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「目障りな負け犬はとっとと失せろ」でいいのか?

いうまでもなく、ステークホルダー民主主義を称する以上、わたくしも全面的にkihamuさんに同意します。

http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20091020/p1(政治的敗者は政策過程から退出すべきか――山口二郎論説に寄せて)

>>政権交代によって一つの政策主張が退けられたら、それを支えてきた学者、専門家も敗北したことを認めるべきである。言論に携わる者は、自らの主張が人々に受け入られらない場合、すべからく「時に利あらず」という感覚を持たなければならない。

>敗北を認めることと、退出すべきか否かは、全く異なる問題である。むしろ、国民代表の職責において与党と何ら変わることの無い野党議員が、与党の政策には十分反映されていない部分の国民の意思や利害を議会に持ち込むという重大な任務を持つのと同様に、学識者も退出などすべきではない。

山口の議論が発している最大のメッセージは、要するに「目障りな負け犬はとっとと失せろ」ということであり、同論説は「勝者」(を自認する者)のおごりを堂々と打ち出した文書となっている。

山口二郎氏の議論はまさにウィナー・テイク・オールの勝者独裁論に見えます。まさにそれを実践したのが(今回の民主党のように)300議席という圧倒的な国民の支持を得た小泉政権であり、そのもとで異論を無視して改革を断行してきたわけですから、山口氏はそれを(少なくとも政治学的には)褒め称えるべきであったように思われます。

逆に山口氏の論では、小泉政権が300議席獲得した以上、労働者の権利などという寝言をほざく愚かな研究者は「時に利あらず」とあきらめ、すべからく退出して沈黙を守るべきであったことになりますが、それはいかがなものでしょうかね。

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コメント

山口氏の意見は多数代表制(小選挙区制)を生のまま主張する意見で大変素直ですね(もちろん皮肉)。
さて、
このようなものを相手にする労働者が妥協は不可避むしろ義務と言えるのでしょうか。
また、少数代表制を成立の基盤とするステークホルダー民主主義の下であっても、生死にかかわるような絶対権にまで踏み込まれてもなおそう言うべきなのでしょうか。

各種法制の審議会等に利害関係者の代表を入れる提案もそれが国会の同意を人事の要件とするであろうから多数代表制の下ではうまく動作しないように思います。

参考書ばかり読んで、書評を書くのが遅れてます、すみません。

投稿: y.katz | 2009年10月23日 (金) 01時55分

まさにその民主主義像の違いを述べた本についても、kihamuさんが紹介されています。

http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20091019/p1(吉田徹『二大政党制批判論』)

y.katzさんの書評、期待しております。辛口の本質にざっくり斬り込むような書評をお願いします。

投稿: hamachan | 2009年10月23日 (金) 10時22分

山口氏はどこかで「時代時代によって新自由主義寄りの政策が効果的な時・社会民主主義寄りの政策が効果的な時がある。今は新自由主義寄りの政策が行き過ぎて弊害が目立っているのだから、これからは社会民主主義寄りの政策にシフトしなければならない」と述べていました。

その山口氏がどうしてこのような勝者独裁論的な主張をするのでしょうか。信じられません。

政治的左派の一部には、今回の民主党勝利を機に「保守(反動)勢力の殲滅」を夢想しているとしか思えないような主張を開陳している方がポツポツ散見されます。

彼らにとってはステークホルダー民主主義など「ブルジョア民主主義」に過ぎず「プロレタリア独裁」を実現しないと気がすまないのでしょうか?そこまで彼らが愚かとは思いたくありませんが、都合のいい勝者独裁論はボルシェヴィズムと五十歩百歩であることを自覚してほしいです。

投稿: JFM | 2009年10月23日 (金) 23時31分

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