地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる 実録版
1月12日付の本ブログのエントリ「地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる」で、毎日新聞の記事をもとに紹介した湯浅誠氏の悩める発言が、「すくらむ」というブログでほぼ逐語的にアップされていました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-6d5f.html(地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる)
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10446403104.html(湯浅誠さん「厚労省の貧困・困窮者支援チームやナショナルミニマム研究会は政権内野党」)
湯浅誠氏自身の言葉で、「地域主権」「地方分権」がいかに問題の多いものであるかが赤裸々に語られていまして、ナショナルミニマムなんてことは何も考えずに、地方分権って進歩的でかっこいいとか思いこんでいる総論だけの空っぽな人々が熟読玩味する値打ちがあります。
>しかし、いまナショナルミニマム(政府がすべての国民に保障する最低限度の生活水準)は、「地域主権」「地方分権」という流れの中で、軽視されています。最近では、地方自治体の仕事の内容や方法を国が定める「義務づけ」をはずすという流れの中で、保育所の最低基準を無くそうとする動きなどが出ています。
民主党の政策の中で、いちばん違和感を持つのはこの「地域主権」「地方分権」です。「新自由主義」「自己責任論」が地方にも押しつけられて、地域間の格差が広がったという問題を是正しなければいけないのに、そこを十分ふまえずに「地方分権」をさらに進めていけば、ナショナルミニマムは一層壊され、国民の暮らしはたちゆかなくなります。たとえば就学援助は、小泉政権の「三位一体改革」で地方に財源移譲された結果、財政の厳しい自治体ではどんどん減らされてしまいました。そういうことが他のいろんな施策でも起こりかねません。
国民の最低限の生活を保障するナショナムミニマムについては、国が責任をきちんと持った上で、その上乗せ部分を地方自治体が独自にやる方向でなければならないと思います。国と地方自治体との関係はそういうかたちにしていくべきで、ナショナルミニマムを壊すような「地域主権」「地方分権」は進めるべきではありません。
>内閣府参与という私の肩書きは、単なるアドバイザーで何の権限もありません。ただ、実際に中に入っていろいろ意見を言ってみて初めて分かったこともあります。中に入るまでは、貧困対策は、政府のやる気の問題だと思っていました。政府さえやる気になれば貧困対策はある程度実現できるのではないかと思っていました。しかし、中に入ってみて、もっと構造的な問題があるということが分かりました。雇用が流動化しているのに、セーフティーネット、福祉サービスは自治体単位だという構造に問題があるのです。この構造上の問題があるから、生活困窮者はその狭間に落とされてしまう。この構造上の問題に手をつけないまま、今回の年末年始のように何か対策をやろうとすると、いろんなところでハレーションを起こし、批判にさらされることになります。
>住居はとても大切なのですが、日本ではずっと持ち家政策がやられてきて、「住居は自己責任」であり、公的住宅も圧倒的に少ない。基本的に日本には、低所得者層の住宅政策は存在しません。貧困の広がりの中で、臨時的にも公的シェルターが必要なのですが、これも国と地方自治体の問題があり暗礁に乗り上げてしまう。この問題も「地方分権」という流れがつくられていて、地方単位で住宅計画をつくるというような枠組みがあり、国として直営でというわけにいかない流れになってしまっています。
>この年末の対策として、ハローワークと自治体などの職員が1カ所に集まり職業訓練と生活支援の相談を受けるワンストップサービスを全国204カ所で実施しました。私はこの中で、生活保護の受付もできるようにしたいと思いましたが駄目でした。生活保護費は国が4分の3、地方自治体が4分の1を負担しています。ワンストップサービスで、生活保護の申請まで受け付けたら自治体の負担が増えてしまう。申請者の掘り起こしになって負担を増やしたくないから、ワンストップサービスで窓口を設けたくないというわけです。生活保護も受け付けるなら協力できないと地方自治体から言われた厚労省や政権側も、結局「地方分権」の流れの中で「国が自治体に命令できる時代ではない」として動こうとはしなかったのです。生活保護の受付はできませんでしたが、今回のワンストップサービスをハローワークで実施できたのは、全国にあるハローワークが国の行政サービスだったからではないでしょうか。
国民の最低限の生活を保障するナショナムミニマムの取り組みにあたっても、国というのはこんなにも力が無いものなのかと思いました。「地域主権」「地方分権」の流れの中で、国は手足である「国の出先機関」を失っていっているのです。
こうした「地域主権」「地方分権」の流れの中で、ナショナルミニマムをどうやって実現していくのか。手をこまねいてばかりもいられないので、この問題を整理してみようというのが「ナショナルミニマム研究会」の目的にひとつです。また、生活保護の捕捉率(生活保護の受給要件を満たす世帯がどれだけ実際に生活保護を受けているか)についても政府として発表する予定で、これも自公政権から考えると画期的なことではあります。
しかし、「貧困率の削減目標」を政府として立てるというところにまで、今の民主党政権は合意が取れていません。私が担当している厚労省の「貧困・困窮者支援チーム」や「ナショナルミニマム研究会」は、いわば「政権内野党」のような状況にあると思います。
付け加えるべきことはほとんどありません。
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