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2010年2月

2010年2月28日 (日)

松井保彦『合同労組運動の検証-その歴史と論理』

松井保彦さんから、『合同労組運動の検証-その歴史と論理』をお送りいただきました。

松井さんは長く全国一般の委員長として中小企業労働運動で活躍された方で、中基審や中労委の労働側委員として労働行政でもおなじみですが、本書は半世紀以上前の総評の中対オルグ設置から全国一般が形成されていく過程から始まって、日本における合同労組運動の歴史を再検証するとともに、その日本の労使関係に対して有する意義を論じた書物です。

読みどころとしてはやはり、松井さん自身も含む若きオルグたちが各地域で組織化に取り組んでいくあたりの描写でしょう。

>松井 要求の組織化では、最初に手がけるのは賃金問題とは限らない。そこの会社の条件にもよるが、労働基準法の実施ということが案外多い。

西田 そう、広い意味で「権利意識」を持たせるということが中心になる。賃金問題を最初にぶつけることもあるが、一般的には、なんとしても権利意識を目覚めさせることだ。・・・

松井 労働者との話のきっかけは、寝泊まりの条件や仕事とこととか、昼休み時間、夜の時間の過ごし方といったような雑談から始めて、その中からいろんな不満や悩みを引き出し、少しずつ組合の話に織り込んで、そこから要求を決めていくというのが、実際のやり方です。だから、どの要求が最初とは決められないんですよ。

西田 中小企業労働者の問題は、なんといっても”流動性”があるというか、不安定といえる。・・・この場合、組合ができると定着率がきわめてよくなる。”10円向こうが高いから移る”という感覚が薄れていく。組合ができたことで労働者が相互に交流し、その話し合いの中から自信のようなものを作り出しているんですね。

後半はどちらかといえば理論編。50年代から60年代にかけての合同労組が登場していった時代に、石川吉右衛門先生がその法的認知のためにサポートしてくれたという話は、あまりきちんと伝わっていない話のようにも思います。

>・・・そして、”合同労組の法的地位の確立”への発展は、石川先生の合同労組の実態と法理の究明によって確立されたといっても過言ではない、と私は確信しています。先生は、「労働組合法の制定当時に存在していなかったのだから、それをしてなかったからだめというのではない。つまり社会現象だとすれば、そこから発展したものじゃないか。発展したものに、今ある法律をどのように適合させるべきかということで考えなければいけない」と、当時の頑迷な労使関係者と学者に対して、啓発・忠告のような言葉があったことを付言しておきます。

やや通り一遍に聞こえるかも知れませんが、松井さんの最後のことばを引用しておきます。

>・・・すべての労働者とその家族が、現在も将来も安心して生活するための憲法27条(勤労権)に基づいた「権利と待遇の機会均等」が保障されなければなりません。

そのためには、これらの具体的課題を自らの任務とし、また日本の労働運動に責任を持つ連合がその推進に全力を挙げることです。そして連合構成組織のすべてが「未組織労働者の組織化」に立ち上がることこそが、新たな日本の労働運動の幕開けです。

これと、巻頭の菅野和夫先生の「刊行に寄せて」の最後の言葉とが、響き合っています。

>労働組合組織率の長期低下傾向に現れているとおり、正社員のみを組織する企業別組合の限界は誰の目にも明らかになっている。他方、今日の日本の経済社会には労働問題があふれており、組合運動にとってはむしろ好機到来の状況に見える。展望を拓くには組織化への本格的取り組みしかない。中小企業労働者の組織化を目指した総評中対オルグの歴史の検証は、今日的な意義を持っているといえよう

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2010年2月27日 (土)

「死ぬ気で仕事をしろ」と「葬式はいやだなあ」の間

yellowbellさんの「背後からハミング」に、その昔労使懇談会のときに実際に遭遇した話が載っています。そのやりとりがあまりにもリアルなので、思わず全文引用してしまいます。

http://d.hatena.ne.jp/yellowbell/20100225死ぬ気と擬音と二つの葬式

>営業部長「上半期スタートは極めて低調で、来月までに取り返しておかないと夏のボーナスは出ない」

書記長「巻き返しのための具体的方策はあるのか」

営業部長「それは君たちが死ぬ気になってもらうしかない」

委員長「前期の追い込みで現場の疲労はたまっている。死ぬ気と言うが、本当に従業員が過労死すれば企業にとってダメージになる」

総務部長「大げさだ。あの程度の働きで死ぬことはない。まず死ぬ気を出してから、死にそうだと言ってもらいたい」

書記長「話が抽象論になっているが、再度聞きたい。巻き返しのための方策はあるのか」

常務「それは、とにかくドンドンやればいい」

書記長「? 何をやるのか」

常務「だから、仕事をドンドンやるんだ」

書記長「?? 具体的にどうやるのかという話だが」

常務「具体的には、ガンガンやるんだよ」

書記長「それがどのようなものであるのかを聞いている。営業部長に聞くが、ガンガンやるとは具体的にどういう方策なのか」

営業部長「死ぬ気で仕事をしろということに尽きる」

委員長「埒が明かない。全力で仕事をするにしても、どこに向かって力を出せばいいのか」

常務「だから、そこをガンガンやればいいんだ」

書記長「??? そことは、どこ?」

常務「方策をだよ!」

社長「…葬式はいやだなあ」

一同「は?」

社長「前の会社のときにね、従業員が亡くなったんだよね。キャンペーンの後だったからね、過労だって話も出てさ」

社長「労基署は入らなかったんだけど、自宅で突然死だったから労災にもしてなくてね。お葬式行ったんだけど、小さな子がいてさ。奥さんは泣きっぱなしで、ご両親も逆にご迷惑かけてって頭を下げるくらいだったんだけどねえ」

社長「ところが直属の上司が焼香に上がったら、奥さんがものすごい剣幕で『出ぇてけえぇ!』ってねえ…」

社長「それがさ。すごい声でねえ。美しい奥さんだったんだけど、そりゃあすごい声だったよ」

社長「それからしばらくしてさ。その上司の人が辞表を出してね。あのとき、受け取っとけばよかったんだけどね。受け取らなかった。お前のせいじゃないんだからって。そしたら、死んじゃったんだよ。これが、自殺でねえ」

社長「うわあまた葬式だ、と思ったら、今度はご家族が来てくれるなと言うんだね。そういうわけにもいかないから、大げさにならないように個人でっていうことで伺ったんだ」

社長「いざ、会場になってる自宅に行ったら、うちの花輪が放り出されててねえ。参列の人も、気にせずにそれを踏みつけてて、ああ、これは本当に来ちゃいけなかったんだって、門前で手を合わせて帰ったよ」

社長「そんとき思ったね。従業員が死ぬようじゃだめだよーって。死ぬような働かせ方は、その時の関係者に一生祟るんだ。僕はあれ以来、会社関係の葬式に出るのが怖いもん」

社長「だからねえ。組合員が死なないように、頼みますよ委員長」

委員長「…こちらこそ、従業員の健康に配慮をした人員配置をお願いします」

社長「それは追々。とりあえず、死ぬ気でやるのはない方向で行ってください。発破をかけるなら、ドンドンとかガンガンの方がいいね。真に受けてもうるさいだけで人は死なないだろうし」

委員長「では、今の段階では、ドンドンとガンガンで納得しておくことにします」

書記長「…本労懇は団交前でもあるので報告書に書く必要があるが、ドンドンとガンガンはひらがなで?」

常務「カタカナにしておいて。あくまでも状況は厳しいんだから」

もちろん、状況は厳しいので、「ドンドン」「ガンガン」と発破をかけるのは仕方がないけど、「死ぬ気でやれ」と云って、本当に死なれてしまうと、目覚めが悪いだけでは済まないこともあるわけで。

もちろん、必ずしも「死ぬ気で働くと本当に死ぬ」とは限らないけれど、

http://d.hatena.ne.jp/skicco/20100220/p2(死ぬ気で働くと本当に死ぬから)

労務指揮権を有する使用者がその雇用する労働者に向かって言うべき言葉ではない、ということでしょう。

ちなみに「今の段階では、ドンドンとガンガンで納得しておく」という労組委員長の言葉が一品。

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2010年2月26日 (金)

『POSSE』第6号でhamachanも槍玉に!?

Hyoshi06_2 ちなみに、『POSSE』第6号の匿名座談会では、わたくしhamachanも槍玉に上がっています。

>『現代の理論』の濱口桂一郎さんの民主党マニフェスト評は専門家らしくさすがと思うのですが、彼は労働規制に対しての立場が微妙なんですよね。労働の現場を知っているから単に解雇規制緩和しろなんてことは絶対言わないのですが、雇用の流動化については、雇用規制よりもセーフティネットを重視しています。製造業派遣の禁止に反対ですし、そういうところに弱点はあると思います。

ふむ、そこを「弱点」と言われると、山のように反論がありますが、そこは拙著をお読みいただくと言うことで。

この座談会での評価はこういうことで、まあそんなところかな、と。

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『POSSE』第6号がベーシックインカムを完全論破

Hyoshi06 さて、お送りいただいた『POSSE』第6号ですが、ベーシックインカム論に対する批判がいくつかの文章に書かれていて、本誌の一つのスタンスを示しています。

まず、錦織さんが次の論考で、ベーシックインカムが人々の生活保障を切り崩す圧力になる可能性すらあることを説得的に論じています。

●錦織史朗(大学院生)
  ベーシックインカムが使えない4つの理由
  推進派が陥りがちな新自由主義の罠…
 
そしてベーシックインカムが生存を保障しない根本的理由
  そこで労働はどのように歌われていたのか?

いろんな論点がありますが、「ベーシックインカムは生存を保障しない」では、急病やけがで急な支出が必要になったとき、医療の現物給付制度がしっかりしていれば必要な医療サービスを受けることが出来るが、現物給付を廃止してBIだけになると、アメリカのように、個人破産者の半数が高額医療費負担のために破産するような社会になると説得的に説きます。こういうことに対する想像力が欠けているのがBI論者なのでしょう。

それから、

●若手研究者匿名座談会
  マスコミがスルーした民主党改革の新たな「利権」
 
メディアが民主党を新自由主義に引っ張っている!?
  民主党政権を特集した雑誌を座談会で辛口批評!

という匿名座談会でも、ベーシックインカム論がやり玉に挙がっています。上記論文での論点とともに、こういう批判の仕方も面白いものでした。

>でもそれは極端にいえば、金を与えて、あとはパチンコ屋って首くくって死のうがそれは個人の自由、というのが正しい世界だということにもなっちゃう。

>それと、BI派って文化左翼に結構いるんですよね。彼らにとっては、最低限暮らせる金が与えられれば、あとの残った時間でクリエイティブなことを出来る奴がたくさん出てきて、面白い社会になるからいいというロジックですよね。東浩紀もそういうのに乗っかっています。いろんな所から野合しているんですね。飯田さんと雨宮さんの対談でもBIでは意気投合しています。

そして、もちろんいうまでもなく、特集記事の冒頭の宮本太郎先生のインタビュー「持続可能な生活保障の戦略は、アクティベーションしかない」も、民主党の政策に対して、こう述べています。

>どうしても子ども手当のような、行政を回避する家計直接給付型のBI的な所得保障が優先されてしまいます。

>こうしてBI型が前面に押し出される一方で、公共サービスの拡充が後景に退いてしまっています。

上記匿名座談会では、

>そういうことも全部踏まえて上で、『POSSE』でも全国民一律のBIで全部解決みたいな話にきちんと反論する特集出すべきですよ(笑)。

という発言がありますが、今号自体がその前夜祭みたいな感じですね。

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『イギリス労働法の新展開』

4792332656 「石橋洋教授 小宮文人教授 清水敏教授 還暦記念」の論文集、イギリス労働法研究会編『イギリス労働法の新展開』(成文堂)をお送りいただきました。ありがとうございます。

この論文集、コリンズやディーキン&ウィルキンソンらの労働法理論から、労働党政権によるさまざまな法政策の分析まで、幅広く取り扱われています。成文堂のHPに大変詳しい目次が載っていますので、それを引用しますと、

はしがき
第1部イギリス労働法の新たな理論動向………………1
第1章イギリスにおける新たな労働法パラダイム論
―H. Collinsの労働法規制の目的・根拠・手法論
………………………………………………………唐津博…2
第2章イギリス労働法の新たな動向を支える基礎
理論と概念
―システム理論,制度経済学,社会的包摂論,
Capability Approach― ……………………石田信平…36
第3章イギリスにおける被用者概念の新たな展開
―労働法の適用対象画定における当事者意思の取扱いに
ついて―………………………………………岩永昌晃…66
第2部イギリス労働法制の整備と進展…………………87
第4章イギリス労働法制の検討と分析
……………………………………………………小宮文人…88
第5章イギリスにおける最低賃金制度と稼働年齢
世帯への最低所得保障……………………神吉知郁子…127
第6章1998年公益情報開示法をめぐる裁判例の動向と
運用状況
―1998年公益情報開示法制定から10年を経て―
……………………………………………………國武英生…169
第3部イギリス雇用契約論の新たな展開………………191
第7章労働関係の変容とイギリス労働法理論・
雇用契約論の展開…………………………有田謙司…192
第8章コリンズの雇用契約論
―雇用契約の意図的不完全性とデフォルトルールを中
心として―…………………………………石橋洋…207
第4部イギリス労働法の新たなキー・コンセプト
……………………………………………………………………227
第9章ニュー・レイバーの労働立法政策とその特質
―現代イギリス労働法のグランド・デザインと規制対
象・方法の分析のために―……………古川陽二…228
第10章労使関係における協力とパートナーシップ
―コリンズの示唆するもの……………………清水敏…260
第11章 職場における人権―シティズンシップの一内容
……………………………………………………藤本茂…274
第12章社会的包摂と差別禁止法…………………長谷川聡…297

労働法理論についていえば、たとえばコリンズの理論がルーマンの社会学に基礎を置き、ディーキン&ウィルキンソンの理論が制度派経済学に基づいているというような、労働法と社会諸科学とのよきつながりがイギリス労働法には見られるのは興味深い点です。

また、全般にわたって、EU労働法の影響がきわめて大きいということもよくわかります。

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2010年2月25日 (木)

『POSSE』第6号に後藤和智さんの新連載

Hyoshi06 新たなヴィジョンを拓く労働問題専門誌『POSSE』第6号をお送りいただきました。

http://www.npoposse.jp/magazine/new.html

特集は「ちゃんとやれ!民主党」で、宮本太郎先生をはじめとする方々が登場していますが、それはちょっと先送りにして、後ろの方の新連載-というより連載開始の予告みたいなものを紹介しておきます。

>●後藤和智
  新連載 検証・格差論 連載第0回 連載開始に寄せて
  ―擁護論の先鋭化を超えるために―

『お前が若者を語るな!』の後藤和智さんが、さっそく増山麗奈氏や杉田俊介氏、それを持ち上げる鈴木英生氏といった面々をぶった切っていますが、まあ、それは例のトンデモ鼎談の続きみたいなものですが、最後のところで、次号の連載第1回の予告が載っています。

>次回、第1回は「城繁幸-暴走する「昭和的価値観からの脱却」」をお送りします。

その前のやや一般論的な記述として、後藤さんはこう語っていますが、

>「ロスジェネ」論に限らず、現代の雇用や労働をめぐる言説、その中でも若年層に「希望」を与えると豪語する言説の多くは、若年層に救いの手をさしのべているように見えるが、実際にはかなり能力の高い若年層しか救われない、もしくは特定の思想的傾向を持った若年層しか救わないものが多い。また、一見社会について論じているように見えるが、実際は自らの願望を社会や若年層に投射しているだけの「批評」的言説も盛んだ。だが、そのような言説が社会に資することはないだろう。

全く同感です。「お前が若者を騙るな!」ってところですね。

(追記)

匿名座談会の方でも、城繁幸氏に対して、次のような評言がされていて、なかなか的確です。

>・・・城は正社員の解雇規制の撤廃で雇用も経済成長もすべて解決するという単純な論法で笑えました。城はある種のロマン主義、新自由主義的ユートピアですよね。立ち位置としては右派の城が「ウルトラCにかけたい」と「革命」を叫び、左派の湯浅が「そんなに単純じゃないよ」といさめるという面白い構図。これも含めて『東洋経済』は面白かった。

>編集者の問題設定が上手かったんだろうね。これで城さんの底が割れた気がする(笑)。ネオリベラリストって改革勢力という立場をとりたがる人たちで、ある意味革命思想的な、左派の悪いところを正当に受け継いじゃってるとも言えるわけだけど、まさにそんな感じだったなあ。

あの対談の載った後、東洋経済の風間さんが、まさにそういう意図だったと言ってましたが、まさにドンピシャ大当たりというところですか。

(参考)

その対談を取り上げたエントリ:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-9f6e.html(湯浅誠氏が示す保守と中庸の感覚)

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/posse-f863.html(『POSSE』第4号つづき)

座談会「「ニート論壇」って言うな! ~「セカイ系」化する論壇か、論客の「精神の貧困」か~」

杉田俊介(有限責任事業組合フリーターズフリー)×増山麗奈(超左翼マガジン『ロスジェネ』編集委員)×後藤和智(『おまえが若者を語るな!』著者)

の紹介です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_f542.html(後藤和智『「若者論」を疑え!』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-13ec.html(城繁幸氏に関する後藤和智さんの批判)

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これからの新たな雇用システムとは何か

独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構が発行している高齢者雇用のための月刊誌『ELDER』(エルダー)の3月号が、「」70歳雇用時代の新たな雇用システムを考える」という特集を組んでおりまして、

わたくしは「これからの新たな雇用システムとは何か」という文章を寄稿しております。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/elder1003.html

(1) 日本型雇用システム
(2) 高齢者は非正規でなければならないか
(3) 賃金制度の再検討
(4) 外部労働市場の形成
(5) 教育訓練制度

と、包括的にこの問題を論じております。

わたくしの他には、

雇用流動化時代の労働市場はどう変わるか   武藤泰明

70歳雇用時代に向けての賃金の考え方  幸田浩文

これからの職業訓練のあり方  田中萬年

といった文章が並んでおりますが、田中萬年さんのは、「普通教育に隠された問題」とか、「職業訓練と教育の融合」とか「企業の人材育成の公的認証」とか「職業資格と連動した人材育成」といった内容で、例によって萬年節に溢れています。これは是非読まれる値打ちがあります。

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ジョブ型正社員の構想

『労基旬報』2月25日号の「人事考現学」に、「ジョブ型正社員の構想」という文章を寄稿しました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo0225.html

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ゴードン名著の翻訳

ふらふらと金子良事さんのブログを眺めていたら、

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-117.html(二村先生から受けたアイディア)

>ゴードン先生の訳をされているお話を実は私、知りませんでした。

とあり、えっと思って、著作集を見に行ったら、今年の年頭あいさつで、

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/diary19.html

>アンドルー・ゴードンの著書The Evolution of Labor Relations in Japanの翻訳作業に集中していたため・・・

>まだ完全に訳し終えていませんが、本文はほぼ完了しましたので・・・

という記述を発見。

なんと、もっとも訳されるべきでありながら翻訳のないままであったあの畢生の名著がいよいよ(二村先生の訳によって)日本語として出るのですね。

これで、アンドルー・ゴードンといえば、レッドソックスと松坂大輔の評論家だという誤解も解けるでしょう(冗談です)。

金子さんは

>私は学部の頃、小池先生にこの本を勧められ、最初に読破した英語の本がこれでした。懐かしい。しかし、日本の労働史をやっている研究者で読んでない人はいないという気もしますが。

と述べていますが、さてどうでしょう。「労働史をやっている研究者」をそれ専攻の人ととらえればそうかも知れませんが、その母数は多分とても少ないはずです。労働に関わる研究をしている人となれば、かなりの数に上るはずですが、そのうちゴードン名著を読んだことのある人って、実は数えるくらいじゃないでしょうか。労働法にせよ、労働経済学にせよ、人事労務管理論にせよ、たぶん、あんまりゴードン名著は読まれていない感じがします。わたしはその辺が結構気になります。

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2010年2月24日 (水)

近代日本の労働法政策と政権交代の影響

Is 日本人材マネジメント協会というところが出している『JSHRM Insights』という非売品の雑誌の2010年2月号に、「近代日本の労働法政策と政権交代の影響」という文章を寄稿しました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jshrminsights.html

例によって、労働法政策の内部志向になったり外部志向になったりという流れを概観したものです。

1 日本における20世紀システムの形成
2 「近代的」を目指した時代
3 内部労働市場志向の時代
4 個人志向と市場志向の時代
5 市場主義の終焉
6 民主党政権の課題

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横溝雅夫『人間の顔をした経済の復活-市場原理主義批判』

9784863060388 先日本ブログでそのエッセイを取り上げた横溝雅夫さんから、2年前に出版された『人間の顔をした経済の復活-市場原理主義批判』(産経新聞出版)をお送りいただきました。ありがとうございます。

その先日のエントリはこれです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-af17.html(横溝雅夫さんの非正規論)

本書の紹介は、版元の産経新聞出版のものですが、

>●構造改革は万能薬か? 「人間が主人」の経済社会に ケインズ的政策との統合を提言 
   規制緩和、民営化など構造改革を進め政府の介入を減らし、市場のメカニズムに任せて経済を活性化するという市場主義的手法。これに対し、果たしてさまざまな問題を解決する万能薬か、と疑問をなげかける。構造改革が必要な部分はあるとしながらも、市場主義の行き着くところ効率と競争により弱者切り捨て、格差拡大の社会ということになる。こうした行き方にケインズ的な政策による「人間が主人」の経済社会の構築が必要と、ケインズの再評価を説く。そして景気安定策や弱者救済のセーフティー・ネットの構築など、ケインズ的政策との統合を提言している。 
 
●日本型雇用システムのよさを生かせ 
   バブル崩壊後の大きな変化に対応できなかった日本経済。その原因のヤリ玉にあげられたのが日本型雇用システム。そして成果主義がもてはやされた。しかし、筆者は、長期雇用を中心とする日本型雇用システムは、雇用の安定により高いモラールが維持でき、技能の伝承なども行われなどのよさを評価。こうしたメリットに、長期的な見方で成果を評価する成果主義的手法を加え、非正社員の処遇を高め、高齢者の雇用を進めるなど、これからの新しい日本型雇用の構築を提言している。
 
●実務を手がけた元経済官僚のバランス感覚 
  著者は経済白書などを執筆する旧経済企画庁の調査課長をつとめ、広い立場で日本経済をみてきた。市場主義的手法、ケインズ的手法ともにバランス感覚のすぐれた筆致となっている。

第1部のケインズ復権論については、あまりきちんと批評することは出来ませんが、「はじめに」の次の一節に集約される考え方が最も重要であるように思えます。

>結局、市場主義とケインズ主義の違いは、経済社会の問題に対する取り組み方の姿勢にあるのではないか。市場主義者は、世の中の運営を市場メカニズムという無機質なメカニズムに委ねようとする。ケインズ主義者は、大きな流れは市場メカニズムをベースにするとしても、あくまでも主役は人間であり、人間生活を脅かすような結果をメカニズムがもたらすとするならば、人間がそれを補正する、というところがポイントではないかと気がついたのである。

また、第1部の最後のところのこの表現も味わい深いものがあります

>また、ものごとを簡単に白と黒に分けて黒を抹殺するというのではなく、多くのケインジアンがそうであるように、相対主義で、競争の土俵に上がれないような弱い人にもシビルミニマムは確保するし、意見が対立する問題も話し合いでよりよい方向に持って行く努力をすべきである。

確かに、世の中、「ものごとを簡単に白と黒に分けて黒を抹殺」したがる人がいっぱいいますからね。

第2部の日本型雇用システム論については、基本的な認識はきわめて共通していると思うのですが、わたくしの方が、

>日本型雇用システムの本質的問題は、それが男子正社員中心のシステムだというところにある(191頁)

という問題点を深刻に感じているというニュアンスの差があるかも知れません。横溝さんは、

>結論を端的に言えば、一つは正社員と非正社員の処遇は同一労働同一賃金(労働条件)の原則に合うようにすること、正社員になることを希望する非正社員は能力など正当な条件が満たされればそれを可能にする制度にすることに尽きよう。(225頁))

と述べられるのですが、それが日本型雇用システムの枠内でどこまで可能であるかについては、いささか疑問の余地があります。

同じ問題は、横溝さんが日本生産性本部の北浦さんと書かれた『定年制廃止計画』でも主張されていることですが、

>理想的には、アメリカがそうであるし、EUもその方向に動き始めたが、年齢で雇用を差別することを禁止し、定年制を違法にするべきである。

にも言えます。日本の雇用システムというのは、ある意味で根っこの所から年齢に基づいたシステムという面があり、それを否定することは、もはや日本型雇用システムの否定そのものなのではないか、と思われるのです。

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2010年2月23日 (火)

宮崎哲弥氏と勝間和代氏にケチをつけますが

4334035477 今をときめいておられる宮崎哲弥氏と勝間和代氏のささいな間違いにケチを付けます。

この本全体の趣旨に文句を付けようというわけではありません。しかし、本全体の趣旨が結構だからといって、細かいところでいい加減なことを書かれてもかまわないというわけにもいきませんのでね。

「第2章 デフレは百害あって一利なし」(章題はそのとおりですが)の93ページあたりから、

>(宮崎)しかし、その正常化策の一環として、たとえば安倍政権の下で2007年「ホワイトカラーエグゼンプション」の導入がアジェンダに載せられたことがありましたが、民主党を中心とする労組の支持を受けた勢力の強硬な反対にあって見送りとなりました。確かにあの法案に関しては政府側、厚生労働省側の説明に不明な点が多く、当時は私も反対したのですが、ああいった労働法政上の改革がまるで腫れ物に触るかのようにタブー視されるようになったのは、全く「羮に懲りて膾を吹く」の愚です。

>(勝間)それは労組の幹部たちが給料を減らされるのがイヤだから、「NO!」といったわけですよね。

いまをときめく売れっ子評論家の方々には、このとき、労働組合側が実際にどういう主張をしていたかなんてことをきちんと議事録に当たって確認するなんてことはするヒマはないでしょうし、当時私が『世界』や『エコノミスト』で論じたことも目に入っていないでしょう。

たぶん、「残業代ゼロ法案」という当時のマスコミのフレームアップとそれに踊らされた与野党の政治家の右往左往だけが記憶に残っていて、あとは「どうせ労働組合なんて輩は碌でもない奴らに違いない」という思いこみから、こういう根拠のない発言が口の端からこぼれてくるのでしょうね。

もちろん、この間違いは、本書全体の論旨には特に影響はありません。ここで宮崎氏と勝間氏が述べている放言にかかわらず、確かに「デフレは百害あって一利なし」でしょう。そして、この本を評価する多くの人々は、労働問題で些細な間違いを放言したからと云って、それが何か問題なのかね、というでしょうね。

しかし、そういうことの積み重ねが、労働問題に対する誤った世間の常識をますます固定化し、おかしな方向にもっていくことになるのです。些細なことですが、ここはきちんとケチを付けさせていただきます。

(参考)

正しい適用除外制度を歪めてしまったのは誰だ(『エコノミスト』2007年2月20日号)

>朝日新聞など一部の大手紙が、「残業代ゼロ制度」などと取り上げ、世論に敏感な政治家たちも、07年7月の参院選を意識して、一斉に否定的な発言を始めた。マスコミも政界も、大騒ぎの割には、制度の本質をきちんと理解して騒いでいるとは到底思えないところがある。

 冷静に考えてほしい。本誌を読んでいる多くのサラリーマンにとって、残業した時間に正確に比例して残業手当を支払わなければならないというのは、どこまで絶対的な「正義」と感じられているだろうか。

>ホワイトカラー・エグゼンプションに猛反対していると報道されている労働組合自身は、必ずしもこのホンネに反対しているわけではない。少なくとも民間企業の労働組合はこれまで成果主義の導入を受け入れてきている。労働組合としては、残業代を含めた総人件費を確保することが重要だ。

 では、労働組合はどういう理由で猛反発しているのだろうか。答申の当日に連合の古賀事務局長が出した談話に明確に述べてある。

 「労働時間に関する最大の問題は、長時間労働による過労死、過労自殺、メンタルヘルス不調など労働者の健康被害や、ワーク・ライフ・バランスの欠如である。にもかかわらず、労働時間規制を適用除外し時間外割増賃金を支払わない制度や企画業務型裁量労働制の業務制限緩和という、長時間労働を助長する法改正を行うことは認められない」

 ホワイトカラー・エグゼンプションは長時間労働を助長し、過労死や過労自殺をもたらすからけしからんのだ、というのが連合の公式見解なのである。

ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実(『世界』2007年3月号)

>ホワイトカラーエグゼンプションをめぐる最大の問題点は、マスコミや政治家のレベルにおいては、本来問題とすべきではないことが問題とされ、真に問題とすべきことが後ろに隠れてしまっていることである。

 以下順次説明していこう。多くのマスコミや政治家にとっては、ホワイトカラーエグゼンプションはサラリーマンから残業代を取り上げる制度であるがゆえに、慎重に対処すべきものであるらしい。ことごとに「残業代ゼロ」と言いつのる朝日新聞の編集部も似たような発想であろう。しかし、残業代がゼロであることはなにゆえに悪いことなのか、きちんとした説明がされたことはない。

>しかしながら、ここで正当性があるのは時間外手当支払い義務という規制の緩和であって、労働時間規制の緩和ではない。現在提起されようとしているホワイトカラーエグゼンプションの最大の問題点は、それが時間外手当の適用除外にとどまらず、労働時間規制そのものを適用除外しようとするところにあるのだ。労働基準法の条文で言えば、第37条にとどまらず、第32条及び第36条が適用されなくなってしまうという点に問題があるのである。どういう問題があるのか。生命と健康である。労働時間規制とはゼニカネのためのものではない。労働者の生命と健康を守るためにある。これ以上長時間働いては生命と健康に危険だ、というのが労働時間規制の最大の目的である以上、これを外すことには慎重でなければならない。さもなければ過労死や過労自殺が続出する危険性すらあろう。ところが、この最大の問題点は、審議会における労働組合側の主張では繰り返し提起されていたにもかかわらず、マスコミや政治は余り関心を持っていないようだ。

焦点は残業代ではない マクドナルド賃金訴訟の本質は長時間労働の規制にある(『エコノミスト』2008年3月18日号)

>原告は正しく主張していたのに裁判官自身が無造作に退け、マスコミもほとんど関心を持とうとしない点について。原告の主張の第一は残業代の支払いではなく、法定労働時間を超えて労働する義務を負っていないことの確認であった。お金ではなく、いのちと健康が最大の争点だったのである。・・・ところが、各紙とも一面の見出しは「残業代」のオンパレードである。いのちや健康は二の次のようである。

>しかし、健康を守るための労働時間規制とは切り離した上で、残業代という賃金規制に関してはもう少し柔軟な対応が可能であってもいいように思われる。これは、企業経営の立場から合理的だというだけの話ではない。これだけ長時間労働の弊害が叫ばれているにもかかわらず、物理的に労働時間そのものを制限しようという声が一向に広がらず、残業代というお金の問題ばかりが世間で論じられるという現状において、最大の被害者はいのちの問題をゼニカネでしか理解されない長時間労働者自身なのではなかろうか。いのちの問題をいのちの問題としてしっかり議論するためにも、ゼニカネの話は一旦切り離した方が望ましいと思われる。

4311940 http://homepage3.nifty.com/hamachan/iwanamimokuji.html新しい労働社会-雇用システムの再構築へ(岩波新書)

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水谷研次・鴨桃代『知らないと損する労働組合活用法』

20090212000124921 連合東京の・・・というかブログ「シジフォス」でおなじみの水谷研次さんから、鴨桃代さんとの共著『知らないと損する労働組合活用法』(東洋経済)をお送りいただきました。ありがとうございます。

あとがきによると、水谷さんと鴨さんはこれまでほとんど面識がなかったそうです。

>長引く不況で賃金や労働条件が厳しくなっている昨今、働く人々は労働組合をもっと活用すべきではないか。労働組合とは何か、加入・結成の方法や活動内容など、わかりやすく解説。

目次はこうですが、

PART 1 労働組合って何ですか?
PART 2 労働組合が働く人の強い味方であるワケ
PART 3 労働組合が力を発揮するとき
PART 4 知っておきたい! 団体交渉の基礎知識
PART 5 知っておきたい! 労働協約の基礎知識
PART 6 交渉が行き詰まったとき‐――争議行為、労働委員会
PART 7 労働組合に加盟する・労働組合をつくる
PART 8 社会を変える‐‐‐労働組合の可能性

この一番最初の「01 あなたの労働組合に対するイメージは?」という項の冒頭の一節が、まさに今時の若い人々の感覚をよくあらわしています。

>あなたは「労働組合」にどんなイメージを持っていますか。「硬い、暗い、ダサイ」といった若者がいました。あなたは「労働組合」とはどういうものだと思っていますか。「大手企業の正社員の給料を上げるための組織でしょ」と思っている人はいないでしょうか。とくに、パートやアルバイト、派遣などの非正規労働者からは、「どうせ、私たちは入れないし、正社員の待遇を守るための労働組合なんか、私たちとは関係ない」という声も聞かれます。・・・

この本全体が、こういう感覚に対して、労働組合がいかに働く人の味方として使えるものであるかを、手を変え品を変え説明しようとする呼びかけになっています。また、内容については労働弁護士の宮里先生が監修しています。

あとがきで水谷さんが語っているこの言葉が、本書のメッセージのコアでしょう。

>倒産寸前のある会社で、不安になった従業員が労働組合を結成しました。誰の言うことも聞かなかったワンマン社長が、団体交渉で初めて社員のナマの声を聞き、会社は自分だけのものではないこと、自分の経営方針に大きな誤りがあったことを悟りました。経営者と労働組合が一体となって奮闘し、見事に会社が立ち直りました。・・・

>「天は自ら助ける者を助ける」ということわざがあります。労働者は、労働組合という力強いシステムを活用して、みんなで話し合い、要求に確信を持ち、力を合わせることで働きやすい職場とより良い労働条件を獲得できます。未来に希望を持てる社会をつくり出すのは、労働組合の大きな役割です。

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クラブホステスによる未払賃金請求事件

東京簡易裁判所の判決が最高裁のサイトに載ってます。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100222103437.pdf

>(1) 原告は,平成20年12月はじめ頃,ウェブサイトで知ったホステス業務の仲介人Dの面接を受け,紹介された数店を廻った上で,被告の店で働くことを決めた。写真つきの履歴書を提出して被告のE営業部長(以下「E」という。)の採用面接を受け,Eからオーナーが採用を決めること,オーナーが採否を決めるについては写真がすべてであること,採用となればDを通じて連絡することを告げられた。原告は採用され,平成20年12月初旬から勤務開始となった。店での源氏名は「F」とされた(原告本人)。
(2) 「クラブC」の店にはEが店長のような立場で常駐しており,ママ(多くの従業員が被告と夫婦関係にあるとみていた)とともに店を運営していた。入店後,Eがいうオーナーが被告であることがわかった。被告は,月の初めのミーティングの時には必ず来てミーティングを取り仕切っていたほか,店の様子を見に来たり客を連れて来た時にも,他の従業員等は被告をオーナーとして迎え,被告もオーナーとして振る舞い,被告の席に呼ばれると原告や他のホステス達も緊張していた(原告本人)。
(3) 当初の勤務条件は日給2万8000円,指名料1回2000円,同伴料1回3000円,勤務時間午後8時から午前1時であったが,2月から出勤時刻を午後8時30分に繰り下げてもらうことに伴い日給2万7000円となった。業務内容は,自分で客を連れてきて売上を上げるのではなく,店のママや他のホステスのお客にヘルプとしてつく,いわゆるヘルプ専門の役割であった。契約内容に関する書類が作成されることはなかった(原告本人)。
(4) 被告は,平成21年1月末頃から,当初合意していた労働条件の変更を求め,ヘルプ専門の役割であるのに,「自分で客を呼んで来い」,「呼べないと他の客にヘルプとしてついても1月分の給料は払わない」,「ヘアセット代は被告関連の美容院以外でやったものについては払わない」,などと要求した。そのため,原告は知人のGに依頼して2月17日に客として来てもらい,その飲食代3万2000円は原告が負担することによって1月分の給料の支払を受けた。原告は,2月17日限りで退職する旨を被告に告げた。

被告は、

>原告と被告個人との間では原告の請求の根拠となる契約は締結されていないとして原告を雇用していた事実を争っているが,それ以上の具体的な主張・反論をしな

かったようですが、裁判所は

>原告と被告との間で本件労働契約が成立しているものと認め

>未払賃金額は26万9000円と認められ,一連の経過に照らして金8万円の慰謝料請求が認められ

ています。

こういう少額訴訟で労働裁判をやることもあるんですね。

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2010年2月22日 (月)

風間直樹『融解連鎖-日本の社会システムはどこまで崩れるのか』東洋経済

20090729000127751 『東洋経済』誌で労働問題を追い続けている風間直樹さんから、新著『融解連鎖-日本の社会システムはどこまで崩れるのか』をお送りいただきました。ありがとうございます。

>非正規社員の悲惨な状況は何も変わっていない。労働現場の融解は、民間だけでなく、病院など公的な分野にも及び、日本の社会を蝕みつつある。徹底取材で日本の労働現場の実態を明らかにする。

第1部は前著『雇用融解』のフォローアップで、

>第I部 雇用融解 第ニ幕
第1章 深層海流「派遣切り」
第2章 「告発者」たちの憂鬱
第3章 派遣業最大手グッドウィルの破滅
第4章 「労働組合」「派遣会社」は誰のためにあるのか

この第4章に、例の『東洋経済』誌上での福井秀夫氏とわたくしの発言が(やや縮約されて)再録されています。

>労使の非対称性は労働法、労働経済学の出発点からの前提。規制緩和論者は労働市場は独占や寡占ではなく競争があるから良いというロジックだが、企業内部における権力関係という認識が欠落している。労働力という商品は特殊。同じ職場で長く働くことによってその性能が高まっていく。エグジットしてしまうと、まったく同じ価格で売ることは非常に困難だ。現在の職場で一定のボイス(意見)を発することが認められるべきだ。

第2部は、話を広げて住宅問題や医療、公的部門に及んでいきます。

>第II部 融解連鎖
第5章 居住融解――「ハウジングプア」の現実
第6章 医療介護融解
第7章 地域社会融解
第8章 公共現場融解

本書で一番インパクトがあったのは、「あとがき」に出てくる某経済学者の発言でしょう。

>世間からは経済誌の最大の友軍と思われている経済学者から、こと筆者のフィールドにおいては、ここ数年、耳を疑うような発言が相次いだ。雇用労働問題に関して積極的な発言を行っていたある大学教授は、こちらの取材意図を告げ終わるのすら待つことなく、こう言い放った。

「おたくは経済誌なのだから、経済という名を冠しているのだから、『市場主義』が最良だということをちゃんというべきで、それ以外の議論をむしろ批判するキャンペーンを張るべきだ」

ふううむ、「経済という名を冠し」たが最後、市場イデオロギーの宣教師にならなければならないとは、なんとも偏狭な精神であります。こういう大学教授に教えられている学生は幸いなるかなですね。

実をいえば、派遣規制の問題を始め、わたくしは風間さんとはいろいろな点で見解を異にするのですが、「市場主義が最良」という以外の意見を叩くべしという偏狭な思想がはびこるのはいいことではないという点では意見が一致しているようです。

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2010年2月21日 (日)

賃金と配当と内部留保のこれ以上ない簡単な整理

世の中というか、ネット界で話題になっているらしい議論が、どれもこれもあまりにも論点を外しているので、別に議論に割ってはいる気もないけれど、そもそもの概念についてこれ以上ない簡単な整理を。

企業は労働と資本というインプットを経営によって付加価値というアウトプットに変えるメカニズム。付加価値のうち、労働への報酬が賃金、資本への報酬が配当、その残りが内部留保。

内部留保は次の活動へのインプットになり、そのアウトプットが再び賃金、配当、内部留保に分かれ、これがずっと続く。

大事なことはこうだ。労働への報酬たる賃金と資本への報酬たる配当とは付加価値というパイの取り合いの関係にある。

これに対し、賃金と内部留保、配当と内部留保の関係というのは、短期的にすぐに労働ないし資本に賃金ないし配当として渡してしまうか、それともとりあえず企業の中にとっておいて、さらなる生産活動を通じてより膨らませてから、賃金なり配当として配分するかという、短期対長期の問題。

これまでの日本社会は長期的に企業が拡大していくことを前提に、内部留保を多くすることが労働や資本の側からも将来の賃金や配当を増やすことにつながるとして承認されてきた。この問題は、パイが将来膨れるのかどうかという短期と長期をどう評価するかという問題であって、労働と資本の関係のようなパイの取り合いの問題ではない。

賃金対配当はリアルな対立点たり得るが、賃金対内部留保、配当対内部留保はそうではなく、現在重視か将来重視かという論点である。これらがごっちゃになっているのが混乱の原因。

以上はミクロの問題。これとは次元を異にする問題として提起されているのが、マクロ経済的に消費拡大のために家計セクターにお金を持っていこうという論点。これはこれで経済政策的には重要。そして、家計にとっての重要性から考えれば、一部株主の配当などより多くの労働者の賃金の方が重要であることはいうを待たない。そして、このマクロ経済的観点から、当面内部留保を賃金に回して今現在の消費を拡大しようという議論は、(それが賃金対内部留保という誤った問題設定に立たない限り)それなりの意味がないわけではない。

なんにせよ、以上のような頭の整理が全然付かないまま、思いこみだけで突っ込むような議論が多すぎ。日本のネット界のレベルを問わず語りに物語っていると云うべきか。

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2010年2月20日 (土)

「おおかみ」さんの拙著短評

読書メーターというサイトで、何人かの方々が拙著『新しい労働社会』について短評していただいておりますが、

http://book.akahoshitakuya.com/b/4004311942

昨日付で、「おおかみ」さんという方の次のような短評がアップされています。

>わずか二百数ページで現代の労働問題について深く切り込んだ、完成度の高い新書。文体は平易だが中身は濃密なので、じっくり読んだ。名ばかり管理職やホワイトカラーエグゼンプション、偽装請負といった諸問題の根源を探り、著者の専門であるEUの労働法制を適切に紹介しつつ、現実的な解決策を提示する。とりわけ優れているのが、日本での法整備がいかなる経緯を辿ってきたか、歴史的背景をしっかりと説明しているところ。ある程度労働法に詳しい人でも、より深い考察ができると思う。

短い中に、わたくしがこの本で目指したことが一言で指摘されていて、大変嬉しい批評です。

昨年7月に出版されてから7ヶ月近くなりますが、こうして心ある方々に読み続けられていることを知るのは、心強い限りです。

昨日、三刷が決まったという連絡もありました。これからも混迷する労働問題のコンパス役として読み継がれていってもらえればと思います。

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社会連帯型人材育成モデル

全労済協会から送られてきた『全労済協会だより』37号に、北大の亀野さんの「社会連帯型人材育成モデルの構築に当たって-日本とフィンランドにおける人材育成システムの社会的役割に関する比較研究」の要約が載っています。

要約は見開き2ページ弱のごく短いもので、報告自体は今後刊行する予定と云うことですが、要約自体も結構興味深いので紹介しておきます。

フィンランドといえば、ここ数年来「教育といえばフィンランド」という感じでやたらに人気がありますが、その関心はもっぱら狭い意味での「教育」に限られ、ヨーロッパでは「教育訓練」という一つのもののはずの「訓練」についてはとんと関心がないようで、こういう形でフィンランドの職業訓練制度について紹介してくれるのはありがたいことです。以下、その内容:

フィンランドでは、高等教育が大学とポリテクが併存し、大学を卒業した者がさらにポリテクで学習するなど有機的に結合している。

企業の人材養成は高等教育機関との連携が強い。

新規学卒一括採用はないが、各大学、ポリテクにキャリアサポートセンターが設置され、相談や企業との橋渡しをしている。日本と異なり、大学やポリテクの実習先を就職先とする学生が多い。

自治体の成人職業教育センターは企業の意見を取り入れて運営している。

学習休暇制度を利用して訓練を受ける者が多い。休暇中は無給だが、手当てが支給される。

中高年向け職業資格制度の設定や運営は、労働組合が参加する三者構成委員会により、労働者の立場に立った制度設計が行われている。

以上を踏まえて、亀野さんは若干の日本への提言をしています。

企業にすべてを委ねるのでもなく、自己啓発と称して個人に責任を押しつけるのでもなく、教育訓練システム総体として労働者一人一人が能力を向上していけるような公的な制度をどのように構築していくか、という問題意識を念頭に置くと、フィンランドの仕組みはいろいろと参考になります。

少なくとも、職業訓練を意識しないで狭義の「教育」だけを論じる人々にだけ委ねておくのはもったいないことは確かでしょう。

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常用有期派遣労働者を雇い止めできるか?

去る17日に労働者派遣法改正案要綱が労政審に諮問されました。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000004dau-att/2r98520000004dcl.pdf

製造業派遣禁止は結局登録型製造業派遣禁止ということになったので、登録型派遣禁止が中心で、あと雇用契約申し込み見なしが労働法的には重要です。

ここでは、そもそも登録型派遣禁止の是非論は施行が5年先になっていることもありとりあえずかっこにいれておいて、その具体的な規定ぶりの法的な問題点を考えてみます。

>二 派遣先への通知

(一)派遣元事業主は派遣先に、当該労働者派遣に係る派遣労働者が常時雇用する労働者であるか否かの別(当該労働者が期間を定めないで雇用する労働者である場合にあっては、その旨)を通知しなければならないものとすること。

(二)派遣元事業主は、による通知をした後にの事項に変更があったときは、遅滞なく、その旨を当該派遣先に通知しなければならないものとすること。

>三常時雇用する労働者でない者についての労働者派遣の禁止

(一)派遣元事業主は、その常時雇用する労働者でない者について労働者派遣を行ってはならないものとすること。ただし、次の場合は、この限りでないものとすること。
イ第一の十五の政令で定める業務及び当該業務以外の業務であってその業務を迅速かつ的確に遂行するために専門的な知識、技術若しくは経験を必要とする業務又はその業務に従事する労働者について、就業形態、雇用形態等の特殊性により、特別の雇用管理を行う必要があると認められる業務として政令で定める業務について労働者派遣をする場合
ロ第四十条の二第一項第三号又は第四号に掲げる業務について労働者派遣をする場合
ハ当該労働者派遣に係る派遣労働者が六十歳以上の者である場合
ニ当該労働者派遣が紹介予定派遣に係るものである場合

(二)厚生労働大臣は、のイの政令の制定又は改正の立案をしようとするときは、あらかじめ、労働政策審議会の意見を聴かなければならないものとすること。

(三)派遣先は、労働者派遣の役務の提供を受けようとする場合において、派遣元事業主が当該労働者派遣をしたならばに抵触することとなるときは、当該労働者派遣の役務の提供を受けてはならないものとすること。

(四)(三)に違反して労働者派遣の役務を提供を受け入れることを、第一の十九のイに掲げる行為に追加するものとすること。

いままで、実定法上に「常時雇用する労働者」という概念はありましたが、それが「期間を定めないで雇用する労働者」とは異なる概念であるということが必ずしも明らかではありませんでしたが(通達上で解釈はあっても)、法律の同じ条文でこう規定されれば、「有期契約でも常用労働者」ということが実定法上確立することになります。

もともと「常用労働者」というのは、労働統計上、有期の反復更新で事実上長期雇用している労働者も臨時・日雇いではなくて常用に含めるための概念であって、権利義務を明確にする労働法学上意味のある概念ではなかったのですが、こういうふうになってくると、常用有期労働者という労働法学上のカテゴリーについて、その権利義務関係はいかなるものであるのかを明確にする必要が出てきます。

これは、派遣法だけで済む話ではなく、労働基準法や労働契約法における有期労働者と無期労働者の間に「常用有期労働者」というカテゴリーをきちんと作らなければならないということを意味するのですが、はたしてそこまで理解しているのでしょうか。

そこまで行かなくても、派遣法内部においても、次のような問題があります。関係者の方々がどこまでこれを理解されているのか、必ずしもつまびらかではないのですが、一応指摘だけしておきたいと思います。

今回の改正(5年後施行分)によって、いわゆる専門業務(わたしは「専門業務」なる概念には「いわゆる」という接頭辞を付けないで使う気にはなれませんが)や育休代替・高齢者・紹介予定派遣等の場合を除き、「常時雇用する労働者」でない者を派遣することはできなくなります。しかし、この「常時雇用する労働者」の中には、有期労働契約を反復更新する「常用有期」も含まれます。

さて、ある派遣会社が有期契約で反復更新して雇用する労働者を例外業務等でなく派遣しているとしましょう。

1年契約を3回繰り返して3年経ったところで派遣が終了したとします。さて、派遣会社はこの「常用有期派遣労働者」を雇い止めすることが出来るでしょうか。

もし雇い止めできるとすると、この「常用有期派遣労働者」は、「反復更新を繰り返して実質的に期間の定めがないのと同視できる」までには至っていなかったと云うことになります。

しかしながら、そうだとすると、それはそもそも「常時雇用される」の定義である「事実上期間の定めなく雇用されている労働者」とは言えなくなる可能性があります。

雇い止めできると云うことが「常時雇用され」ていないことの現れであると見なされると、これは違法派遣ということになります。

違法派遣と云うことになると、第1次施行分に盛り込まれている雇用契約の申し込み見なし規定が適用されることになります。

つまり、常用有期派遣労働者を雇い止めすると、派遣先が雇用契約を申し込んだと見なされて、派遣先との間に雇用関係が成立してしまう可能性があります。

そうならないためには、もとにもどって、反復更新された常用有期派遣労働者は「事実上期間の定めなく雇用されている労働者」なので雇い止めすることは出来ず、どうしても切りたければ正規の手続きに従って解雇するしかないということになりそうです。

ということは、常用有期派遣労働者は期間の定めがあるといいながら雇い止めできないので、事実上期間の定めのない労働者ということになり、わざわざ上のように条文上で書き分ける実益があるのかという問題が生じます。

無期じゃなく常用有期であることにどういう法的実益があるのかを、派遣法の制度の枠組みの中できちんと説明するのは、こう考えてくるとなかなか難しそうです。

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2010年2月19日 (金)

OECD対日経済審査報告書2009年版

9784750331430 明石書店から刊行された『OECD対日経済審査報告書2009年版』をお送りいただきました。著者はもちろんOECDですが、翻訳は、大来洋一先生の監訳に、吉川淳、牛嶋俊一郎、古川彰、我妻伸彦各氏の訳です。

目次は次の通りですが、

第1章 世界経済危機の克服:新しい成長モデルの必要性
 第1節 戦後最長の景気拡大の後には、戦後最も深い景気後退が続く
  1.1 輸出主導の拡大は2007年末に終わった
 第2節 危機への政策対応
 第3節 短期経済見通し
  3.1 中期の財政金融政策
 第4節 中期見通し:構造改革の必要性
  4.1 労働市場の改革
  4.2 非製造業部門の改革
 第5節 持続的な成長を促進するための政策
  付録1-A1 連立政権樹立に当たっての政策合意

第2章 金融の安定:危機の克服と銀行部門の効率性の改善
 第1節 世界金融危機が日本の銀行部門に対して比較的小さな直接の影響しか与えなかったのはなぜか
  1.1 銀行はサブプライム関連の金融商品への関与の度合いが限られていた
  1.2 日本は住宅バブルを回避した
  1.3 バーゼル I からバーゼル II への規制の変更の影響
  1.4 証券化商品の未成熟な市場
  1.5 短期の利益を上げることに対する経営陣のより少ないインセンティブ
 第2節 強烈な二次的ショックが金融部門を襲った
 第3節 金融部門への危機の影響を緩和するための日本の政策
  3.1 日本銀行の施策
  3.2 金融庁の施策
  3.3 その他の行動
  3.4 緊急時対応に起因する潜在的なコスト
 第4節 危機対応を超えて:規制の基本構造を改善するための改革
  4.1 証券化商品
  4.2 信用格付け機関
  4.3 自己資本規制とプロシクリカリティー
  4.4 銀行の株式保有
 第5節 銀行システムにおける低収益性の改善
 第6節 金融部門の効率を高めるための政策
  6.1 資本市場の質の向上
  6.2 金融商品の範囲と質の向上
 第7節 結論

第3章 経済金融危機への財政政策対応と財政の持続可能性の達成
 第1節 経済危機への財政の対応
  1.1 財政刺激策
  1.2 財政状況の見通し
 第2節 財政の持続性を達成するための政策
  2.1 経済財政改革の基本方針2009
  2.2 持続可能な社会保障構築に向けた中期プログラム
  2.3 年金制度の改革
 第3節 財政の持続可能性達成のための政策
  3.1 政府の2009年6月の「機械的試算」
  3.2 支出削減の見通し
  3.3 追加的収入の必要性:規模、タイミング、手段
 第4節 結論

第4章 日本の医療改革:コスト抑制と質の改善と公平の確保
 第1節 日本の医療制度の直面する主要な問題
 第2節 日本の医療制度の概観
  2.1 医療保険の保険者とその財政
  2.2 医療の供給
  2.3 長期の介護
 第3節 医療費の増加を抑制し、その資金調達を効率化する
  3.1 医療費の伸びを抑える政策
  3.2 より多くの収入を上げる
 第4節 医療サービスの質を高める
  4.1 最良の実施例を推進するための「証拠に基づいた治療」
  4.2 認定基準
  4.3 医薬品の導入遅れ(ドラッグ・ラグ)と医療機器の導入遅れを減少させる
  4.4 混合診療の制約の緩和
 第5節 医療サービスの提供の不均衡への対処
 第6節 相対的貧困上昇の背景のもとでの普遍的カバレッジの維持
 第7節 結論

第5章 気候変動問題に対する日本の政策枠組みの改善
 第1節 気候変動問題に向けた日本の政策枠組み
 第2節 個別の政策手段の分析
  2.1 国内排出量の削減
  2.2 森林炭素吸収源
  2.3 クリーン開発メカニズムとその他の京都メカニズム
 第3節 京都議定書のもとでの日本の成果
 第4節 ポスト京都の枠組みの先を読む
  4.1 市場に基礎を置く手段の一層の活用
  4.2 CDMの拡張とETSでの他国とのリンクで削減費用を低減する
  4.3 市場の不完全性には非価格的政策手段を用いる
 第5節 結論

わたくしが読んでいろいろと興味深かったのは、第4章の医療制度のところでした。

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清家篤・長嶋俊三『60歳からの仕事』

2146821 慶應義塾長の清家篤先生と独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構の雑誌『エルダー』編集長の長嶋俊三さんの共著『60歳からの仕事』(講談社)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

さて、清家先生の高齢者雇用の本も数多いですが、本書は高齢者雇用の現場に詳しい長嶋さんとの「理論と実証の両輪」にまたがった本として、また全体としてやや軽く読める仕上がりの本として、是非多くの方に読んでいただきたい本です。

「理論と実証の両輪」については、「はじめに」での清家先生の言葉を引きますと、

>理論と実証は学問の両輪である。事実によって理論を確かめ、また事実の意味を理論によってくみ取るということだ。

本書が厳密な学術書ではないが、60歳からの仕事と働き方について、そうした理論と実証の両輪を意識して書いた。私は労働経済学者として主に理論を担当し、ジャーナリストの長嶋俊三氏が主に実証を担当した。

高齢者の雇用に関して、その道では有名な雑誌に『エルダー』(独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構発行)がある。長嶋氏は1979年の創刊から現在までその編集者を務めてきた。日本中の現場に足を運び、高齢者雇用の実態を取材し、その現場から企業、社会のあるべき姿を探ってきた。いわば「歩く高齢者雇用事例集」というべき人だ。

私は高齢者雇用に関して、経済学に基づく高齢者雇用理論を統計によって検証する実証分析を行ってきた。本書においてはそうした高齢者雇用理論の視点をもとにして、長嶋さんにこれまで取材された事例から好事例を選び出してもらい、それに私が解説を加える形で、二人の共同作業を完成させた。

ということです。実証の欠如した理論を振り回すえせ学者の横行する昨今、「理論と実証の両輪」ということばは、拳々服膺すべきことばでありましょう。

内容は以下の通り。

65歳まで、70歳まで働く場合
1.同じ会社で働く場合
2.会社を変わって働く場合
3.フリーランスで働く場合
17企業の事例研究付き。

●65歳まで「定年延長」で働く
年功賃金なし、多様な勤務地・勤務形態(イオンリテール、川崎重工業 ほか)
●65歳まで「継続雇用」で働く
定年は形骸化、希望者全員を継続雇用、在宅勤務(樹研工業、昭芝製作所 ほか)
●65歳まで「会社を変わって」働く
高齢の専門家が集結、積極的な中途採用、高齢者向きの仕事(ハクホウ ほか)
●65歳以降まで「フリーランス」で働く
定年なしの営業職、拘束は月2回、現役時代をしのぐ収入(神奈川日本建工)
●「70歳」まで働く
専門能力を活かす、土日を働く、ボランティア(山形屋、加藤製作所 ほか)

2325_2 ついでに、宣伝しておきますと、「理論と実証の両輪」という意味ではOECDの高齢者雇用報告書も高い理論水準と実務家的実証性を備えたものとしてじっくり読まれる値打ちがあります。

日本版は清家先生が監訳されていますが、世界版はわたくしが翻訳し、いずれも明石書店から刊行されております。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/mokuji6.html

また、日本とEUの高齢者雇用政策に関しては、いままでかなりの数の文章を書いてきております。わたくしのHPに所収してありますので、適宜参照いただければ幸いです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/eukintou.html(EU労働法・社会政策(機会均等))

その他の均等

EUの一般雇用均等指令案等の概要について(『世界の労働』2000年2・3月号)

EUの年齢・障碍等差別禁止指令とそのインパクト(『世界の労働』2001年2月号)

高齢者政策の新たなパラダイム-早期退職から年齢差別禁止へ(『総合社会保障』2001年10月号)

障碍者政策の転換-福祉から雇用へ、機会均等へ(『総合社会保障』2001年11月号)

多様な職場の多様な個人、しかし差別やいじめは許されない!(『月刊連合』2002年8月号)

「EUの障害者雇用政策」(2004年7月21日)

「EUにおける年齢差別是正への取組み」(2005年6月13日)

EUの高齢者雇用政策(2005年12月21日)

EUにおける年齢差別禁止への取り組み(『IMFJC』2006年秋号)

EUにおける年齢差別禁止の動向(『エルダー』2008年6月号)

世界の高齢者雇用政策-日本とEUを対比して(『年金と経済』2010年冬号)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jkoyou.html(日本の労働法政策(雇用政策))

特定の人々のための雇用就業政策

高齢者雇用政策における内部労働市場と外部労働市場(『季刊労働法』204号)

超高齢社会の高齢者雇用政策(『LRL』第9号)

定年・退職・年金の法政策(『季刊労働法』215号)

年齢差別(『法律時報』2007年3月号)

経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会報告「年齢の壁」(2007年11月14日)

年齢差別のパラドックス(『時の法令』(そのみちのコラム)2007年11月15日号)

年齢の壁廃止の代償(『時の法令』(そのみちのコラム)2007年12月15日号)

雇用対策法改正と年齢差別禁止(『地方公務員月報』2008年3月号)

若者政策に関する研究会報告(2008年4月18日)

世界の高齢者雇用政策-日本とEUを対比して(『年金と経済』2010年冬号)

なお、ここにはまだ出ていませんが、もうすぐ発行される予定の(長嶋さん編集の)『エルダー』3月号に、70歳雇用という特集の中で「これからの新たな雇用システムとは何か」という文章を寄稿しておりますので、刊行されたらお読みいただければ、と。中身は次の通りです。

(1) 日本型雇用システム
(2) 高齢者は非正規でなければならないか
(3) 賃金制度の再検討
(4) 外部労働市場の形成
(5) 教育訓練制度

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2010年2月17日 (水)

『労働法改革』をよろしく!

133813_2 本ブログでも何回も宣伝にこれ努めております水町先生・連合総研編著『労働法改革』(日本経済新聞社)ですが、連合総研のHPにも広告の紙がアップされております。

http://rengo-soken.or.jp/pdf/%E3%80%8E%E5%8A%B4%E5%83%8D%E6%B3%95%E6%94%B9%E9%9D%A9%E3%80%8F%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7.pdf

>多くの場において雇用をめぐるルールを展望する議論が行われてきた。しかし、これらの議論の多くは浮かび上がってきた問題に対処療法的に対策を練ろうとするものであり、労働法全体を見据えながら全体として一貫性のある形で未来のあり方を展望しようとする視点が欠けていた。
連合総研では、こうした認識のもと、連合雇用法制対策局からの委託を受けて研究委員会を立ち上げ、22回にわたる討議および2回の公開シンポジムを行い、その研究成果として本書を刊行した。
本書は、「社会的に『公正』で経済的に『効率』的な社会を当事者の『参加』によって実現していくこと」を基本理念として掲げ、未来に向けた労働法改革の全体像(労使関係法制、労働契約法制、労働時間法制、雇用差別禁止法制、労働市場法制の5分野にわたる提言)を提示している。これらの提起を通じて、研究者にとどまらず、行政および労働問題の実践にあたっている労使関係実務家をも巻き込んで、労働法改革に関する政策論議を喚起することをねらいとしている。

第Ⅰ部 労働法改革のグランド・デザイン
第1章 労働法改革の基本理念 (水町勇一郎)
第2章 新たな労働法のグランド・デザイン(水町勇一郎)
第Ⅱ部 労働法改革の視点
第3章 労使関係法制 (桑村裕美子)
第4章 労働者代表制度 (大石玄)
第5章 雇用差別禁止法制 (櫻庭涼子)
第6章 雇用差別禁止法制 (両角道代)
第7章 労働契約法制 (山川隆一)
第8章 労働時間法制 (濱口桂一郎)
第9章 労働市場法制 (濱口桂一郎)
第Ⅲ部 経済学・実務からの考察
第10章 労使コミュニケーションの再構築に向けて(神林龍)
第11章 労働関係ネットワーク構築のための素描 (飯田高)
第12章 労働組合の視点から (杉山豊治・村上陽子)
第13章 人事労務管理の視点から (荻野勝彦)

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「もちつけblog(仮)」さんの拙著書評 その2

「もちつけblog(仮)」さんが拙著『新しい労働社会』に対する書評の2回目をアップされています。

http://webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-115.html

第1回目(「休む時間」より「残業代」を優先する、日本という国 濱口桂一郎『新しい労働社会』(1))は、拙著第1章の問題意識を的確に表現していただいていましたが、今回は拙著全体にわたるテーマである「「正社員とその家族」というレール」と「中小零細企業という路傍」について、本ブログでのさまざまな記述をも適宜引用していただきながら、拙著できちんと説明し切れていないところまで手が届くかたちで解説をしていただいています。

この書評の後半の中小零細企業問題は、拙著では序章の一節でややアリバイ的にごく簡単に取り上げているだけなので、

>ともあれ、本書は、「正社員/非正社員」という構図だけでなく、「大企業/中小企業/零細企業」という構図からも、読み解かれるべき書物なのです。

ということばは過分のものというべきですが、本来はその軸でもきちんと記述すべきであったという意味ではまさにその通りであります。

こういう著書の先を行くような深い書評は大変嬉しく、心から感謝申し上げます。

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実力もないのに注意されると責任転嫁! “過去の栄光”にしがみつく「元朝日新聞記者」

ダイヤモンドオンラインの吉田典史さんの記事、「負け組社員リベンジの十字路」というシリーズの最新記事は、「実力もないのに注意されると責任転嫁! “過去の栄光”にしがみつく「元朝日新聞記者」」です。いろんな意味で大変興味深いので、少し長めに引用しますね。

http://diamond.jp/series/revenge/10003/

>連載3回目は、「元朝日新聞記者」という“過去の栄光”を捨てることができずに、トラブルを起こし続け、その都度、仕事や職場からスタコラ逃げていく「負け組社員」を紹介しよう。

主人公の松山氏は、こういう具合にもといた古巣の朝日新聞の悪口を並べ立てるのですが、

>松山はかつて勤務した朝日新聞社の批判を始めたとたんに、目をつりあげた。

「先輩の記者はひたすらパソコンに向かって原稿を書いているんです。上のデスクも支局長も……」

 上原はその妙な迫力に押され、言葉が出てこない。松山は何かに取りつかれたように、古巣の職場をなじり続ける。

 「あれでは、自分を持っていない“冴えないお役人集団”。心理学で言うところの準拠集団!」

・・・「君がさっき、話したことは会社のことだろう? 俺が聞きたいのは、東大出身の君がなぜ数年で辞めたのか、ということ。君は、これから一緒に仕事をする仲間になるかもしれない。だから、そのあたりを知りたかった」

 松山は唇をかすかに動かし、独り言を話す。そして10秒ほどすると、答えた。

 「よく聞かれるんですよ~。その質問……。あの朝日ですからね」

 結局、質問に答えない。その後も、松山は少しだけ唇を動かし独り言を言いながら、続けた。

 「デスクも支局長も、本社の連中もダメな人が多い。まぁ、あのまま残っていたら、僕はいまごろ年収1000万円くらいでしょう」

 上原は、その物言いに腹が立った。

 「いまの君は、フリーターだろう?それともニートか?」

 松山の足が止まった。一転して興奮した口調になる。

 「あんな程度の低い連中といっしょにしないでください!僕は、元朝日新聞記者ですよ!」

おや、なぜか、朝日の記者だったことが自慢の種になっているようです。その後も・・・

>「朝日新聞のころには、こんな仕切りではありませんでした。デスクは、もっと自由に書かせてくれました。この仕事から降ろさせてもらいます。僕は朝日新聞で学んだことは大切にしたいと思っておりますので……」。

>知人がさらに厳しく言うと、かつての“栄光”を持ち出す。このときも「僕は元朝日新聞記者ですから……」とのたまった。

>「僕は、元朝日新聞記者ですよ!」

こういうたぐいの人ってたしかにいますねえ。自分のもとの古巣を口を極めて批判するくせに、そこにいたことが自慢で自慢で仕方がない。俺の居たところは一流だぞ、お前のとこなんかずっと下流じゃねえか、と、批判していたはずの所属で人を見下して自尊心を守り続けようとするたぐいの人。

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2010年2月15日 (月)

外国人研修生・技能実習生を活用する企業の生産性に関する検証

経済産業研究所のHPに、橋本由紀さんの「外国人研修生・技能実習生を活用する企業の生産性に関する検証」という論文がアップされています。

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/10020014.html

>外国人研修・技能実習制度については、途上国の外国人を実質的な低賃金労働者として利用することで労働力を充足し、市場から退出して然るべき低生産性企業の延命装置として機能しているのではないか――との批判がしばしば聞かれる。しかし、制度を利用する個々の企業の実態はほとんど明らかでなく、こうした批判の妥当性は、事例調査や実証分析によって慎重に検討されなければならない。
本稿では、実習生等を活用する企業が日本人従業員に対して提示するオファー賃金の水準に着目し、非活用企業の同賃金と比較することで企業間の生産性格差を測定し、制度を利用する企業の特徴が明らかにされた。
実証分析の結果、製造業では、実習生等活用企業の日本人従業員に対して支払う賃金が、同業・同一地域に立地する非活用企業よりも低い傾向、すなわち賃金競争力に劣る企業が制度を利用する傾向が強いことが確認された。一方、非活用企業の平均賃金以上の賃金を提示する活用企業も約30%あり、これらの企業では実習生等と日本人従業員とが効率的に業務を分担することで高い生産性を達成している可能性が示唆される。

橋本由紀さんは、現在東大の経済学の博士課程でかつ学術振興会の特別研究員ですが、連合総研の外国人労働者問題研究委員会の委員でもあり、本日もわたくしどもと一緒に、外国人研修生権利ネットワークの鳥井一平さん、中島悟さんのお話を聞いておりました。こちらも大変興味深い話が一杯だったのですが、それはいずれということで。

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/10j018.pdf

本文の最後の「今後の課題と制度の展望」から、

>制度が内在する問題点は、制度の改正から20 年弱を経てほぼ明らかになったように思われるが、それにもかかわらず法令違反が後を絶たないのは実習生等を活用する企業の実態がほとんど表に出てこないためと考える。制度を利用する企業の平均的な姿が非常に見えづらい。例えば、今回、実習生等の受け入れを実施する協同組合のHPから活用企業を特定しようと試みたが、活用企業の情報を公開している協同組合は非常に少なく、協同組合や企業が実態の公表に消極的であるという印象を抱いた。そして昨今の不況下で、実習生等の受入れの取りやめや研修・実習の途中打ち切りが相次いでいるというが、こうした企業行動が明らかとなったことで、制度の実態が、長期的な視点に立った途上国への技術移転による人材育成ではなく、企業にとっての労働需給ひっ迫時の貴重な「労働力」供給システムであり、実習生等が不況期には容赦なく整理される雇用の調整弁的役割を担っていたことが露呈したといえるだろう。
加瀬(2005)は制度の実態について、「(発展途上国の人材育成という)建前と現実が大きく異なる外国人研修・技能実習制度の方式は、技術を習得した人を出身途上国に還流させるという建前に固執することによって、賃金水準を単身・出稼型労働者の生活費水準に留めつつ、社会問題の発生を回避することに成功してきたのであり、これが中小・零細企業の経営力に適合的であった」とこの上なく簡潔かつ的確にまとめている。まずはこうした実態の是認から始めて、広範な実態の解明、研究の蓄積、制度の改善という順序・方向性で、制度を再考すべき段階にきているのではないだろうか。

本日の鳥井さんらのお話は、この「社会問題の発生を回避することに成功」してきたことが、逆に研修・技能実習生の使用者に対する極度の従属性をもたらし、見えない労働問題の発生をもたらしてきたのではないだろうかということだったような気がします。

外国人労働問題というのは本質的に大変難しい問題なのですが、研修・技能実習という枠に入れ込むことで済ませてきた時期から、それときちんと正面から向かい合わなければならない時期が到来しているのでしょう。

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横溝雅夫さんの非正規論

経済企画協会の『ESP』電子版(去年までは紙媒体でしたが、いまは電子版だけになっています)の2010年冬号が「雇用をめぐる課題と対策」という特集を組んでいます。

http://www.epa.or.jp/esp/update.html

慶應の樋口先生の論文はじめとして、連合総研の澤井さん、日本経団連の遠藤さんなどの論文もありますが、ここで紹介したいのは巻頭言。

http://www.epa.or.jp/esp/10w/10w01.pdf

筆者の横溝雅夫さんは「経済評論家」という肩書きになっていますが、ご存じの通り、かつて経済企画庁事務次官を務められた方です。ちなみに、最初に入った役所は労働省で、拙著に大きな影響を与えた田中博秀さんの同期でもあります。

それはともかく、このエッセイで横溝さん曰く、

>忘れてはならない重要な雇用問題として、パート、派遣等の非正規労働者のあり方がある。非正規労働者は雇用者の3分の1に達しているが、本来非正規の形態が求められる長期雇用になじまない景気の繁閑への対応や特定の専門職種に限らず、低賃金の利用という目的が主となり、過大な数量となっているように思う。そして日本の貧困層や所得格差拡大の主因になっている。これを本来の弾力的雇用の範囲に収める必要があるが、その方法は、低賃金雇用を許容しないこと、即ち同一労働同一賃金を守らせる規制を課すこと、そして社会保険の適用拡大だと思う。正社員と同種の仕事を非正社員にやらせるのも好ましくない。そもそも官庁で、定員が削られるのでその補充のため臨時形態の職員を恒常的に多数雇っているのは許されざる変則事態である。この種のことは国立大学や公立図書館など多くの公的機関でも見られる。隗より始めよで、政府・自治体は、まず雇用正常化のためこれらを正職員化すべきだろう。

細かいことを言い出すと、正社員と同じ仕事をやらせないのであれば同一労働同一賃金は適用されなくなるのですが、まあそれはそれとして、本質論的には大変重要なことを言われていると思います。

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水町先生のめざすのは白亜の大殿堂ではなく、焼け野原

水谷研次さんの「シジフォス」で、水町勇一郎先生の「労働法改革」に絡めて、わたくしの議論に対するある方の見方が紹介されています。

http://53317837.at.webry.info/201002/article_13.html(時折にじみでる水町先生の本音が面白く)

>ともかく、先日、関ブロ労委労協総会で濱口桂一郎先生の講演を聞いた同僚によれば、「水町さんの方が分かり易かった…やはり大学の先生だからかな…」だそうである。ちなみに元・東京都労政事務所の元委員は、厚労省だというだけで濱口さんに予断をもっていたのか、「あんなにけんか腰で批判をしなくてもいいのに…」と怒っていた。

はあ、わたくしが「けんか腰」になるのは、たぶん既存の労働組合にまだ期待しているからで、そこの所はおそらく水谷さんの言うように、

>私としては、実は水町先生の方が、本音では既存の労働組合に失望していると思えるのだが…。

水町理論は、アカデミックな労働法学者としてはわりとオーソドックスなものだと思いますが、それをまともにやると、現在の企業別組合の存立の余地はなくなるというのが、『労働法改革』で労使双方が反発している最大の理由なんですね。

>水町先生のめざすのは白亜の大殿堂ではなく、焼け野原かもしれず、そこから再生が始まるのかもしれない。

もちろん、本来あるべき姿の集団的労使関係を構築するためには、いったん焼け野原にして『集団の再生』という白亜の大殿堂を築き上げるのが一番すっきりするわけですが。

なまじ、今の企業別組合を出来るだけそのまま生き残らせて、それを包括的な労働者代表システムとして活用しようという、連合の労働者代表法案の考え方に忠実にものごとを考えれば考えるほど、言葉尻としては、労働組合の方々に対して厳しい言葉をぶつけているかのように見える、というのはパラドックスなんでしょうか。それとも当たり前のこと?

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2010年2月14日 (日)

大学は何をして生き残ることができるのか by 原田泰

大和総研の原田泰さんが、「社会が求める人材と大学の役割-大学は何をして生き残ることができるのか」という小論を書かれています。

大学教育の職業的レリバンスという最近はやりの論点に、実務派エコノミストの視点からシビアな見解を示していて、なかなか興味深いので、紹介しておきます。

http://www.dir.co.jp/souken/research/report/harada/10021201harada.pdf

要約は:

大学に対して、経済社会で役に立つ高度な人材を育成すべきという社会の要求が高まっている。

日本の教育は、これまで、そのような実利的な要求に反対してきた。ところが、戦後の高度成長時代、企業側が、大学は実務を教えなくて良い、人材は企業が育てると考えるようになり、日本独特の制度、Jモードが成立した。

しかし、低成長の持続とともに、J モードを維持することが困難になってきた。だが、企業が現実に必要とする能力は不定形であり、大学で公式として教えられるようなことは少ない。

企業の多くは、今でも、新卒者には即戦力よりも潜在力を求めている。大学は、少しの公式と大きな探究心を与えるものとして、社会で生き残ることができるだろう。

ということですが、本文の記述もディテールが面白く、是非リンク先の原文をお読みいただきたいところです。

あえてわたくしの感想を述べれば、前半までの戦前から現代に至る「Jモードの発展と崩壊」の記述はほぼ客観的で適切だと思いますが、後半以降の「じゃあ、大学は何をすれば?」というところがやや曖昧というか論理混濁気味のような気がします。

とりわけ、本ブログでも何回か揶揄気味に書いてきた経済学の職業的レリバンスについての次の記述は、ちょっと違うような気がします。

>ここで、私の一番良く知っているエコノミストという特殊な職業と大学教育について考えてみたい。特殊な職業とは、その数が少ないということだ。日本のエコノミストは、全部で1000 人もいないだろう。ということは、1人が40 年この職業に就くとすると、毎年25人養成すれば良いと言うことになる。これは大衆化した大学で職業として教育する意味がないということだ。

しかも、経済学は、どう分析するかの公式は教えられるが、何を分析するかは教えられない。ところが、何を分析するかがエコノミストの評価を決めると私は思う(経済学者なら新しい公式を作り出すことだ)。要するに、公式のある仕事は数が少ない。

とんどの仕事は定型的ではなく、それゆえ職業教育が困難なのだ。これはエコノミストに限らず、あらゆる専門職に共通の問題なのではないだろうか。

毎年25人養成すればよいのはエコノミストだからで、他の専門職(法律関係でも会計関係でも)はそんなスケールではないと思いますが。また、「公式」とか「定型的」という言葉の認識が、いささかどうかという感じもします。

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スウェーデンにおける異職種間同一価値労働同一賃金について

少し前の「同一価値労働同一賃金」に関する日本経団連の定義をめぐる労務屋さんとのやりとりについて、平家さんがエントリを起こし、トラバを送っていただいています。

http://takamasa.at.webry.info/201002/article_1.html(同一労働同一賃金でも同一価値労働同一賃金でも格差がなくなるわけではない)

ここで重要なのは、同一価値労働というのは男女差別の文脈で「男の仕事」が「女の仕事」より賃金が高くなっていることに対して、客観的なジョブ評価でもって同じ価値だという議論であって、正規と非正規という文脈で使われるものではないということです。

この辺、日本では同一価値労働自体が上で見たように全然違う意味に使われたりしていることもあり、話がごちゃごちゃでわけわかめになってしまっています。

この関係で、頭を整理するのに有用なのが、そういう客観的なジョブ評価というものとは異質で、マクロ的な労使自治原則で労使関係を運営してきたスウェーデンにおける、同一価値労働同一賃金をめぐる問題です。

先日来、本ブログで何回も紹介してきている水町勇一郎・連合総研編著『労働法改革』(日本経済新聞)所収の、第6章 両角道代「雇用差別禁止法制-スウェーデンからの示唆」は、興味深い視角を示しています。

133813

例によって、公立病院の男性医療技術者と女性の助産師について、それぞれ地方公務員組合と看護組合との労働協約によって賃金が払われていたのですが、その間に約20%前後の格差があったという話です。

裁判所はジョブ評価については同一価値労働を認めました。問題はそのあとです。同一価値労働だからといって、必ず同一賃金にしなくてはいけないのか。適用される労働協約の違い、年齢の違い、労働市場の違い(助産師より医療技術者の方が需要が多い)を勘案すべきか、といった問題です。スウェーデンの裁判所はこれらを考慮すると差別に当たらないと判断したということです。

こういうスウェーデン的な判断自体、EU指令と適合しているのかという問題はありそうですが、同一価値労働同一賃金という問題に対して、こういう要素も議論になるのだという素材としては、日本での議論にも何らかの役に立ちそうな気がします。

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2010年2月13日 (土)

「職業教育によって生徒は自由な職業選択が可能になる」はずがない

なんだか、金子良事さんにケチばかり付けているようで、気が重いのですが、「職業教育についての論点整理(1)」というエントリが正直よく分からないので、感じたことを述べておきます。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-112.html

>あまりにも危うい職業教育待望論、それから、それに便乗するという向きが多いので

ま、たしかに私も「便乗するという向き」の一人ですし、

>職業教育及び職業訓練の必要を主張する議論の多くに対してはかなり疑問に思っています。

「職業教育及び職業訓練の必要を主張する議論」を展開しているのも確かですので、批判されるのはやぶさかではないのですが、

それにしても、職業教育訓練重視派が主張していることになっている、

>命題1 職業教育によって生徒は自由な職業選択が可能になる

なんてのは、一体、どこのどなたがそんな馬鹿げたことを申し上げておるんでごぜえましょうか、という感じではあります。

もちろん、金子さんの言うとおり、

>職業教育ならびに職業訓練はある特定のスキルを習得することを前提としています。つまり、ある職業教育を受けるということはその時点でもう既に選択を行っているのです。すなわち、選択が前倒しされるだけなのです。この世の中に無数にある職業の大半に接するなどということは実務的に絶対不可能です。ということは、職業教育はその内容を必ずどこかで限定せざるを得ない。

職業教育訓練とは、それを受ける前には「どんな職業でも(仮想的には)なれたはず」の幼児的全能感から、特定の職業しかできない方向への醒めた大人の自己限定以外の何者でもありません。

職業教育訓練は、

>この意見が人々を惹きつけるのは「選択の自由」という言葉に酔っているからです。

などという「ボクちゃんは何でも出来るはずだったのに」という幼児的全能感に充ち満ちた「選択の自由」マンセー派の感覚とは全く対極にあります。

職業教育訓練とは、今更確認するまでもなく、

>選択を強制されるのはそれはそれなりに暴力的、すなわち、権力的だということは確認しておきましょう。

幼児的全能感を特定の職業分野に限定するという暴力的行為です。

だからこそ、そういう暴力的限定が必要なのだというが、私の考えるところでは、職業教育訓練重視論の哲学的基軸であると、私は何の疑いもなく考えていたのですが、どうしてそれが、まったく180度反対の思想に描かれてしまうのか、そのあたりが大変興味があります。

まあ、正直言って、初等教育段階でそういう暴力的自己限定を押しつけることには私自身忸怩たるものはありますが、少なくとも後期中等教育段階になってまで、同世代者の圧倒的多数を、普通科教育という名の下に、(あるいは、いささか挑発的に云えば、高等教育段階においてすら、たとえば経済学部教育という名の下に)何にでもなれるはずだという幼児的全能感を膨らませておいて、いざそこを出たら、「お前は何にも出来ない無能者だ」という世間の現実に直面させるという残酷さについては、いささか再検討の余地があるだろうとは思っています。

もしかしたら、「職業教育及び職業訓練の必要を主張する議論」という言葉で想定している中身が、金子さんとわたくしとでは全然違うのかも知れませんね。

(追記)

そういえば、マックス・ウェーバーが、「職業」としての学問を論じた中でも、似たようなことを云ってませんでしたっけ。

(再追記)

黒川滋さんが、本エントリに対して、「職業教育に関するいろいろな思い出」というエントリで、

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2010/02/213-3150.html

>その意見の違いを見て、いろいろ葛藤した14~5歳のときのことの人生選択を思い出してしまった。

と、ご自分の若い頃の思い出を綴っておられます。

黒川さんは、

>自分の中では、能力なんて大したものではないのではないかとずっと怯え続けていたこともあって、早く社会に役立つ能力を身につけたいと思っていたし、自宅の近所に県の肝いりで作った職業科総合高校もあったため、職業科に進学したかったのだが、やめなさい、普通科行きなさい、大学行きなさい、と言われ続けて断念し、結局、自棄気味に選んだ普通科高校に進学した。

のだそうです。そのとき、

>その時の周囲のおとなたちの言い分は金子良事さんの論旨とほとんど同じ。労働者天国をめざすマルクス経済学の影響を受けた若者時代を送った親ほど、強く言われた。将来を固定するものではない、と普通科進学を強く言われた。

そうだったろうな、と、その情景が浮かびます。

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「人民の敵」人気沸騰? 中国で蒋介石ブームの謎

労働とは関係のない雑件です。

産経の興味深い記事。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100211/chn1002110124001-n1.htm

>中国では最近、台湾に渡った中華民国の故蒋介石総統がブームだ。関連書物などが相次いで出版され、浙江省にある蒋氏の旧家は人気の観光スポット。毛沢東時代には「人民の敵」と位置付けられた蒋氏だが、急発展する近年の中台交流で素顔が知られ、これまでのイメージとのギャップに市民は関心を持つようだ。また、蒋氏がにわかに評価されるようになった背景には、台湾統一工作を狙う中国当局の思惑もありそうだ。

しかし、よく考えてみれば、レーニン型組織原則に基づく一党独裁体制下における資本主義経済という点で、改革開放以降の中国というのは蒋介石時代の中華民国と似ているようにも思えます。民族主義を国家団結の原動力として使おうというところなんかも。

本音のところでは、今の中国指導者層にとって一番共感できる政治家は毛沢東でも孫文でもなく、蒋介石なんじゃないかという予感が・・・。

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いよいよ「99年改正前には戻れな」くなった!

昨年9月22日付の本ブログで、わたくしは「99年改正前には戻れない-専門職ってなあに?」というエントリを書きました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/99-babf.html

その時に警告しておいたことが、いよいよ今始まりつつあります。

このとき、大阪労働局が日本生命に対して行った指導が、厚生労働省の通達により、いよいよ全国の派遣会社に対して全面的に行われるのです。

>・・・これは、日本で派遣法ができてから99年改正まで、ある意味では現在に至るまでずっと続いてきた核心的虚構をあっさり「嘘でした」とあからさまにしてしまったことなのです。

(ここで、拙著『新しい労働社会』の第2章の記述を引いて)

>はじめから「ファイリング」とか「事務用機器操作」という専門業務でございといいながら一般事務であることは関係者一同了解してやっていたわけです。

その虚構の上に85年から99年まで14年間にわたって派遣法を運営するという時代が過ぎて、ようやくネガティブリストによって、違法なことをやっている状態ではなくなったわけです。

99年にネガティブリストにしたのが諸悪の根源だ、99年改正前に戻せば幸福な時代に戻ることができるなどというのが幻想であることはおわかりでしょう。

このあたり、政治家もマスコミ関係者も、いや下手をすると労使関係者や学者までも、よく分からずに「登録型派遣は専門職限定にすべき」」などと口走っているのではないか、と危惧されてなりません。

いや、判って言ってるのならいいですよ(良くはないけど)。でも、専門職限定しても、今まで通り「ファイリング」やら「事務用機器操作」という架空の看板を掲げて一般事務の登録型派遣が続けられると思いこんでそういっているのであれば、それはもはや不可能になりつつあるということです。

ついでに、派遣法制定当時のいきさつについても、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-da89.html(竹内義信氏の『派遣前夜』)

を参照のこと。

>業務限定が派遣規制の中心といいながら、その実はこういうものであったわけです。

いや、間違わないでください。わたしは一般事務をファイリングなどと称して認めたことがけしからんといっているのではありません。一般事務を一般事務として認めてどこがいけなかったのか、専門職などという虚構に寄りかかる形で制度設計してしまったことが問題なのだといっているのです。

ファイリング業務という名目で多くのOL経験者が一般事務の仕事で派遣されたことは、彼女らにとって決して悪いことではなかったのです。

ところが、今に至るまで、誰一人として、王様は裸だと指摘するする人はいませんでした。

その虚構の上に虚構を積み重ねた挙げ句の果てが、今回発出されたこの通達です。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r985200000048f3-img/2r985200000048gl.pdf(期間制限を免れるために専門26業務と称した違法派遣への厳正な対応)

>全国の労働局において、大手派遣会社を中心に、専門26業務での労働者派遣を重点的に調査し、専門26業務と称した違法派遣の適正化に向け、厳正な監督指導を実施。

いや、もちろん、厳正な監督指導は必要不可欠です。今までの生ぬるいやり方がおかしかったと云えば全くその通り。

しかし、派遣法改正案が国会に提出されるのが目前にきた今現在、これは単なる「期間制限を免れるために専門26業務と称した違法派遣」ではなくなりつつあります。

「専門」ということになっている26業務だけは登録型派遣をしてもいいけれども、そうじゃない一般業務は登録型派遣は禁止だという改正案が施行されれば、これは「派遣禁止を免れるために専門26業務と称した違法派遣」ということになるのです。

「ファイリング」と称して一般事務の登録型派遣がやり放題だった99年改正前の事務派遣会社の黄金時代に戻ることなどもはやあり得ないのです。

「ハケン」といって世間普通の人々が思い浮かべる一般事務のハケン社員は、もはや存立の余地はほとんどなくなるのです。

この期に及んで、未だに派遣法制定時の虚構に満ちた業務限定主義に閉じこもり続けるつもりなのでしょうか。

(追記)

本ブログにときどきトラバをいただく「雇用維新」さんが、この問題に触れておられます。

http://ameblo.jp/monozukuri-service/entry-10455183438.html(5号、8号、パンドラの匣)

この問題がパンドラの箱であることは確かですが、これが法制定から25年も経って今なお開けたら大変なことになるパンドラの箱の儘にしてきたのは、派遣業者も含めた関係者の不作為であったこともまた確かでしょう。正面切って「専門業務ではないのではないか?」と聞かれれば絶句するしかない状態に、当の事務派遣をしている大手企業がそろって四半世紀もの間事態をほったらかしにしてきたわけです。

もちろん、その理由は、そんなこと自分から言い出して、専門業務じゃないけど派遣でやるのが必要なんですとちゃんと説明して、その代わりにどういう労働者保護措置が執られなければならないかというような面倒くさい議論をしたくなかったからでしょう。知らんぷりしてほっとけば、専門業務だからあれこれのめんどくさいことが要らない「ファイリング」だ「事務機器操作」で通用すると思っていたからでしょう。

とっくの昔に開けておかなければならなかったパンドラの箱を、今の今まで閉じておいたことのもろもろのツケが、いま一斉に箱から噴出しようとしているのです。

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中学校で不登校の子が職業訓練校で皆勤賞

田中萬年先生の「職業訓練雑感」から。

http://www.geocities.jp/t11943nen/実習の意義 2.不登校者が職業訓練校で皆勤賞!?

本ブログでいままでも田中萬年先生の言葉を紹介してきていますが、この「実習の意義」シリーズは、心に残る言葉が多く、思わず引用したくなります。

権丈節とならぶ萬年節シリーズということで・・・、

>中学校で不登校児だったK君はある県立の職業訓練校に入学した。K君が不登校だったことが中学校から連絡が有ったわけではない。ある日、担任の指導員がK君と話している時にK君から告白したのだ。K君のノートはすばらしく整理され、講義も実習も優れていたから指導員はK君が不登校者だとは微塵も思わなかったのだ。とても高校に入れない生徒とは思えない。実習が遅れた級友も手伝い、指導員の助手の役目も果たしてくれた。そしてなんと、K君は皆勤賞を取ったのである。卒業して就職した会社で無くてはならない人材になっているという。また、指導した先生が持っていない職業資格を取って頑張っている。更に大学での学習を目指し、訓練校の経歴は学歴に換算されないため定時制高校へも通ったという。

 この話を私は指導員の研修会で必ず紹介するが、すると必ず「私も同じような経験をしている」との話が出てくる。中学校で不登校の子が職業訓練校で皆勤賞をとったK君は例外ではないのである。

 この事実は、学校では生きられなかった子どもが、職業訓練校で息を吹き返す例である。“学歴”社会の中で、高等学校へ進学できない子供達、また、高校を“やむを得ず”中退してしまった子供達に長い職業生活のための真の希望の光を指し示すことは、公共職業訓練の一つの大きな意義となっている。つまり、公共職業訓練は学校で見捨てられた子供達に職業訓練により、社会で生き抜くための身を守る職業能力を修得させることが充分可能であり、この事により真の人間形成を施している、といえる。その核心には実習があるから可能なのである。学校で不可能な人間形成が実習にはあるのである。

 実習が人間形成として重要な働きが有ることを是非とも理解して頂きたいものである。

職業教育訓練が、社会で生き抜くための身を守る職業能力を習得することが、なにか「真の人間形成」とは逆のものであるかのような紙の上のインテリの浅薄な発想でものごとを考えることの落とし穴を、見事に指摘しています。

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2010年2月12日 (金)

三共アクア事件評釈@東大労判

本日、久しぶりに東大の労働判例研究会に出席して、「三共アクア事件」の評釈を報告してきました。報告の中身は次の通りです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sankyoaqua.html三洋アクア事件(名古屋地一宮支判平成21年8月4日) (労働経済判例速報2052号29頁)

本件は、事案そのものは大変単純なものですが現行派遣法における「雇用申し込み義務」が法的にはいったいいかなるものであるのかという問題を、正面から論じた今までの所唯一の裁判例だと思います。

思ったよりも、花見先生や山口先生など偉い先生方の議論が白熱しました。汗汗・・・。

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2010年2月11日 (木)

日本経団連の「産業構造の将来像」

少し前ですが、日本経団連が「産業構造の将来像-新しい時代を「つくる」戦略」という提言を、1月19日付で発表していました。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2010/005.pdf

題名だけ見ると直接労働問題に関係なさそうなのでそのときはきちんと見ていなかったのですが、よく読むと48ページから「ものづくりを支える労働市場の整備」という一節があり、労働政策のあり方についても述べていたんですね。

なかなかいいことを言っていますので、ここに引用して、多くのみなさんに読んでいただきたいと思います。

>雇用問題などが原因となり将来不安が高まることのないようセーフティネットの確保などを進めていくことが肝要である。例えば北欧などの国々では労働市場の柔軟性を維持する一方で、失業者に対し技能や技術を磨くための職業訓練の機会を提供し、手に職をつける施策を展開している。雇用のセーフティネットの強化を通じて社会全体で雇用の安定を実現し、将来不安を払拭していくことも欠かせない。そのためには諸外国の政策を研究し、それをベンチマークとしてわが国に相応しい政策を構築していくことが必要である。また、公的な職業訓練プログラムの充実など能力開発施策の拡充や、求人開拓・キャリア・カウンセリング機能の強化・サービスのワンストップ化といった職業紹介機能の整備などを進め、雇用のミスマッチの解消と労働移動の円滑化を図っていくことも有用となる。労働市場の柔軟化という点では、年金をはじめ現在の社会保障制度は長期雇用を前提とした枠組みになっている向きもあり、今後はこうした点も見直していかなければならない。

日本経団連はこういう事がちゃんと分かっているのに、そのお筆先みたいな顔をしながら、全然職業訓練機能や職業紹介機能をはじめとした労働市場のセーフティネットの重要性が分かってない連中が多すぎるのが困ったことなんですが。

>一方で、多様化する労働者のニーズを踏まえる形で、幅広い就労機会を拡大していくことも必要となる。これまで、労働者派遣制度や有期労働契約などは、労働者ニーズに対応した働き方の選択肢を増やし、就労機会の拡大に寄与してきた面もある。現在、派遣制度を巡っては、大幅な規制強化が行われようとしているが、制度に問題点があれば必要に応じ見直すとしても、その方策としては、優良な派遣事業者が活躍できるような環境整備を行い、派遣制度をより健全なものに育てていく視点が肝要である。こうした取り組みは、労働者の就労機会の拡大を通じた雇用の安定にも寄与することになる。

ここは、ある意味で実に正しいことを言っているのですが、今まで日本経団連をはじめとする経営側が「派遣制度をより健全なものに育てていく」方向で一生懸命やってきたのか、規制緩和さえすれば、労働者保護なんて余計なものはなくてもいいじゃないか、みたいな連中をはびこらせてこなかったのか、という点を、きちんと反省する必要があることもたしかでしょう。

今後ますます市場のフラクチュエーションが大きく激しくなる中で、その時々の労働需要の変動に即応して労働力を供給できるメカニズムの必要性は高まることはあってもなくなることはありません。問題は、そういう需要に応じて供給される労働者が、不当な不利益を被ることなく安心して働き続けることが出来るような社会的仕組みをきちんと造り上げていくことで、それが出来ないままだったからこそ、「派遣村」というフレームアップも行われたし、今現在進みつつある登録型派遣の原則禁止というような法政策も生み出されてきてしまっているわけです。

一番いけないのは、労働者保護や労働組合を敵視するようなたぐいの連中に、経営側のイデオローグのような顔でしゃしゃり出るのを許してしまうことで、そういう徒輩を経営側自らがきちんと叩いておかないと、日本経団連もそういう連中と同じ輩だと思われかねません。

労働者派遣事業をはじめとする労働市場サービス事業がそこで働く労働者にとっても望ましい将来性ある業界として発展していくためには何が必要なのか、この文書を見る限り、日本経団連はちゃんと分かっているようです。あとはそれを行動に移していくことだと思います。

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連合と派遣業界団体、労働条件改善めざし協議の場

今朝の朝日の記事ですが、

http://www.asahi.com/national/update/0211/TKY201002110101.html(連合と派遣業界団体、労働条件改善めざし協議の場)

>連合は、二つの人材派遣の業界団体と、派遣社員の労働条件改善を目指す協議の場をそれぞれ設けることで合意した。4月まで協議を重ねて、合意事項を確認、公表する。協議は連合側から打診。来年以降も春闘に合わせた定例行事にしたい考えだ。

 協議するのは日本人材派遣協会と日本生産技能労務協会。派遣協会には事務系派遣を中心に700社余り、労務協会には製造業の請負・派遣を中心に100社余りが加盟している。

 派遣協会とは今月22日、労務協会とは3月上旬に初会合を開き、それぞれ4月まで3回程度協議する予定。最終的にトップレベルで合意事項を確認し、傘下の企業・労組にも周知する。派遣社員の労働条件改善に向けた環境整備や関係法令の周知・順守の徹底などが議題になる見通しだ。

今まで何遍も繰り返してきたことですが、こういうことが労働問題解決の本筋です。

なぜ今までこういうことができなかったのか。労使の対話がまったくないまま、派遣業界は労働者保護を抜きにしたまま事業規制緩和の旗を振り続け、弊害が露わになると今度は事業規制強化に突き進む、という不毛な綱引きが今に至っている、その根源はどこにあったのか。

今こそ、現場に根ざした労使対話の力で、事態を派遣の現場で働く労働者たちにとって望ましい方向に一歩でも二歩でも進める努力をしてもらいたいと思います。

>連合は今春闘で、派遣や請負も含めた非正社員の処遇改善を労使交渉の議題とするよう、傘下労組に求めている。今回の協議はあくまでも「対話」の位置づけで、合意事項に拘束力はないが、連合非正規労働センターの山根木晴久総合局長は「協議結果を踏まえてそれぞれが活動する中で、法令順守や処遇改善の機運を社会全体に波及させたい」と話す。一方、日本人材派遣協会は「幅広い視点で、建設的に話し合いたい」としている。

 人材派遣業界では、一部業者の社会保険への未加入や禁止業務への派遣などの法令違反が、たびたび発覚してきた。連合側は「こうした違法行為の根絶や悪質業者の排除では一致できる」と期待。政府が今国会での成立を目指している改正労働者派遣法の順守状況も今後の課題となるため、協議の定例化を提案する方針だ。

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水町勇一郎先生自身による『労働法改革』

133813 最近、この本の話題が続いておりますが、昨夜は、都内某所におきまして、編者にしてこのプロジェクトの中心人物である水町勇一郎先生自らによる「労働法改革のグランドデザイン」のプレゼンテーションがありました。生まれて初めて作られたというパワポの資料まで駆使して、熱っぽく語っておられました。

本書の「むすび」に書かれているように、水町先生がまとめられた壮大な体系に対しては、部分的にいくつもの異論が委員の中からも出ていたわけですが、わたくしはむしろ、大きな考え方の枠組みについて、かなりの程度共通認識が得られたということが重要ではないかと考えています。世間的にはいまだ少数意見のように見えても、ものの分かった人々の間では、労働法改革の方向性についてある種の収斂が進んで来ているようにすら思えます。

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2010年2月10日 (水)

身分関係に「契約の自由」はあるか?

中部産政研が出している『産政研フォーラム』の84号に、大内伸哉先生が「契約の自由をめぐる一考察」というエッセイを書かれています。

一読して、わたくしが昨今「労働法における契約論的発想の弊害」と言ってきていることと、まさに正面から関わるテーマであると感じました。

問題の本質を一言で言えば、現に身分関係によって構築されているシステムの正当性を契約のロジックで説明しようとすることの不適切さということになります

あらかじめ言っておく必要があるのは、ここで身分とか契約というのは特段価値判断は入っていないということです。身分システムにも契約システムにもメリット、デメリットがあります。

しかし、身分システムは一定のすでに社会的に構築された枠組みの中に当事者が入り込むものであって、そのあり方を当事者が勝手に決めていいわけのものではありません。マスターとサーバントの関係は、その時代の社会規範が決めるのであり、個々のマスターやサーバントはそれを受け入れてその通り振る舞わなければなりませんでした。

一方、契約システムは契約関係に入る前にはまったく対等の当事者が、自分たちの合致した意思に基づいて一定のトランザクションを行うものですから、そのトランザクションの中身自体は自治に委ねられますが、前提条件として当事者間の対等性が必要です。

世の中には身分システムに適した社会関係もあれば、契約関係に適した社会関係もあります。「身分法」という言葉もあるように、家族関係は契約自由に委ねることは極めて制限され、社会的に認められた枠組みを受け入れることが重要な分野です。一方、スポット的な売買関係は、一切身分関係なしにもっぱら契約原理で行われることがふさわしいでしょう。

しかし、世の中には、長期的な売買関係、長期的な賃貸借関係などすっぱりと割り切れない関係があります。そこで、契約原理を中心としながら、身分制的な修正を加える形で現実に適合した解決が図られてきたわけです。

ここまではいいですね。法学概論みたいな話ですが。

問題は労働関係の性質です。一方にはスポット的な労務賃貸借というローマ法的伝統があり、他方には主従の忠勤契約というゲルマン法的伝統がありますが、大きく近代の歴史を言えば、メーン流の「身分から契約へ」から現代的な「契約から身分へ」という大きな転回が、民法から労働法なる独立分野が生み出されてくる背後にあったといってよいでしょう。

問題はこの現代的「身分」であって、ヨーロッパの歴史的には、マスターとサーバントの関係が、実定労働法やとりわけ労働組合の労働協約によって外部から規定されるようになるとともに(それらに規定される分、契約の自由の度合いが少ない関係として)対等の使用者対労働者の関係に進化してきたというのが、今日の労働法学の知見であろうと思われます。

日本の場合も、それと類比的に進化のプロセスが進んだのですが、契約の自由の度合いを縮小する「身分」システムが、個々の企業のメンバーシップという形で形成されたという点が、ヨーロッパとの違いであると思われます。

これまた、いかなる意味でも価値判断を含みません。「正社員というのはこういうものだ」という社会規範によって、個々の使用者の恣意が縮小され、労働者が一定の身分を有する者として保護されるという仕組み自体は、それで社会がうまくいっている限り、大変良くできたシステムであったからです。

大事なのはここです。「正社員システム」とは、個々の使用者と労働者の契約の自由に立脚したものではありません。家族を養わなければならない成人男性労働者は、過重なくらいの労働義務を果たしながらも、家族の生活が維持できるだけの賃金を長期的にもらう。そうじゃない主婦パートや学生アルバイトは、小遣い稼ぎ程度の処遇で十分、という社会的に確立した規範に、個々の使用者と労働者が特段異議を唱えず、そのまま乗っかることによって成り立っていたのです。身分システムとはそういうことです。

身分システムは、みんながそのシステムでハッピーである限り、身分システムであるからといって批判されるべき筋合いはありません。現に、かつてはおおむねみんなハッピーだったわけです。

逆に、身分システムの正当性はその時代の社会規範にあるのですから、社会の側が「それっておかしいんじゃないか?」と感じだしたときに、立脚もしていない個人間の契約自由によって正当化すべきものでもありません。

ようやく大内先生の議論を批判する準備が整いました。

大内先生の議論はどこがおかしいのか。

21ページの最初のところに、こういう大変興味深い記述があります。

>このような方法で「契約の自由」を制限していくことについては、奇妙なことに、新自由主義派の論者と、均衡重視主義派のプロレーバーの間に、あまり差がない。

それは当たり前なのです。

ここで大内先生が「新自由主義」と呼んでいる八代先生の考え方は、まさに労働システム自体を「身分から契約へ」転換すべきだと考えているから、つまりいままでの企業メンバーシップ型の身分システムを解きほぐして、契約システムに再構成すべきだと考えているから、これまでの身分システムを前提とした正社員と非正規との差別的取扱いをなくそうとするわけです。

一方、大内先生の言う「プロレーバー」の方々が、ホントのところどこまで反契約主義的なのか、私は大変疑わしく思っていますが、それはともかく、身分システム的な発想からすれば、いままでは社会的に適切であった身分関係の割り振りがいろいろと問題を生ずるようになったので、違う身分システムに移行していかなくてはいけないのではないか、ということになるのは自然です。わたくしはどちらかといえば、そういう発想です。

何にせよ、現に存在する正社員システムが(六法全書の条文上というようなレベルは別にして)いかなる意味でも「契約の自由」に立脚したものではなく、これまでの社会規範に立脚していたにもかかわらず、それをいまになって「契約の自由」で正当化しようとすることには、議論の仕方として大変疑問を感じるところです。

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『労働法改革』大石玄さんの「場外戦」

133813 先日本ブログでご紹介した『労働法改革』(日本経済新聞出版社)ですが、わたくしとともに執筆陣に加わっている大石玄さんが早速そのブログ「博物士」でとりあげ、「場外戦」をされています。

http://d.hatena.ne.jp/genesis/20100209/p1

>日本における労働条件の決定システムは「労働協約」「労働契約」「就業規則」の3つが組み合わさって構築されています。しかしながら,労働組合活動の低迷によって「労働協約」の適用下にある労働者は少数になっているのが現状です。「労働契約」はというと,日本では雇入れの際に交わされる契約の条項がスカスカであることが多く,労働条件を決める機能が弱いのが実状です。昨今では有期雇用労働者については労働契約を交わすことも多くなっていることと思いますが,それにしても「契約書どおりに雇用は3年で終了して,その先の更新はありませんよ」というための便法に使われてしまうのがオチ。

 結局,労働条件の多くは,使用者が一方的に定めることのできる「就業規則」に委ねられてしまうということになります。「対等の立場において,決定すべき」〔労働基準法2条1項〕労働条件が使用者の思うがままになるのは,法の理念からしても不適切です。実際,オイルショックの時期に就業規則を用いた労働条件の引き下げが相次いだことから,裁判所を通じて「就業規則の不利益変更法理」が打ち立てられました。現在では,労働契約法(2008年3月施行)の第9条ならびに第10条となっています(判例法理と法の条文が同じかどうかは議論あり)。法律の名称は「労働契約」法となっているものの,その実質からすれば「就業規則」法と呼ぶのが相応しい位置づけの立法であります。

 こうした認識に立ちますと,集団的な労働条件決定システムが空白となっている現状に対して,どう対応するかが労使関係法制の課題だと言えます。これに対しては意見の分かれるところでありますが,今回の水町提言では「従業員代表制度の創設」を唱えております。比較法的にみると,すでに労働組合が存在しているところに従業員代表制を並立的にくっつけているのがスペインの制度だ,というわけで書いたのが今回の文章です。

 が,水町先生から日本法についての示唆を書いて欲しいとのオーダーがありましたので,最後に少しばかり私見を書き加えました。それが,「従業員代表制に賛成なのか反対なのか,お前はどっちなんだ!?」というニュアンスになっている最後の一文。

昨日のエントリの労委労協でのお話しも、まさにこの「集団的な労働条件決定システムが空白となっている現状に対して,どう対応するかが労使関係法制の課題」という問題意識から発するものなのです。

問題意識も共通なら、それに対して単純な処方箋を書けないというアンビバレンツを感じているという点でも、わたくしと共通点があります。

>《法律学》の立場からすれば,従業員全員を強制加入させる形の労働者代表制を設けるのが最もスッキリします。しかし《労使関係論》からすると,たとえ制度というハードウェアを用意したところで,ソフトウェアを動かして運用できる人材がいなければ機能はしません。新たな労働者代表制度を設計するにしても,果たして職場ルールづくりに責任を持って関わってくれる労働者側の人材が揃うのかが不安なところ。下手をすれば,労使関係法制までもが使用者の一方的な権限行使の手段として使われるという事態も危惧されるところなのです。

 考えあぐねたあげく,迷いもそのまま残した文章と相なりました。脱稿した後に濱口先生の『新しい労働社会』が上梓されたので今回の文章には反映できなかったのですが,その第4章で展開されている「労働者代表組織は労働組合であってはならないが,労働組合でなければならない」という提言も,私の考えているところと方向性は同じなのだろうと思っております。

労委労協の研修会の場で申し上げたことですが、拙著第1章から第3章までは、私はどんなに少数派でも多数派の方が間違っているんだと自信を持って喋れますが、こと第4章に関しては、現実可能性という観点からあえてすっきりしない議論を展開せざるを得ない感覚がつきまとうのですね。

大石さんがそういう感覚を持たれる一つの理由は、彼がスペイン労働法を専攻しており、現在のスペイン労使関係法制が、フランコ時代に由来する「全従業員を代表する者に、労働協約の締結と団体交渉を担当させる」という仕組みを受け継いでいることにあるように思われます。この点で、同じような国家社会主義的枠組みで作られた企業内従業員代表組織を戦後民主化することで形成された日本の企業別労働組合と、見えない赤い糸でつながっているような気がします。

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2010年2月 9日 (火)

関東ブロック労委労協研修会

去る日曜日(2月7日)、関東ブロック労委労協の研修会ということで、千葉の方にいってお話をして参りました。労委労協とは、労働委員会の労働側委員のみなさんの集まりです。東京都労委の水谷研次さんがブログ「シジフォス」でコメントされています。

http://53317837.at.webry.info/201002/article_9.html(排他的団体交渉権」の可能性さえ見える)

>日曜日は、濱口桂一郎さんに「集団的労使関係の再構築」と題し約80分の講演をいただき、その後約1時間、意見交換。長谷川裕子・前連合本部総合労働局長とのバトルはともかく、まだまだ組合役員の「労働政策」への認識は遅れているのが、率直な実感だった。「文章はあんなに判りやすいのにしゃべると何故あんなに難しい」が、多くの参加者の共通認識だったらしいことに不安を覚える。

これには「えっ?」という感じです。「なんと、とんでもないことをほざくのか」と思われるかと思っていたのですが、そんなに難しかったのでしょうか。

わたくしとしては、水谷さんの

>しかし、hamacyan先生も、挑発が少し過ぎたのかもしれない。

というのが、内心期待していた反応でありました。

どんなことを喋ったのかは、

>とにかく講演全文は『月刊労委労協』に全文掲載されるので

それをご覧下さいですが、水谷さんが続けて書かれていることが、その「挑発」の度合いを示していただいています。

拙著『新しい労働社会』第4章ではあまり踏み込んで書かなかったことを、かなり露骨な言い方で語っておりますので、いろんな意味で毀誉褒貶をいただくことになろうとは思っておりますが。

(追記)

ですから、長谷川裕子さんとは全然バトルじゃなくて、仲良く喧嘩しているだけなんですってば。

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佐藤孝治『<就活>廃止論』@日本学術会議

56977558 本日、日本学術会議の大学と職業との接続検討分科会に出席し、JobWeb社長の佐藤孝治さんの「就職活動と採用活動の現状と未来」というお話しを伺いました。その発表資料はじきに学術会議のHPにアップされると思いますが、それととともに佐藤さんの近著『<就活>廃止論』(PHP新書)も配布され、それをちらちらと読みながらお話を伺う感じになりました。

佐藤孝治さんはご自分のブログを持ち、またtwitterもされているようなので、わたしが紹介するよりそちらを見ていただいた方が早いでしょう。

http://koji.jobweb.jp/

アマゾンによれば、

>日本の新卒学生を取り巻く「就職活動=シューカツ」が変わろうとしている。
右肩上がり経済を前提にした終身雇用、年功序列システムが崩壊しつつあるからだ。
依然として新卒一括定期採用にとどまっているから、<就活>の現状は問題山積なのである。
組織が変わるなか、就職・採用において学生・企業は何を重視すべきか?
エリート学生の就活力が落ち、東大卒が以前より使えなくなったのはなぜか?
企業が本当に欲しい優秀人材の特徴と、そうなるための方法とを、就職採用活動支援のエキスパートが解説する。

○第1章 「就活」の時代は終わった
○第2章 「就活」の<ステップ0>
○第3章 なぜ学生は就職できないのか
○第4章 出現率五%の優秀人材になる方法
○第5章 できる人材は自分で作れ
○第6章 就職活動への提言
○第7章 次世代へのアクション

ということです。

分科会メンバーとの詳しいやりとりはそのうち公開される議事録をご覧くださいですが、わたくしが若干嫌がらせ的に因縁を付けた点だけ。

>「出現率5%の優秀人材になれ」というのは、学生や企業を相手にするミクロの商売の宣伝文句としてはもっともだけれども、マクロ社会的には意味がない。みんなが5%以内になれることはあり得ないので、みんな(あるいは少なくとも大部分)が一定水準をクリアできるようにするには、という風に問題を設定しないと、政策論にはならない・・・。

いや、もちろん、マクロの議論をするべきは佐藤さんの側ではなくて、我々の側であります。そのために参考になる論点を佐藤さんから提示していただくことに意味があるのであって、これは単なる因縁つけです。

佐藤さんの<就活>廃止論からの具体的な提案はこういうものです。

提案1 「選考試験」は大学1年生からスタート

提案2 優秀者には複数年入社パスを発行

提案3 学生の入社意思表示は大学4年の10月に

提案4 選考試験フィードバックの実施

提案5 新卒通年採用、毎月入社

新提案 (就職活動は大学卒業後に開始)

詳しくは上の新書に書かれていますので、ご参考までに。

(追記)

佐藤さんご自身によるtwitter上での報告:

http://twitter.com/kojisato515/status/8847025593

>>午前中に日本学術会議での講演「就職活動と採用活動の現状と未来」が無事終了できました。ジョブウェブの活動を通じて感じている問題意識をお話をさせていただきました。トップ層の学生ではなく、そのた大勢の大学生への支援をどうするべきかというご質問を頂きました。

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2010年2月 8日 (月)

うえしんさんの「なぜ学校は職業を教えなかったのだろう」

先だって拙著を書評していただいた「うえしん」さんが、少し前に「なぜ学校は職業を教えなかったのだろう」という評論を書かれていました。

本ブログで何回となく取り上げてきたテーマを、現実と格闘する中の生々しい感覚で描き出されています。一部引用しますが、その迫力ある文章は是非リンク先にいってお読み下さい。

http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-1379.htmlなぜ学校は職業を教えなかったのだろう

>この社会は学校にしろ、マスコミにしろ、職業をあまり教えてくれることはない。なんだか職業の知識が「秘匿」されているかのようだ。マスコミは消費や遊びの技能を教えてくれるが、職業やお金の稼ぎ方を教えてくれるわけではない。消費者のためのメディアであって、労働者のためのメディアではない。

 学校も職業を教えてくれるわけでもない。いぜんは学校を卒業して職業知識がまるでなくて受験知識だけでも企業が職業訓練をしてくれた。戦後の学校というのは企業のそういう学生の職業無知を周知でうけいれた。高度成長、人手不足で、職業知識は不問にされる余裕があった。だから学生は大学まで勉強して大学では遊べばいいだけだった。といより、学校は職業知識より教養知識を教える機関になり、世間も職業校より普通科を上におく価値観をもっていた。学生は職業知識についてまるで無知であることが至上であるような二十年を生きてきたのだ。・・・

>一時期ニートが騒がれたことがあったが、若者は雇用の転換の犠牲者になったのだ。戦後の教育と職業のありかたと、90年代以降の企業と雇用の関係のはざまにおいて、うちすてられた波間の落し物のように若者は職業からほうっておかれたのだ。学校教育において職業能力がまったくない青年に育て上げられた彼が、どうやって採用を削減しはじめた企業と対等にわたりあるけるというのだ。学校において赤ん坊にされたままでどうやって職を見つければいいというのか

 高校の教師は就職が決まらなかったり、フリーターになるしかない卒業生をどのような気持ちで送り出すのだろうかと思う。自分が教えてきた教育がかれの将来に有益な保障や保険をあたえてやれなかったことについて悔恨の気持ちをいだかないのだろうか。・・・

>学校は教養科目をおおく捨てて職業教育に転換すべきなのだ。いぜんから大半がサラリーマン、労働者になるのにどうして学者や金持ちの教養人になるような教育がほどこされるのかふしぎだった。学校は学問や知識の価値を教えるところだ。まちがっても商売や金の稼ぎ方、労働者として生きるすべを教えるところではない。労働者は労働者の教育をほどこされるべきであって、学者のそれではない。価値観を転倒させられてしまうのだ。

 学者ははっきりいえば、労働や労働者を軽蔑する価値観やヒエラルキーをつくりだす。知識や学問の価値観というのは世俗や現実の軽視をふくむ。知識は読書や書き物によって長時間動かないで熟考されるもので、したがって行動や実践を下位のヒエラルキーにおくものなのだ。戦後の学歴社会はいっそうの職業軽視の風潮を強めたのではないだろうか。

>これまでのお約束であった勉強しなくても企業がうけいれてくれる社会は終わった。そればかりか最初から稼ぐ能力や効率よく仕事をする能力がもとめられるのである。学校はいっさいそんなことは教えてくれない。いまのままの教育では企業がもとめない学生を大量に世間に放り出すだけである。まるで坊さんの学校にいって企業に就職するようなものである。教師も就職の決まらない学生に胸が痛いだろう。教育と学校の価値はがらりと変わってしまったのである。職業能力を教える学校に転換することが強くのぞまれるところだ。

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田中萬年先生の「実習の意義」

日本学術会議の大学と職業との接続分科会でご一緒させていただいている田中萬年先生が、その「職業訓練雑感」で、「実習の意義」という不定期連載(?)を書いていかれるようです。今回は第一回目、

http://www.geocities.jp/t11943nen/

田中先生が、この時期にあえて「実習の意義」を語ろうとされるのは、

>職業訓練の中核的訓練は実習である。時間的にも5割前後を占める。多い職種では7割も実施している。

 近年の職業訓練への批判は、間接的にはわが国の普通教育に対する誤解が土壌に有るためであり(このことについては近く論文が出るのでその時に紹介する)、直接的にはその結果として対極である実習の意義が充分に理解されていないためと考える。教育の問題については既に論じてきた(著書参照)ので、実習の意義を再検討してみたい。

という問題意識からです。

ごく短いエッセイですが、それにしてもさっそくこういう珠玉の言葉が出てきます。

>今日では大半の人が普通高校から大学へ入り、大半の政治家も、お役人も実習の経験のない人である。実習の経験が無ければ実習の意義が分からないのは当然である。実習の意義が分からなければ、学力という点数に表れるペーパーテストの結果しか関心はない。学力テストの国際結果は政治問題になるが、技能五輪の結果は簡単な報道で終わる。今後どのように変わるか分からないが、民主党の「教育」政策、人間形成策は高校の「無償化」以外では何が有るのか不明である。

 実習を再評価し、職業訓練を再評価し、人間形成策を根本的に変えて行くべきことが今後のわが国には必要と考える。

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「もちつけblog(仮)」さんの拙著書評

「もちつけblog(仮)」さんが拙著『新しい労働社会』に対する書評の1回目をアップされています。

http://webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-113.html(「休む時間」より「残業代」を優先する、日本という国 濱口桂一郎『新しい労働社会』(1))

(1)ということなので、さらに続くのでしょう。この回は、拙著第1章のテーマを取り上げていただいています。

「「休む時間」より「残業代」を優先する、日本という国」というタイトルの付け方が、まさにわたくしの問題意識をずばりと表現していただいておりまして、大変ありがたいことです。

とりわけ、このエントリの最後のパラグラフは、拙著全体にあい渉る問題意識とも関わるものです。

>日本では、企業が就労者と家族の雇用を保障するだけでなく、社会福祉的・社会政策的役割を果たしてきた分、その見返りに企業への忠誠心を求められます。そして、その忠誠心をあらわすために長時間労働が生じる、と考えられます。長時間労働が、忠誠心の表示となる以上、労働者側も、長時間労働自体の規制よりも、その忠誠心の見返りとしての金銭の割り増しを選好するようになった、と見るべきではないでしょうか。もちろん、もっと稼ぎたいという就労者と家族の経済的事情があるのも、無論のことですが

この続きの回で拙著の様々な論点がどのように批評されるのか、期待しております。

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デンマークの労組の解雇規制要求

EU財団のEIROに、2月3日付でデンマークの最新ニュースが載っています。

http://www.eurofound.europa.eu/eiro/2010/01/articles/dk1001019i.htm(Difficult collective bargaining in light of economic crisis)

その中に、「労働組合の要求」(Trade union demands)として、「もっと雇用保障を」(Greater employment security)という項目があります。

>A particular issue during the 2010 collective bargaining round will be employment security. As widely known, the so-called Danish flexicurity model combines flexible ‘hire-and-fire’ rules with a high level of social security for workers when they are dismissed. The effects of the economic crisis have resulted in a steep increase in the number of unemployed people due to extensive company restructuring across the country. In view of low wage increases over the next years, a large number of employees demand greater employment security in the current situation. The dismissal notification period is currently short in the LO–DA bargaining area: a maximum of four months according to the agreement in force. A response to workers’ risk of being dismissed could be to demand considerable longer notification periods. In the public sector and for salaried employees, the time limit for a dismissal notification is six months. However, this is not a demand that finds support among the top negotiators who prefer to maintain a flexible labour market model.

経済危機で失業率が高まり、賃上げも期待できない中で、雇用保障をもう少し強めろという要求が労働者側に出つつあるようです。

といっても、現在ブルーカラー労働者の場合たった4か月である解雇予告期間をもっと延ばせという話なんですけどね。

公務員とホワイトカラーは解雇予告期間が6か月と格差があるので、それも原因のようです。

人によっては、デンマークは首斬り自由の国だと誤解する向きもあるようですが、もちろんこれだけの規制はあるのです。国会制定法ではなく中央労使協約による定めですけど。

ちなみに、人によっては絶対に解雇不可能だと思いこんでいる向きもあるらしい我が日本国においては、法律上の解雇予告期間はなんと1か月の長きに及んでいますが、そこはそれ、現場の労働相談に押し寄せてくる事案では、態度が悪いから即日解雇なんてのが山のようにあり、あっせんでようやく数万円支払わせても、1か月分の解雇予告手当にも及んでいないんじゃないかというのがかなりありますから、まあ、実態からいえば日本の方がずっと随意雇用に近いという気もしないではありません。

労働組合の組織率が全然違いますし、セーフティネットや職業訓練システムの完備の度合いも違うので、そもそも労働者保護水準はまったく違うわけですが、「お前はクビだ!」といわれてからほんとに会社を辞めるまでの期間の規制も、これだけ違います。多くの中小零細企業の労働者にとっては、これこそが実質的な解雇規制なので、日本はほとんど大企業からなっているかのように思いこんだ議論はいささか空中を浮遊している感があります。

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『エコノミスト』誌でセーフティネットについての小論

20100205org00m020053000p_size6 『エコノミスト』誌の2月16日号が発売されたので、前号(2月9日号)に掲載されたわたくしの小論「支えきれなくなった「家族」雇用保険と生活保護の再構築が急務」と「「登録型派遣」続行を阻む派遣会社のモラルハザード」をアップしました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/econo1002081.html

>一昨年のリーマンショック以来、「派遣切り」等で職を失った労働者たちが雇用保険も生活保護も受給できないまま宿舎を追い出され、派遣村に流れ込む姿が全国に映し出され、労働市場のセーフティネットをめぐる議論が急に盛んになった。日本におけるセーフティネットのあり方の二重の歪みを指摘し、これからのあるべき姿を提示したい。・・・

http://homepage3.nifty.com/hamachan/econo1002082.html

>経営側からは原則禁止への反発が強い。需要の増減に応じて労働力を活用したり停止したりするのは本来禁止されるべきことではない。だが、弊害が生じていたのは確かだ。弊害の解消のために求められるのは、禁止措置ではなく、厳格な労働者保護ではなかろうか。その重要な柱が、セーフティネットのあり方だ。・・・

なお、1週間前に書いたように、この「ワーキングプアをつくらない社会保障」という小特集では、宮本太郎先生、木下武男先生も執筆されていますので、こちらも是非お読みください。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-2daf.html(『エコノミスト』誌特集「ワーキングプアをつくらない社会保障」)

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2010年2月 7日 (日)

「うえしん」さんの拙著書評

「考える書評集」で有名な「うえしん」さんが、拙著『新しい労働社会-雇用システムの再構築へ』について、詳しく書評していただいています。

http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-1385.html

>この本の読書中の感想は率直にいってややこしすぎて、難渋した。労働法制のあーでもない、こーでもないという議論は頭がこんがらがって、流し読みしやすい私はとても理解がむづかしかったし、言葉をひとつひとつかみしめないととても理解がついていけるものではなかった。

>いまの労働問題を労働法方面から読み解いた本ということになるだろう。いまの非正規問題というのは労働法から読み解いたほうがいいのか、あるいはジャーナリズムから読み解くほうがいいのか、労働法議論のややこしさから違う方面からの報告に逃げ出したくなった。

>まあ、でも労働法から労働問題をよみとくことは労働のあり方、根本をとらえなおす契機になるし、こんがらがった労働のあり方をときほどく大切なツールになる。労働法や規制がこんにちの労働問題や労働のあり方をつくっているという面もあることがよくわかった。

私としては、可能な限りわかりやすく書いたつもりではありましたが、うえしんさんにとってかくも難渋するほどであったというのは、反省すべきことであるかも知れません。

と、普通であれば、いうところでしょうが、私は違う反応をしたいと思います。

確かに現在日本の労働法制は頭が痛くなるほどややこしくてわけわかめな状態です。

拙著は、それをわかりやすく解説することを目的にした本ではありません。

そういう本はけっこう一杯出ています。新書本でも大内伸哉先生の新書はそういう本来新書に期待されているような性格の本です。

しかし、拙著はそういう本ではありません。

わけわかめな状態にある日本の労働法制を、わかりやすく説明してしまっては却って見えなくなってしまうその矛盾を、そのややこしさ、わけのわからなさのゆえんを、そのロジックに沿って、明確に摘出すること、その問題提起を、労働法の世界の外にある人々にも理解できるように説明すること、そういう目的で書いた本です。

わけがわからないことは、わけがわからない人が悪いのではない。と人に納得してもらうためには、そのわけのわからなさのわからなさ具合が分かってもらわないといけない、というパラドックスがあります。

その「難渋」を乗り越えて、わけわかめな労働法制のわけわかめぶりをそのわけわかめぶりに即して理解してはじめて、それに即して現行労働法制を的確に批判することができるのです。

それが我慢できない人は、遥か外堀から全然届かないような見当違いの批判の矢を投げつけて悦に入るしかありません。それでは本当の制度改革、労働法改革はできるはずはないのです。

実は、「うえしん」さんは上のようなことを云われながら、そのあとには長時間労働の問題、派遣と請負の問題、生活給と年功賃金の問題など、ほとんど的確に拙著の問題意識を摘出していただいています。

いちいち引用しませんが、是非上のリンク先をお読み下さい。

こういう本当にきちんと本の内容を読めている人ほど、

>ほとんど本の内容の紹介となったが、読むときはほんとうに難渋して、この文章も読み間違いや勘違いがないかすこし不安なところがあるし、本の中で理解できないところは放ったらかしにしている部分ものこった。まあ、いまの私に理解できるものしか理解できないというのは仕方がないものだ

と、謙虚な姿勢を崩さないのですね。

そして、最後に「うえしん」さんが述べられた次の言葉は、まさにわたくしが心ある読者の方々にそのように読んでいただきたいと念じていたあり方そのものです。

>しかしこの本はいがいにこんがらがった労働問題の整理に役立ったということができるだろう。また新たな認識にも光を当ててくれたということになるだろう。こんがらがった労働問題について頭の整理には、この濱口さんの首尾一貫した論理的な文章が役立つだろう。それにしても労働法やら法律って厚い壁のように感じるが、どうやったら興味をもつことができるようになるのだろう

本当にありがとうございます。「うえしん」さんのような読者を持てたことは、拙著にとってこの上ない慶びです。

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水町勇一郎・連合総研編『労働法改革』

133813 2月16日発行予定ということで、すでに日経新聞のHPに案内が載っていますので、こちらでも宣伝しておきます。

http://www.nikkeibook.com/book_detail/13381/

労働法改革
―参加による公正・効率社会の実現―

>労働の知識集約化やグローバル化、拡大する非正規雇用、是正されない長時間労働といった最近の働き方の変化に合わせた労働法改革のグランドデザインを描き、その実効性を実務・経済学・国際比較の視点から検討する。

新しい労働法制の整備が必要との問題意識のもと進められた、気鋭の若手研究者と人事労務の実務家たちによる研究の集大成です。

世上はびこるインチキな議論に惑わされないために、そして本当の「改革」を目指す議論とはどういうものであるべきなのかをしっかりと理解するために、労働法改革に関心を持つ多くのみなさんに是非とも読んでいただきたい一冊です。

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2010年2月 6日 (土)

経済産業研究所から労働関係のディスカッションペーパー6連発

経済産業研究所から、労働関係のディスカッションペーパーが一気に6つ出ています。といっても、中身は以前にシンポジウムでパネラーとして話された中身をまとめたものですね。

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/act_dp.html

「ホワイトカラーの労働時間制度の立法的課題」島田 陽一 (早稲田大学)

「労働時間改革-鳥瞰図としての視点-」鶴 光太郎 (上席研究員)

「ワークシェアリングは機能するか」川口 大司 (ファカルティフェロー)、鶴 光太郎 (上席研究員)

「労働時間法制の課題と改革の方向性」水町 勇一郎 (東京大学)

「労働時間、企業経営、そして働く人-どういう人がどういう企業で労働時間が長くなってきていると感じるか-」守島 基博 (一橋大学)

「経済学から見た労働時間政策」樋口 美雄 (慶應義塾大学)

こうやってみていくと、わたくしが2006年ごろから本ブログで孤軍奮闘して主張し、2007年雑誌『世界』で世に問い、昨年『新しい労働社会』の第1章で論じてきた「労働時間法制のあるべき論じ方」が、少なくとも心ある労働研究者の間では次第に常識化しつつあることが感じられ、思い半ばに過ぎるものがあります。

たとえば、島田陽一先生は、

>ホワイトカラー労働者に与えられる仕事は、それに必要な労働時間量が労働者の経験・能力によって極めて可変的であり、労働時間の長さが仕事の達成度の直接的な指標とはならない。従って、労働時間の長さが賃金の重要な決定要素とすることが馴染まない労働形態と言える。このことからすると、ホワイトカラー労働者の賃金制度は、労働時間の長さとの連動を回避するのが適当である。ところが、現行の労働基準法は、労働時間の長さによってのみ賃金額を決定することを強制しているわけではないが、法定労働時間外労働について割増賃金を支払うことを義務付けている。この結果、ホワイトカラー労働者の賃金を労働時間の長さと完全に切断することが不可能となっている。従って、ホワイトカラーの労働時間制度を再検討するうえで重要なことは、労働時間管理というものと賃金制度を分離が可能な労働時間制度を構想することにあると考える。

ただし、ホワイトカラー労働は、時間決めの仕事でないだけに、仕事の達成のために長時間労働となる危険性を有している。そして、日本の現状は、その危険性が現実化していると評価できる現状にある。従って、ホワイトカラー労働者の健康を蝕むような長時間労働を抑制するために、定型的な労働を前提とする現行労基法の仕組みに代わる長時間労の規制を組み込んだ労働時間制度でなければならない。

また、鶴光太郎さんは、

>第二の柱は、政府が規制を行う場合でも、実労働時間、賃金制度への直接的な規制よりも肉体的・精神的健康維持・確保の観点からの労働解放時間(休息・休日)への規制を重視することである。労働時間に対する政府の規制・介入のあり方を考えると、健康確保目的の規制は理論的考察や現実的ニーズという視点からも最も良く正当化しうるし、また、EU指令が労働者の健康・安全を労働時間規制の主要な目的として位置付けていることは再度強調されるべき点であろう

連合総研の「イニシアチブ2009」で一緒に労働法改革を論じてきた水町勇一郎先生は、こういう議論を前提した上で、さらに踏み込んで、

>第2 に、日本の長時間労働問題は、1.2 で述べたように、①日本の長期雇用慣行を中心とした雇用システムのあり方や、②正規労働者と非正規労働者の間に大きな格差・乖離がある労働市場の構造と密接に結びついたものという性格・背景をもっている。

そこで、日本の労働時間問題を考える前提として、例えば、①長期雇用慣行そのものを見直して外部労働市場の柔軟性を取り込む形で改革を進めていくのか、長期雇用慣行自体は維持しながら他の方法で雇用の柔軟性を確保することを模索するのか、②非正規労働者は正規労働者の雇用を守るための調整弁(バッファー)であるという位置づけを今後も維持するのか、正規労働者と非正規労働者をあわせて労働者全体で雇用の柔軟性のバランスをとっていくのかという問題を、もう一度根本から考える必要がある。

労働時間をめぐる問題を考える際には、労働時間法制上のテクニカルな議論・改革だけでなく、雇用システムや労働市場のあり方自体を見渡しながら、労働法制全体の改革を検討する視点が重要になる。

と、、雇用システム論の中で論ずべきことを主張しています。

ついでながら、連合総研のイニシアチブ2009の報告書の市販版が、もうすぐ日本経済新聞社から発行される予定です。

それについては、改めてエントリを起こします。

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苅谷剛彦・本田由紀編『大卒就職の社会学』

東大出版会から送られてきた広報誌の『UP』2月号の最後の「3月の新刊予定」というところを見ていたら、苅谷剛彦・本田由紀編『大卒就職の社会学』というのがあるのに気がつきました。

そこは編者と題名だけだったので、東大出版会のHPを見てみたら、

http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-051131-5.html

>日本の大卒就職はどのような特徴をもち,過去20年にわたっていかなる変化を遂げてきたのか.そしていま,それはどのような問題を抱えるにいたっているのか.大卒就職のプロセスと帰結について,気鋭の教育社会学者による詳細なデータ分析を通じて実態に迫る.

とありました。

ちょうど今、日本学術会議の大学と職業との接続検討分科会の審議が大詰めで、近々報告がまとめられるという時期でもあり、先日わたくしも監訳として関わったOECDの『日本の若者と雇用』が中島ゆりさんの翻訳で明石書店から出版されたこともあり、この本が3月に出されるということで、この問題をめぐる議論がにぎやかになるのではないかと思います。

編者の苅谷、本田両氏のほか、どなたが執筆されているのかも分かりませんが、期待して待ちたいと思います。

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『労働法律旬報』2010年1月合併号

Roujun1001ab 『労働法律旬報』2010年1月合併号(1711+12号)が送られてきました。これは労旬60周年記念号ということで、「現在日本の労働法の課題」という特集を組んでいます。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/581?osCsid=7e7f8bd7589dda7c1e14b1a810e170b1

[巻頭]労働法における実務と理論の意義―労働法律旬報60周年に思う=西谷敏・・・4
[特集1]現在日本の労働法の課題・・・14
深谷信夫/吉田美喜夫/萬井隆令/脇田滋/和田肇/山﨑文夫/藤本茂/石井保雄/土田道夫/島田陽一/新谷眞人/辻村昌昭/鎌田耕一/三井正信/林弘子/藤原稔弘/川口美貴/矢野昌浩/濱口桂一郎/高橋賢司/相澤美智子/斉藤善久/川田知子/柳澤武
[随想]労旬60年を振り返って・・・69
籾井常喜/中山和久/片岡昇/外尾健一/山本博/上条貞夫/坂本福子/清正寛/宮里邦雄/今野久子/前田達男/金子征史/林和彦/菊池紘/岡村親宜/今野順夫/豊川義明/石井将
[祝辞]労旬60周年を迎えて
古賀伸明/大黒作治/藤崎良三/水口洋介/鷲見賢一郎

わたくしも「労働法における契約論的発想の弊害」という小論を寄せております。

ほかの方々の文章をぱらぱらとめくって見ておりましたら、弁護士の水口洋介さんのエッセイのなかに、

>また、最近では日本IBMの会社分割事件のような新しい法律問題について、EC指令等のヨーロッパの労働法制について知ったのも「労旬」に掲載された本久洋一教授や濱口桂一郎氏の論文からでした。

と、自分の名前が出てきてびっくり。

もう一つの特集は、「差別禁止と均等待遇実現への第一歩」です。

[特集2]差別禁止と均等待遇実現への新たな一歩―国連勧告を契機として
対談/女性撤廃条約の30年=浅倉むつ子+林 陽子……101
女性差別撤廃条約選択議定書―個人通報制度と調査制度=近江美保……117
CEDAWとNGOのコラボレーション―CEDAWでミラクル=越堂静子……122
[資料]
*女性差別撤廃委員会(CEDAW)第44会期第6次日本報告審議総括所見[CEDAW 2009.8.7 日本女性差別撤廃条約NGOネットワーク(JNNC)訳]……128

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2010年2月 5日 (金)

高い労働コストがデフレリスクを排除

「第一生命経済研レポート」の「欧州見聞録」というコラム記事で、国際金融情報センターブラッセル事務所駐在員の橋本択摩さんが、「「デフレの国日本」の特殊性」というなかなか興味深いエッセイを書かれています。

わたくしも3年間住んだブリュッセルからの実感のこもったレポートです。

http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/monthly/pdf/1002_c.pdf

まず「欧州ではデフレは他人事?」というところから。

>以下、欧州での生活実感として述べるが、日本のデフレは非常に特殊なものであると思う。例えば、ブラッセルのレストランで昼食をとる際、安い店を選んだとしても、大抵ドリンク込みで10ユーロ、つまり1,300円以上は支払うことになる。2ユーロとちょっと払えば牛丼を注文できる日本が恋しくなるときもある。衣料については、ベルギーのほか独仏伊では通常1月と7月にセールが始まり、多くの商品が3割、5割引で販売され、なかには7割引で売られる商品もある。しかし、この大幅値下げは一時的なものであり、セールの時期が終われば、何事もなかったかのように通常価格に戻される。「デフレ慣れ」している日本とは様相がかなり異なる。

なぜヨーロッパはデフレに落ち込まないのか。その理由は・・・

>その最大の理由は、賃金上昇率の高さにある。スペインでは賃金上昇率が生産性の伸びを上回っており、労働コストが高止まりしている。スペインのみならず、相対的に硬直的な労働市場にある欧州では、労働コストが高くデフレリスクを極めて低いものにしている。ちょっとしたサービスでも、人の手がかかると「付加価値」として、価格が吊り上げられる。一方、物価下落、賃金抑制が長年続く日本の状況は、あたかも消耗戦を演じているかのように見えてしまう。

人間の値段が下がらずに上がるヨーロッパでは、その分財やサービスの値段も下がらずに上がるのでデフレにならない。人間の値段が上がらずに下がる日本では、その分財やサービスの値段も上がらずに下がるのでデフレになると。

いや、もちろん、ヨーロッパでは国際競争力という観点からはそちらが問題なので、「緩やかなデフレ政策を求める論調も」聞かれるのですが、それにしても、

>一方で、デフレ脱却を目指す日本。厳しい経済状況を打開し、成長力向上を目指す点は同じだが、そのための採るべき政策はかくも異なるものか、と異国にて思う。

という感想になるようです。

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朝青龍と労働法

誰か書くかなと思っていたら、弁護士の小倉さんと監督官出身社労士の北岡さんがさっそく朝青龍問題について書かれています。

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2010/02/post-80f6.html(「他人に暴行を加えた」という理由で行う懲戒解雇の相当性)

小倉さんが引用する裁判例は大阪地裁昭和49年5月28日労働判例205号35頁で、

>右の申請人の暴行に至る動機、態様、労務委員会当時における会社側の結果の認識および前認定の申請人の酩酊の状況等から考えると、申請人の所為は、会社創立記念日の祝宴における所為としては全く相応しくない非常な行為であるとの非難を免れないが、しかし酒に酔ったうえでの行為であり、意図的に暴行を加えようとしたものとは認めがたく、かつその傷害の結果も偶発的なものと認められるから、申請人に対し、会社就業規則第七四条二号にいう「他人に暴行を加えた」という理由で懲戒解雇に至ることは、その処分に至る事実の評価が苛酷に過ぎ、その情状の判定、処分の量定等の判断を誤ったものというべきであり、結局その処分が客観的妥当性を欠くが故に、就業規則適用の誤りとして、懲戒解雇は無効と解するのが相当である。

もちろん朝青龍は解雇されたわけではありませんが、小倉さんは、

>少なくとも、その脚本家や漫画家は、自らが委員を務める組織に属する特定の労働者に対し、解雇権を振りかざして執拗に特定の「品位」を押しつけようとしたことによって、不要なストレスをその労働者に与え続けたことを反省し、二度とそのようなある種のパワハラをしないようにして貰いたいものです。単独でではないにせよ、解雇権を行使できる立場の人が、特定の労働者との関係で「天敵」と呼ばれることの異常さに気付いていただきたいものです。

と、解雇権を振りかざしたことを問題としています。

北岡さんの方は、

http://kitasharo.blogspot.com/2010/02/blog-post_05.html(朝青龍「退職」と労働法ーニシムラ事件からの示唆)

ニシムラ事件(大阪地決昭和61.10.17 労判486-83)を引いて、

>使用者の右懲戒権の講師や告訴自体が権利の濫用と評すべき場合に、懲戒解雇処分や告訴のあり得べきことを告知し、そうなった場合の不利益を説いて同人から退職届を提出させることは、労働者を畏怖させるに足りる脅迫行為・・・これによってなした労働者の退職の意思表示は瑕疵あるものとして取り消し得る

朝青龍のケースがどうなのかと問うています。

>つまり懲戒解雇に該当しないような事案について、使用者側が「懲戒解雇になるぞ、処分前であれば退職届を受領し退職金を支払ってやる」とする対応は、後日、脅迫を理由に退職自体を取消しうるということです。

それでは朝青龍は「懲戒解雇」相当であったのか。昨日の記者会見を見る限り、当人はマスコミ報道と事実が違うとの主張を繰り返していました。知人男性に対する暴行が仮に事実無根(酔っていたので、何かの拍子に手が当たってしまったなど)であれば、ニシムラ事件と同様の問題状況といえるのかもしれませんね。

事実関係自体が必ずしも明らかではないですし、そもそも相撲力士の労働者性如何という本ブログで何回も取り上げた問題もこれあり、なかなか論じるのは難しいのですが、いずれにしても興味をそそられるケースであることは間違いありません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_c64e.html(力士の労働者性)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_fd03.html(時津風親方の労働者性)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_bbf0.html(幕下以下は労働者か?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-d31a.html(力士の解雇訴訟)

ちなみに本エントリは「雑件」ではありませんので、念のため。

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2010年2月 4日 (木)

山口浩一郎先生の有期契約無期転化論

厚生労働省の有期労働契約研究会は、いよいよ論点の集約に入り、

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/01/s0119-7.html

本年夏頃までに最終とりまとめをする予定ということです。

さて、ひょんなことから、有期契約の無期転化問題について、若き日の山口浩一郎先生が判例評釈の中で論じておられたことに気がつきました。『ジュリスト』の1966年5月1日号(345号)で、ちょうど東大の社研の助手をしておられた最後ごろに報告されたんですね。

「濱口くん、そんな昔のものをほじくり返すなよ」と言われそうですが、論理は十分今でも通用すると思いますし、こういう問題はあんまり今現在の判例通説ばかりとらわれていてもしょうがないので、紹介してみます。

ケースは、長崎地判昭39/6/12。休職制度のない臨時従業員が組合専従者となり欠勤を続けたことを理由に労働契約の更新を拒絶することができるか、といういろいろ絡み合ったものですが、有期契約の更新拒絶については、

>期間の定めのある労働契約が反復更新されることにより期間の定めなき労働契約に転化する法的根拠は見いだしがたいところであり・・・雇用契約が更新を重ねたことにより、X1とYとの間に当然雇用契約を更新する旨の暗黙の合意が成立したものとも断定することができない。

>・・・が、期間の定めのある労働契約においても、雇用期間が反復更新され期間満了後も使用者が雇用を継続すべきものと期待することに作業内容並びに過去の実績から見て合理性が認められる場合には、使用者が更新を拒絶することは実質上解雇と同視すべきであり、このような場合には解雇に関する諸法則を類推適用するのが相当である。

と、転化はしないけれども、期待による解雇法理の類推適用という後に最高裁が認めた立場に立っています。

若き山口先生は、敢然とこれに挑みます。

>けれども、それでは期間の定めのある労働契約の明示の更新は、当事者の全くの任意に委ねられ、永遠にそのようなものとして継続されていくのであろうか。この点に疑問がある。労基法21条但し書きは同各号に所定の期間を超えて「引き続き使用されるに至った場合」には、期間の定めのある契約についても解雇予告が必要であるとしているが、このことは、とりもなおさず、その前提として、所定の期間を超えて雇用関係が存続しているときは、その関係は少なくとも終了については期間の定めのない契約として取り扱うべしとの規範命題を内包しているものと解される。けだし、そのように解しないと、もともと期間の定めがある契約に解雇予告を必要とした論理は理解されないからである。そして、「引き続き使用されるに至った」という関係は事実として雇用関係が存続していればよく、それが明示の更新によったか黙示の更新によったかによって結論を異にするわけではない。・・・この意味では、決して期間の定めのない労働契約に「転換」する法的根拠がないとは言えない。

>ところで、このように解するとしてもさらに問題となるのは、本件のような労基法21条但し書き各号に該当しない場合の法的取扱いである。本件の期間の定めは3か月であるから同条但し書き各号のいずれにも直接は該当しない。私は、このような場合、季節的業務に関する同4号の類推適用を肯定すべきではないか、と考える。同号は業務の目的はいささか異なるとはいえ、すでに4か月以内の期間の定めのある契約について右の構成を肯定しているからである。

山口先生がこういう論理を展開される理由は、後に最高裁が採用した類推適用論は論理的に矛盾しているからです。これはまさしくその通りで、結果オーライのアクロバティックなロジックとしか言いようがないんですが、みんな仕方がないから使っているんでしょう。しかし、若き山口先生は棍棒を振り下ろします。

>(1)期間の定めのある契約はいくら更新を重ねても期間の定めのある契約にとどまるという判旨第2点の命題と、第3点の更新拒絶即ち解雇であるという命題は論理的に一貫しない。

>(2)更新拒絶は以後新たな契約は締結しないという意思の表明に過ぎないから、当該期間の定めのある労働契約の解約とは言えない。強いて言えば、法的には、満了期日を確認的に通知した観念通知と見るほかないであろう。したがって、性質の異なる両者を同視する実質的根拠はない。

>(3)実際的にも難点がある。それは、本件のように使用者がわざわざ更新を拒絶したら解雇と同視され、解雇保護の法原則が適用されるが、もし使用者が何も言わなかったらどうなるのか、という点である。判旨によれば、期間満了により労働契約は終了するというほかないであろう。このように、使用者がたまたま更新拒絶の意思を明らかにしたか、しなかったかによって結論を異にするのはおかしい。また、使用者にとっては、わざわざ親切に更新の意思がないことを明らかにし事態を明確にすると不利に扱われ、ずるく事態を曖昧にしておけば有利に扱われるというようなことは、到底納得できないであろう。

いちいちごもっとも、というか、なんでこんな欠陥だらけの「法理」がまかり通ってきているのか、という気もします。

ここで突然我田引水すると、労働契約の問題を政策立法たる労働法の論理ではなく、親しみ慣れた民法の論理でもって何が何でも扱おうとする「契約論的発想の弊害」が、ここに現れているのではないか、と私は思うのですが、それはまた別のところで。

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会社は教育訓練の場なのでしょうか

日経BizPlusの丸尾拓養さんの「法的視点から考える人事の現場の問題点」、今回は「ミスマッチの解消と教育訓練」です。

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/rensai/maruo2.cfm

>パフォーマンスの低い労働者への対処を検討するとき、「会社の教え方が悪い」「会社の教育がなっていない」と主張する人が少なからず存在します。会社は教育訓練の場なのでしょうか。労働者の側の「学ぶ」意欲や能力は無関係なのでしょうか。

会社は教育訓練の場なのでしょうか」と、真っ向から斬り込んできました。そうだったのでしょう、日本型雇用システムにおいては、というのがまずは答えということになりますが、それでいいのか?というのが丸尾さんの問いかけです。

>これまで、能力開発はOJT(On the Job Training)によるとされてきました。このため、OJTの失敗は企業の仕事の与え方が悪かった、あるいは上司の付け方が悪かったことを意味するとされました。つまり企業の人事権が強すぎる反面、人事権行使の結果として能力不足の労働者が生じても、それは企業の責任であると考えられてきました。

どういう労働者に育て上げるかは労働者の意思ではなく、企業の都合によって決める。それに従ってもらう以上、それがうまくいかなかった責任は一義的に会社にある。それはそれで一つの筋の通った考え方ですが、いつまでもそれでいいというわけにはいかないのではないか?というのが丸尾さんの問いかけです。

>しかし、長期雇用が変容し中途採用が増加してくると、状況は変わってきます。また、技術革新に伴う能力の陳腐化が急激に生じる状況で、その「バージョン・アップ」や、全く異なる能力の教育までをも企業の全責任であるとは言えなくなってきます。

>近年は仕事内容の標準化・オープン化が進んだ結果、ある企業に特有な能力というのは少なくなっているように思われます。ホワイトカラーの業務、特に経営に近い部分では、求められる能力の共通化が進んでいます。

この辺は事実認識というか、将来認識の問題ですが、ある程度はそういう傾向があるのは確かでしょう。この認識を延長していくと、ある種の企業横断的職業能力評価システムといった発想に近づいていきます。

それよりもむしろ、議論の筋として、

>能力開発はそもそも企業の責任であるというよりも、長期雇用の下で能力開発をすることが企業にとって利益であったというだけなのかもしれません。それでも実務の現場では能力開発はすべて企業の責任であり、労働者はこれを甘受するといった考え方が広まった感があります。しかし、労働契約という賃金支払いと労務提供が等価関係に立つ契約においては、労務提供をする責任が労働者にあることは言うまでもありません

というのはやや乱暴で、労務提供する責任はもちろん労働者にありますが、「どういう」労務提供をするかが一義的に会社側に決定権があり、その提供してもらいたい労務提供のための教育訓練を労働者に施す(労働者はそれを「甘受」する)という形で物事が行われてきたからこそ、能力開発の責任が会社にあるという風に考えられるようになったわけですから、話は「どういう労務提供?」をどの時点で誰が意思決定するのかという問題にまでさかのぼっていきます。

そのことと、

>「会社の教育が悪かった」「上司の教え方が悪かった」というのは、あまりに単純化した議論の仕方です。誰もが学校で実経験してきた通り、教わる側の努力も不可欠です。それでも企業は長期雇用の下で教育訓練を実施し、圧倒的多数の労働者を育成してきました。そこから漏れてしまった事例をも、一方的に企業の非とすることはできないでしょう

という労働者の努力の度合いの問題とはやや次元が違うように思います。っていうか、採用の段階でそういう教育訓練しても成果の上がりそうにない奴-訓練可能性の乏しい奴-をちゃんと見極めて、採用しないようにするというのが、まさに「人間力」「官能」による採用であったわけであって。

いろいろな意味で、そこから考えを膨らませるきっかけという意味で、面白いエッセイだと思います。読者のみなさんも、それぞれに考えを膨らませていただければ、と。

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2010年2月 3日 (水)

地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる 実録版

1月12日付の本ブログのエントリ「地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる」で、毎日新聞の記事をもとに紹介した湯浅誠氏の悩める発言が、「すくらむ」というブログでほぼ逐語的にアップされていました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-6d5f.html(地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる)

http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10446403104.html(湯浅誠さん「厚労省の貧困・困窮者支援チームやナショナルミニマム研究会は政権内野党」)

湯浅誠氏自身の言葉で、「地域主権」「地方分権」がいかに問題の多いものであるかが赤裸々に語られていまして、ナショナルミニマムなんてことは何も考えずに、地方分権って進歩的でかっこいいとか思いこんでいる総論だけの空っぽな人々が熟読玩味する値打ちがあります。

>しかし、いまナショナルミニマム(政府がすべての国民に保障する最低限度の生活水準)は、「地域主権」「地方分権」という流れの中で、軽視されています。最近では、地方自治体の仕事の内容や方法を国が定める「義務づけ」をはずすという流れの中で、保育所の最低基準を無くそうとする動きなどが出ています。

 民主党の政策の中で、いちばん違和感を持つのはこの「地域主権」「地方分権」です。「新自由主義」「自己責任論」が地方にも押しつけられて、地域間の格差が広がったという問題を是正しなければいけないのに、そこを十分ふまえずに「地方分権」をさらに進めていけば、ナショナルミニマムは一層壊され、国民の暮らしはたちゆかなくなります。たとえば就学援助は、小泉政権の「三位一体改革」で地方に財源移譲された結果、財政の厳しい自治体ではどんどん減らされてしまいました。そういうことが他のいろんな施策でも起こりかねません。

 国民の最低限の生活を保障するナショナムミニマムについては、国が責任をきちんと持った上で、その上乗せ部分を地方自治体が独自にやる方向でなければならないと思います。国と地方自治体との関係はそういうかたちにしていくべきで、ナショナルミニマムを壊すような「地域主権」「地方分権」は進めるべきではありません

>内閣府参与という私の肩書きは、単なるアドバイザーで何の権限もありません。ただ、実際に中に入っていろいろ意見を言ってみて初めて分かったこともあります。中に入るまでは、貧困対策は、政府のやる気の問題だと思っていました。政府さえやる気になれば貧困対策はある程度実現できるのではないかと思っていました。しかし、中に入ってみて、もっと構造的な問題があるということが分かりました。雇用が流動化しているのに、セーフティーネット、福祉サービスは自治体単位だという構造に問題があるのです。この構造上の問題があるから、生活困窮者はその狭間に落とされてしまう。この構造上の問題に手をつけないまま、今回の年末年始のように何か対策をやろうとすると、いろんなところでハレーションを起こし、批判にさらされることになります。

>住居はとても大切なのですが、日本ではずっと持ち家政策がやられてきて、「住居は自己責任」であり、公的住宅も圧倒的に少ない。基本的に日本には、低所得者層の住宅政策は存在しません。貧困の広がりの中で、臨時的にも公的シェルターが必要なのですが、これも国と地方自治体の問題があり暗礁に乗り上げてしまう。この問題も「地方分権」という流れがつくられていて、地方単位で住宅計画をつくるというような枠組みがあり、国として直営でというわけにいかない流れになってしまっています。

>この年末の対策として、ハローワークと自治体などの職員が1カ所に集まり職業訓練と生活支援の相談を受けるワンストップサービスを全国204カ所で実施しました。私はこの中で、生活保護の受付もできるようにしたいと思いましたが駄目でした。生活保護費は国が4分の3、地方自治体が4分の1を負担しています。ワンストップサービスで、生活保護の申請まで受け付けたら自治体の負担が増えてしまう。申請者の掘り起こしになって負担を増やしたくないから、ワンストップサービスで窓口を設けたくないというわけです。生活保護も受け付けるなら協力できないと地方自治体から言われた厚労省や政権側も、結局「地方分権」の流れの中で「国が自治体に命令できる時代ではない」として動こうとはしなかったのです。生活保護の受付はできませんでしたが、今回のワンストップサービスをハローワークで実施できたのは、全国にあるハローワークが国の行政サービスだったからではないでしょうか。

 国民の最低限の生活を保障するナショナムミニマムの取り組みにあたっても、国というのはこんなにも力が無いものなのかと思いました。「地域主権」「地方分権」の流れの中で、国は手足である「国の出先機関」を失っていっているのです

こうした「地域主権」「地方分権」の流れの中で、ナショナルミニマムをどうやって実現していくのか。手をこまねいてばかりもいられないので、この問題を整理してみようというのが「ナショナルミニマム研究会」の目的にひとつです。また、生活保護の捕捉率(生活保護の受給要件を満たす世帯がどれだけ実際に生活保護を受けているか)についても政府として発表する予定で、これも自公政権から考えると画期的なことではあります。

 しかし、「貧困率の削減目標」を政府として立てるというところにまで、今の民主党政権は合意が取れていません。私が担当している厚労省の「貧困・困窮者支援チーム」や「ナショナルミニマム研究会」は、いわば「政権内野党」のような状況にあると思います。

付け加えるべきことはほとんどありません。

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『季刊労働者の権利』2010冬号

日本労働弁護団の機関誌『季刊労働者の権利』2010年冬号(283号)が届きました。

特集は「21世紀の雇用社会を展望する」で、次のようなラインナップです。

・21世紀の労働社会はどこに向かうか?   濱口桂一郎

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rouben21seiki.html

・労働法を身近なものに   道幸哲也

・非正規雇用をなくし、全体を代表する労働者連帯で人間らしく働ける社会を   脇田滋

・希望ある雇用の創出と社会的連帯の構築-失業しても死ななくてすむセーフティ・トランポリン社会を  高井晃

・労働組合は消滅するか?個別労働紛争解決制度は何を解決できるのか?  後藤潤一郞

・九州労働弁護団座談会 21世紀の雇用社会を展望する  服部弘昭

あと、講演として根本到先生の「有期労働契約法制をめぐる理論的課題」が載っていて、わたしの有期契約の雇い止めに金銭解決をという提案を「絶対に容認できない制度」だと批判されています。

読み物として面白かったのは、増田秀雄さんの「阿久根市職員労働組合の竹原信一阿久根市長との戦い」です。最後の一節が、いろんな意味で考えさせるものがありましたので、ちょっと長めに引用しておきます。興味を惹かれた方は図書館等でどうぞ。

>竹原市長は、自らが、無私・無欲で戦ってきたと自負している。確かに、竹原市長のそのやり方は過激であるものの、竹原市長自らが提案した市長給与の削減、その市長になるまでの歩みそしてブログでの数々の発信内容からしても、竹原市長は、無私・無欲を信念として、結果はともかくも、意図としては、住民の立場で、阿久根市を良くしようとして、市政を行っているように見える。そして、そのような市政が阿久根市民の共感を呼んで、短期間に行われた2回もの市長選に勝利したものと思われる。

>しかしながら、神ならぬ人間の無私・無欲は、得てして、唯我・絶対欲に転化するもので、特に、無私・無欲を信念とする人物が権力を持ち、それを縦横無尽に振るいだしたら、自らの正義を確信し、それを他人にも強いる結果、狂気ともいうべき世界が出現することもあることは、歴史が教えるところでもある。

>現在の竹原ワールドの阿久根市が、異常な世界であり、一見、廉潔の人である竹原市長が、実は、市政を付託すべき人物ではないことを阿久根市民もまもなく悟ることになると確信している。来るべき市長選で竹原候補が落選することを通じてしか、本件紛争の最終的な解決はありそうにないからである。

本気の正義の味方ほど始末に負えないものはないという真理を悟るまでは、神々は渇き続けるのでしょうね。

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城繁幸氏に関する後藤和智さんの批判

トンデモ若者論を完膚無きまでに叩き潰す手捌きの見事さで名の高い後藤和智さんが、若者擁護論の仮面をかぶったよりトンデモな論の代表格である城繁幸氏に対して、痛烈な批判を繰り出しています。一言一言が見事の一言。

まずは後藤さん自身によるまとめ。

http://togetter.com/li/3323

>[B!] だめだこいつ、早くなんとかしないと…「解雇規制は社会主義」みたいな考え方が先鋭化するあまりものすごいトンデモに行ってしまっているよ(もちろん解雇規制にも問題はあるけど、こいつの前ではそんなの吹き飛ぶ) 派遣法改正? そんなことより「憲法改正」だ!

>城繁幸の危うさを本格的に認識するようになったのは、湯浅誠を「貧困ビジネス」と罵り、またさもセーフティネットの必要性の議論が社会主義であるかの如く罵り始めたころから。

>『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(光文社新書、2006年)で打ち出した「昭和的価値観の脱却」から、企業社会への反逆とか反左翼・反労組を経由してこんなところに突き抜けてしまった様は、ある意味興味深い分析対象にはなり得る。

>そういえば、城が批判(罵倒)しているのって大企業の(中堅くらいの)正社員ばかりだよね。正社員であることそれ自体が罪であるかの如き議論をする一方で、なぜか経営層には性善説が適用される。

>こういう「ハーメルンの笛吹き」的言説を見るにつけ、若者擁護論ってのはバッシングと同等、あるいはそれ以上に無意味なんだなあと感ずる。1990年代半ば~後半の宮台真司とか、フィールドは違えどだいたいこんな感じだしね。

>若者バッシング論者の先鋭化より、若者擁護論者の先鋭化のほうが怖い。そしてどっちも、若年層を思い込みでしか考えておらず、自分の願望の投影対象としてしか扱っていない。

>もちろん派遣労働の規制にも問題はありますけれども、派遣規制からそのまま計画経済、さらに共産主義社会という発想がそもそも飛躍に過ぎます。皮肉というよりは、その内実や成立の経緯、そして具体的な問題点を無視した誹謗でしかありません

その後の呟きから、

http://twitter.com/kazugoto/status/7850593322

>「中高年正社員から既得権を奪い取れ!」などといって、若い世代と現行の社会保障・雇用制度に無理強いをさせる連中が多い。そういう連中を黙らせるためにも、経済成長は必要なのである。なんてことを、こないだ光文社新書から出た上念司の本を読んで思った。

http://twitter.com/kazugoto/status/8278824529

>若者バッシングも擁護も、経済政策や社会保障政策に対して揺さぶりをかけないものばかりが流行るわけで、それにより子供や若年層の経済問題が注目されにくかった、というのは少なからずあると思う。

(参考)

批判された中身には一言も反論できない分、相手の属性のみを攻撃の対象にするというのは、有名な池田信夫氏の第3法則ですが、その法則をわざわざ忠実に実行するというのもご苦労様というべきでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/3_a7ad.html(池田信夫氏の3法則)

>池田信夫氏の第3法則:池田信夫氏が議論の相手の属性(学歴等)や所属(組織等)に言及するときは、議論の中身自体では勝てないと判断しているからである蓋然性が高い

ちなみに、池田信夫氏がわたくしの著書『新しい労働社会』に対して、いかなる「書評」をしてしまったかは、以下を参照。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-5545.html(池田信夫氏の「書評」)

>ただ、「読んではいけない」という理由が、「俺も同じことを言っていたんだぞ」ということと、わたくしの属している組織への攻撃だけというのは、いささか悲しいところがあります。

もう少し、「こいつのこういう政策論はこのように間違っている」といった正々堂々たる正面攻撃があるかと思っていたのですが、拍子抜けというところです。

>まあ、この「読んではいけない」のどこにも、わたくしの具体的な政策論のどこがどのようにけしからんのか、片言隻句の記述もないということが、すべてを物語っているように思われます。

書評は書評の対象となった書物について語るよりもより多く書評氏自身の人間性を明らかにするものですが、この「書評」ほどそれに当てはまる指標も、ちょっとほかに思い浮かびません。

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2010年2月 2日 (火)

欧州人材派遣協会のEU2020戦略へのポジションペーパー

欧州人材派遣協会(Euro-ciett)が、EU2020戦略に向けたポジションペーパーを発表しています。

http://www.euro-ciett.org/fileadmin/templates/eurociett/docs/position_papers/2010_EU_2020_Strategy/Eurociett_Position_on_EU2020_Strategy_Jan_09.pdf

>Contribution of agency work to well functioning labour markets should be recognised in the “EU 2020 Strategy”

Agency work raises employment levels, enhances labour market participation and promotes social inclusion

派遣労働は雇用水準を高め、労働市場参加を加速し、社会的インクルージョンを促進する、と。

文章を読んでいくと、

>The concept of a “sustainable social market economy”

持続可能な社会的市場経済なんていう概念も出てきます。派遣労働がそれに大いに貢献できるのだという文脈です。

このほかにも、ざっと読んでいけば、社会政策テイストな言葉が山のように出てきます。欧州の人材派遣業界が、自分たちの事業の正当性をどういう言葉で語ろうとしてきたかを、大変良く物語っていますね。

そういう流れの中に、欧州サービス労組との累次の合意文書や共同宣言などもあるわけでしょう。

残念ながら、日本の派遣業界は自分たちの正当性をそういう言葉で語ろうとしてこなかったように思います。派遣業界のスポークスパースンとして大活躍していたのは、あの奥谷禮子女史であったわけですし。

いま日本の派遣業界がその中にある苦境をもたらしたのは何だったのか、その反省からしか再起の道はないと思いますよ。労働者の権利を莫迦にするようなイデオローグに自分たちの業界を代弁させていたことの痛切な反省からしか。

聴くところによると、連合は人材派遣協会や生産技能労務協会と対話を始めるそうですが、それがやがてヨーロッパのような労使対話に発展していくことを期待したいと思います。

(参考)

奥谷女史については

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_1a6b.html(奥谷禮子氏の愉快な発言実録版)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_e152.html(雇用融解または奥谷禮子氏インタビュー完全再現版)

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2010年2月 1日 (月)

大野正和『自己愛化する仕事』

Image 本ブログにも何回かコメントしていただいている大野正和さんの『自己愛(わがまま)化する仕事-メランコからナルシスへ』(労働調査会)をお送りいただきました。ありがとうございます。表見返しに曰く:

>日本の職場の病理は、過労死やうつ病から自己愛的なパワハラや軽症うつ病が増加している。いまや、まじめで責任感の強いタイプよりも自己中心的で他者の視線に敏感な人々が、職場の主流を占めるようになった。かつての日本的経営は、他人を思いやる利他的行動に支えられていたが、現代の自己愛は利己的・他罰的な傾向を強め、職場の雰囲気そのものが変化しつつある。この傾向が、能力主義から成果主義への移行の深層にあった

大野さんの問題意識は、「あとがき」の言葉を引用すれば、

>「ココロ系」と「シゴト系」は、なかなか相交わらないもどかしさがある。精神科医は労働現場に疎いし、労務屋さんは心理的な問題に弱い。過労死やうつ病にしても、両社が共同して課題の解決に当たればもっと心強いと思うのだが、いかんせん、アカデミズムでの交流はほとんどない

>そこで、仕方なく、私のような変わり者が冒険的試みをするしかない

というところにあるのでしょう。確かに、正直言って、「ココロ系」の議論は、よく分からないまま参入するとやけどしそうな感じはあり、長時間労働が問題だよと云ってれば楽だよね、という面はあります。しかし、もちろん、本ブログでやりとりしたときにも述べたように、それだけの話じゃないという気持ちもあります。

私自身けっこう以前から職場のいじめ問題は根の深い大きな問題だろうという意識はあり、その観点からも「ココロ系」の議論を抜きには済まされないだろうね、とも感じています。本書の「第4章 派遣社員過労自殺事件」は、以前私が評釈したニコン(アテスト)事件を陳述書や口頭弁論などを駆使して追いかけたものですが、「今職場で何が起こっているか」を本気で追いかけようとすると、これくらいの取り組み方が必要なのかも知れません。

全体として云うと、メランコからナルシスへ、というのは分かるのですが、ナルシスの現れがホリエモン型のジコチュー的ナルシスと、引きこもりニート型のナルシスだけというのはさみしい気がします。

メランコがごく普通の日本の労働者たちであったような意味での、ごく普通のナルシスたちというイメージはあり得ないのかな、というのが薄っぺらな感想ですが。

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日本型雇用システム

労働大学出版センターから刊行されている雑誌『まなぶ』の2月号に、標題の小論を寄稿しました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/manabu1002.html

>日本型雇用システムは男性正社員、女性正社員、非正規労働者の3つからなる仕組みでした。男性正社員は新卒採用から定年退職までの長期雇用、女性正社員は新卒採用から結婚退職までの中期雇用、非正規労働者はその都度雇われる短期雇用が原則です。

男性正社員の働き方の特徴は、職務無限定、時間無限定、場所無限定という限定のないメンバーシップ型の雇用契約です。・・・・・・・

やや図式化しすぎている嫌いはありますが、わりと読みやすくまとまっていると思います。

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世界の高齢者雇用政策

年金シニアプラン総合研究機構が刊行している『年金と経済』誌の最新号(第28巻第4号)に、わたくしの「世界の高齢者雇用政策-日本とEUを対比して」が掲載されています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/nenkinkeizai1001.html

要旨:日本では半世紀近く前から高齢者雇用政策が重要な課題であったが、ヨーロッパでは1980年代まで早期引退政策がとられており、高齢者は雇用政策の対象ではなかった。しかし、1990年代から性別を超えた差別禁止政策の一環として年齢差別禁止政策が急速にクローズアップされ、2000年には立法化に至った。同時に、雇用戦略や年金戦略においても、高齢者の就業率を高め、引退を遅らせる方向への取り組みがなされてきている。

この雑誌、なんと28カ国もの年金制度の説明が載っており、なかなか壮観です。

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