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2009年11月 7日 (土)

企業の責任と公共の責任

先日の「ハローワークのワンストップはいいけれど」に対して、また「庶務課の職員」さんからコメントをいただきました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-11b2.html

ただ、ご本人が「このコメントは公開しなくて結構です」と言われているので、わたくしに対する私信ということになり、ここに公開してわたくしのリプライをするわけにはいきません。

ただ、内容的にとても重要なことを含んでいるので、別にエントリを立て、実質的にそのリプライになるようなことを書きたいと思います。

問題は、ハローワークの職員自身が精神的肉体的に疲弊して、「なぜ、今自分たちの仕事が必要なのか」が見えなくなっているということです。

この最大の原因は、企業と国家と市場という三題噺を適確に整理する議論がなされないまま、客観的にその役割が重要性を増しつつある中で、逆にその役割を貶める発想がまかり通るところにあります。

昨日、職業能力開発大学校に関するエントリで述べたこととほとんど同じ理路なのですが、「職種と職業能力に基づく流動的な労働市場」が「誰も排除しない包摂的な労働市場」として機能するためには、パブリックな労働市場メカニズムが不可欠になります。1960年代までの労働行政は、まさにそういう方向性を目指していました。

ところが、石油ショック以後の労働行政は、企業による教育訓練と雇用保障を最大の政策目標に設定し、パブリックな機能はその企業保障への援助(雇用調整助成金の支給など)が第一で、そこからこぼれ落ちた人々への公的な直接援助(職業紹介や職業訓練)は事実上最優先ではなくなりました。

その「企業主義の時代」のバイアスこそが、ハローワークや公共職業訓練機関に対する莫迦にしたようなものの言い方の源泉にある発想です。「企業がちゃあんとやってくれているのに、なにを公共が下らんことをやっているのだ」という高慢な発想ですが、これが無意識的にいまに至るまで尾を引いているのです。

ところが、世の中の風潮は、1990年代半ばから「市場主義の時代」になり、「企業がちゃあんとやってくれる」わけではなくなったのですが、その後の「失われた十年」では、「市場に任せさえすれば、すべてがうまくいく」という奇妙な信仰が流行し、とにかくすべて自己責任ということになりました。そして、ようやく最近になって、いままで市場原理主義を唱えていた人々が、今頃になって気がついたような顔をして、デンマーク型のフレクシキュリティがどうたらこうたらと、知った風なことを言い始めたという次第です。

マクロ的な労使合意システムというデンマークモデルの最重要なポイントを言わないOECDの「雇用見通し」においても、その重要な軸が手厚い職業指導や職業訓練という積極的労働市場政策であることは明確に指摘されています。まさに、これまでの市場原理主義者たちが、パブリックな労働市場メカニズムの重要性を認めざるを得ない状況に、いま足を踏み入れつつあるこの時代において、かつての「企業主義の時代」の残像のごとき「企業がちゃあんとやってくれるから公共はいらない」という時代遅れの発想が、国家権力が諸悪の根源という40年前の新左翼思想に固着したままの人々の手によって、いま実行に移されようとしているというのが、今日の最大の皮肉であるわけです。

このあたり、厚生労働省の中の人もどこまでその論理的連関が理解されているのかいささか心許ないところもありますが、ハローワークの現場のみなさんには、是非、企業パターナリズムが縮小する時代であるからこそ、直接労働者に支援するパブリックの役割が重要になるのだということをしっかり理解して、自信を持って職務に精励していただきたいと思います。

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コメント

庶務課職員です。
まさかエントリを立てて言及していただけるとは思いませんでした。ありがとうございます。「公開しなくて結構です。」と書いたのは、あまりにも私的なコメントに感じられ、当該ブログで公開する意味を感じられなかったためです。でも、hamachan先生がおっしゃるように、期せずして内容に重要な事柄が含まれているのであって、かつ、公開するに足る内容であり、かつ、公開したならば当該エントリに関して読者の方がより理解しやすいのであれば、是非引用していただきたいですす。ありがとうございました。

先の「ハローワークのワンストップはいいけれど」への庶務課職員さんの最後のコメントを公開しました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-11b2.html#comment-60101342">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-11b2.html#comment-60101342


こんにちは
今日の「仕分け」で高年齢者職業相談室を廃止するという方向が出たそうです。その過程の映像を先ほど見たのですが。
 もうすこし、きちんと説明すべきだったのではないでしょうか。ハローワークが物理的に困難な状況の中で非常に貴重なスペースになっているということを。
 いま、ハローワークが劇的な混雑をしているなかで高年齢者職業相談室はハロワの出先として使われていると認識しています。高年齢者とされていますが若い人も普通にいって相談している実態もあるとの話を聞きました。過日のワンストップサービスの件でもありますとおり、ハローワークの庁舎が限界になっている状況の中で相談においては非常に貴重なスペースなのではないかと思います。二重行政だからといいますが、物理的にスペースがないことで貴重なスペースになっていることが伺え、実態は高年齢者を問わず使われている使われていることも考えるとハローワークの実情を見ていないのではと思った次第です。

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