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2009年10月11日 (日)

労使関係法研究会報告の「臨時工と労働組合」

今は昔、労働省なる役所に労政局なる部局がまだあった頃、労使関係法研究会なる学者の集まりがあり、そこが報告書を出したことがある、というくらいのことは、まだかすかな記憶が残っているかも知れませんが、その中でどんなことが言われていたのかなどということはもはやおぼろなる太古の昔のそのまたいにしえの物語という感じでしょうね、現役の人にとっては。

集団的労使関係が多くの研究者の興味の対象ではなくなり、労使関係といえば個別問題だけという今現在、そんないにしえの古文書を持ち出してどうするつもりだと非難がましい目つきで見られるかも知れませんが、いやいや、古びた古文書なればこそ、現在の視点から見て興味深いところもまた浮かび上がってきたりするのです。

何回かここでも述べたように、1970年代半ば以降日本の労働行政は内部労働市場中心の企業主義の時代に入り、それ以前の近代主義の時代の感覚のかなりの部分を忘れてしまいました。1967年-42年前になりますが-に出された労使関係法研究会報告「労使関係法運用の実情と問題点」は、その時代の感覚をそのまま出しているので、「我ら失いし世界」がどのようなものであったかを改めて確認することができます。

ここでは、「第一 労働組合の組織と運営」の「(五)臨時工と労働組合」の「問題点」を引用しておきましょう。(189~190頁)

>(2) 臨時工に関する組織問題の中心は、「臨時工という名の常用工」として常用労働者と実質的に同一の作業に従事し、あるいは少なくとも常時必要な補助的作業に従事している労働者が、ただ雇用形式上「臨時」とされているために労使関係においてもいわゆる本工・常用工という名の労働者と区別して取り扱われていることから生じている問題である。

イ 補助的作業に従事している臨時工については、その作業は、いわゆる社員である職員や行員の従事している業務とは質を異にしている面があるという見方もあろう。しかし、そうであるとすれば、現在の労働組合の組織が職員と工員との混合組織となっていることとの関連が問題になる。いずれにせよ、このように作業そのものは恒常的に必要なものであるのに、雇用形式上「臨時」とし、しかも実質的には契約更新によって常用化するということが、会社の労務政策であるにしても、企業別の労働組合がこのような臨時工を組織から除外し、結果としてこのような労働者の低労働条件を看過する形となっているところに、我が国の労働組合が単に企業別組合であるというよりは企業別本工組合であるとされるゆえんがある。

ロ 雇用調節上の必要による臨時工を組織から除外している企業別組合の態度は、まさに本工組合としての性格を明らかにするものといわざるを得ない。このような労働組合の態度は、この種の臨時工の存在そのものが企業にとってのみならず本工にとっても景気変動の際の安全弁として本工の雇用の安定に役立つものであることに由来するといわれる。しかし、これと類似の効果は米国で広く採用されている先任権制度によっても得られるところであり、米国では、このような先任権順位による差別はあるが、労働組合の組合員資格の面における差別はなく、また賃金その他の労働条件の面でも格別差別はない。ところが、わが国では、臨時工という名において、企業における身分保障のみならず広く賃金その他の労働条件も使用者によって差別され、労働組合も、いわゆる本工組合としてこのような差別をむしろ助長していることは問題である。この原因には、種種根深いものがあろうが、本工自身の身分差別意識やエゴイズムもその原因の一つであるといえるであろう。

(4)このように、臨時工の労働組合およびこれと一般労働者の労働組合との関係は、労使関係法の観点から見る限り、法律上の問題というよりはむしろ労働者の意識の問題、臨時工の制度を採用する使用者の労務対策の当否の問題であり、より深くはわが国の労使関係がおかれている経済的、社会的環境の問題である。しかし、労使双方の意識中に存する封建的残滓が、多かれ少なかれ、このような制度の残存を許す一因となっているとすれば、近代的労使関係を確立するためには、当事者自らもこのような制度の改革に努める余地があるといえるであろう。

出ました、「近代的労使関係」!

このころは、政府の文書でも「近代的」が流行だったのです。雇用慣行や労使関係をもっと「近代化」しようというのが政策の主流だったのです。

それが1970年代からは、近代主義は全然はやらなくなるのですね。「近代を超えて」ってのが時代の最先端になっていくのです。そうなると、上で書かれたような問題意識もどこかへ雲散霧消していってしまったのです。

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