メンバーシップ契約はネットワーク時代に適合的?
「教授さん」の「週一タイムズ ジャズと読書の日記、小説、MBA経営学(経営戦略と組織論)」というブログで、拙著へのコメントがありました。
http://profshuichi.blog.so-net.ne.jp/2009-12-09-1(The Poll Winners [ジャズ日記])
このエントリは、別に拙著の書評ではなく、「The Poll Winners/ Barney Kessel, Shelly Manne and Ray Brown」というジャズの名盤について書かれたものなのですが、その中で話の流れで拙著で述べたメンバーシップ契約が出てきています。
>組織論の話とトリオの話をつなげると、名手といわれるトリオには、一人ひとりのプレーヤーが角が立っていてしかも全体として調和が取れている。良い組織もまったく同じ構造をしていると言われる。組織の中に個人が埋もれてしまうのではなく、かといって個人が組織の調和を乱すのでもない。
囲い込み型とか、内部労働市場とか、組織志向型と呼ばれる日本の組織は、これまで「個」をむりやりに「組織」にはめ込んできた。まさに出る杭は打たれた。日本型の官僚制企業が産業化してこのかた1世紀もの長い間、世の中を支配してきたのだ。
官僚制の時代が終わりつつある今、良い組織はどのような形態に変わるのだろうか。ひとつのもっとも確率が高い答が「ネットワーク組織」への変化だ。官僚制からネットワークへ、構造が変わるにつれて個人のキャリアパスも変わっていく。
案外日本はネットワーク組織の時代に適合できるのではないか、と僕は楽観視している。もともと日本企業は、欧米企業と異なり、「職務」jobシステムで構築されていない。職務を単位に採用や雇用の管理を行ってこなかった。労働に関する契約なのに、どんな仕事をするかを決めないのだ。単に所属だけを決めて採用する。だから法律家によれば、日本の雇用契約は法律的には世界的に見ると実に特殊なもので、地位設定契約ないしメンバーシップ契約だという説がある(濱口桂一郎『新しい労働社会』岩波書店、2009年)。
その柔軟さがネットワーク組織にはうまくはまるかもしれない。
メンバーシップ契約論をこういうふうにネットワーク組織に適合的という観点から受け止めていただいた書評は、いままでのところ見かけていないのでその意味では新鮮です。
ただ、実は日本型組織原則が非官僚制的で融通無碍であるという指摘は、日本的経営論で繰り返しされてきたことでもあります。その「フレクシビリティ」の光と影が労働問題の観点からは論点になるわけですが。
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