真正リバタリアン氏の拙著書評(の予告?)
本ブログでも何回か取り上げた真正リバタリアン氏が拙著に対してコメントをされています。
http://libertarian.seesaa.net/article/130796525.html(Contract of membership)
>今、レバタリアンことhamachanの著書「新しい労働社会」を読んでいる。
そもそもレバタリアン(=Labourtarian)であるhamachanが何を言っているのか知らないのでちょっと興味があったわけだ。もとより私は労働法そのものにはあまり興味がないが、労働問題は少し関心を持っている。
この本は、日本型雇用システムにおける雇用とは、職務ではなくメンバーシップであるという観点から、今の労働法制の問題点をオーバービューしている本である。
ざっと2章まで読んだので約半分ほど読んだわけだが、法律に素養がある(*)レバタリアンの本だけあって、労働法の実態を知る上でなかなかためになる本であるようだ。
真正リバタリアン氏の言うところの「サイバーなんちゃってリバタリアン」こと池田信夫氏とは違って、出版元と現在の所属先と出身組織に対する悪罵などには関心はなく、もっぱら中身(労働問題)に対する関心から読まれたようで、さすが真正リバタリアン氏というところです。
もっとも、「労働者の権利」という発想には我慢がならないようで、
>だから労働問題は何を目的として何を解決しようとするものかははっきりとしておいたほうがいい。
>しかし明らかに問題とならないのは、労働者の権利を目的とする考えだ。ここでいう労働者の権利とはなにがしかの憲法上の理念を実現する手段として制定された法律の文言にすぎない。それは手段にすぎないから、目的とすべき神聖ななにかではありえない。むしろ特権は権利の平等の原則に反しているといえる。
私が考えるのは、経済発展や労働者の権利をこの問題の本質とするのは間違いで、この問題においても”自由”に焦点をあてるべきだということだ。これが、レバタリアンともサイバーなんちゃってリバタリアンとも違う点なのである。
と持論を述べ立てられています。
まあ、そこは根本思想の違いですかね。わたくしの場合、労働者の権利のためと思いこんで作った法制度がかえって労働者の権利拡大のためにならないというメカニズムを説明する上で経済学的理屈立てはかなり役立つものがあると思っていますし、別段「法律が先か経済が先かという議論」に意味があるとも思っていませんが(法律制度も所詮手段にすぎない)、「労働者の権利」に意味がなくて「自由」が目的だというのも、現実レベルで何ほどの違いがあるのかを考えればほとんどナンセンスに等しいきわめて観念的な言辞のように思われます。
いずれにしても、
>最後まで読んだら、またこの問題について少し書いてみるかもしれない。
ということなので、期待して待ちたいと思います。
(参考)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-8b44.html(真正リバタリアン氏と私との唯一の大きな違い)
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