一知半解でも判ること
わたしはいうまでもなく、地球環境問題には無知蒙昧であり、中身について何か判ったようなことを言う資格はまるでないことは重々自覚していますが、それにしても、
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51303508.html
いままで地球温暖化なんか嘘だ、まやかしだと強硬に主張していた人間が、(ないはずの)地球温暖化を防ぐためには公害源として有名な亜硫酸ガス(二酸化硫黄)を大量にばらまけ、と主張するのが論理的一貫性に欠けることだけは理解できます。
自然科学的な解説や批判は中身について語りうる方がされるでしょうから、わたくしが一知半解であれこれ言うことは一切控えますが、これって、いままで日本に貧困なんかない、嘘だまやかしだと主張していた人間が、(ないはずの)貧困を防ぐためには(ベーシックインカムと称するはした金の代わりに)社会保障制度をことごとく廃止すればいいというのに、何となく似ている気がします。
もちろん、最大の問題は、こういうインチキな議論に引きつけられてしまう心の弱い善男善女の群れなのでしょうが・・・。
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コメント
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ベーシック・インカム(BI)への賛否は別として、一点、事実誤認があるようなので、コメントさせていただきます。
下記の、BIメールニュースのコラムにおいて関曠野氏が書いているように、「BIと福祉は論理的にも別のもの」です。「福祉は弱者のためのものだが、BIは弱者だけでなく全国民に一律無条件に支給される」からです。
http://bijp.net/mailnews/article/84
ご指摘のように、BIだけでは「はした金」ですから、それは社会保障を切り捨てる論拠にはなりえません。
下記は、関さんが考えるBIを正当化する2つの根拠です。
BIが正当化される第一の根拠は、産業のオートメ化の進行である。オートメ化のせいで大半の現代人は潜在的失業者になってしまっている。それでも社会が雇用による所得に固執するならば、派遣労働のような不安定雇用やサービス産業での雑用のような展望の開けない雇用を人々に押し付けざるをえない。BIはこうした雇用の袋小路を打開し、薄給でも人道的な意義のある仕事をするとか、アルバイトで収入を補填しながら生き甲斐のある活動に専念するといった生き方を可能にするだろう。転職や離婚も容易になって不幸に耐える人が減る。
BIを正当化する第二の根拠は、銀行信用とは異なるマネーの流れをつくりだす必要性である。銀行は利子をつけて企業に投資の資金を貸す。この銀行に返済すべき利子付き負債に生産設備の減価償却費や他の企業への支払い、研究開発費などを加えたものが企業の生産費用になる。その中では勤労者への賃金給与は僅かな部分を占めるにすぎない。だから雇用による所得に固執しているかぎり、勤労者の所得(購買力)では生産された商品の一部しか買えない。この生産と消費のギャップゆえに企業は過剰生産に苦しみ、さらに庶民の所得不足は恐慌の原因になる。そしてこの生産と消費の不均衡を解消するためには、BIで庶民の所得を補強することが必要なのである。
投稿: BI Lover | 2009年11月 2日 (月) 09時47分
>ご指摘のように、BIだけでは「はした金」ですから、それは社会保障を切り捨てる論拠にはなりえません。
まっとうなBI論者にとってはそうなのかも知れませんが、ここで念頭に置いているのは、ベーシックインカム導入を口実にあらゆる社会保障制度を廃止しようと考えているネオリベ系の人のことなので、若干攻める相手を間違えていると思います。
なお、わたくしのベーシックインカム批判論については、近日発売の『日本の論点2010』に掲載される予定ですので、ご参考にしていただければ幸いです。
投稿: hamachan | 2009年11月 2日 (月) 10時53分
んん?これはあくまで本の紹介ではないかと?確かに否定していたのだからそもそもこの1章の議論は無駄だという言い方はできるかもしれませんが…
投稿: morike | 2009年11月 2日 (月) 11時19分
ご存じかもしれませんが、この本の内容に関しては「himaginaryの日記」の10-18付けエントリーでも書かれていました。
このレヴィットらの提案は、予想通りかどうかはさておき米ブログ界隈での評判は悪いようです。
投稿: yutoriN | 2009年11月 2日 (月) 18時56分
>最大の問題は、こういうインチキな議論に引きつけられてしまう心の弱い善男善女の群れなのでしょうが・・・。
自分は全く野心を捨てていない自己顕示に生きる自己愛の強い安全圏にいる男が、まさに希望を失っている世代をネタにして、「希望を捨てる勇気」と例えば哲学的に深刻ぶってみせるのに簡単に心酔する弱さ。
投稿: そういう弱さ | 2009年11月 2日 (月) 19時35分