「地域」に主権はないはず。そもそも「地域」をどのように定義するのかもわかりませんが、統治機構としての都道府県や市町村といった行政単位でもないとすれば、具体的な意志決定の仕組みを持たない「地域」に主権があるはずはありません。「地域主権」という言葉はまずくないですか?

生活研はかつての平和経済計画会議で、系譜的には社民右派、いわゆる「進歩派」系なので、思想的には「地方分権」推進派のはずなんですが、こういう目に余る「地方分権」「地域主権」ぶりには頭が痛いことでしょう。

ちなみに、立法・司法・行政の3権のうち、立法で決まったことを実施する行政については、理論的には相当程度の地方分権が可能ですが(それが望ましいかどうかはまた別ですが)、立法についてはそもそも地方自治体の条例制定権は国家の法律の範囲内に限定されますし(違法な条例はそもそも許されない)、司法については日本は連邦国家ではない以上いかなる意味でも地方分権はあり得ないのですから(だから某市長が裁判所の命令に従わなければ内乱罪です)、統治機構としての都道府県や市町村であっても、「地方主権」という表現自体がおかしいというべきでしょう。

2010年3月15日 (月)

『進歩と改革』3月号で鳴海洽一郎さんが拙著書評

No699 一昨日予告したように、雑誌『進歩と改革』3月号に、鳴海洽一郎さんの拙著『新しい労働社会-雇用システムの再構築へ』に対する書評が載っております。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/20100315105749275_0001.pdf

わたくしの主張に対して、

>本書の論旨は、コスト競争で日本的雇用システムが維持できなくなっている今日、企業にとってもメリットのある改革だと思われる。社会保障費の財源負担をめぐる重い課題もあるが、これらの作業に産業別の労使が共同で取り組むことができれば、その過程で自立した新しい産業民主主義の素地が作られ、展望が開かれるのではないか。

と大変積極的に評価していただいております。

『面接の10分前、1日前、1週間前にやるべきこと』

89aa20e71c 海老原嗣生さんの新著『面接の10分前、1日前、1週間前にやるべきこと』(プレジデント社)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.president.co.jp/book/item/322/1930-7/

帯にでかい字で「面接とは、「商取引」と心得よ! 」と書かれているのが、本書のメッセージを一言で言い表しています。

でも、考えてみると労働力という商品の売買契約である以上、それを商取引と心得ていないのがデフォルトって方が変ではあるわけですが。

>今までの面接対策本は、むやみにいろいろ詰め込みすぎている――転職の現場に長く携わってきた私は、プロの立場からずっとそう感じていました。

>「うわべだけ取り繕う」ような面接指導も多すぎます。
「面接ではこうすれば人事を感心させられる」というテクニック。たとえば、“まず、結論から言う”“論理的に話す”“センテンスは短く”“イニシアティブをとる”“前向きな話をする”……こんなどうでもいいテクニックが幅を利かせています。
 だから、転職者の多くは、「結論から話します。まず、ポイントは3つ」と切り出し、就活学生は、グループインタビューになるとさっと立ち上がり、「私に司会をさせてください」と手を挙げます。その結果、「またマニュアル小僧か……」と面接官はみな、鼻白む思いになっていくのです。そういうの、やめにしましょう。
 本質――面接で本当にやるべきこと。それを書きました。とても簡単なことです。

つまらないテクニックではなく「たった一つの大事なこと」だけを書いた本。受験にしろ、面接にしろ、世の中に本当に必要なのはそういう本なのでしょう。

この法律で定める労働条件の基準は最高のものであるから・・・

昨日のエントリで勝手に引用させていただいたマシナリさんが、もう少し詳しく、オンブズマンのご指摘がすべてに優先する「消費者独裁国家」ぶりの実態を書かれています。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-380.htmlコンプライアンスのねじれ

>普段から「コンプライアンスなら俺に任せろ」と法令遵守には人一倍うるさいその上司がのたまったお言葉が、
「労働基準法さえ守っていればいいなんてオンブズマンにいえるか!」
というものでした。私は労働基準法で認められている扱いとして勤務時間に融通を利かせてほしいとお願いした(供給者がお願いするのがこの国の流儀ですからね)にもかかわらず、その上司からは「労働基準法をクリアしても、法律さえ守ればいいというのではオンブズマンは納得しない」という謎の論理で跳ね返されたわけです。

>実は、私は一瞬、
「コンプライアンス大好きな上司のことだから、労働基準法第1条第2項の「この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない」という趣旨で、労働基準法以上の待遇を認めてくれるのかな」
と解釈してしまったんですが、もちろんそんなわけはなく、「労働基準法を超える労働条件を認めることはコンプライアンスに反するので、オンブズマンに申し開きが立たない」という意味だったんですね。

>労働者という労働サービスの供給者の権利を保護するために使用者という労働サービスの消費者の権利を規制する労働基準法が、いつの間にか労働者という労働サービスの供給者の権利を規制する法律にすり替えられてしまったんですね。

「消費者独裁国家」の労働基準法第1条第2項は多分こう書かれているのでしょう。

>この法律で定める労働条件の基準は最高のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を向上させてはならないことはもとより、その低下を図るように努めなければならない。

確かに消費者天国というべき素晴らしき新世界ではあります。

2010年3月14日 (日)

労働の消費者は使用者です、もちろん。

mojix氏のこのエントリ、云ってることはおおむね正しい。というか、おおむね賛成。

http://mojix.org/2010/03/14/shouhisha_dokusai(日本は「消費者独裁国家」である)

>日本ではつねに「消費者が善」だ。

学校に文句を言う「モンスターペアレント」。
企業にわがままを言う「モンスター顧客」。
病院に世話をやかせる「モンスター患者」。

サービスを受ける消費者は「絶対善」であり、
サービスを提供する側は、そのコストとリスクをかぶる。

全くその通り!そこに日本社会の病理の相当部分があるのは確か。

本ブログでも、結構取り上げてきましたね。

ところが、この的確な認識が、こと「労働」に関わると、突如としてひっくり返ってしまうところが、mojix氏の奇妙なところです。

>雇用であれば労働者が「善」、会社が「悪」。

経済学の初等教科書を引くまでもなく、労働の供給者が労働者であり、労働の消費者が使用者であります。

そして、労働分野においても、他の分野と同様、「お客様は神様です」という消費者独裁主義がまかり通り、無制限労働供給が正義として強要されるところにこそ、もろもろの歪みの原因があるわけで、このあたりをいささか斜め後ろから冷笑的に批評しているのが、本ブログでも何回か取り上げてきた

http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/ニートの海外就職日記

だったりするわけですが、たとえばここに現れているような「大変申し訳ありませんが、今度の金曜日にお休みをいただいてもよろしいでしょうかw?」という労働の供給者がえらく申し訳なさそうで、労働の消費者が大変偉そうな姿こそが、

>サービスを受ける消費者は「絶対善」であり、
サービスを提供する側は、そのコストとリスクをかぶる

のいい典型例じゃないか、と言う風に、素直に話が進まずに、なぜか労働供給者と労働消費者が入れ替わってしまって、

>雇用であれば労働者が「善」、会社が「悪」。

なのがけしからんという論調に転調してしまうあたりが、mojix氏の不思議なところです。

実際、

>学校に文句を言う「モンスターペアレント」。

に現実に悩まされているのは、教育労働サービスを提供している教師という名の労働供給者であり、

>企業にわがままを言う「モンスター顧客」。

に現実に悩まされているのは、当該企業の財やサービスを生産している当該企業に雇用されている労働者であり、

>病院に世話をやかせる「モンスター患者」。

に現実に悩まされているのは、医療サービスを提供している医師や看護婦といった労働供給者であるわけなんですが、

そして、地方公務員であるマシナリさんの指摘されるように、

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-376.html会計検査院とオンブズマンが作る世界

>オンブズマンや会計検査院の指摘によって役所がブラック企業化していく状況が想像していただけるのではないかと思います。たとえば、だいぶ前に当時の上司と勤務時間を巡って口論になったことがありまして、こちらからは労基法の規定とか判例とかを持ち出して「そういうのって、法律や判例で認められた労働者の権利を一切認めないっていうことなんですかね」と聞いたところ、「お前になんて言われようと、俺はオンブズマンに申し開きの立たないことはしない! 訴えたいなら訴えろ!」といわれたことがあります。その上司曰く、「オンブズマンに訴えられたら自分の役人生命は終わりだが、部下からだったら訴えられても痛くも痒くもない」んだそうです。すばらしきブラック企業ですね。

と、こういう労働消費者側のモンスター症候群によって労働供給者がブラック状態に追い込まれていくという事態は公私を問わず進んでいるようもありますが、

ま、いずれにせよ、「絶対善」とされる消費者のモンスター化によって供給者がブラック状態に追い込まれるという事態を的確に指摘されているはずのmojix氏が、こと「労働」という二文字を見たとたんに論理が反転してしまい、突如モンスター側に与してしまうというのは、なかなか常人には理解しがたいところというべきでありましょう。

mojix氏のロジックをまったくそのまま一点の変更もなく労働力の供給者と労働力の消費者に適用すると、mojix氏の言葉は次のようにならなければなりません。もし一点でも違いがあれば、それは論理矛盾となります。すなわち、

>日本は「使用者独裁国家」である

>日本ではつねに「使用者が善」だ。

部下に文句を言う「モンスター上司」。
労働者にわがままを言う「モンスター経営者」。
社員に世話をやかせる「モンスター社長」。

サービスを受ける使用者は「絶対善」であり、
サービスを提供する労働者は、そのコストとリスクをかぶる。

実のところ、私自身は日本がそこまでひどい社会だとは思っていませんが、とはいえ特に最近なにがしかそういう傾向があるのは確かでしょう。でも、あそこまで大見得切ったmojix氏は、そういう中途半端じゃだめですよ。「使用者独裁国家」と云わないと自己矛盾で爆裂してしまいますよ。

ついでに一言付け加えれば、こういうモンスター使用者から労働力供給者が自己防衛するために労働組合という名のギルド組織は必要なんです。

2010年3月13日 (土)

『進歩と改革』に拙著書評

実物はまだ見ていませんが、雑誌『進歩と改革』2010年3月号に、拙著『新しい労働社会』の書評が掲載されているようです。

http://www.s-kaikaku.com/Shinpo-Kaikaku/shohin/book/No-699.htm

◆書評 濱口桂一郎著『新しい労働社会』 鳴海洽一郎

さて、どのように評されているか、気になりますね。

ナースは風俗嬢じゃないってば

雑件ぽいタイトルですが、雑件じゃなくEU労働情報です。

ロイターのニュースによりますと、

http://www.reuters.com/article/idUSTRE62A5A120100311(Nurses' union: Care does not include sex)

>A union representing Dutch nurses will launch a national campaign Friday against demands for sexual services by patients who claim it should be part of their standard care.

オランダの看護婦労働組合が、患者への性的サービスはやらないよ、っていうキャンペーンを始めましたと。

>The union, NU'91, is calling the campaign "I Draw The Line Here," with an advert that features a young woman covering her face with crossed hands.

The union said in a statement Thursday that the campaign follows a complaint it had received in the last week from a 24-year-old woman who said a 42-year-old disabled man asked her to provide sexual services as part of his care at home.

The young woman witnessed some of the man's other nurses offering him sexual gratification, the union said. When she refused to do the same, he tried to dismiss her on the grounds that she was unfit to provide care.

"This type of action is not part of the job responsibilities of carers and nurses," NU'91 said.

The case has been reported to police, the union added.

なんと、24歳の看護婦(下記オランダナースユニオンのサイトによると「学生」とあるので、看護学校の研修生でしょうか)が、42歳の障害者に性的サービスを要求され、「ほかのナースはやってくれてるぞ。いうことを聞かないのならクビだぞ」と脅されたとか。

こんなことはナースの職務じゃない!「ここに一線を引こう!」とナースユニオンはキャンペーンに乗り出したということです。

興味を惹かれたので、この「NU'91」というナースユニオンのサイトに行ってみました。

http://www.nu91-leden.nl/nieuws.asp?grp=6&uid=1258(Hier trek ik mijn grens!)

>Hier trek ik mijn grens! Onder dat motto start NU’91 vrijdag 12 maart om 15.00 uur de campagne om verpleegkundigen en verzorgenden beter te wapenen tegen seksuele verzoeken van patiënten.

Een 24-jarige studente hbo-v kreeg van een PGB-cliënt de vraag hem seksueel te bevredigen. De verzorgenden, met wie de studente meeliep, gaven aan dat zij een dergelijk verzoek inwilligden en zagen het als onderdeel van hun zorgtaak. De geschrokken studente meldde haar ervaringen bij de politie, het bemiddelingsbureau en bij NU’91.

Seksuele handelingen kunnen nooit onderdeel zijn van het takenpakket van verzorgenden en verpleegkundigen. De vraag op zich is al een belediging voor de professionele zorgverlener. Het kan gezien worden als pure seksuele intimidatie.

Er wordt wel gezegd dat iedere cliënt vrij is om te vragen wat hij/zij wil. Dat is dus niet zo. Een cliënt kan de zorgverlener vragen om samen te zoeken naar een oplossing: bijvoorbeeld hulp via een escortbureau. Maar het verzoek om als onderdeel van de zorg aan de cliënt – vergoed uit de sociale verzekering – een seksuele handeling te verrichten is ontoelaatbaar en een belediging. Ook beledigingen zijn strafbaar.

NU’91 adviseert verpleegkundigen en verzorgden daarom: trek jouw grens! Maak het bespreekbaar met collega’s. Melden van dit soort incidenten is belangrijk. Dan kan er actie ondernomen worden. Ervaringen kunnen gemeld worden via de NU’91 campagnesite www.hiertrekikmijngrens.nl 

Wij gaan ons best doen dit onderwerp aanhangig te maken bij Justitie.

Als verzorgende en verpleegkundige accepteer je geen vragen om seksuele handelingen te verrichten: jij trekt de grens!

オランダ語ですが、「Een 24-jarige studente」とあるので、たぶん看護学校の学生だと思われます。

2010年3月12日 (金)

規制改革会議は終了しました

内閣府の規制改革会議のページに、2月19日の議事録がアップされています。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/minutes/meeting/2009/6/item09_06_summary.pdf

それによると、

>何はともあれ、3年間、大変に御苦労様でした。ありがとうございました。本日のこの最後の規制改革会議をもって我々の活動はすべて終了ということで、当会議は実質的に、解散と言うとあれですけれども、役割を終えたということにさせていただきたいと思います。

ということで、規制改革会議は終了いたしました、ということのようであります。

今後は、

>規制改革会議という名前も変えさせていただきまして、規制改革分科会。これは行政刷新会議の下に置かれる組織になりますので、行政刷新会議の下に規制改革会議というのも何か会議の事情でいかがかと思いまして、規制改革分科会ということになります。

>その分科会の下にとりあえず3つのワーキンググループを置くことを念頭に置いております。1つは環境、クリーンイノベーションワーキンググループ。2つ目は生命科学、ライフイノベーションワーキンググループ。もう一つは農業・食糧ということで、一応、農業といいますか、アグリイノベーションワーキンググループということになっております

ということで、環境、生命科学、農業・食料関係の規制改革に専念することになるようであります。

それ以外の担当の委員の方々には、まさに

>長年御尽力をいただきまして、本当にお疲れ様でした。

というところでありましょう。しばらくゆっくりとお休みいただくとよろしいのではないかと思います。

ちなみに、枝野大臣からは、

>経済成長のためには、規制の在り方を時代に併せて見直していくことが求められております。
また、規制改革は、単に規制をなくすことだけではなく、明確なルールに基づいて規制すべきは規制するということも重要であると考えております。

という的確なご発言もあったようです。まさに、近年の派遣法をめぐる動きなどは「明確なルールに基づいて規制すべきは規制するということ」を忘れて、「単に規制をなくすことだけ」を追い求めた挙げ句、その反動で規制すべきでないところまで規制するという事態に立ち至った典型的な事例かも知れません。

「ウルトラC」は死語だった?

つまらない雑件ですので、そのおつもりで・・・。

大内伸哉先生の「アモーレ」で、

http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-ad7c.html(ギャップ)

>若い者との間で言葉が通じないというネタ

>30歳以下の人たちとのギャップを感じることが少なくありません

ということで、「アベック」とか「ナウい」とか「トルコ風呂」とかと並んで、

>「ウルトラC」もそうです。ネットで見ると,「1964年に開催された東京オリンピックで生まれた言葉で、本来は体操の日本男子チームが生み出した難易度C以上の技のこと,だそうです。私たちは,とてつもない技術のようなものを,そのように言ってしまいますが,若い人にはちんぷんかんぷんです。

そうだったんですか、「ウルトラC」はワカモノには通じない死語だった、と。

そういえば、ワカモノマニフェストとかいうのを掲げていた城繁幸氏が、湯浅誠氏に対して、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-9f6e.html(湯浅誠氏が示す保守と中庸の感覚)

>>私はそれでもウルトラCに賭けてみたい。

と熱っぽく語っておられたような・・・。

まあ、別にいいですけど。

2010年3月11日 (木)

千田孝之さんの拙著書評

『千田孝之のブログ「ごまめの歯軋り」』というブログで、拙著『新しい労働社会』への書評が少しずつアップされています。

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/5bfe4efebc090223fac67624940dab4f(第1回)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/82f7e32a1ee764b7628780adad0b4fd(第2回)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/c4093de8a2a101d14e37e46323e4192c(第3回)

http://blog.goo.ne.jp/sendatakayuki0123456789/e/6c49ef7f764c6937fd624721ba621efe(第4回)

>著者は欧州並の多様な労働社会を提案したいのか、多様な労働状況は文化的に好ましいのか、経営側の利益にかなっているのか、労働者側は辛抱しろといっているのだろうか、どうも著者の本音が不明である。このことが本書の理解を困難にしている。

と、わたくしのスタンスに対して、大変疑念を抱いておられるようです。

『労働六法2010』

Roppo10 旬報社から『労働六法2010』が発行されました。

わたくしの担当しているEU法関係では、昨年12月にリスボン条約が発効したことを受け、欧州連合条約および欧州連合運営条約の関係条項を掲載しています。また、今週月曜日の雇用社会相理事会で採択されたばかりの(3月8日)改正育児休業指令も掲載されています。

政策レジーム論によるNIRA報告書「「市場か、福祉か」を問い直す」

総合研究開発機構(NIRA)から公表された報告書「「市場か、福祉か」を問い直す-日本経済の展望は「リスクの社会化」で開く-」は、エスピン・アンデルセン流の福祉レジーム論を駆使して、日本の経済社会のあり方を大胆に提言した骨太の報告書で、是非とも多くの政策に関わる方々に読まれる値打ちがあります。

http://www.nira.or.jp/outgoing/report/entry/n100305_426.html

サマリーは:

http://www.nira.or.jp/pdf/0906summary.pdf

本文は:

http://www.nira.or.jp/pdf/0906report.pdf

一言で言うと、

>20 年近くほぼ一貫して続く日本経済の長期停滞は、少なくとも「生活水準の低下」、「生活、雇用、老後などに対する不安・リスクの増大」、「所得格差の拡大」という点で家計に悪影響を及ぼしてきた。このうち、多くの経済学者、政策担当者などは所得格差の拡大に着目するが、本研究会では、家計や個々人が抱える不安・リスクの増大に着目する。その上で、「個人」が過重なリスクを負担する社会から、「社会」が公平にリスクを負担する社会へシフトするための制度設計、つまり「リスクの社会化」を柱とした政策体系へのシフトを提言する。

ということなのですが、それをレジーム論を用いて、こう説明するんですね。

>日本の政策レジームは、政府による所得再分配機能が弱い点では自由主義レジームの特徴を、また、家族や企業などの組織による共同扶助を重視している点では保守主義レジームの特徴を有している。

これは社会学や政治学の議論でもよく指摘されることですね。

>日本の政策の欠陥は、以下に示すレジームとしての未完結性である。すなわち、自由主義レジームとしてみたときは、市場メカニズムを活用したリスク・シェアの整備が不十分であり、また、保守主義レジームとしてみたときは所得再分配が不十分である。その結果、リスク・シェルターの機能を果たす「共同体(=家庭や企業など)」から外れた一部の個人にリスクがしわ寄せされている。

つまり、自由主義レジームと保守主義レジームの「いいとこ取り」どころか「悪いとこ取り」になっていると。

このあたりの具体的な描写は本文をお読みください。

で、この報告書は

>日本の目指すべき方向性-社会民主主義レジームと自由主義レジームの折衷案に移行すべき

と、別の組み合わせの「いいとこ取り」にしようというわけです。具体的には、

>① 保守主義レジームからは脱却すべき-「共同体」によるリスク・シェアは限界
企業間の国際競争が激化する中で、強い雇用規制を課すことで国内企業に過度な雇用コストを担わせることには限界がある。これは、経済のグローバル化に対して背を向けずに、成長の機会として取り入れていくことでもある。

② 社会民主主義レジームから参考にすべき点 -公平性の重視
社会のリスクを一部の弱者にしわ寄せするのではなく、男性・女性、正規・非正規社員、青年・壮年・老年がともに公平にリスクを分かち合う社会を構築することが重要である。

③ 自由主義レジームから参考にすべき点 -効率性の重視
企業に対してリスク・シェルターとしての過度な役割を期待するのではなく、規制緩和に伴う競争力の強化により、経済成長によるリスク軽減の達成に軸足を置くべきである。

「社会民主主義レジームと自由主義レジームの折衷」という言い方をしていますが、そもそも資本主義社会である限り、自由主義的要素がないなどということはあり得ないし、社会民主主義レジームの典型とされる北欧諸国にしたって、まさに「市場メカニズムを最大限に重視した政策を実現する。と同時に、市場での競争を支えるインフラ整備を行」ってきているわけで、その意味では「折衷」でない社会民主主義なんて現実には存在しないと思います。

政府の再分配機能が弱いという点に関する限り、明確に自由主義レジームからの脱却を主張しているわけですから、少なくとも、今までの自由主義レジームを残しながら残りの保守主義レジームを社会民主主義レジームに置き換えようなどという話ではないことは明らかです。むしろ、政府の再分配機能が弱いという側面の自由主義レジームからは明確に脱却し、企業共同体に依存することによって生じていた自由主義的要素の弱さをむしろ強化しようという趣旨でしょう。

結局、この報告書の提言は、企業共同体によるリスクシェアから政府による公平なリスクの社会化へ、ということに尽きるわけで、その観点からは一貫した主張だと言えます。

2010年3月10日 (水)

『実証研究 日本の人材ビジネス』(日本経済新聞社)

133823 佐藤博樹・佐野嘉秀・堀田聰子編『実証研究 日本の人材ビジネス』(日本経済新聞社)をお送りいただきました。いつも心にかけていただきありがとうございます。

http://www.nikkeibook.com/book_detail/13382/

これはまずもって分厚い本です。東大の社会科学研究所に2004年度から6年間設置された人材ビジネス研究寄付研究部門の6年間の研究成果を一冊に集約した中身の濃い本です。

この研究部門は、株式会社スタッフサービス・ホールディングスの奨学寄付金により設けられたもので、労働者派遣と請負という人材ビジネスを総合的に調査研究したおそらく空前の研究プロジェクトでしょう。

プロジェクトのホームページは東大の社会科学研究所のHPにあります。本書のもとになった山のような研究報告書もここにアップされています。

http://web.iss.u-tokyo.ac.jp/jinzai/

さて、本書の内容ですが、

序章 人材ビジネスと新しいキャリア形成支援  佐藤博樹

第Ⅰ部 人材ビジネスの経営

第1章 登録型労働者派遣業の経営管理 木村琢磨

第2章 資本系人材派遣企業の取引と経営 高橋康二

第3章 製造業務請負業の経営管理 木村琢磨

第4章 製造分野における請負企業の事業戦略と人事管理の課題 木村琢磨・佐野嘉秀・藤本真・佐藤博樹

第5章 人材ビジネスの規模と生産性 阿部正浩・小林徹

第Ⅱ部 人材ビジネスの人材育成

第6章 製造請負企業における業務請負の適正化と能力開発 木村琢磨

第7章 生産請負・派遣企業によるリーダー配置とスタッフの定着化 佐野嘉秀

第8章 製品開発分野の技術者派遣企業によるキャリア形成支援 佐野嘉秀

第9章 派遣スタッフのキャリア形成に向けて 松浦民恵

第10章 職業紹介担当者の能力開発

第Ⅲ部 企業の人材活用と人材ビジネス

第11章 製品開発部門における派遣技術者の活用

第12章 高齢者介護施設における派遣スタッフの活用 大木栄一・堀田聡子

第13章 コールセンターにおける派遣オペレーターの活用 仁田道夫

第14章 登録型派遣スタッフの人事管理と労働意欲 島貫智行

第15章 企業における人材確保策の多様化と人材ビジネス 堀田聡子

第Ⅳ部 人材ビジネスで働く人々と働き方

第16章 生産分野における若年層の請負・派遣スタッフのキャリア 佐野嘉秀

第17章 派遣技術者のキャリアと仕事意欲 佐野嘉秀・高橋康二

第18章 派遣会社の経営形態と派遣社員の就業実態 高橋康二

第19章 事務系派遣スタッフのキャリア類型と仕事・スキル・賃金の関係 島貫智行

第20章 コールセンター・オペレーター派遣社員の就業意識とキャリアの実態と課題 中道麻子

第21章 派遣営業職活用の現状と課題 松浦民恵

佐藤博樹先生を中心に、若手労働研究者が大量に参加しています。というか、佐藤先生の前書きにもあるとおり、この研究部門自体が若手研究者に研究機会を提供し、この6年間に3名の博士号取得者が誕生したということなので、スタッフサービス社の社会貢献は立派なものがあったといえるでしょう。

ただ、残念ながら、世の中の動きというか世論の移ろいは、こういう地道でしっかりした研究成果に基づいた議論をそれほど好まず、本研究が始まった頃には規制はことごとく撤廃せよという市場原理主義が世にはやったかと思えば、その終了時期には一転して人材ビジネスが諸悪の根源の如く指弾されるという、まあ低いレベルで動いてしまうのですがね。

今後、人材ビジネス業界が現在の嵐をくぐり抜け、社会に貢献する事業として再確立していく上でも、本書にまとめられた研究成果は大変重要な意味を持つと思います。

ちなみに、なぜか同じ本日、国際人材派遣業協会(CIETT)から、「Economic Report 2010 The agency work industry around the world」というパンフレットが送られてきました。

PDFファイルがここにありますので、関心のある方は見てください。

http://www.ciett.org/fileadmin/templates/ciett/docs/Ciett_Economic_Report_2010.pdf

これをみて、とにかく派遣会社と事業所数で日本がダントツであることにびっくりしますが、それより、「3b派遣労働者の動機と満足」で、ヨーロッパでは常用就職するために派遣を使うとか、フランスでは派遣が就業能力を高めるとか、イギリスでは派遣労働者は仕事に満足しているとか、オランダでは仕事の質に満足しているとか、いろいろといいことが書いてあるのに、数の多い日本が好事例に出てこないのは残念ですね。

「もちつけblog(仮)」さんの拙著書評 その3,その4

「もちつけblog(仮)」さんが拙著『新しい労働社会』に対する書評の3回目と4回目をアップされています。

http://webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-114.html(「新しい労働社会」をシングルマザーの視点から考える 濱口桂一郎『新しい労働社会』(3))

http://webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-116.html(「職業教育」を日本の労働史から考える 濱口桂一郎『新しい労働社会』(4))

いずれも、拙著を深く読み込んでいただき、本ブログの過去のエントリやわたくしのホームページに掲載した諸論文なども駆使しつつ、問題に斬り込んでいただいており、かくも深い書評をしていただいていることに感激の思いでいっぱいです。

2010年3月 8日 (月)

『これからの賃金論-均等待遇、職種別賃金の可能性』

Rodo14 NPO現代の理論・社会フォーラムから発行された『これからの賃金論ー均等待遇、職種別賃金の可能性』というパンフレットを、著者のお一人である小林良暢さんからお送りいただきました。ありがとうございます。ここのところ、小林さんとはあちこちでお会いしているような気がしますね。

さて、このパンフレットは、「現代の労働研究会」が昨年「新たな賃金論と生活賃金運動」をテーマに研究会を重ねた結果をまとめたものということで、全72頁と全然分厚くありませんが、中身は以下のように大変濃厚なものになっています。

第1部 賃金の何が問題なのか 
「今日の賃金問題、その俯瞰と展望」遠藤公嗣(明治大学教授)

第2部 賃金の考え方入門
「賃金をとりまく問題群について」龍井葉二(連合・非正規センター)
「賃金の決め方ー賃金闘争の歴史と課題」遠藤公嗣(明治大学教授)

第3部 各種の賃金形態を考える
「公正な労働と賃金 女性の地位をめぐって」屋嘉比ふみ子(ペイ・エクィティ・コンサルティング・オフィス代表)
「ビルメン労働者の職種別賃金の取り組み」片桐 晃(JEC連合組織センター)
「介護労働者の賃金を考える」石毛えい子(衆議院議員)
「リビング・ウェィジ(生活賃金)と最低賃金、生活保護を考える小畑精武(自治労アドバイザー)
「公務員の賃金闘争は変わるか」武藤弘道(都労連執行委員長)

第4部 現代社会と賃金の今後
「正規と非正規の“均等待遇”への現実的アプローチ小林良暢(グローバル総研所長)
「”賃金と社会保障”で生活できる国家構想を」木下武男(昭和女子大教授)

おおむね、労働サイドのジョブ派といったところでしょうか。

このうち、連合非正規センターから昨年連合総研に移られた龍井さんの文章は、ジョブ派へのシンパシーと「ジョブって言ったってそんなに簡単には・・・」という実務感覚がほどよく混ざった、わたくしとしては実に共感できるものなので、いくつか引用しておきます。

>賃金というのは、先ほども指摘したように、雇用システムの一部なのに賃金だけ取り出して手をつけようとしても難しいのです。

逆にいうと、それだけ年功賃金が生き延びてきたのには、それだけの根拠があるわけで、何もそれが「日本型」であり宿命であるなどと考える必要はないわけですが、賃金制度を新たなものに変えていこうと考えるなら、年功賃金の根拠そのものを突き崩し、同時に雇用システム全体のあり方を考える必要があるのだと思います。

>連合評価委員会の提言にはおそらく「会社あっての従業員」というあり方を変えようという思いがあったのでしょう。この点は私もまったく同感です。しかし、賃金を変えれば脱企業になるのかといえば、違うのではないか。そのためには採用、育成、配置、評価、昇給、昇格などのフルセットを変える必要があります。先ほど、戦時体制の話をしましたが、当時のように国家権力によって強制してしまえばフルセットの転換は可能なのかも知れません。職種別賃金に変えるという法律を作り、その法律に基づく政省令や通達まで決定すれば可能なのかも知れません。しかし、ジョブという基盤が弱いところで強制しても、かつての日経連による職務給導入の繰り返しになる可能性もありますし、今触れた実務的な問題は依然として残ります。

>賃金とは実務だということを強調させていただきましたが、端的にいえば労使のつばぜり合いだということです。同時に、賃金のあり方という形で問われているのは、今危機に陥っている雇用システムそのものだということです。

ちなみに、今年は「雇用溶解と新たな雇用安定、働き方」をテーマに毎月研究会が開かれているようです。

このNPO現代の理論・社会フォーラムのホームページはここにあります。

http://www.gendainoriron.com/index.html

現代の労働研究会の今年の日程はこれだそうです。

http://www.gendainoriron.com/4-5katudou.html

なかなか興味深そうですね。

2010年3月 6日 (土)

事務派遣崩壊の歴史的根拠

派遣法制定以来の「パンドラの匣」が遂に開き、「ファイリング」とか「事務機器操作」という専門職の名目で派遣されてきた一般事務職派遣が追いつめられつつあることは、本ブログでも何回か取り上げてきましたし、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/99-babf.html(99年改正前には戻れない-専門職ってなあに?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/99-48d9.html(いよいよ「99年改正前には戻れな」くなった!)

人材派遣業界のブロガーの「さる」さんもコメントされていますが、

http://ameblo.jp/monozukuri-service/entry-10455183438.html(5号、8号、パンドラの匣)

拙著『新しい労働社会』でも詳しく述べましたが、やはり1985年に労働者派遣法ができるときの理論的ごまかしをそのままにしてきたことのツケが、今になってこういう形で噴出しているのだというしかないように思われます。

その理論的ごまかしを、ある意味できわめてわかりやすく示しているように思われるのが、『大原社会問題研究所雑誌』昨年2月号で、わたくしの論文と並んで掲載された高梨昌先生の論文です。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/604/604-01.pdf(労働者派遣法の原点へ帰れ)

高梨先生は、「労働者派遣法の原点へ帰れ」と言われるわけですが、ではその「原点」とは一体いかなるものであったのか、こそが重大な問題です。

この高梨論文には、その原点の建前バージョンと本音バージョンが非常にわかりやすく書かれています。

まず、建前バージョンです。

>まず事務処理関係の業務については,派遣法制定当初の理念に立ち返って,専門的知識,経験を必要とする業務に限定するポジティブリスト方式を採り,登録型派遣を認める法体系に再構築し直すことを提案したい。
派遣法の当初に試案として提案した業務は13業務で,これらの業務は専門的職業別労働市場として外部労働市場を形成しており,終身雇用・年功制で形成されている企業内労働市場とは競合しない市場として棲み分けたことを指摘したい。つまり,外部と内部のそれぞれの労働市場は相互に交流する重ね合わさった市場ではないから,いわゆる「常用代替」は起きえないことに着目したことが,ポジティブリスト方式を採用するに当たって専門的知識・経験を必要とする業務に限定した理由である。

>もともと専門職の業務は,相対的に高賃金の市場を形成しており,したがって派遣会社は,高付加価値の業務であるため収益率も高く,良好かつ健全な派遣市場の形成に役立つと考え,ポジティブリスト方式を提案し,かつ年功制に立つ長期安定的雇用システムの正社員の労働市場とは棲み分けているから派遣期間制限は提案しなかったのである。

私が知る限り、今から四半世紀前の日本の労働市場において、「ファイリング」とか「事務機器操作」といった独自の高賃金層の専門職集団が存在したという歴史的事実は存在しませんが、なぜこのような建前バージョンの理屈をでっち上げなければならなかったかは、そのすぐあとの記述に非常に明確に書かれています。

>ところで,「登録型派遣」を事務処理派遣で認めた理由について触れなければならない。それは,これらの専門的業務に従事しているのは専ら女子労働者であることに着目したからである。労働者派遣法の立法化問題が審議されていた当時は,いま一つ男女雇用機会均等法の立法化が重要な労働政策の課題として審議されていた。均等法の最大の争点の一つは,女子労働者の職業生活と家庭生活との関連のつけ方にあった。

周知のように,第二次世界大戦中に,女子労働者が繊維産業の現場労働者にとどまらず,あらゆる産業や職業分野に進出しはじめ,未婚女子が雇用労働者として就業することが当然視されるように労働観が変化し,敗戦後も経済的生活難もあって,この雇用慣行はより一般化してきた。さらに戦後経済復興と経済の高度成長過程を経て,大規模経営がリーデングな経営体として定着するにつれ,事務的書記的職業への労働需要が急増してきたが,ここに雇用機会を得たのが後期中等教育を受けた女子であった。ところが,これらの事務労働分野へ進出した女子も,結婚・出産を機に退職し,家事労働の専業主婦となる者が圧倒的多数派を占めていた。いわゆる「夫婦役割り分担型家族観」が支配的家族観であったことが,こうしたライフスタイルを女子がとる根底にあったが,家庭電化商品の普及や出生率の低下などによって家事労働が軽減されるとともに,子育てから解放された家庭の専業主婦が,雇用労働へ再登場して就業する傾向が目立ちはじめてきていた。いわゆる年齢別労働力率のM字型カーブの形成である。

ところが,彼女たちの多くが独身時代に身につけてきた事務的書記的労働への再就職は必ずしも円滑に進まなかった。というのは,これらの労働需要は専ら大規模経営や公務労働で,いずれも中途採用者へ門戸を閉ざす,いわゆる「企業閉鎖的労働市場」であったためである。

この記述は、戦後日本の労働市場の展開をきわめて的確に描写しています。そう、労働者派遣法が対象としたのは、まさにこの「事務的書記的職業」についた「後期中等教育を受けた女子」でした。彼女らを指す言葉は、かつてはBG(ビジネスガール)、その後はOL(オフィスレディ)であり、普通の「女子社員」として(当初は高卒で、その後は短大卒で)学卒採用され、「お約束」に従って結婚退職する人々であり、別段医者や看護婦のような独自の専門職集団を形成したわけではありません。

いったん結婚退職した彼女らは、まさに「中途採用者へ門戸を閉ざす,いわゆる「企業閉鎖的労働市場」」のゆえに再就職することが困難であったのであり、その彼女らにかつてやっていた「事務的書記的職業」の仕事をマッチングさせることができたのは、「事務処理請負業」と言う名前で行われていた派遣業以外にはほとんど存在しなかった、というのもまた歴史的事実であるわけです。

男性並みの無定量の働き方に女性を合わせることを無言のうちに前提としていた男女均等法と同じ年に、それまでのOL型の気楽な働き方で働き続けるルートを提供する労働者派遣法が制定されたことの歴史的意味がここにあるのです。

派遣で働く事務職の女性たちにとって、派遣という働き方がそれ自体悪いものであるわけではなかったことの理由もまたここにあります。

これが労働者派遣法制定の本質的理由を語る本音バージョンです。しかし、この「本音」は、誰の口からも明確に語られることはありませんでした。

表向き語られたのは、現実社会に存在しない「ファイリング」だの「事務機器操作」だのといった虚構の「専門職」をでっちあげて、専門職だから大丈夫というロジックで正当化する論理でしかありませんでした。

そのツケが、四半世紀を経て今噴き出しているのですから、その解決の道も四半世紀前のごまかしをきちんと認め、一般事務職の派遣を認めた本当の理由はこれこれであり、専門職じゃないなどというはじめから分かり切っていた理由でぶっつぶす代わりに、こういう形で認めていこうじゃないか、と率直に訴えること以外にはないのでしょうか。

それとも、この期に及んでなお、四半世紀前の「専門職」という虚構にしがみつくつもりでしょうか。それは、事務職派遣の崩壊以外の何ものにもつながらないと思いますよ。

2010年3月 5日 (金)

「いっそ「労働組合LLP」を作って、社員はすべてそこから派遣する」は既に存在する

小飼弾氏の「404 Blog Not Found」の今日のエントリで、興味深い一節がありました。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51411909.html

といっても、本論の

金融日記氏の

>ひとことでいえば、ピンハネで搾取されていると思うなら辞めればいいじゃんということです。

先進国はどこでも職業選択の自由が保障されているので、何人たりとも強制労働させられることはありません。

に対して、

>この論法のどこが詭弁かというと、本来は定量的な「自由」というものを、あたかも定性的なものであるかのごとく語っていること。

>資本主義社会において、金に不自由であることは、即、副詞抜きの不自由につながる

と批判している点ではありません。そのあとの

>かといって、私は派遣労働そのものが悪いとは思わないし、ピンハネという行為そのものが悪いとも思っていない。「利益」というのはピンハネの言い換えにすぎないのだから。問題はピンハネ率が「不自由」な人ほど高く、にも関わらずそれが不自由な人には知られていないということにある。

のすぐあとで、一見突飛なことを言っているかのように、

>いっそ「労働組合LLP」を作って、社員はすべてそこから派遣する、すなわち「正規雇用」そのものを廃止した方がいいのではないかとすら考えている。

まあ、正規雇用廃止論はまた別に論じることにして、ここで取り上げたいのは「いっそ「労働組合LLP」を作って、社員はすべてそこから派遣する」」という発想です。

これについて、小飼弾氏は以前にこういうエントリを書かれていたそうですが、

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50725321.html

>まず、労働者(workers)は、「労働組合LLP」のメンバーとなり、同時にそこの「社主」ともなる。LLPなので株式会社と違って議決権は出資額に比例させなくてもいい(一人一票でも構わない)。この会社は、Job Descriptionを定義した上で、その条件の元、株式会社に社主たる労働者を派遣する。この労働組合LLPには、パートタイマーも所属するものとする。

そして営利法人は、「従業員」を直接雇用することは出来ず、それに相当する者は必ず労働組合LLPからの派遣を受ける形で採用する。この際、株式会社は労働組合LLPが用意した「メニュー」の中からこうしたjob descriptionsの下で何人というリクエストを出す事はできるが、具体的な人員の取捨は基本的に出来ない。

おそらく小飼弾氏は現行日本法令など一切参照することなく、ご自分の脳みそだけでこれを考え付かれたのだと思いますが、実はこれは、(それが強制されることがないという一点だけ除けば)終戦直後の1947年に職業安定法が制定されて以来、60年以上にわたって、この日本国の法制として現存してきた仕組みそのものなのです。

そう、職業安定法に規定する労働組合の労働者供給事業とは、まさに一人一票で運営される労働組合がその組合員を企業に「供給」する仕組みであり、その際、人員の取捨はできません。

ところが、なまじ派遣法に詳しい人ほど、労働者供給事業というのは悪の根源という言い方しかしなくて、労働組合が堂々とやれる立派な事業であるという認識が欠落していることが多いのです。

現行法自体、労働者派遣や労働者供給を頭から悪とみなしているわけではありません。直接雇用の正社員だけが正しい在り方だと決めつけているわけでもありません。

現在も、新運転をはじめとする少数の職種別労働組合は、労働者供給事業を運営してきています。

企業別組合だけが日本の労働組合であるわけでもないのです。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-722a.html(日々雇用の民間需給調整事業の元祖)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_4a8d.html(登録型派遣は労働者供給なんだが・・・)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-10a7.html(労供労連集会にて)

『BLT』労使関係の再構築鼎談

前に本ブログで紹介しておりましたJILPTの雑誌『ビジネス・レーバー・トレンド』(BLT)の1月号の特集「労使関係の再構築」に載った鼎談がホームページにアップされておりますので、ご関心のある方は是非リンク先をお読みください。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2010/01/002-015.pdf

座談会「今後の労使関係のあり方、方向性を考える」 1.4MB
<出席者>
荻野勝彦・トヨタ自動車人事部担当部長
神津里季生・基幹労連事務局長
濱口桂一郎・JILPT 統括研究員
<司会>
荻野登・JILPT 調査・解析部次長(本誌編集長)

わたくしの発言の中で、考え方がいちばん端的に現れているのが、たぶんこれでしょう。

>濱口 できるだけ端的に申し上げたいと思います。実は、私も八代教授の本を最近読みました。処方箋としてはかなり食い違うところもあるのですが、認識論的な部分、あるいは日本の雇用制度のあり方についての考え方については、結構共通するところがあります。
ただ、一番違うのは、八代先生は結局、組合には何も期待していない。私は、そこを担うのが労使関係であるべきだろうと考えていますので、そこが一番食い違うところではないかと思っております。

(追記)

ちなみに、荻野さんとわたくしの八代尚宏先生に対する書評はそれぞれ次の通りです。それぞれの立ち位置の微妙な違いが現れていて、大変興味深いものがあります。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20091221八代尚宏『労働市場改革の経済学』

>この手の本はともすれば極論部分のみが目立ってしまいがちであり、それのみを読み取ると不毛の議論に陥りがちであるが、極論の書であることを念頭において、バランス感覚に留意して読み進めれば極めて有益な内容を多く含んだ本である。特に現状分析はかなり的確であり、多くの人に広く参考となる本としておすすめしたい。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-1f56.html(8,9割までは賛成、しかし・・・八代尚宏『労働市場改革の経済学』をめぐって)

>もしかすると、私とは全然意見が対立すると思っておられる方々もいるかも知れませんが、実のところ、本書で書かれていることの8,9割近くには賛成です。

2010年3月 4日 (木)

『月刊労委労協』2月号の徳住さん講演録

全国労働委員会労働者側委員連絡協議会(労委労協)の機関誌『月刊労委労協』の2月号に、労働弁護士として高名な徳住堅治さんの講演録が載っています。

昨年10月に開催された研修会の講演ということですが、内容は大きく、「過半数労働組合は非正規労働者の権利を公正に代表しているか」、「均等処遇・均衡処遇の新しい法制化の動きとその実現」そして「労組法上の労働者」という3つです。

このうち第2の論点については拙著『新しい労働社会』を引用していただきながら、「いろいろ斬新な発言をされています」と評価していただいており、重要な論点でもあるのですが、ここでは第1の論点について、徳住弁護士が語られている点を、いくつか引用しておきたいと思います。これこそ、わたくしが拙著第4章であえて矛盾を引き受けながら論じたことの根底に存在する問題なのです。

>「現在の過半数組合が職場の公正代表と果たして言えるのか」を検討することは、今後の集団的労使関係のあり方を考える上で避けて通れない問題です。過半数労働組合に公正代表義務を課す規定はありません。過半数労働組合に公正代表義務を課すということになると、例えば、過半数労働組合が三六協定を締結するとか、就業規則の作成・変更に際して会社が意見聴取するときに、非正規労働者である非組合員の意見も聴取した上で、協定を締結したり意見を述べたりしなければいけないことになります。ところが、現在は、過半数労働組合にそのような義務は課せられておらず、過半数労働組合は非組合員の権利を侵害する権利(ママ)を締結することもできないではないのです。

>現在の過半数労働組合は、自ら組合員資格を限定しているわけです。つまり、「職場の中で正社員の範囲でしか労働組合は入れませんよ」と自ら組合員資格を制限して、非正規労働者を排除しています。また、管理職についても、同じ問題があります。・・・自ら組合員の範囲に関して事故勝手な定めをしておきながら、非組合員の労働者の意見を聞くシステムをもたないまま、過半数労働組合が職場を代表するという仕組みは、社会的妥当性を有しているのかどうか、労働組合は再考すべき時期に来ていると思うのです。

>私は、労働組合の基本的命題として、「職場の全労働者の利益の最大化」を果たすシステムに組み替えていく必要があると痛感しています。

まさに、このことをわたくしはこの数年間言い続けてきたのですが、徳住弁護士のような影響力のある立派な法曹にこういっていただける時代になったのだなあ、と感無量です。

EUの新経済戦略「欧州2020」

昨日、欧州委員会がEUの新経済戦略案「欧州2020」を発表しました。

http://ec.europa.eu/eu2020/index_en.htm

http://ec.europa.eu/eu2020/pdf/COMPLET%20EN%20BARROSO%20%20%20007%20-%20Europe%202020%20-%20EN%20version.pdf

知識と技術革新に基づく経済を発展させる「Smart growth」(スマートな成長)、資源節約的でグリーンな経済の「Sustainable growth」(持続可能な成長)、そして労働社会政策面では高就業率の「Inclusive Growth」(社会包摂的な成長)というのがタイトルになってます。

2020年までの数値目標は、

>The employment rate of the population aged 20-64 should increase from the current 69% to at least 75%, including through the greater involvement of women, older workers and the better integration of migrants in the work force

現在69%の(20-64歳層の)就業率を75%に引き上げることです。

そして、

>The number of Europeans living below the national poverty lines should be reduced by 25%, lifting over 20 million people out of poverty

貧困線以下の生活をしている人々を25%減らし、2000万人を貧困から脱却させること。

いろいろと具体的な政策の項目が上がっていますが、それはまた。

司法に地方主権はない

判決自体は当たり前のことなので、改めて評釈する必要もありませんが、3権のうち立法権や行政権に(国の主権を地方に分け与えるという意味での)地方分権はあっても、司法権にはそんなものはないという、中学校の公民の時間に習うようなことを、阿久根民主主義人民共和国の国家主席ドノはそろそろ理解された方が宜しいように思われます。

http://www.asahi.com/national/update/0303/SEB201003030007.html

>鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が職員を懲戒免職処分にし、その処分の効力停止を命じた裁判所の決定に従わない問題で、懲戒免職になった同市の元男性係長(45)が未払い給与約220万円を払うよう市に求めた訴訟の判決が3日、鹿児島地裁であった。牧賢二裁判官は元係長の訴えを認め、昨年10月の効力停止決定後の給与やボーナスを支払うよう命じた。

 判決では、効力停止決定が出ていることを理由に「被告は原告を業務に従事させるとともに、給与を支給すべき義務がある」とした。竹原市長が裁判所の決定を無視していることについては同じ理由で「(市長は)従う義務がある」と指摘した。

 竹原市長はこの日出廷しなかったが、これまでの弁論で提出した準備書面で「原告が職場復帰すれば、公共の福祉に重大な悪影響が発生する。原告に対して阿久根市が生活支援することは市民への裏切り行為」と主張していた。

 訴状などによると元係長は、竹原市長が市役所の各課ごとに掲示させた職員給与の総額を書いた張り紙を勝手にはがしたとして昨年7月に懲戒免職になった。元係長は「懲戒免職は厳しすぎる」と処分の取り消しを求めて提訴し、鹿児島地裁は10月、「判決が確定するまで免職処分の効力を停止する」という決定を出し、確定した。

 だが、竹原市長は決定を無視し、元係長の職場復帰を認めず、給与やボーナスも支払わないため、元係長が訴えていた。

 原告は給与支払いを求める仮執行も同時に求めており、これも認められた。事実上強制力が伴うため、竹原市長がこれまで通り無視し続けた場合、原告側が裁判所に申し立てれば市の財産を強制的に差し押さえることができるようになる。

いうまでもなく日本国は単一不可分の主権国家でありますから、一地方自治体にすぎない阿久根市の市長が日本国の司法権に逆らうということは国家反逆行為であるわけですが、どうするつもりでしょうか。まさか市の財産を差し押さえに来た執行吏に対して武力でもって立ち向かいますかね。

阿久根市に日本国の司法権の行使を認めないといって武力で立ち向かえば、日本国刑法では内乱罪で、首謀者は死刑または無期禁固であります。

(内乱)
第七十七条  国の統治機構を破壊し、はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者は、内乱の罪とし、次の区別に従って処断する。
一  首謀者は、死刑又は無期禁錮に処する。
二  謀議に参与し、又は群衆を指揮した者は無期又は三年以上の禁錮に処し、その他諸般の職務に従事した者は一年以上十年以下の禁錮に処する。
三  付和随行し、その他単に暴動に参加した者は、三年以下の禁錮に処する。
2  前項の罪の未遂は、罰する。ただし、同項第三号に規定する者については、この限りでない。

賢明なる阿久根市役所職員の皆様は、間違っても裁判所の執行吏が来たときに、市長の命令だからといって、1年以上10年以下の禁固に処せられる危険性のある行為には出ないことをお勧めいたします。

阿久根民主主義人民共和国の刑法がどうなっているかは寡聞にして知りませんが。

(追記)

平家さんから絶妙のトラバをいただきました。

http://takamasa.at.webry.info/201003/article_3.html(「これは内乱ではない。革命だ。」 )

記者 血の気の多いことで有名な法学専門家のkhanchanが、裁判所の判決を無視することは国権の排除であり、暴動を起こせば内乱だと主張しています。どのように考えていらっしゃいますか。

市長 内乱などとはとんでもない。khanchanは誤解している。これは革命なのですよ

khanchan氏は血の気の多い人かも知れませんが、hamachan氏は大変穏和にして争いを好まない人ですので、お間違えのなきよう。

2010年3月 3日 (水)

連合團野氏&労務屋荻野氏@雇用政策研究会

1月27日の第2回雇用政策研究会で連合の團野久茂副事務局長と「労務屋」ことトヨタ自動車の荻野勝彦人事部担当部長のお二人が招かれ、「目指すべき雇用システムとセーフティネット」について語ったことは既報の通りですが、その議事録が厚生労働省のホームページにアップされました。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/01/txt/s0127-17.txt

全般にわたって大変重要な論点が一般並んでいるので、つまみ食い的にここに引用するよりも、ぜひリンク先をじっくりお読みいただきたいところですが、荻野さんがベーシックインカムに言及したところは、思わず目を惹き付けられましたぞ。これは別に聞かれたわけではなく、ご自分から言及しています。

>就労以外の一般的なセーフティネットについて、私はあまり知識もありませんが、1つだけ感想を申し上げさせていただきます。いま世間ではベーシックインカムというのが、論点として結構流行しているようです。これに対して私は、企業の人事をやっていることもありまして、あまり歓迎しにくいという感想を持っております。一部にある、ベーシックインカムというものを与えておいて、仕事をする能力の低い人、これ以上稼げない人は別に働かなくてもいいよということによって、そういう人への訓練コストやマッチングのコストを節約しようという議論の良し悪しの判断は、私にはできませんけれども、非常に抵抗があるという感想だけは申し上げておきたいと思います。

とはいえ、これは脇道でして、ぜひ、宮本太郎先生の「日本の労使というのは、長期的雇用慣行の中で持たらされるジョブに還元されない、さまざまな能力の膨らみみたいなものが非常に大切だということでは、実は理解を共有しているのではないかと思うのです」という前提の中で「同一価値労働同一賃金」が可能なのか、という本質的な問いかけに対して團野、荻野両氏がどう答えているかなど、リンク先の発言を読まれることをお薦めします。

官僚たちの冬?東大生座談会@『POSSE』

Hyoshi06 さて、紹介してきている『POSSE』第6号、ややネタっぽいのですが、「官僚たちの冬?東大生座談会」なる匿名座談会も載っています。

登場するのは、文学部で官僚志望のA、法学部で公務員試験を受けようと思っているB、経済学部で民間志望のC。

いちばん真面目なのがAくんで、

>A:国の金がいちばんかかっている大学ということもあるので、それを何らかの形でお返しできたらいいかなとは思いますけど

ちょっと斜め後ろ気味がBくんで、

>B:法学部ですので、仲間内でネタでいったりはしますけど

Cくんになると、

>C:文Ⅱ(経済学部)はもともと文Ⅰ(法学部)にいけなかったというコンプレックスがあって、トップという意識が希薄ですからね

官僚叩きに対しても、

B:官僚を志望しなくなるほどではありませんね。前に事務次官が殺される事件がありましたけど、そういう命の危険があるのはさすがに嫌ですが。

A:天下りとかで叩かれているだけであって、官僚の仕事内容をすべて否定されているわけではないですよね。日本という国を大事にしていきたいという考えで志望していけば、たいしたことないと思います

Aくん、偉い!

2010年3月 2日 (火)

アクティベーションか、ベーシックインカムか

生活経済政策研究所から送られてくるメールマガジンに、こういうのがありました

>2月26日、国際シンポジウム「アクティベーションか、ベーシックインカムか― 持続可能な社会構想へ」を開催しました。宮本太郎・北海道大学教授からの問いかけをコーディネーターに、先進諸国で模索される貧困、格差、生活不安からの脱却の最前線の試みが報告、議論されました。失業保険と教育・職業訓練とを連携させる政策、アクティベーション(積極的労働市場政策)で90年代の高失業率からのを脱出したデンマークについては、ヨルゲン・グル・アンデルセン教授(デンマーク・オーフス大学)が報告。その出発点には加入制限がほとんどない失業保険制度を基盤とする市民賃金アプローチがあり、その後、就労との連携を強化するワークアプローチ、雇用能力を高める人的資源アプローチへと展開してきたことを紹介しました。一方、就労や所得に関係なく一定の所得をすべての人に保障するベーシックインカム。その構想のラディカルさから実現可能性が疑問視されますが、ヤニク・ヴァンデルホルヒト教授(ベルギー・ルーベンカトリック大学)がこれまでの批判を整理しつつ、所得に関係なく給付される日本の子ども手当などすでに世界にはベーシックインカムの構想が部分的に実現されていることを報告しました。時間の制約もあり、会場からの質疑は3本しか受けられませんでしたが、とても充実した内容となりました。

うーーん、子ども手当がベーシックインカムの代表選手みたいにいうのは、そもそも子どもを就労にアクティベートすることが考えられない以上、いささかどうかという気もしないではありません。

わたし自身、『日本の論点2010』の中では、

>筆者に与えられた課題はワークフェアの立場からBI論を批判することであるが、あらかじめある種のBI的政策には反対ではなく、むしろ賛成であることを断っておきたい。それは子どもや老人のように、労働を通じて社会参加することを要求すべきでない人々については、その生活維持を社会成員みんなの連帯によって支えるべきであると考えるからだ。とりわけ子どもについては、親の財力によって教育機会や将来展望に格差が生じることをできるだけ避けるためにも、子ども手当や高校教育費無償化といった政策は望ましいと考える。老人については「アリとキリギリス」論から反発があり得るが、働けない老人に就労を強制するわけにもいかない以上、拠出にかかわらない一律最低保障年金には一定の合理性がある。ここで批判の対象とするBI論は、働く能力が十分ありながらあえて働かない者にも働く者と一律の給付が与えられるべきという考え方に限定される。

と断っていますし、働ける人に「お前みたいな無能な奴は働かないでいいからじっとしてろ、捨て扶持やるからさあ」というホリエモン型BI論の問題点が出てこないように思います。

「もちつけblog(仮)」さんの拙著書評第3弾

岩井晴彦(仮)さんの「もちつけblog(仮)」に、拙著『新しい労働社会』の書評の第3回目が載っています。

http://webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-114.html(「新しい労働社会」をシングルマザーの視点から考える)

今回は「非正規労働問題の解決について」と「「新しい労働社会」をシングルマザーの視点から考える」ですが、とりわけ、拙著の議論の中のシングルマザーについて論じたところを取り上げていただいた点は、岩井さんご自身もおっしゃるように、大変貴重な視点だと思います。

>本書の書評において、彼女たちの存在に視線を注いだものは、そう多くありません(ほとんど無いかもしれません)。しかし、彼女たちは、(他の立場の人々に比較しても)労働者として最も重い負担を、社会の中で強いられている存在ではないでしょうか。その意味で本書は、シングルマザーの立場から読まれる意義が十分あります。
 戦後ずっと、最近の「格差」・「貧困」問題が大きく提起される以前から、彼女たちが、一定の割合として日本の社会に存在していたことも、その意義を高めます。

その上で、やや皮肉な点ですが、こうも指摘されます。

>本書の対象とする読書層の問題もあります。本書は果たしてシングルマザーたちに届く書物なのか、という点も、考慮すべきかもしれません。即断できませんが、本書が岩波新書という比較的「アッパー」な読者層を対象としており、学術的な質を落とすことの無いスタイルゆえに平易な書物ではないのも事実です。本書において、シングルマザーに焦点を当てた書評が少ない気がするのも、これと無関係なことではないのかもしれません。

これはシングルマザーに限らず、労働社会問題を論じた書物には共通につきまとう問題なのかも知れません。

2010年3月 1日 (月)

高木郁郎先生の「仕事と家庭の両立へ」

以前私の講演が載った雑誌『月刊マスコミ市民』の3月号に、高木郁郎先生が「仕事と家庭の両立へ-民主党政権の課題」という講演録を載せておられます。わたくしのと同様、現代社会民主主義研究会での講演です。

高木先生は、最近、OECDの『Babies and Bosses』を『仕事と家庭生活の両立』として監訳されています。OECDがどうとか知ったかぶりする人が、この本や私が監訳した『日本の若者と雇用』などをどこまできちんと読んでいるのか、まことに心許ないところですが、まあ、それはさておき、この文章の中から、いくつか重要な一節を引用しましょう。まずは、セーフティネットについて、「ワークフェア型の生活保障」を主張します。

>セーフティネットを作らなくてはならない一方で、障害や高齢などの条件を考慮しながら、「働いている」ことを基本に制度を考えるべきだと思います。生きている人間は、自律的に暮らしをしていくこと、仕事を通して社会に参加していくことが基本にならなければなりません。また、マクロ経済との関係でも、「働く」ということが国民総生産をのばして、それが生活給付や年金、雇用保険などの財源を保障するわけです。今まで厚生労働省は、お金が足りなくなれば給付の金額を下げるか負担を増やすという「足し算・引き算」の単純なレベルの考え方でした。しかし国際的な議論は、できるだけ就業する人を増やすことによって皆に負担を求めていく考え方です。ネットに引っかかればいいのではなく、ネットから、できる限り、通常の仕事の世界に戻っていくというワークフェア型の生活保障です。

>・・・民主党のマニフェストには、このワークフェアの考え方がきっちり出ていないのです。今日のテーマとも関わりますが「子ども手当がいいかどうか」という議論をする上では、この点は非常に大切です。「子ども手当を給付しますから、自宅で育児をしてください」という議論につながってしまう可能性もあるわけで、それではワークフェア型ではありません。どういう社会を創るのかに関して、「多段階のセーフティネット」とワークフェアという考え方が、民主党のマニフェストにきっちり描かれているとは思えないのです。

>民主党のマニフェストにある「コンクリートから人へ」の「人への投資」はとても重要な観点です。人への投資は、人々が人とのつながりと基本的には仕事を通じて社会に参加する能力を高め、ひいては国民経済生産性を高めるわけで、このことを象徴するスローガンとしての「コンクリートから人へ」非常にいいと思っています。しかし、「人って何ですか」という論議が欠如している、といわざるを得ません。・・・結果として、子ども手当に見られるようにお金がありさえすれば何でも解決してしまうという考え方であるとすれば、私はとてもまずいと思います。

>・・・私は、お金で給付するよりも社会サービスをしっかりと行うことが、とても重要だと思っています。所得を保障するのではなくサービスを保障することでセーフティネットを作る考え方ですが、民主党のマニフェスト全体を見ると、どうしてもお金中心の発想から抜け切れていないといわざるを得ない。

ここではベーシックインカムという言葉は出てきていませんが、まさに宮本太郎先生のいうアクティベーション政策の立場からの、金銭給付絶対主義への痛烈な批判です。

それから、「ナショナルミニマムを解体する危険な分権論」への批判も激しいものがあります。

>また私が見えてこないのは、マニフェストで使われている「地域主権」という言葉の中身です。私は、この言葉は非常に危ないと感じています。・・・最近の「分権推進委員会」の論議や提言を見ていると、ナショナルミニマムを解体する方向性を非常にはっきり出してきています。

>・・・「ミニマムすらやらなくしてもいいから地方に権限を与えろ」という無責任な丸投げ分権論の流れが進む中、民主党が分権論をそう考えているのかがよく分かりません。国の責任を解除した分権論になっているのではないかという気がしてなりません。

以下、OECDの見解を踏まえて、仕事と家庭の両立についての議論が展開されます。

>国際的な大きな流れを見ると、子育てのすべてを現金給付で支援するのは適切ではないと考えられます。現金給付の半分でも全部でも、保育サービスに振り向けるよう提案します。ワークフェアの観点からは、そのくらい思い切った政策が必要でしょう。

>子育ての段階で年齢に従っていろいろなコストが発生します。同じ年齢の子どもに対しては普遍的に、同額あるいは同じサービス給付をすべきですが、年齢を重ねていく子どもにも同じでいいかどうかは、論議が必要だと思います。・・・1歳までの育児休業期においてはすべての対象に対してその期間の賃金を保障する額の高い現金給付を行い、1歳を超えたときはサービス給付に切り替え、さらに義務教育に入った場合は別の水準を用意するというように、子どもの発達に応じた給付のあり方を考える必要があります。

最後のところで、マスコミへの厳しい批判も展開されています。

>最近、腹立たしい思いを強めているのはマスメディアの報道ぶりです。名指しでいわせていただければ、特に劣化が著しいのが「朝日新聞」だと思います。日本を良い社会にしていくための建設的なリード役になるような記事や解説は見あたらなくなりました。両立問題に関しても、あるのは財政にどう響くかという観点だけです

(参考)

『マスコミ市民』昨年11月号に掲載されたわたくしの「雇用システムの再構築へ-民主党政権の課題」はここに載せています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/mascom0911.html

福祉的就労分野における労働法適用に関する研究会報告書

日本障害者リハビリテーション協会のサイトに、「福祉的就労分野における労働法適用に関する研究会報告書」が全文アップされました。

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/hikaku/matsui091130/index.html

「はじめに」から問題意識に関わるところを引用すると、

>現在わが国には一般雇用が困難な障害者を対象とした授産施設や小規模作業所などで20万人近くの障害者がいわゆる福祉的就労に従事している。これらの施設の多くは、最終的には一般就労を目標とした支援サービスを提供していながら、現状では一般就労に移行できる障害者はごく限られており、大部分の障害者はそれらの施設が長期にわたる就労の場となっているのが実態である。

2006年4月に施行された障害者自立支援法では、これらの授産施設や小規模作業所などを、一般就労への移行を支援する就労移行支援事業と一般就労への移行が困難な障害者を対象とした就労継続支援事業(雇用型と非雇用型。雇用契約があり、労働法が適用される雇用型利用者は、約3千人で、福祉的就労者全体のごく一部を占めるにすぎない。)などに再編整備することが意図されている。

厚生労働省が2006年度実施した実態調査では、就労継続支援事業(非雇用型)の利用者の平均工賃(月額)は約1万2千円ときわめて低額にとどまっている。そうした実態を踏まえ、2007年12月25日に障害者施策推進本部で決定された障害者基本計画の重点施策実施5か年計画(2008~2012年度)において、2011年度を目標年度に工賃倍増計画が示されるなど、これまで以上に福祉分野における就労対策の強化が図られようとしている。現在のところ就労継続支援事業(非雇用型)利用者には、基本的には最低賃金を含め、労働法は適用されていないが、就労対策の強化に関連して、福祉分野における労働保護規制のあり方に対する検討ニーズが高まっている。さらに、国連・障害者権利条約の批准に向けて障害者雇用・就労にかかる関係法制度の見直しが求められているところである。

本研究は、こうした福祉的就労分野、とくに障害者自立支援法に基づく就労継続支援事業(非雇用型)の利用者の就労実態の把握を通じて、福祉的就労の現状の問題点を明らかにするとともに、労働法適用の可能性、またはそれにかわる法的保護のあり方について、この研究の一環として行う欧米諸国における関連法制度などの調査結果も参考にしながら、国内法制度整備に向けた提言としてとりまとめることを目的に、実施したもので、研究会は、2008年9月から2009年7月まで9回にわたり開催された。

本報告書は、研究の成果をとりまとめたもので、第1章福祉的就労における労働保護上の問題点、第2章諸外国における「福祉的就労」分野における労働保護法の現状と動向、第3章今後の課題と方向、及び付属資料から構成される。

本来であれば、第3章で研究会としての結論を統一見解として提示すべきところであるが、1年間という限られた研究期間のなかで、それをまとめるまでにはいたらなかった。その意味では、本報告書は、中間のまとめとして位置づけられるよう。本報告書を参考に、さらに深く掘り下げた研究が引き続いて行われ、その成果をベースに、わが国における福祉的就労問題の解決に向けて、実効性のある政策提言ができるだけ早期にとりまとめられることを期待したい。

ここにもあるように、国連障害者の権利条約との関係でも、障害者の福祉就労の問題に正面から向かい合う必要性は高まってきています。

目次は以下の通りです。わたくしの知人たちも何人も参加していますが、どの論文も大変興味深いものばかりです。障害者と労働法というテーマに関心のある方は、是非ご一読を。

はじめに
第1章 福祉的就労における労働保護上の問題点
第1節 わが国における福祉的就労に関する制度と就労状況(佐藤 宏・古田 清美)
第2節 福祉的就労の現場からの問題提起(出縄 貴史)
第3節 「福祉的就労」に関する経済政策的観点からの考察(金子 能宏)
第4節 福祉的就労者に対する労働関係法規の適用について(池添 弘邦)
第5節 障害者就労政策-福祉政策と労働政策の本格架橋をいかに実現するか(岩田 克彦)
第6節 障害者権利条約との関連と問題点(松井 亮輔)
第2章 諸外国の「福祉的就労」分野における労働保護法の現状と動向
第1節 米国(長谷川 珠子)
第2節 イギリス(寺島 彰)
第3節 フランス(永野 仁美)
第4節 ドイツ(渡邊 絹子)
第5節 オランダ(廣瀬 真理子)
第6節 スウェーデン(朝日 雅也)
第7節 オーストラリア(中川 純)
第8節 EU(引馬 知子)
第9節 各国の「保護雇用」分野における労働法適用に関するアンケート調査の結果概要(松井 亮輔)
(附)アンケートによる各国の概要一覧表
第3章 今後の課題と方向
第1節 国際動向からみた福祉的就労分野の今後の課題と方向(松井 亮輔)
第2節 福祉的就労の実態に応じた労働保護法分野別の検討(佐藤 宏)
第3節 福祉的就労分野での労働法適用拡大に向けた3つの選択肢(岩田 克彦)
第4節 「働く権利」の視点からみた福祉的就労分野での労働法適用問題(朝日 雅也)

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