フォト
2023年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        
無料ブログはココログ

« 日本は変更解約告知でいっぱい | トップページ | 『電機連合NAVI』2009年11/12月号 »

2009年12月29日 (火)

「自称ケインジアン」の書きたい放題 by 浅尾裕

JILPTのHPに、浅尾裕さんの上の標題のコラムが掲載されています。

http://www.jil.go.jp/column/bn/colum0138.htm

昨年、京都大学の間宮先生の訳になるケインズの「一般理論」が岩波文庫から出版されて、この「古典」へのアプローチが格段に容易になった。「日本語」になるまでに70年以上がかかったといってもよいであろう。

てことは、いままでの東洋経済新報社から出ていた分厚い翻訳書は「日本語」ではなかったということですね。

>私もかつて翻訳書を買ったものの、数ページ読んで自分の日本語能力のなさを恥じつつ、放り出したものである。それで一念発起して、大阪梅田の紀伊国屋で原書(普及版)を買って読んだ。裏表紙内にしたためた記録をみると、1972年(昭和47年)10月16日に購入したとある。大学1年の秋である。お陰で、原書で最初から最後まで読み通した数少ない文献の一つとなっている。

確かに、世の中には、日本語とは思えないような翻訳を読むより、原書を読んだ方が遥かによくわかるというたぐいの翻訳がありますね。正直いうと、経済学の原典については翻訳が悪いのか原著自体が難しいのかをきちんと識別できるだけの経済学リテラシーがわたしにあるとは言い難いので、ケインズのこの本がそれに当たるかどうかについては浅尾さんの判断をそのまま持ち出すしかないのですが、一般論的には良くある現象だと思います。

さて、これは前振り。

>あれ以来私は、「自称ケインジアン」となった。その「自称ケインジアン」として、あれこれ書きたい放題を書いてみたい。

ということで、以下が浅尾さんのエッセイ本論です。

>最近のはやり言葉でいえば、金融にも「よい金融」と「悪い金融」とがある。金融の社会的機能とは、どうなるかわからない「未来」に対するリスクを負担することである。リスクを負担して、産業活動に必要な資金を提供するところにある。しかるに、「金融資本主義」の金融は、リスクを負担せずに、リスクを避けることばかりに注力する「悪い金融」になってしまう。その最大のものが、私利追求の結果処理を国家に負わせることである。しかし、「金融」には「よい金融」として経済社会になくてはならない機能があるので、国家は引き受けざるをえない。「過去」は仕方がない。大切なのは、金融が「悪い金融」に陥らないようにするための将来に向けた適切な仕組みを作り上げることである。(以前に戻ることかも知れないが・・・。)

金融がリスクを負担しないと、そのリスクは廻りまわって働く人々の負担となってしまう。それでは資本主義経済はうまく機能しないのである

「リスクを避ける」「悪い金融」というのは、つまり財やサービスを生産している人々に不当にリスクをおっかぶせる金融ということなんでしょう。本来財やサービスを生産する人々のリスクを買い取ってくれるはずの金融が、逆に自分たちで生み出したリスクを実体経済の人々にツケ回しするのでは、確かに「悪い金融」としか言いようがないですね。

>よく「市場に聴け」といわれる。そこでの「市場」とは「証券市場」(=証券・貨幣市場)を指していることが多い。でも、市場には「財・サービス市場」もあれば「労働市場」もある。「自称ケインジアン」は、市場を少なくとも3つの異なる論理・機能をもった市場に分けて考える。それぞれ重要であるが、「財・サービス市場」が経済の基本であるとみる。聴くなら、「財・サービス市場」に聴くことが第一である。株価の時価総額=企業の価値などという発想は、「金融資本主義」の発想でしかない。ついでにいえば、「時価会計」とか「包括利益」といった発想も、「金融資本主義」の発想であると思われる。

これも、90年代以来の「市場に聞け」イデオロギーの本質をよく示しているように思われます。「株屋の市場主義」が市場経済を僭称してきたわけですね。

>ケインズは偉大であるが、1883年に生まれ1946年に逝去された一人の人間である。当時、失業保険すら不完全であるなど労働・雇用政策が本格的に整備されていない時代を生きた人である。したがって、失業に対処するための短期的対策としても、雇用需要そのものを創出すること以外に考えることはできなかったといえるのではないだろうか。

これはそうでしょうね。「ケインズが今生きていたらこう言うだろう」みたいな企画はあんまり生産的ではないと思います。

>なお、ケインズ政策といえば公共事業を指すと考えている向きもあるようであるが、それは一面的な理解であって、より長期の政策として「投資の社会化」という構想があったことなど、間宮先生訳の「一般理論」が広く読まれることを期待したい

正直いって、いまケインズを読んですぐ何かに使えるという当てもないので、これはやや中期的課題ということになりますが、そのうちまとまった時間ができたらやはり読んでみる必要があるのでしょうね。とりあえず、宿題ということにはしないでおきます。

« 日本は変更解約告知でいっぱい | トップページ | 『電機連合NAVI』2009年11/12月号 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「自称ケインジアン」の書きたい放題 by 浅尾裕:

« 日本は変更解約告知でいっぱい | トップページ | 『電機連合NAVI』2009年11/12月号 »