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2009年11月25日 (水)

8,9割までは賛成、しかし・・・八代尚宏『労働市場改革の経済学』をめぐって

20090204000124881 八代尚宏先生より、近著『労働市場改革の経済学-正社員保護主義の終わり』(東洋経済)をお送りいただきました。ありがとうございます。

>民主党政権がすすめようとしている派遣労働の規制強化は、ワーキングプアの解消には何も役に立たない。労・労格差解消には何が必要か。労働問題の第一人者が鋭く切り込む。

http://www.toyokeizai.net/shop/books/detail/BI/de5ccf48e3e54e342eaac73906771e91/

もしかすると、私とは全然意見が対立すると思っておられる方々もいるかも知れませんが、実のところ、本書で書かれていることの8,9割近くには賛成です。

具体的は、目次の

序 章 労・労対立
     ──古くて新しい問題
第1章 なぜ今、労働市場の改革が必要なのか
     ──環境変化への対応
第2章 非正社員問題とは何か
     ──同一労働・同一賃金の徹底を
第3章 派遣労働禁止では誰も救われない
     ──派遣労働者保護法への転換を
第4章 日本的雇用慣行の光と影
     ──低成長時代への対応
第5章 こうすれば少子化は止められる
     ──男女双方の働き方の改革を
第6章 男女共同参画とワーク・ライフ・バランス
     ──最大の障害は日本的雇用慣行
第7章 エイジフリー社会実現に向けて
     ──高齢者に「中間的」な働き方を
第8章 非正社員重視のセーフティ・ネット改革
     ──雇用保険を医療保険型に
第9章 公共職業安定所と労働行政の改革
     ──労働行政にも「選択と集中」を

第8章までの議論は、認識論としてはほぼ共通するものがありますし、実践論としてはいささか急進的でやや観念的にすぎるという印象はありますが、方向性としては間違っているわけではないと思います。

おそらく重要なポイントは、長期雇用保障と年功賃金の雇用慣行は、「非効率的だが公平な働き方」であるどころか、その正反対の「効率的だが不公平な働き方」だという認識でしょう。

いくつか八代先生の文章を引用しますが、拙著の認識とかなり近いことに気づかれるでしょう。

>日本的雇用慣行は、高度成長期に普及した専業主婦付きの男性世帯主の正社員を暗黙の前提とした働き方でもある。世帯主が仕事に専念できるよう、家事・子育ての配偶者ぐるみで雇用し、生活費を保障する仕組みは、低成長期で世帯主の賃金が伸び悩むと生活は苦しくなる。他方で、夫婦がともに働く世帯にとっては、慢性的な長時間労働や、家族の別居に結びつく転勤は深刻な問題となる。

>たとえば、育児休業法の改革や保育所の整備は大事であるが、それらの政策は、暗黙のうちに、女性を男性と同じ形で働く、「女性労働の男性化」への支援である。しかし、共働き世帯の女性に、専業主婦付きの男性世帯主と同じ働き方を求めることには明らかな限界があり、むしろ就業とその他の活動についての女性の多様な働き方を男性にも選択肢として提供する必要がある。

>現状の長時間労働が当たり前の働き方と見なされるままでは、共働き家族で仕事と子育てとの両立は困難であり、いずれかを選択せざるを得ない。そこで妻がやむを得ず仕事を辞めると、子育て後、再びフルタイムの仕事に就くことは非常に困難となる。これは、男女共同参画社会の理念に反することになる。

また、帯の文句にあるように「派遣労働禁止では誰も救われない」というのも、まさにわたくしも昨今繰り返し述べているところです。

それでは、「hamachan=八代尚宏」かというと、そうではありません。おそらく一番重要な違いは、公的メカニズムに対する評価にあるように思います。

日本的雇用慣行に頼るのではなく、八代先生が上で述べるような「公平」な労働市場を構築するためには、(それこそデンマークのフレクシキュリティが積極的労働市場政策として職業紹介や職業訓練に膨大な額をかけているように)今まで以上に公的なメカニズムが必要になるはずなのに、そこのところで突然公共悪者論の懐メロに変調してしまうところが、本書の最大の問題点ではないかと思われるのです。

これは、実は八代先生が序章でこう述べておられることの対象を変えた生き写しという面があります。

>複雑な社会問題を簡単に説明する常套手段は、大昔の「独占資本」という表現のような「悪者」を作り出し、すべてをその責任にすることである。

わたくしも全くそう思います。そういうスケープゴート作りに狂奔する連中が一番いけない。そして現代日本社会において、「独占資本」以上にあらゆるところで「悪者」にされているのが「公共サービス」であるのも見やすいところです。

もちろん、けしからぬ公共機関もけっこうあるので、それは大いに攻撃されればよいのですが、本書が対象としている労働市場改革に関して言えば、改革を進めようというのであれば、公共メカニズムをより強化する必要こそあれ、とても縮小などできるはずはないにもかかわらず、妙に民営化市場主義のにおいがつきまとうというのが、本書の最大の矛盾点ではないかと思うのです。

実をいえば、日本的雇用慣行に依存する労働政策においては、大企業の正社員にとってはハローワークや職業訓練校などほとんど縁のないものであって、むしろ雇用調整助成金や能力開発給付金などの企業を通じた支援策がメインであったわけです。公的メカニズムに対する侮蔑的な社会風潮は、実は企業主義の時代の大企業正社員の感覚であるともいえます。

それを変えようと主張しているはずの本書が、なぜか公的メカニズムに対してはもっと民営化せよという論調になるのは、ものごとをイデオロギッシュに捉える人にとっては何の不思議もない当たり前のことに見えるかも知れませんが、物事の理路をきちんと考える人にとっては、かえって不思議な現象に思えるのではないでしょうか。このあたりが理解できるかどうかが、この問題の鍵であるように思います。。

(付記)

第2章で述べられている解雇規制についての記述は、例によって「整理解雇4要件」と書くべきところを「解雇権濫用法理」と書いてしまっているなど、いささか危ういところはありますが、実のところ以下の記述はわたくしの考えときわめて近いものがあります。

>日本の「解雇規制」の問題点は、必ずしも規制が厳しすぎることではなく、予見可能性が低いことである。・・・それ故、裁判に訴えられる視力のある大企業の労働組合と、そうでない中小企業の労働者との間には、労働者保護の程度に大きな格差が生じている。

>他方で、裁判に訴える金銭的・時間的余裕のない中小企業の労働者には、判例法による労働者保護の実効性はほとんどない。このため、中小企業の経営者から見れば、解雇自由の現状から、わざわざ金銭賠償のルールで縛られることはむしろ不利となる。

これは全くその通りです。

こういう文章が書けるということは、八代先生は物事がよく見えているということです。これを福井秀夫氏あたりと一緒くたに考えてはいけません。

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