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2009年12月30日 (水)

海老原嗣生『学歴の耐えられない軽さ』

11068 いろんな意味で面白い本です。

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=11068

>「若者は昔から3年でやめていた」「成果主義で給料は変わっていない」――。マスコミや専門家たちが唱えてきた定説を?人事・雇用?のカリスマがデータをもとに一刀両断。厳しい雇用情勢の下、知っておきたい驚きの真実がわかる。

朝日新聞出版のHPには立ち読みできる部分もあって、

http://publications.asahi.com/ecs/tool/browse_image/?image=11068.jpg

冒頭の今時の若者の知識レベルの悲惨さを描いたところが読めますが、これは、受験科目を減らすことで偏差値を名目上つり上げてきた大学の戦略の帰結という話です。

その「第1章 学歴のインフレーション」の最後に「大学を補習の府に-再建のための秘策」という節があって、そこにこういうことが書かれています。本ブログで何回も取り上げてきた(文科系大学の)職業的レリバンスと大いに絡む話です。

>一方で、官僚たちはこうも語る。「大学と社会を近づけ、企業人となってから生かせるような学問を」と。

そう、それはその通り。もし、そういう学問を教えてくれる大学があったらなら、社会人になる予定の学生たちも、喜んで勉強するだろう。その証拠に、企業で即生かせる内容が主流の理系学生は、同じ大学生でも「ここまで勉強するか」というほど勉学にいそしんでいる。

>文系学卒者が就職した場合、その大半は営業か事務のどちらかに配属されることになる。

そこでは経済学も法理論もまるで不要。学者にならない人にとっては、人生に厚みを増す程度に学んでおけばよい。

では何を学ぶのか、ここで、社会人実務によりすぎると、専門学校との差がわからなくなる。あくまでも大学はアカデミックな存在でもなければいけない。

そのギリギリの線ですべてがかなうようなプログラムを作る。たとえば次のようなものだ

①社会人に必要な教科を各学部から拾い上げ、それを横断的に教える。

②キャリアや人生を分析して、それを網羅的ではなく、使用確率の多い順に教える。

③余裕時間を生み出し、実務がわかるよう、社会交流をさせる。

では具体的にどういう教科を教えるのかというと、

>①については、「地誌」「ビジネス英語」「簿記」「税務」「価格理論」「マーケティング」「労働法」「商法・会社法」「特許法」「給与・社会保険・年金計算」「組織心理」「経営ブンガク」「商業金融」などを集めるのだ。

こうしたことを学ぶための基礎力として、小学校社会・算数、中学英語の復習を、一般教養課程に盛り込む

こういう考えに対する反発への反論も用意されています。

>これに対しては、「学問の府である大学が、金儲けの片棒担ぎになってしまう」という批判が起こるだろう。

しかし、すでに今の大学生(特に文科系)は学問などほとんどしていないのが現実だ。大学での専攻について、就職活動の面接でまともに語れる学生などいない。それ故に、企業も面接でそんな質問をしなくなっているくらいだ。

こんなていたらくよりは、、簿記なり会計なり民法なり、といった「ビジネスよりの学問」でも真剣に学んだ方が学問の府として意義はある。

まあ、わざと挑発している嫌いもないわけではない文章ですが、本気で反論しようと思うと意外と手強いですよ。アカデミック派の方々には、是非挑発に応じていただきたいところです。

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