それは非金銭的な互酬の論理
金子良事さんとのやりとりの続きです。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-92.html(「やりがい搾取」の構造は互酬の否定である報酬拒否から生まれる)
実は、ここで金子さんが言わんとしている趣旨というか、社会的にいかにあるべきかという点については、私との間にほとんど差はありません。ある種のボランティアの人々の心性こそが諸悪の根源なんだぜ、という気分は、本ブログでも繰り返し書いてきたところです。
問題は、金子さんがボランティア精神を「互酬の否定である報酬拒否」と認識しておられるところです。
それは違うでしょう。
むしろ、ボランティアの人々は、狭っ苦しい金銭に縛られたがちがちの交換の論理を否定して、伸びやかで自由で形式にとらわれずいつでもどこでも誰とでもできる「互酬」の論理の実践としてボランティアを捉えているのではないでしょうか。互酬はあくまでも贈与の繰り返しであって、それ自体として報酬請求権を含意していません。むしろミクロには報酬請求権なき贈与の繰り返しがマクロ的によりよいサービスの均霑をもたらすという一種の予定調和論が背後にあるように感じられます。
そして、ミクロには報酬請求権を有さない(つまり「交換」の契機を持たない)ということが、前のエントリで述べたブラック企業を生み出す元になるということからすると、金子さんのテーゼは正しくは、
>「やりがい搾取」の構造は「交換」の否定である報酬拒否から生まれる
と表現すべきであるように思われます。
(参考)
本ブログで、この「「やりがい搾取」の構造は「交換」の否定である報酬拒否から生まれる」というテーゼに関係するエントリは以下の通りです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/ui_on_4917.html(UIゼンセン on コムスン)(コメント欄)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_e58b.html(対談ナマ録)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c79d.html(労働者協同組合について)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-d8ca.html(ボランティアといえば労働じゃなくなる?)
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