さきほど朝日にアップされた記事ですが、
http://www.asahi.com/national/update/1016/OSK200910160088.html
院生の交通事故死は過労原因 鳥取大に2千万円賠償命令
>鳥取大付属病院(鳥取県米子市)で医療行為にあたっていた鳥取大大学院生が交通事故で死亡したのは病院での過重労働が原因として、両親が約1億5千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が16日、鳥取地裁であった。朝日貴浩裁判長は事故と過労の因果関係を認め、安全配慮義務違反があったとして鳥取大に約2千万円の支払いを命じた。
亡くなったのは前田伴幸さん(当時33)。判決によると、前田さんは99年に医学部の大学院に入り、授業の一環として付属病院での医療業務に無給で従事。03年3月、徹夜の手術後、乗用車でアルバイト先に向かう途中、トラックと正面衝突し死亡した。直前1カ月間に約200時間の時間外労働をしていた。
大学は「雇用関係がなく、安全配慮義務はない」と争ったが、判決は「病院で業務しており、義務が生じるのは明らか」と判断。事故原因は「睡眠不足と過労による居眠り運転」と認定したうえで、「病院業務やアルバイトは前田さんの意思に基づくもの」として賠償額を算定した。
原告側代理人の松丸正弁護士は「大学院生や研修医らの過酷な労働環境に歯止めをかける判決だ」と評価した。文部科学省は08年、各地の大学に通知を出し、医療行為にあたる大学院生とは雇用契約を結ぶよう求めている。(倉富竜太)
もちろんいま判決文はないので、この記事から判る範囲だけで確認しておきます。
大学院生が授業の一環として無給で従事していた医療業務について、安全配慮義務を肯定したということですね。労働者性を認めたという趣旨では必ずしもなさそうですが、少なくとも「雇用関係がないから安全配慮義務もない」という大学側の言い分は明確に否定したと言うことですね。
大学院生といっても学部によってさまざまであって一概には言えないのが実情でしょうが、少なくとも本事例に見られるような医学部の大学院生というのは事実上労働者そのものといってよいように思われます。
教えられている身分なんだから労働者なんかじゃない、という間違った考え方が世にはびこっているのはまことに困ったことですが、もう5年も前に『ジュリスト』に書いた判例評釈で、「研修生」の労働者性の問題について論じたことがありますが、その後あんまりこのテーマは深められてきているとは言えないようです。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/europiano.html(「研修生」契約は労働契約に該当するか? --ユーロピアノ事件 )
>Ⅰ 本件の主たる争点は、本件「研修生」契約が労働契約に該当するか否かであり、その余は事実認定の問題であるので、以下この問題に絞って論ずる。
Ⅱ 1 本件判決は、「労働契約か否かは、契約書の個々の文言に捕らわれることなく、その実質により決せられるべき」と労働者性に関する実質判断原則を引きながら、その「実質」の内容を「賃金についての合意はない」ことにのみ求めている。通常、労働者性の判断基準としては、指揮監督下の労働という労務提供の形態と報酬の労務に対する対償性が挙げられる(昭和60年12月19日労働基準法研究会報告『労働基準法の「労働者」の判断基準について』)が、これらについて検討された跡はない。
2 しかしながら、本件の場合、むしろ「賃金についての合意がない」との認定に問題がある。本件契約書では「給与は・・・原則無給」とされており、「原則0円」という「賃金についての合意」があると認定すべきであったと思われる。仮に契約書に「給与は6ヶ月間で1円とする」と書いてあったとすれば、(法違反の問題は格別)労働契約でないとの認定はあり得まい。それが「0円」であれば自動的に労働契約ではなくなると考えるのは著しく不均衡である。しかも、0円というのは「原則」であって、「アルバイト料を支給することはある」のであるし、6か月後は時給に移行することが予定され、これらを含めて「給与は・・・」と規定しているのであるから、これは0円であることを含め金額不確定の「賃金についての合意」があると認定すべきであった。
3 さらに、労働基準法及び民法においては、金額が完全に0円であっても「賃金」ないし「報酬」に該当しないわけではない。労働基準法及び民法の立法者意思を確認すると、労働基準法9条について「ある種の接客業に従事する女子の如く、唯単に客より報酬を受けるに過ぎない者」であっても、「客より報酬を受けうる利益」も賃金に含まれるとされ(寺本広作『労働基準法解説』)、また「労働の対償として一定の営業設備の使用が認められておれば、それもまた賃金」としており(『日本立法資料全集労働基準法(第53巻)』)、0円の賃金合意は想定している。また民法623条については、穂積陳重が「此報酬ハ金銭ニハ限リマセヌコトハ勿論言フヲ俟チマセヌ前ニ申シマシタ習業者ニ対スル世話ト云フヤウナコトデモ宜シイノデアリマス」(『法典調査会民法議事速記録四』)と述べている。穂積の言う「習業者ニ対スル世話」はまさに本件における研修に相当しよう(明治23年の旧民法では「習業契約」として独立の契約類型であった)。
4 従って、「賃金についての合意がないから、本件契約は労働契約ではない」し「雇用契約ではない」との判断には疑問がある。本件契約は労働契約であり、雇用契約であるというべきであろう。
Ⅲ 1 しかしながら、現行法上本件のような契約が正当と認められるかどうかは別である。民法上は明らかに予定されている雇傭契約類型の一種であるといえるが、労働基準法上はこのような労務の提供と「習業者ノ世話」との双務契約は、通貨払いの原則(24条)及び最低賃金法に違反する可能性が高い。通貨払い原則は「法令若しくは労働協約に別段の定め」があれば適用除外が可能であり、また最低賃金法は、試の試用期間中の者及び認定職業訓練受講者については、都道府県労働局長の許可を受けて適用除外とすることを認めている(8条)が、本件には該当しない。さらに、そういう契約類型自体、「徒弟、見習、養成工その他名称の如何を問わず、技能の修得を目的とするものであることを理由として、労働者を酷使してはならない」(69条)に違反する可能性もある。
2 そうすると、通常の労働法学の考え方では、本件労働契約においては「原則無給」との合意は無効であり、Xは少なくとも就労期間について一定額(少なくとも最低賃金額)の賃金請求権を有するという結論になりそうである。これはこれなりに筋の通った考え方ではあるが、現実妥当性に問題があると思われる。労働経済学的に言えば、通常の企業内訓練においては、訓練期間中の訓練コストや生産性の低い労務提供と(相対的に高い)賃金水準との差は企業側の持ち出しとなるが、訓練終了後の生産性の高い労務提供と(相対的に低い)賃金水準との差によって埋め合わされると考えられる。この場合、訓練終了後も長期継続雇用することへの期待がこのような長期的な取引を可能にしているが、労働力が流動化してこのような期待が一般的に持てなくなるとすれば、別途の訓練コスト負担方式を考える必要が出てくる。今後の労働市場の動向を考えると、その必要性は高いと考えられる。しかも、本件はピアノ調律師という高度の(芸術的センスを含む?)技能を要する職種であり、訓練終了後に生産性の高い労務提供が可能であるとは必ずしも言えないことも考慮に入れる必要があろう。原則無給の「研修生契約」を禁止してしまうことは、当初から有給で採用することは困難な限界的労働者に対して、雇用の道を閉ざしてしまうことにもなりかねない。
Ⅳ その意味では、これは本来、立法的解決を図るべき問題であろう。現行民法上認められている労務の提供と「習業者ノ世話」との双務契約は、昭和47年の労働基準法では一定の技能職種について「技能者養成契約」として構成され、契約期間、賃金の支払い、最低賃金、危険有害業務等について別段の定めをすることができることとされ(70条)、これが職業訓練法(現在の職業能力開発促進法)に基づく認定職業訓練(同法24条)に変わって現在に至っている。しかしながら、認定職業訓練の基準は公共職業能力開発施設における職業訓練基準と同一であり(同法19条)、製造業を主に念頭に置いたもので、ピアノ調律技術のようなものは含まれていない。
公共職業訓練の存在を前提としてそれと同等の訓練を使用者が行う場合にのみこういった契約を認めるという法的枠組みを前提とすると、公共職業訓練の手に負えない技能についての技能者養成は、①完全な労働契約として一定期間使用者側のコスト負担を求めるか、②労働契約ではないとして本来与えられるべき労働者保護を失わせるか、という選択にならざるを得ない。①が労働法学的には正しい解決であっても、労働経済学的には問題があること、労働力が流動化すれば①がますます困難になることは前述の通りである。その意味でも、公共職業訓練とは切り離した形での一般的な「研修生」契約を概念化する必要性が高まってきていると思われる。
この判決を見て、
「うわー、たった2000万かぁ…医療従事者の命って安いんだなー」
と思った自分がいます。
出来る事を全て尽くしても患者が不幸にも死んでしまうと「医療の限界」と「医療ミス」の区別のつかない司法のトンデモ判決で3900万(加古川心筋梗塞事件)とか4900万(奈良心タンポナーデ事件)なんて賠償金を支払わされたりするのに…。
医療従事者が死んでもたったの2000万って…。
投稿: 都筑てんが | 2009年10月17日 (土) 20時37分