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2009年10月16日 (金)

労働委員会と個別と集団と

マシナリさんが「紛争になってからではもう遅い」というエントリで、労働委員会が個別労働紛争処理に熱を上げていることに皮肉を効かせています。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-349.html

>「人事労務管理の個別化、労働組合組織率の低下」って労働委員会が言っちゃっていいんでしょうか? 排他的交渉権を認めず複数組合に個別の労働基本権を認めてきた労働委員会が、同じ企業内で正社員中心の利益団体と少数派正社員による思想集団とに分断され、それらに包摂されない非正規社員は企業外の地域ユニオンがまとめ上げるという、職場単位ではちっとも団結しない労働組合を作りだしたのではなかったですかね? 集団的労使関係構築の支援を本来の使命とする労働委員会が個別労働関係紛争処理の広報活動に力を入れるというのは、とうとう行き着くところまで行ってしまったなあと感慨深いものがあります。

もちろん、労働委員会は地方自治体の自治事務ですから、個別紛争処理をどうやろうがあるいはやるまいが基本的に自由です。問題は、

>労働委員会が個別労働関係紛争処理にうつつを抜かしているうちに、本来の使命である円滑な集団的労使関係構築支援の機能が崩壊してしまっているように思われるわけです。

>集団的労使関係に存在意義を有する労働委員会が、自らのその役割を見失っているようにしか見えないのが絶望的ではあります

というところなのですが、これを突き詰めていくと、昨年わたくしが『ジュリスト』に書いたように、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/juristtripartism.html

>しかしながら、人権保障という観点のみで集団的労使関係法制が運営された結果、それが本来目指すべき産業民主制の精神とは次第にかけ離れたものになっていったように思われる。具体的には、まず第一に、護るべきは労働者が労働組合という結社に加入する権利である団結権であるとされたため、事業場労働者の圧倒的大部分を組織する労働組合も、たった一人や二人で頑張っている労働組合も、全く同等の権利を有することとされた。いわゆる複数組合平等主義である。
 この原因として、第二に団結権や団体交渉権が個別労働者レベルで捉えられたため、団体交渉によって締結される労働協約についても個別労働者の労働条件を団結した力によって決定するものと捉えられ、一つの労働社会の法規範を集合的に設定することを目的とした制度であるとは認識されてこなかったことが挙げられよう。すなわち、多数組合が締結した労働協約は当該多数組合の組合員のみに適用され、少数組合が締結した労働協約は当該少数組合の組合員のみに適用される。
 その結果、第三に集合的な規範設定の能力が労働協約から薄れ、労働組合加入を問わず一定の労働条件を設定するためには、労使自治に基づく労働協約ではなく、使用者が一方的に決定変更しうる就業規則を活用せざるを得ないという大変皮肉な事態をもたらした。ある労働社会に属するすべての労働者の労働条件を民主的に決定するメカニズムが否定され、意思決定への参加が特定の結社に属することとリンクされる一方、規範設定は専制的メカニズムに委ねられてしまったのである。
 第四に、労働組合自体の意思決定メカニズムの民主性自体が必ずしも担保されていない。労働組合の正統性が自発的な結社への参加に求められたため、内部の意思決定は全く私的自治の領域となり、組合員であると組合員でないとを問わず、その意見を意思決定過程に適切に反映させていくことは必ずしも求められなかった。とりわけ、管理職や非正規労働者といった非組合員の利益を擁護することは労働組合の任務ではないと考えられ、これら労働者の増大に伴い、労働組合の正統性も次第に失われて行くに至ったのである。
 このように人権保障のみに専念した日本的な集団的労使関係法解釈のあり方のもとでは、二者構成労使自治による規範設定自体を産業民主制の現れとして捉える視点は極めて希薄であった。従って、それを国家の規範設定権力と結びつけた三者構成原則が戦後日本社会で適切に位置づけられてこなかったことも不思議ではない。

という戦後労働法学の根本的問題点に行き着いてしまうわけで、その枠組みの中で集団的労使関係法制を運用してこざるを得なかった労働委員会が今日の状況に陥っていることもまたその延長線上にあるわけです。

だからこそ、拙著第4章ではあえて論理矛盾を犯しながら全員加入の労働者代表型労働組合の事実上の強制設立というような一定の方向を提起してみたりもしているわけですが、まあなかなか難しいなあというのが正直なところでしょうね。

とりあえずは、公務員制度改革で公務員に団体交渉権と労働協約締結権が付与されるという方向に行きそうなので、そっちで一息つくというのが当面の生き残り策かと。

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コメント

拙エントリを取り上げていただきありがとうございます。レスが遅くなりまして申し訳ございませんでした。

> まあなかなか難しいなあというのが正直なところでしょうね。

根本問題に関わるだけに、現実問題としてそうそう方向転換できるかというと、日本社会全体の現状から考えればおっしゃるとおり難しいと思います。

ただ、当の労働委員会自身がそのことを是としてしまっては、誰もこの問題を指摘する立場の方がいなくなるだけではなく、指摘する方がいても労働委員会としてそれに対応できないということになりそう(現にそうなっているともいえますが)ですので、それはやはり由々しき事態だろうと。

個人的には(どうも水町先生の見解にシンパシーを感じるところが多いようで恐縮ですが)、水町先生が「構造的アプローチ」とおっしゃるような手続面の正当性に国家が関与する形が、労働委員会が生き残る一つの方向ではないかと考えております。
http://www.rieti.go.jp/jp/events/08040401/summary_4.html

もちろん、それとて難しいことには変わりありませんけれども・・・

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