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« 日本労働研究雑誌で江口匡太さんが拙著を書評 | トップページ | 本日神戸大学経済学部で講義 »

2009年11月24日 (火)

全政治家必読!宮本太郎『生活保障』

S1216 宮本太郎先生より、岩波新書から出た新著『生活保障-排除しない社会へ』をお送りいただきました。ありがとうございます

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0911/sin_k501.html

この本は、まさに時宜を得た本です。今こそ、全政治家、とりわけ与党政治家のみなさんが熟読玩味すべき本といえましょう。

岩波編集部の方の紹介文でも、

>「貧困や格差の拡がりを目の当たりにし、犯罪や自殺の増大にかかわる報道に接するたびに、足下が底割れしていくような感覚が拡がっていく」と著者は言います。多くの人々が生活に不安を感じ、あるいは、社会からの疎外感にとらわれるような現在の社会は変えていかなければなりませんが、いったい、何をどう変えればいいのでしょうか。問題は複雑に絡み合い、非常に困難な作業が待ち受けています。

 本書は、多くの人々が就労でき、あるいは社会に参加できる「排除しない社会」をどう実現するのかについて論じています。そこでの切り口となるのが「雇用」と「社会保障」を結びつけて考える「生活保障」というキーワードです。日本の過去と現状を振り返り、これからの「生活保障」のあり方を考えます。スウェーデンなど欧米の経験も参考にされますが、安易な国外モデルの導入ではなく、日本型の生活保障をどう再構築するかが議論の中心となります。

 社会保障や雇用の政策について扱っていますが、私たちが「生きる場」をどう確保するのか、互いに認め合える社会とはどういう社会か、といったテーマも重要な要素として取り上げられています。その中では、秋葉原殺傷事件の犯人についての考察なども行われています。

 これからの社会保障政策のかじ取りをする政治家や官僚はもちろん、すべての働く人、あるいはそれぞれの事情で労働環境から離れている人たちが、これからの社会について考える際にぜひ読んでいただきたい一冊です。

と述べています。

目次は次の通りです。

はじめに―生活保障とは何か   
      
第一章 断層の拡がり、連帯の困難

1 分断社会の出現
2 連帯の困難
3 ポスト新自由主義のビジョン

第二章 日本型生活保障とその解体   

1 日本型生活保障とは何だったか
2 日本型生活保障の解体
3 「生きる場」の喪失

第三章 スウェーデン型生活保障のゆくえ

1 生活保障をめぐる様々な経験
2 スウェーデンの生活保障
3 転機のスウェーデン型生活保障

第四章 新しい生活保障とアクティベーション

1 雇用と社会保障
2 ベーシックインカムの可能性
3 アクティベーションへ

第五章 排除しない社会のかたち

1 「交差点型」社会
2 排除しない社会のガバナンス
3 社会契約としての生活保障

おわりに―排除しない社会へ
 あとがき
 参考文献

わたくし的には、ベーシックインカム論が妙にはやりだしている昨今、「アクティベーション」をあるべき方向性として明確に打ち出している点が大変共感するところです。

「おわりに」から、宮本先生の趣旨が凝縮されている一節を引用しておきましょう。こういう文章を書かれる宮本太郎先生という人格には全幅の信頼がおけると本当に感じます。

>原因が定かではない不安が広がると、「公務員の既得権」「特権的正規社員」怠惰な福祉受給者」等々、諸悪の根源となるスケープゴート(生け贄)を立てる言説がはびこり、人々の間の亀裂が深まる。多様な利益を包括する新しいビジョンを提示する意欲と能力を欠いた政治家ほど、こうした言説を恃む。そして「引き下げデモクラシー」が横行する。

これに対して、本書は、生活保障という視点から、雇用と社会保障の関係の見直しこそが新しいビジョンの出発点になるべきであると主張してきた。雇用と社会保障をどのようにつなぎ直すかについては、アクティベーションという考え方を重視した。・・・

>着実な改革は、私たちが生きる社会の歴史と現状から出発するものであり、またすべからく漸進的なものである・そして、戦後の日本社会が何から何までだめな社会であったというのは間違いである。団塊世代の論者に多い気もするが、この国の過去と現在を徹底的に否定的に描き出し、憤りをエネルギーに転化しようとする議論もある。・・・徹底的な否定の上に現実的な改革の展望を切り開くことも難しいであろう。

戦後日本が実現してきた雇用を軸とした生活保障は、ある意味で「福祉から就労へ」という「第三の道」型の社会像を先取りしていた。日本型生活保障の、こうした形は継承されていってよい。その一方で日本型生活保障は、すべての人々をカヴァーしたわけではなく、経済成長の中での貧困や孤立など、たくさんの問題点を伴ってきた。・・・

>本書は、雇用を軸とした生活保障を、より多くの人を包摂するものとして再構築し、併せて囲い込み構造を解消して人々のライフチャンスを広げていく道筋を考えた。・・・・

拙著『新しい労働社会』をお読みいただいたみなさんには、宮本先生のビジョンと拙論との間に通い合うものを感じていただけるのではないでしょうか。

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コメント

「引き下げデモクラシー」というのは丸山眞男の言葉ですね。
そういえばそんな言葉もあったなと思いだしました。

また「この国の過去と現在を徹底的に否定的に描き出し、
憤りをエネルギーに転化しようとする議論」は「団塊」だけでなく、
「団塊ジュニア」にも多い印象があります。

疑問なのは、すでに労働市場から退きつつある「資産形成を終えた
団塊の資産」を相続することができる団塊ジュニアとできない団塊ジュニアとが
「団塊内の資産格差」を考えればあるのではないか、ということと、
「中高年」をターゲットとした「引き下げデモクラシー」で一番「社会的に
排除される」のは、「資産形成途上にある中高年とその家族」であり、
その層からの「叫び」は聞き届けられていないのではないか、ということでしょうか。

早速読みました。公的に整備された職業訓練を利用して、一人一人が柔軟に雇用先を探していくというビジョンに、メンバーシップ型雇用のきしみを徹底して論じた『新しい労働社会』と通低するものを感じました。「生きる場」の必要性というのも共通していますね。

このブログでたびたび話題になりますが、結局、グローバリズムによって生じた「貧困の輸出」に対して、どのような雇用をどのように作り出していけばいいかという問題に加え、それに対応した職能訓練のあり方も問題になるわけですね。大学がそういう機能をうけもっていないからなあ… 医学部や歯学部の出身者はおくとして、メンバーシップ雇用をうけてきた熟年層って、いってみれば企業内叩き上げの経験しかないから、公的な職業訓練ってもののイメージ自体が希薄なんじゃないかと。

はじめまして。
アクティベーション型生活保障とベーシックインカム型生活保障は止揚できないものでしょうか。
止揚して、新自由主義に対抗する道は取れないものでしょうか。
つまり、「アクティベーション派+ベーシックインカム派」止揚軍で、アメリカ型ワークフェア派に対抗していく戦略です。
味方は最大限拡大し、敵は可能な限り極小化し、孤立化させるというのが闘いの基本ですから。

ベーシックインカムは、給付水準等具体的な制度設計如何によって、
社会民主主義寄り(週刊金曜日寄り)、新自由主義寄り(ホリエモン寄り)になります。
宮本教授は、以下のように述べています。

・新しい福祉ガバナンスへ-もう一つの選択肢(16p)( 宮本太郎・北海道大学大学院教授)
(3)参加のための所得保障
参加のための所得保障の考え方には、
就労を前提とした所得比例型給付で
労働のインセンティブを高めようというアクティベーション型の主張と、
就労と所得保障を切り離して一律の基礎保障を強め、
人々の行動の自由を拡げようとするベーシックインカム型の発想がある。
新しいリスク構造や高齢化に対処しつつ、
多様な選択を可能にする能動的な参加保障の仕組みを構築していくという基本的考え方で一致するならば、
この二つの立場は必ずしも決定的に対立するものではない。
二つの立場・主張が接近していく方向として、
アクティベーション型の制度のなかで基礎保障(ベーシックインカム)の比重を高める、という方法がある。
http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio221.pdf
公的支援を強調する点で、
「ヨーロッパ型アクティベーション」とベーシックインカムは、重なり合う部分があります。
図―宮本太郎作成―参照 http://mamoru.fool.jp/blog/miyamoto.html
http://www.jca.apc.org/sssk/publish/miyamoto2.html
http://www.zenrosaikyoukai.or.jp/thinktank/pdf/kenkyukai/kenkyukai01_02-08.pdf
関連:
「アメリカ型ワークフェア」と「ヨーロッパ型アクティベーション」の違いは、
福祉政策において公的な支援が強調されるか否かにあった。この対立は決して小さくはない。
しかし、いま新しい福祉ガバナンスに求められているのは、この一つの対立軸だけでは解けない。
むしろ、福祉や所得を就労と結びつけて発想することを超えることが求められている。
(図―宮本太郎作成―参照 http://mamoru.fool.jp/blog/miyamoto.html )。
http://mamoru.fool.jp/blog/2007/10/vsvs.html

宮本先生の新書の発売を新聞で見て、すぐに本屋に走りました。
まだ書棚にならんでいないところを店員さんが出してくれて入手しました。
僭越ながら、小生が考えている問題意識を体系的に説明していただいていて、なんともいえない感動と興奮を覚えました。
濱口先生と宮本先生の二冊の新書は、これから私がライフワークとして取り組まなければならない課題を与えてくれました。
この国をきちんと整理しようとすれば、気の遠くなるような気がしますが、一つづつ形を作っていくことが大事だと思っています。
私のような民間人にとって何もできないことが腹立たしい限りですが、雇用と社会保障の両輪が回っていくよう、最後の力を尽くしたいと思っています。

「引き下げデモクラシー」を現在主に提唱している、戦争を待望する元コンビニバイト、放送局勤務を経て現在大学院教授、メーカー勤務を経て人事コンサルタント、といった「男性」に共通するのは、「正社員経験がありその後何らかの理由により退職した」という「事実」ですね。その詳細をケーススタディとして分析することはアクティベーションを考えるうえでも必要ではないかと思います。

思うにこの「男性」たちは「自分と自分が所属していた組織とのあいだの軋轢、確執」を「自己対象化」しながら考えることができていない。「個人的な怨恨」と「社会的な問題」の区別がついてない。なので、「引き下げ」が自己目的化する。

こうした「男性」たちの存在が逆に、労働組合による労使間の関係調整の必要性を照射しているとも言えますね。この「男性」たちはみんな「雇用の流動化のためには労働組合は不要」だと考えているわけですが。

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nbsp;無条件のベーシック・インカムを財政的観点から退け、雇用と社会保障を密接に連携させるアクティベーションの方向性を打ち出す。サブタイトルにもあるように、社会的排除を越えた生活保障という理念がアクティベーションという方向性を下支えしている。労働市場からの退出や再参入を可能にする「交差点型」社会は、就労を軸とした社会参加を基底に据えつつも、無償労働のシェアも志向する点でバランスがいいように思う。http://blog.goo.ne.jp/bonn1979/e/82135f4977dbb2... [続きを読む]

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