本田由紀『教育の職業的意義』(ちくま新書)
職業レリバンス派の女王(?)本田由紀先生が、そのものを標題にした新書を出されました。
現在、日本学術会議の「大学と職業との接続検討分科会」でご一緒させていただいているわたしには、毎回お聴きして耳になじんでいるお話しですし、もちろんそれ以前から本田先生があちこちで力説してこられたことの総まとめですので、全体に特に新しい議論を展開されているわけではありませんが、一般向けの新書で「レリバンス」(という言葉はほとんど出てこず、もっぱら「意義」とされていますが)論を普及させる上では意義深いと思います。
特に、普通は最後に来るようなレリバンス論への否定的な意見に対する反論を序章で一気にぶつけているのは、読者へのショック療法という意味ではなかなか興味深いやり方です。具体的には、
①「教育に職業的意義は不必要だ」
②「職業的意義のある教育は不可能だ」
③「職業的意義のある教育は不自然だ」
④「職業的意義のある教育は危険だ」
⑤「職業的意義のある教育は無効だ」
という5つの否定的反応を提示して、次々にそれらに対する反論を極めて端的に繰り出していきます。書店で立ち読みする読者はまずここを読んで、プロであれコンであれ、その先の議論に興味をそそられることでしょう。なかなか戦略的に作られています。
上記学術会議の分科会での議論からいうと、とりわけ大学教育の職業的レリバンスについては、総論はよくわかった、問題は各論だという感じがしています。本書で本田先生は職業観中心の「キャリア教育」や汎用的なジェネリックスキルに対して極めて批判的なスタンスを示しているわけですが、現実のとりわけ社会科学系に顕著なレリバンスに乏しい大学教育の内容をどうしていくのか、というより具体的次元の回答をそろそろ用意しなければならないのではないかということですね。
意外に思われるかも知れませんが、そういう議論をたとえば法学部教育や経済学部教育という内在的な立場からまともに議論したものはほとんど見当たりませんし、文学部において職業的レリバンスとは何か?といった問いに真剣に答えようとしたものも記憶にありません。この各論の欠落は今後議論を深めていく上で結構深刻な問題ではないかと思っています。
本気で突き詰めていくと、今のような卒業してからの仕事とほとんど無差別な法学部や経済学部などといったファカルティを今のような膨大な規模で維持する社会的意味はあるのか?という問題に突き当たるはずなのですが、そこを維持することを所与の前提に議論をしていくと、結局職業レリバンスという名の汎用的ジェネリックスキルになってしまうのではないか、というのが、わたしの最大の疑問点です。
ちなみについでに宣伝ですが、本の中で引用されているOECDの「Jobs for Youth」日本編の翻訳がいよいよ大詰めで、来年の早いうちに明石書店から出版される予定です。
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法学部~ロースクールの教育について
投稿: 匿名希望 | 2011年3月12日 (土) 14時25分
大学の心理学の先生のようですが
http://twitter.com/#!/ynabe39/status/149698554640863232
「学部の専攻や専門分野は「それを学ぶことを通じて頭がよくなる」ための道具であって,「それで食っていく」ための道具ではないんですよ。社会に出てから役に立つのは「専門知識」よりも「よくなった頭」。」
分類するなら
①「教育に職業的意義は不必要だ」
ですかね
投稿: S | 2011年12月24日 (土) 08時35分