「無能さ」を基盤原理とする教育理念
昨日のエントリでご紹介した本田由紀先生の新著ですが、大部分は既にお聴きしたり読んだりしたことですが、中にいくつか初めて伺う興味深い話が載っています。
その一つが「職業的意義のある教育は危険だ」という「ラディカルな左翼」系の議論の一つで、とりわけ教育学の中で近年強調されている「シティズンシップ教育」の中で、教育の職業的意義を退けるような議論がされていると指摘されています。
ここは大変面白いのでやや長く引用しますが、
>たとえば「シティズンシップ教育」の代表的な提唱者の一人である小玉重夫は、著書の中で、「政治的な自立の課題と職業的な自立の課題を、関連し合いながらも相対的には別個の性格を持つものとしていったんは分節化して捉えた上で、公教育の教師の仕事を、主として政治的な自立の課題に焦点化することを考えるべき時が来たように思われる」と述べている。また小玉は、別の論考では、「「無能な者たちの共同体」としての政治と強く結びついた教育というものを考えることができないだろうか」とも問いかけている。すなわち、何かに習熟すること、できるようになることを目指す教育は、「有能な者たち」のための教育であるのに対して、小玉は、「医者にならなくても医療問題を考えること、大工にならなくても建築問題を考えること、プロのサッカー選手にならなくてもサッカーについて考え批評すること、そして官僚にならなくても行政について考え批評すること」といった例を挙げ、そうした誰にでも開かれた「無能な者たち」のための教育が重要であると論じている。
思わずいろいろコメントしたくなる一節ですが、ここは黙って本田先生のコメントを聞きましょう。
>「教育の政治的意義」と「教育の職業的意義」の、いずれがより重要であり優先されるべきかといった議論が、一般社会から見れば馬鹿馬鹿しいことはいうまでもない。にもかかわらず、ここで「シティズンシップ教育」論にこだわるのは、それを掲げる教育学において、暗黙裏に「政治的意義」の方に価値がおかれ、「職業的意義」を全否定はしないながらも低く見、議論の埒外に置く傾向が看取されるからである。・・・
>しかし、完全にあらゆることについて「無能」でありつつ政治的にのみ発言するような「市民」は想定しがたい。シャンタル・ムフが述べているように、「政治的なもの」が個々の人の立場性やその敵対性を不可欠の基盤とするのであれば、そうした立場性を欠いた一般的な「政治性」を、まだ社会に出る前の子どもや若者に埋め込もうとする企図は、挫折を余儀なくされるはずである。
>また、人々の「無能さ」を基盤原理とするような教育理念は、教育に対する社会の人々からの期待や要求とも乖離していると考えられる。・・・
正直言って、何の芸もないくせに偉そうに能書きだけ垂れるような類の人間を大量生産することが教育のもっとも崇高な目的であるといった議論が堂々と展開されていることに、いささかの驚きを禁じ得ません。
こういうことをいうとすぐに「従順さを調教」とかなんとかという議論が出てくるので、本田先生は繰り返し、教育の職業的意義における「適応」と「抵抗」の両面の契機を強調されるわけですが、なかなか通じないんでしょうね。
個々の人の立場性に立脚した「政治性」とは、たとえば労働者であれば労働者としての権利をきちんと主張していけるようにすることであって、自分と直接関係のないことに能書きを垂れることではないはずです。本田先生は手回しよく、200ページ以下で労働者の権利教育に触れ、その重要性を強調しています。
このあたり、かつて赤木智弘氏の議論に触れて述べたことを想起させます。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)
>>男性と女性が平等になり、海外での活動を自己責任と揶揄されることもなくなり、世界も平和で、戦争の心配が全くなくなる。
>で、その時に、自分はどうなるのか?
>これまで通りに何も変わらぬ儘、フリーターとして親元で暮らしながら、惨めに死ぬしかないのか?
をいをい、「労働者の立場を尊重する」ってのは、どこか遠くの「労働者」さんという人のことで、自分のことじゃなかったのかよ、低賃金で過酷な労働条件の中で不安定な雇傭を強いられている自分のことじゃなかったのかよ、とんでもないリベサヨの坊ちゃんだね、と、ゴリゴリ左翼の人は言うでしょう。
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» [論点][メモ] 「無能な者たち」をめぐって [インタラクティヴ読書ノート別館の別館]
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-e7c7.html 「無能」にまつわる小玉重夫の議論は言うまでもなく田崎英明『無能な者たちの共同体』を踏まえたものであるが、田崎の語り口は小玉のそれに比べるともう一段ガードが堅い。 小玉の語り口は余りにも見え... [続きを読む]
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小玉さんのことは存じあげませんでしたが、「無能な者たちの共同体」というのは、立教大学の田崎英明さんの著書の題名なのでそれに関係があるのかな、と思って調べてみたら、やっぱり、でした。
http://benesse.jp/berd/center/open/report/kyoiku_kakusa/2008/kyoiku_kak
うーん、田崎さんの話を「教育」にあてはめてみました、いや、むしろ「教育」を「範例」にして、田崎さんの話を紹介してみました、という印象でしょうか。あてはめが機械的にすぎないか、という感じですね、これは。
>もちろんこのことは、メリトクラティックな学力観の否定を意味しない。むしろ、メリトクラティックな学力観が抑圧に転化しないためにこそ、そしてまた、逆にメリトクラティックな学力を「平等」の名のもとに抑圧しないためにも、メリトクラティックな学力と市民化されたカリキュラムのそれぞれに固有の位相を見極め、両者の区別と共存の可能性を追求していくことが不可欠
と小玉さんはここではおっしゃってるんですが、本田さんにはそれでは不十分と見えるんでしょうね、きっと。このあと、小玉さんの話はHamacher の afformative 遂行中断の話につながり、求められる(と彼が考える)教師像が展開される。リンク先の論考の参考文献には挙がってませんが、たぶん、Jacques Ranciere の Le Maitre Ignorant や La Mesentente も影響している。「有能な者たちの社会」ではなく「無能な者たちの共同体」を、という田崎さんの話は、濱口さんにはリベサヨの典型に見えるでしょうね。
Werner Hamacher の afformative はゼネストと結びついていて(元は Walter Benjamin の Zur Kritik der Gewalt のお話、Werner Hamacher, Afformative, Strike:Benjamin’s ‘Critique of Violence )、労働者の権利としてのストライキをめぐる哲学的考察をいきなり教育現場の教師のあり方に接続するのは、「応用」にしても無理がありますね。小玉さんのこの「学力の脱構築」という話をベネッセがどう受け取ったのかには、興味ありますが。
投稿: haruto | 2009年12月11日 (金) 22時39分
もうひとつ。
>をいをい、「労働者の立場を尊重する」ってのは、どこか遠くの「労働者」さんという人のことで、自分のことじゃなかったのかよ、低賃金で過酷な労働条件の中で不安定な雇傭を強いられている自分のことじゃなかったのかよ
に関しては、当時ネットでは、彼が派遣でもないのになんで月収10万円ほどなのか、ということに疑問を呈した人たちがいました。当時の彼の状況は、親元で求職活動はせず週何回かの夜中のコンビニでのバイトだけ、ということだったようで、実情は『日本の論点』で濱口さんのいう「非労働者」の方に近かったということらしい。彼の状況はさておき、「親がかりの状況で小遣い稼ぎにバイトする長期休暇中の高校生(年齢が30超えていてもそういう労働時間と労働強度だということです)」が「労働者」かどうか、その「高校生」に生存保障、生活保障水準の所得が保障される必要はあるかどうか。彼のサイトの今は閉鎖された掲示板でも、彼の労働時間と労働強度に疑問を呈しつつ、いったい年収いくらに見合うと思っているのか?、と問う人も当時いました。
その後彼はとあるラジオ番組に出演した折に日記で、「求職活動をしなかったことのへのうしろめたさ」をパーソナリティに打ち明けたことを書いていましたが、濱口さんが彼の文章を「叫び」として認めながら、「卑しい」と評するのは、その「うしろめたさ」、「非労働者」の「うしろめたさ」の問題だと思われます。
そして朝生で彼はBIを主張したわけですが、彼のような「うしろめたさ」の否認(精神分析的な意味で)がBIの支持につながると、雑誌文學界新年号での東・堀江対談での、「日本をスッキリさせる」ために社会保障は全部BIにしろ、というお話になる。堀江の場合はフリードマンと同じ理由でBIを導入しろということですから、これは濱口さんがいうリベサヨとネオリベの「幸福な」結婚の一例ですね。
投稿: haruto | 2009年12月12日 (土) 09時47分