水町先生のめざすのは白亜の大殿堂ではなく、焼け野原
水谷研次さんの「シジフォス」で、水町勇一郎先生の「労働法改革」に絡めて、わたくしの議論に対するある方の見方が紹介されています。
http://53317837.at.webry.info/201002/article_13.html(時折にじみでる水町先生の本音が面白く)
>ともかく、先日、関ブロ労委労協総会で濱口桂一郎先生の講演を聞いた同僚によれば、「水町さんの方が分かり易かった…やはり大学の先生だからかな…」だそうである。ちなみに元・東京都労政事務所の元委員は、厚労省だというだけで濱口さんに予断をもっていたのか、「あんなにけんか腰で批判をしなくてもいいのに…」と怒っていた。
はあ、わたくしが「けんか腰」になるのは、たぶん既存の労働組合にまだ期待しているからで、そこの所はおそらく水谷さんの言うように、
>私としては、実は水町先生の方が、本音では既存の労働組合に失望していると思えるのだが…。
水町理論は、アカデミックな労働法学者としてはわりとオーソドックスなものだと思いますが、それをまともにやると、現在の企業別組合の存立の余地はなくなるというのが、『労働法改革』で労使双方が反発している最大の理由なんですね。
>水町先生のめざすのは白亜の大殿堂ではなく、焼け野原かもしれず、そこから再生が始まるのかもしれない。
もちろん、本来あるべき姿の集団的労使関係を構築するためには、いったん焼け野原にして『集団の再生』という白亜の大殿堂を築き上げるのが一番すっきりするわけですが。
なまじ、今の企業別組合を出来るだけそのまま生き残らせて、それを包括的な労働者代表システムとして活用しようという、連合の労働者代表法案の考え方に忠実にものごとを考えれば考えるほど、言葉尻としては、労働組合の方々に対して厳しい言葉をぶつけているかのように見える、というのはパラドックスなんでしょうか。それとも当たり前のこと?
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