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2009年11月21日 (土)

「ナマケモノになりたくて」さんの本格的な書評

「ナマケモノになりたくて」さんに大変本格的な書評をいただきました。

http://lovesloth.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-e7d4.html

>それで、この本の成果なんだけど、なんといっても「濱口先生の議論が、『岩波新書』になった」という点でしょう。労働問題に関心がある人なら、たいていの人は、hamachanのブログは知っていると思う。情報がぎっしりで、いつも重宝しているものである。ご本人も「労働問題では最も中身の濃いブログの一つだと自負しています。」とあとがきに書いている。しかし、だ!逆に、あまりに情報が「濃すぎて」、わたしのほうな障害を持っていると、次から次へと情報を追いかけてしまい、テンションが上がりきり、発狂し寸前になる(マジで)。だから、hamachanのブログは、とっても魅力的なのだが、あえて用事がない限り見ないように努力しているブログの一つである。そして、そのhamachanの岩波新書なのである。これは、情報量に弱いわたしだけではなく、パソコン音痴の人びとにも、hamachanを読んでもらうことができる非常によいツールではないか。この本の一番のすばらしさは、岩波新書というコンパクトな形態にhamachanの世界が凝縮された点なのだ。おわり。

と、これだけで「おわり」ではなくて、ここから本格的な書評が始まるのです。

>本当は、左翼の先生方にはもう一度考え直してもらいたい点が少なくなく、その点で濱口先生に共感するところは多いなと感じた本だったのだけど、その点については、どうも今日はまとめることができない。(わたしの脳は、いま超高速で回転したいと欲していて、「まとめる」という地味な作業に抵抗している。)だから、気になったところだけど、非常に乱暴に記録しておく。

ということで、非常にわたくしの議論の本質的な点を衝いた異論を2点示されます。第1は認識論として、第2は当為の議論として、いずれも的を射た論点です。

>第1点。濱口先生は、本当は分かっているとは思うのだけど、パートタイム労働者等について、以前は学生アルバイトと主婦の労働だったが、その後パートタイム労働者等も生計維持者となってきて、問題が大きくなったというような表現をするときがある。しかし、昔から、先生が指摘しているように、シングルマザーなどのように、非正規労働によって生計を維持してきた人びとは少なくなかったはずだ。シングルマザーのみならず、日立メディコの原告だって、たしか男性だったでしょう?問題は、量的に昔は生計維持的パートタイマーが少なかったのではなく、昔は生計維持的パートタイマーが社会的周縁に追いやられて、不可視化されてきたことにあるのだ。主婦パートは「普通の家庭の普通の女性」の働き方だけど、生計維持的パートは「きわめて特殊」であり、「普通ではない下位の働き方」という位置づけがなされてきたのだと思う。それを補強するものが、もちろん、配偶者控除や配偶者特別控除などの主婦制度である。現在、それが変わったのはなぜかと言えば、量的に非正規労働が増えたということもあるかもしれないけど、もう一つ、婚姻や家族制度および女性の働き方等に対するこれまでの異議申立て運動や、湯浅さんたちがやっている反貧困ネットワークの力もあるはずだ。つまり、これまで見えなかったものが可視化されたということだ。

一言で答えれば、その通りです。この本におけるわたくしの議論は、判る人が読めばお判りのように、意識的に図式的な議論の進め方をしているところがあります。序章のジョブとメンバーシップもそうですし、ここで指摘されている正規・非正規と家計維持・家計補助の関係もそうです。しかし、とりわけ一般向けの新書本においては、おおむね正しい図式的な議論を展開することで明確なイメージを読者の脳裏に構築することの意義は、それがより現実に対応していないにもかかわらず依然として強力な偏見を再考させる戦略としては重要なものがあると考えており、無限に多様な現実の姿をいきなり無秩序に示すことはかえって読者を混乱させると考えています。

ここで指摘されている正規・非正規と家計維持・家計補助の関係については、政策論として、いままでの(今までも必ずしも全面的にそうであるわけではなかった)対応関係が国民の意識としてなお強固に残っている現状を踏まえて、「かつてはかなりの程度そうであったけれども、今やそうではなくなってきたんだよ」という説明図式がもっとも効果的であろうという判断に基づいています。その意味では、戦略的な書き方であることは事実です。

そうして示した図式が必ずしもすべてに適用されるものではないということは、さりげなく、しかしきちんと例示をしながら明記してはいるのですが、あまりそこを強調しないようにさりげなさげに書いているというのも確かです。このあたりは、一般向けの新書本としての戦略です。

もう一点目、こちらは当為のレベルでより深く突っ込んでいます。

>第2点。これは、第1点と非常に大きく結びつく。第4章で濱口先生は、非正規労働者も含めた企業レベルの労働者組織の必要性を説く。それは反対しないんだけど、ただ、その労働者組織に非正規労働者全員が加入して、それで職場内の利害の調整はできるのだろうか?濱口先生は、非正規労働者の利益もきちんと代表しなければならないのだ、と論じるのだけど、そして、それには異論はないのだけど、非正規労働者の現状というのは、そんなに簡単ではない。なぜならば、これまでの「政治」「政策」は、非常に巧妙かつ複雑に、この非正規労働者という集団をぶつぶつと分断することに成功しているからである。「古典的」な「女性のパートタイマー」に限定しても、103万円のカベで優遇されるのはサラリーマンの妻だけである。ここで、サラリーマンの妻とそれ以外というように、家族関係で彼女たちは分断される。優遇されない女性たちは、時給を1円でも上げようとするだろうが、優遇される女性たちはそんなことはどうでもいい。これだけ限定的な集団であっも、一緒の闘うことが非常に難しいのである。派遣労働者であれば、これがよりいっそう複雑になることは、もういうまでもない。
そういう意味で、わたしは職場内に複数の組合が、それぞれの利害を代表すべく混在することに意味はあると思う。濱口先生は、それは集団的労使法制ではなく、個別的労使紛争処理なのだという。けれども、中間団体(企業)内にある集団の「力関係」の調整は必要だろう。日本国憲法が、勤労者に団結権を保障することにより、労働者の交渉力を「補強」したように、これまで不可視化され、下位の、力のないものをされてきた非正規労働者の集団の「交渉力を補強」しなければ、企業内の民主主義は実現しないのではないかと思う。そういう意味で、コミュニティユニオンとか、小さな組合にも集団的労使法制上、小さくない意味があるように考えている。

第4章は、労働法、労使関係論の玄人の方々が、一番違和感を感じられ、疑義を提示されている点です。ここで「ナマケモノになりたくて」さんが示されているのも、まさに、どこまでが「集団的労使関係」であり、「集団的労使関係法制」が対応すべき事象であり、どこまでが「個別的労使関係」であり、「個別的労使関係法制」が対応すべき事象であるのか、という大問題に直接関わる問題です。

ここでわたくしは、意識的に、集団的労使関係を異なった利害の調整機能という意味でのミクロ政治的なものとして描こうとしています。それは、それをマクロ政治的な民主主義論とつなげるための戦略でもあるのですが、個別利害を擁護するための手段として集団的労使関係を活用しようとする人々にとっては、大変異議のあるところであろうと認識しています。

ここは、論じ出すと大変なので、とりあえずこれくらいで。

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コメント

「正規雇用+家計補助的」ならば、両者を包括する労働組合は成立しやすいでしょうけど、「正規雇用+生計維持的」の場合だと、現状、両者間の格差が激しく、正規雇用労働者に待遇改善を受け入れる余裕(それはすなわち自らの権利を弱めることをも意味するので)がないのが現状でしょう。

前者は公務職場の現状がそれなので、自治労(マスゴミさんから犯罪者集団扱いですけど)とかはがんばらねば。

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