菅沼隆さんのフレクシキュリティ論 in エコノミスト
今朝発売の『エコノミスト』誌ですが、一つ読んでおくべきものとして「学者が斬る」があります。菅沼隆さんが「環境福祉国家に挑戦するデンマーク」というのを書かれているのですが、環境と福祉はちょっとおいといて(失礼)、半ば以降で書かれているフレクシキュリティの話が、近頃はやりの一知半解的首切り自由バンザイ型フレクシキュリティ論とは違い、デンマークにおられた経験を踏まえて、ちゃんとその社会的基盤を指摘されています。
>重要なことは、第一に、労使がプログラムの作成に実質的に参加していることである。理事会の会議に形式的に参加しているのではなく、具体的なプログラム作りに参加している。第2に、学生も含めてステークホルダーの参加が認められている点である。
職業訓練プログラムの場合、中央政府の計画策定、業界ごとのプログラムの策定のいずれにも経営者団体と労働組合から代表が委員として参加している。労使は雇用政策において「労働市場パートナー」「社会的パートナー」と位置づけられており、対等の権限で政策立案に関与する。・・・
>このような手厚い職業紹介体制、緻密で実行力のある職業訓練プログラムを可能にしている条件として、雇用政策に莫大な公的資金が費やされていることを忘れてはならない。
>「大きな福祉国家は非効率」であるという命題は、デンマークやスウェーデンの良好な経済パフォーマンスを見れば、事実として否定されている。だが、なぜ非効率ではないのか?その論理を明らかにする必要がある。・・・
第1に、大きな政府は、政治が特定の目的に向けて資源を重点的に投入できる可能性が大きいことを意味する。必要な政策に振り向けることができる資源が潤沢であれば、政策が成功する確率は高まる。
第2に、21世紀の福祉国家は、「参加」を不可欠とすることである。単に金をばらまいても、効果が上がるとは限らない。ステークホルダーの誰もが政策に能動的に関与しなければ、無駄となる。・・・
第3に、教育と訓練という人的資源投資には大きな政府が効果的であるということである。教育投資の成果は、長期的に回収できるものである。グローバル化が進展する現在、民間セクターは近視眼的で短期的な経営戦略を選択しがちだ。中長期的な視点に立って教育と訓練に安定的に人的資源投資をできるのは公共部門だけである。・・・
いままで繰り返してきたことですが、もっともらしくフレクシキュリティがどうとか語る人間がいた場合、それが本物か偽物かを判別するのは簡単で、労働組合を敵視し、大きな政府を攻撃する人間はそれだけでインチキであると判断できます。
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