大学は何をして生き残ることができるのか by 原田泰
大和総研の原田泰さんが、「社会が求める人材と大学の役割-大学は何をして生き残ることができるのか」という小論を書かれています。
大学教育の職業的レリバンスという最近はやりの論点に、実務派エコノミストの視点からシビアな見解を示していて、なかなか興味深いので、紹介しておきます。
http://www.dir.co.jp/souken/research/report/harada/10021201harada.pdf
要約は:
大学に対して、経済社会で役に立つ高度な人材を育成すべきという社会の要求が高まっている。
日本の教育は、これまで、そのような実利的な要求に反対してきた。ところが、戦後の高度成長時代、企業側が、大学は実務を教えなくて良い、人材は企業が育てると考えるようになり、日本独特の制度、Jモードが成立した。
しかし、低成長の持続とともに、J モードを維持することが困難になってきた。だが、企業が現実に必要とする能力は不定形であり、大学で公式として教えられるようなことは少ない。
企業の多くは、今でも、新卒者には即戦力よりも潜在力を求めている。大学は、少しの公式と大きな探究心を与えるものとして、社会で生き残ることができるだろう。
ということですが、本文の記述もディテールが面白く、是非リンク先の原文をお読みいただきたいところです。
あえてわたくしの感想を述べれば、前半までの戦前から現代に至る「Jモードの発展と崩壊」の記述はほぼ客観的で適切だと思いますが、後半以降の「じゃあ、大学は何をすれば?」というところがやや曖昧というか論理混濁気味のような気がします。
とりわけ、本ブログでも何回か揶揄気味に書いてきた経済学の職業的レリバンスについての次の記述は、ちょっと違うような気がします。
>ここで、私の一番良く知っているエコノミストという特殊な職業と大学教育について考えてみたい。特殊な職業とは、その数が少ないということだ。日本のエコノミストは、全部で1000 人もいないだろう。ということは、1人が40 年この職業に就くとすると、毎年25人養成すれば良いと言うことになる。これは大衆化した大学で職業として教育する意味がないということだ。
しかも、経済学は、どう分析するかの公式は教えられるが、何を分析するかは教えられない。ところが、何を分析するかがエコノミストの評価を決めると私は思う(経済学者なら新しい公式を作り出すことだ)。要するに、公式のある仕事は数が少ない。
とんどの仕事は定型的ではなく、それゆえ職業教育が困難なのだ。これはエコノミストに限らず、あらゆる専門職に共通の問題なのではないだろうか。
毎年25人養成すればよいのはエコノミストだからで、他の専門職(法律関係でも会計関係でも)はそんなスケールではないと思いますが。また、「公式」とか「定型的」という言葉の認識が、いささかどうかという感じもします。
« スウェーデンにおける異職種間同一価値労働同一賃金について | トップページ | 水町先生のめざすのは白亜の大殿堂ではなく、焼け野原 »
« スウェーデンにおける異職種間同一価値労働同一賃金について | トップページ | 水町先生のめざすのは白亜の大殿堂ではなく、焼け野原 »
コメント