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« 労組法上の労働者性について 戦前編 | トップページ | 『日本労働研究雑誌』特別号 »

2010年1月25日 (月)

大野正和さんの慧眼

昨日コメントいただいた大野正和さんは、現在『先見労務管理』という雑誌で、「非正規な怒り-職務主義と攻撃性」という大変意欲的な論文を連載しておられます。

まだまだ連載は続くようですし、しかも、

http://www.geocities.jp/japankaroshi/hiseikiikari.htm

第1回 2009.9/25 「職務給制度」の同一性原則に抗う心理
第2回 2009.10/10 職務主義と「自己責任」論との奇妙な呼応
第3回 2009.10/25 「非正規な怒り」は自分自身を攻め立てる
第4回 2009.11/10 日本的経営の曖昧な職務構造
第5回 2009.11/25 「不機嫌な職場」での「メランコ仕事」と「ナルシス仕事」
第6回 2009.12/10 「仕事基準」という「切断の思想」は定着するか
第7回 2009.12/25 同一価値労働同一賃金論と「近代の超克」
第8回 2010.1/10 「近代主義」としての職務給制度は二度死ぬか?

第7回目になると、「近代の超克としての主体的無の立場」とか、京都学派哲学まで出てきて、個人的には大変惹かれるんですがまあちょっと・・・という感じで、私ならそれをもう一度客観化してマクロ的な歴史叙述に落とし込むだろうな、と思いつつ、次号以下を楽しみに待っているところです。

さて、その第4回で拙著を取り上げていただいているのですが、

>最近のベストセラーである濱口桂一郎の『新しい労働社会』(岩波新書、2009年)では、日本の雇用のあり方を「メンバーシップ」と特徴づけて、ずばり本質をとらえている。ただ私見では、そのあり方は伝統的な日本的経営の特質であり、近年は少し様子が違ってきていると考える。・・・・

この議論がもともと誰の唱えていたものであるかを、きちんと指摘しておられます。

>濱口の考察の背景にあるのは、(旧)労働省に長く勤務した田中博秀の見解である。

どなたがここを指摘するかな、と期待しておりましたが(実は、直接関係ない150頁にちらりと田中博秀氏の名前を出しておいたのは、そのヒントのつもりもあったのですが)、大野さんに指摘していただいてとても嬉しいです。

しかし、大野さんが言いたいのは、むしろその先の人間学的議論です。

>このような人間論から、田中=濱口は、労働官僚らしい政策や制度論議に入っていくのだろうが、それでは救えない仕事や職場の「深み」を探求したいのだ

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コメント

いや、拙論などにも目配りいただいて、いつもの広範囲な研究サーベイに恐れ入る次第です。
連載は、ほんとに自由に書かせていただいているので、筆の滑りもかなりあります。
田中博秀氏との関係は、「ヒント」から推察させていただきましたが、はずれていなくてホッとしました。
拙論の内容は、連載を読んでいただくのが一番ですが、いずれ一書にまとめて世に問おうと考えています。
どうも、「売り込み」が下手なので、そのあたりよろしくフォローしてもらえると、うれしいです。
たしかに、ご指摘のように最後には「近代の超克」がくるので、そこを「客観叙述」できれば・・・

「一書にまとめ」られた暁には、是非心ゆくまで書評させていただきたいと思います。

さて、「近代の超克」云々は、わたしはきわめて正鵠を得ていると思っています。それは、日本型雇用システムが封建遺制などではなく、近代資本主義に対する様々な社会主義の試みの一環であり、その意味で、言葉の正確な意味において「近代の超克」の試みとして生み出されたものであるという社会的事実の、哲学的反映という意味においてそうだという趣旨です。

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