連合の「同一価値労働同一賃金」とは?
先日(1月26日)のエントリ「日本経団連の定義による「同一価値労働同一賃金」」について、労務屋さんが簡単にコメントされています。
話の流れを理解するために、一通り引用します。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-fb7d.html(日本経団連の定義による「同一価値労働同一賃金」)
>>ここで、同一価値労働同一賃金の考え方とは、将来的な人材活用の要素も考慮して、企業に同一の付加価値をもたらすことが期待できる労働(中長期的に判断されるもの)であれば、同じ処遇とするというものである。
>これは、通常の用語法における同一価値労働同一賃金とは逆に、同一労働であっても(中長期的に)同一価値じゃないから同一賃金にする必要がない、というロジックです。これはこれで、一つの完結したロジックなのですが、それは日本型システムにおける職能資格制における賃金決定原理の一つの軸であって、それを既に世界的に意味の確定している「同一価値労働同一賃金」という言葉であえて表現する意味がどこにあるのか、いささかよくわからないところがあります。
ちょっとググってみても、日本経団連以外にこの言葉をこういう意味で使っている用例はなさそうです。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100129(経労委報告に対する連合の見解・反論その2)
>なお、「現実的には同一価値労働・同一賃金を否定しているものと同じと考える」というのはある意味そのとおりで、hamachan先生もご指摘のとおり(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-fb7d.html)、ここでの経団連の「同一価値労働・同一賃金」の用法は法哲学の一般的定義とは異なる定義によっていますから、そういう意味では一般的定義としての「同一価値労働・同一賃金」を現実的には否定しているからです。その善し悪しは別問題で、とりあえず連合見解は事実の指摘としては正しいといえるでしょう。
うろ覚えなのでまったく自信はないのですが(誤りがあればご指摘ください)、「同一価値労働同一賃金」という語は、日本では連合などの労働サイドが、日本は職務給じゃないし職務分析も一般的じゃないから同一労働といっても難しいよな…といった文脈で、おそらく法哲学上の定義とは別に使い始めたように記憶しています。その後、賃金だけじゃないだろう、ということで「同一価値労働同一労働条件」と言っていた時期もあったように思います。これに対抗してかどうか、旧日経連などは「同一生産性同一賃金」という語を用いていたこともあったはずです。いずれをとっても、言わんとしていることはわからないではないけれど、でも突き詰めて考えようとすると意味不明だなあという印象は禁じ得ず、同一労働同一賃金というときには意味を慎重に考える必要があるように思います。
ここで論じようとしているのは同一価値労働同一賃金は本来どういうものであるかとか、どうあるべきかということではなく、一般的な用法とは異なる上記「同一価値労働同一賃金」の用法を使い出したのはどちらかという事実問題です。
労務屋さんによると、それは「連合などの労働サイド」であるということなのですが、そういう用例はいくらググっても出てこないのです。逆に、2002年にパート労働プロジェクトの冊子では、
https://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/roudou/part_kintou.html(パートタイム労働の「均等待遇」に向けて)
>ペイ・エクイティ(同一価値労働同一賃金原則)の実践
というのも載っているので、「同一労働じゃなくても同一価値だから同一賃金にしろ」という意味でこの言葉を使っていたようです。
ただ、労務屋さん自身がかつて書かれた「用語集」にも、
http://www.roumuya.net/words/t/doitsu.html(同一労働同一賃金)
>こうした問題をふまえて、連合などは「同一価値労働同一賃金」を主張している。外形的に同じであっても価値が違うということはありうる、というわけである。
と書かれているので、「同一労働であっても同一価値じゃないから同一賃金じゃなくてもいい」というこの言葉の用法を使い出したのは連合側であるという認識はかなり以前からのものなのでしょう。
なお、「連合はそんなこと云ってるけど、実は・・・」という次元の話であれば、これはもう昔からの話ですが、それとこんがらかると話の筋がますますわけわかめ気味になります。
このあたりの一つの簡単な整理として、わたくしの「賃金制度と労働法政策」から、一節を引用しておきます。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/chinginseido.html
>興味深いのは、最後のところで、連合の同一価値労働同一賃金原則の主張を批判しているところです。雇用形態が違えば価値も違うはずだ云々と反論をしているのですが、論理的整合性でいえば、定型的職務従事者に対する職務給については雇用形態にかかわらず同一労働同一賃金原則が適用されるのでなければおかしいはずです。連合が「均等処遇の実現と並んで、賃金カーブの維持を要求の柱に据えて」いること自体が「論外」という批判こそが論理的に正しいのであって、本来ならばむしろ同一労働同一賃金原則に基づいて賃金カーブを平べったくするのだと主張すべきところでしょう。まあ、世の中いろいろあってそうは言えないのでしょうが。
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