日本型雇用システムの複層的「変容」と若者への自己矛盾するメッセージ
某所でのメモ。突っ込みどころ満載。
日本の雇用システムは企業メンバーシップに特徴付けられる日本型雇用システム(正社員システム)とその外側に広がる周辺システムからなるが、高度成長期に確立したトータルな社会システムにおいては、職業レリバンスの乏しい教育システムと職業教育訓練を企業内で遂行する日本型雇用システムを新規学卒一括採用システムが連結するという精妙なメカニズムが機能していた。
このメカニズムが働いている限り、教育界は実社会のニーズから切り離されたアカデミズムに遊びながら、その成果物たる卒業生を厳しい企業内教育訓練に耐えうる優秀な素材として社会に送り出すことでその責任を全うしているといえたし、企業もそれ以上を教育界に要求する必要もなかった。
1990年代以降の日本の雇用システムの変化はこの麗しき調和の世界に大きな打撃を与えてきたが、その様相は複層的であり、それゆえにその矢面に立たされた若者に自己矛盾するメッセージを送る結果となっている。
この雇用システムの変化は1995年の日経連の「新時代の日本的経営」の3項目のそれぞれに対応する。
第1に雇用柔軟型と呼ばれる企業メンバーシップのない非熟練型労働力の拡大であり、言い換えれば正社員システムの量的「縮減」である。これまで新規学卒一括採用システムによって自動的に「学校から仕事へ」の移行が可能であった若者たちが、否応なく一定部分そこから排除されることとなった。しかしながら教育界は、もはや手厚い企業内教育訓練を受ける見込みのない彼らに対しても、これまでと変わらず職業レリバンスの欠如した教育を施して社会に送り出している。学校でも企業でも、誰からも職業教育訓練を受けることのない彼らに対して、自己責任や自己啓発を求めても、それを可能とする基盤は存在しない。
第2に長期蓄積能力活用型と呼ばれるこれまでの正社員システムのさらなる凝縮である。凝縮というのは、量的に縮減されるとともに、質的にも要求水準が高められたということであり、その要求水準の高度化がこれまでの正社員システムの前提となっていた条件を却って掘り崩す面があるという含意もある。少なくともこれまでの正社員システムにおいては、若者に求められるのは鍛え甲斐のある素材としての優秀性であって、直ちに高度な仕事をこなすことができるなどと期待されていなかった。ところが、少数精鋭の掛け声の下、成果主義の対象が管理職から中堅、さらに若手にまで及んでくるとともに、未だ「能力」を「長期蓄積」していないのにその「活用」を求められるようになったのである。しかも、要求されるのはジョブ型の「高度専門能力」の「活用」ではなく、(正社員として多くの仕事を経験する中で身についてくるであろうはずの)メンバーシップ型の「人間力」の発揮である。かくも矛盾に満ちた要求に対応しようとしても、教育界に「人間力」を教授する人的資源があるわけではない。
第3に高度専門能力活用型と呼ばれる非メンバーシップ型のハイスキルジョブ型正社員モデルが鳴り物入りで喧伝されながら結局実現しない儘に終わったことである。教育の職業的レリバンスの強化がもっとも意味を持つのはこのモデルに対してである以上、産業界にその気がないのになまじ専門能力を身につけた若者を社会に送り出しても需要とのミスマッチによる失業ないし不本意就業が待っているだけである。
このように、日本型雇用システムの変容は、非正規労働力の拡大、正社員への過剰要求、専門職の未形成といういずれの側面からも、若者に対して相矛盾するメッセージを発しており、彼らに結果の見えない努力を課している状態にある。
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すみません。私にはこれはもっともな話に思えるのですが、どのあたりがツッコミどころなのでしょうか?示していただけるとありがたいのですが。
投稿: くまさん | 2009年10月18日 (日) 16時36分