「哲学の人」と「政策の人」
稲葉振一郎先生が、
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20100119/p4(「メモ」「人間力」「職業能力」「学校教育」)
>hamachan先生や金子良事氏や労務屋さんがあれこれ言っているのを脇に見ながら。
といいつつ、
> 本田由紀は公教育の政治的側面、人格陶冶の機能を強調するある種の主流派左翼教育学を批判し、公教育における職業教育の復権を高唱するが、・・・
と、職業レリバンス論に対する側面的批判をされています。
何と申しましょうか、稲葉先生はやはり本質的に「哲学の人」であるのだな、と感じました。これはいかなる意味でもペジョラティブなインプリケーションはありません。時々ここで漏らしているように、私も本音では哲学って好きなんですよ。ただ、それはプラーベートスフィアでのことであって、世の中に対して労働問題の専門家としてものをいうときは、徹頭徹尾、「政策の人」として語るように自らを律しておりますので、本田先生の議論の中には、
>、「ハイパー・メリトクラシー」という権力に対して、「職業能力中心の公教育の再建」を明確に対抗権力として――ありもしない「権力からの自由」を求めることをやめて――構想する
という契機があるのかもしれませんが、それはとりあえずカッコの中に入れて論じております。そもそも、
職業と教育をめぐる政策論において、「ハイパーメリトクラシー」論は必要条件ではありません。少なくとも、私は前提にしていません。
(追記)
稲葉先生より、
http://b.hatena.ne.jp/entry/eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-463a.html
>すいませんご趣旨がよーわかりません。責めてるわけじゃないですが。
と御下問がありました。
いや、簡単な話で、少なくとも学術会議の大学と職業の接続検討会では、フーコーが滑ったとかアガンベンが転んだとかいう哲学な話は誰もまったくしていないし、たぶん本田先生も含めて、そういう方面の話をしているつもりのある人はいないでしょう(たぶん何の話か分かる人もあまりいないでしょう)、というだけのことなんですが。
もちろん、
>hamachan先生や金子良事氏や労務屋さんがあれこれ言っているのを脇に見ながら。
というのは、あくまで「脇に見ながら」であって、それに「即して」ではないので、それをネタに稲葉先生自身の関心事項についていろいろと語られるのは何の問題もないのですが、形の上では私が持ち出した話題について稲葉先生が何か難しい議論を提起されているような形になり、知らんぷりするのも変なものなので、何かコメントしようとすると、ああいう斜め後ろから口笛吹いているような変なものになってしまったということであります。
余計なコメントなんかせえへん方が良かった、ということでありましょう。
« 福田耕治編著『EU・欧州統合研究』成文堂 | トップページ | 第2回雇用政策研究会 »
コメント