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2009年12月 4日 (金)

開発主義型雇用政策の終焉?

『日本経団連タイムズ』12月3日号に、阿部正浩先生の講演概要が載っています。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/times/2009/1203/03.html(開発主義型雇用政策の終焉)

>日本経団連の経済政策委員会企画部会(村岡富美雄部会長)は11月12日、東京・大手町の経団連会館で会合を開催し、獨協大学経済学部の阿部正浩教授から、「開発主義型雇用政策の終焉」をテーマに説明を聞いた。概要は次のとおり。

■ これまでの雇用政策の特徴~開発主義型雇用政策

わが国の雇用政策は、労働者個人を支援するのではなく、企業の雇用調整に対する支援や企業内部の能力開発の充実など、企業の人事管理を通して完全雇用を達成するという思想で展開されてきた。そして、雇用政策の内容は、バブル崩壊後において、わが国の経済成長が一段と低下するなかにあっても変化することはなかった。その結果、不況期における企業内部での雇用保蔵が拡大し、現在では600万人程度にまで達しているとの試算もある。

かつてのように経済が高い成長を見込める場合には、本来外部市場に出るべき人材を社内に保蔵しておくことも効率的であった。しかしながら、経済成長率が低下しているほか、高齢化社会の一段の進行やグローバル化に伴う国際分業構造の複雑化、技術革新の進展などによって環境が大きく変化している現在は、従来型の雇用政策が企業の非効率な部分をかえって温存することにつながっている。

■ 開発主義型雇用政策からの脱却

わが国経済は、総人口が減少し、国内マーケットが縮小する一方、65歳以上の老年人口のウエートが急激に高まりつつある。こうしたなか、人口一人当たりのGDPを維持しようとすれば、15歳から64歳の生産年齢人口の一人当たり生産性を高めなければならない。

そのためには、従来の雇用政策から脱却し、外部労働市場における再配置機能や能力開発機能を強化することを通じて、次の成長部門へ労働再配置を進めるなど、生産性向上に向けて産業や職業の構造を転換させなければならない。

その際には、国際競争の激化や分業の高度化、短期間就業希望者などを背景に増加した、いわゆる非正規雇用問題に対して、適切な対応も欠かすことはできない。具体的には、正社員の保護を緩和し、非正社員の保護を強化するといった均衡待遇や、雇用保険に限らず、社会保障の拡充も含めたセーフティーネットの強化などが考えられる。

私も、「企業主義の時代」の雇用政策という説明をしているし、内部労働市場指向型対外部労働市場指向型という対比をよく使うので、おおむねその通りという面もあるのですが、ものごとのもう一面も強調しておいた方がいいのではないか、と思うので、一言。

それは、最近はやりの「フレクシキュリティ」とも絡むのですが、ヨーロッパでフレクシキュリティが唱道される際に、よく言われるのは「ジョブのセキュリティからエンプロイメントのセキュリティへ」というフレーズなんですね。

ヨーロッパの文脈では、「ジョブ」というのは個々の雇用契約ごとに定まっていますから、ジョブのセキュリティというのは、今いるこの職場で働き続けることを意味します。それに対して、「いや変化の激しいこの時代、一つのジョブにいつまでも固定し続けることなんてできないんだから、ジョブは安定してなくても、別のジョブに移るまでちゃんと生活が保障されて、職業訓練が受けられて、安心して異動できれば、その方がいいではないか、それこそがエンプロイメントのセキュリティである」というのが、フレクシキュリティのロジックであるわけです。そういうアクティベーション付きの保障を国のレベルでやろうとするわけですね。

ところが、日本では個々の雇用契約ではジョブが定まっていませんから、それとまったく同じことが大企業の内部労働市場でやれてきたわけです。企業の内部労働市場の中で、ジョブは不安定だけれども、給料はもらって研修を受けて別のジョブに移ることができるというエンプロイメントのセキュリティであったわけで、それを単純に「雇用保蔵」とのみ言うことはできないわけで、むしろある意味では「部労働市場における再配置機能や能力開発機能を強化することを通じて、次の成長部門へ労働再配置を進めるなど、生産性向上に向けて産業や職業の構造を転換させ」てきたという言い方もできます。

ただ、それは大企業の正社員のみに可能な方策であって、中小零細企業や非正規労働者にとってはあまり縁のない話であったし、大企業分野でもそういう内部労働市場型の転換の余地がかつてに比べると少なくなってきたと言う面はあるのでしょう。ですから、雇用政策の方向を転換すべきであるという議論自体には別に反対ではなく、方向性としては阿部先生の言われることに同感するところが大きいのですが、基本的な認識論のレベルで、あまり自体を単純化するような議論にしない方がいいのではないか、と思うのです。

これは、別の言い方をすると、フレクシキュリティというのは、外部労働市場にものごとを丸投げして「市場に任せた。後はわしゃ知らん」然としているような誰かさんみたいな発想とは対極にあるものであって、むしろいままで大企業の内部労働市場でやってきたような手厚い生活保障と職業転換訓練を、国家レベルの外部労働市場で大々的にやっていくということなのだということをきちんと認識してもらわなければ困るということでもあります。

その意味で、ここで標題になっている「開発主義型雇用政策の終焉」というのは、あまりにもミスリーディングな表現ではないかと思います。

確かに政治学などではこの言葉を「企業を通じて」の政策をあらわす意味で使うことが多いので、その意味では間違いではないのですが、雇用政策の目的が労働者の能力「開発」とそれを通じた労働力の再配置であるということ自体には何の変化もなく、むしろ強調されなければならないにもかかわらず、素人が「開発主義型雇用政策の終焉」なんていう台詞を見たら、もう能力「開発」なんかしなくてもいいと誤解する可能性もあります。フレクシキュリティとは、まさに人間「開発」主義そのものなのですから。言葉の問題と言われればそれまでですが、私としては大変気になるところです。

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