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2009年10月28日 (水)

デンマーク型フレクシキュリティの落とし穴

HALTANさん経由で、

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20091027/p1

ル・モンド・ディプロマティーク日本版の「デンマーク福祉国家の動揺」と題する興味深い記事を見つけました。

http://www.diplo.jp/articles09/0910.html

ちなみに、在欧当時は仏語版の同紙に目を通したりしていたものですが、最近は丸ドメの傾向が強く、ほとんど手に取らなくなってしまいましたなあ。それはともかく、

HALTANさんは最後の方の移民関係の記述に注目しておられ、これは本ブログでも何回か取り上げてきたネーションに立脚した福祉国家と移民問題の矛盾という大きなテーマですが、ここで取り上げたいのはそれとは別の話。デンマークが誇る「フレクシキュリティ」の柱の一つである寛大な失業給付についてです。

>国立雇用局によれば、24歳未満の若者の失業者数は8カ月で4倍に膨れ上がった。それも、約30ある組合系の失業保険金庫のどれかに加入していたおかげで、失業手当を受けている若者だけの数だ。

 デンマークではスウェーデンと同様、自発式のゲント制(3)という旧方式をいまだに採っており、失業保険への加入は任意とされている。そのため、2000年代の好況期には、完全雇用がほぼ実現されていたため、多くの若者は失業保険への加入など不要だと考えた。2009年第1四半期末の時点で、保険未加入の若年失業者は1万6000人に上る。保険加入者の3倍に相当する数だ。彼らは、フランスの最低所得保障と同じような、非常に貧弱な公的扶助に甘んじるしかない。

(3) 労働者運動の黎明期にベルギーのゲントで生まれたゲント制は、第1に任意の加入、第2に組合による保険金庫の運営、第3に複数の保険金庫の併存を基本原則とする。就労者か非就労者か、国民か移民か、といった区別なく、全市民に同一のサービスが提供される皆保険と対置される制度である。デンマークでは、失業保険だけに残っている。

ネオリベ系の論者がデンマークモデルを持ち上げるときに、必ずねぐって知らんぷりするのが、デンマークが労働関係のほとんどすべての規制を国会制定法ではなく中央労使団体間の労働協約で決めて実施しているウルトラ・コーポラティズム国家であるという点ですが、そして、本ブログでも何回か取り上げてきたように、そのことが個別企業レベルにおける解雇規制の緩やかさを担保しているわけですが、その「組合員であることがすべて!」という超労働組合万能国家であるがゆえに、自分から労働組合に入ろうとしない人間は、セーフティネットから自動的に排除されてしまうわけですね。

このあたりのパラドックスを真剣に考えるとなかなか難しくて、やっぱりデンマークみたいに労働組合に入らなくちゃ何も守られない社会じゃなくて、国家がちゃんとセーフティネットをかけてあげる社会でなくてはいけないと考える人もいるでしょうし、日本の非正規労働者みたいに入りたくても入れないのではなく、自分で勝手に入らなかった連中なんだから、どうなっても自分の責任じゃないか、という考え方もあるでしょう。

いずれにしても、地球上のどこかに完全無欠な理想郷が存在するなどということはありうるはずもないわけです。

もっとも、このもとの記事は、そもそもワークフェアやアクティベーションに対してかなり批判的な見解をもっているようですが、

>経済危機という状況下で、更に厳格化を進めようという趨勢は強い。公的扶助の受給者全員に課せられる「アクティベーション」は気楽なものではない。アナセン教授によれば、「平均的には、失業者はアクティベーション期間が来る前に、再就職先を見つけます」。この制度を最初に推進した社会民主党の発想は、労働者を失業状態に置かず、ただちにスキルアップを実施することにあったのだが、現実にはむしろ、有無を言わせず一刻も早く再就職させるための手段と化している。3カ月が無為に過ぎ、アクティベーションに突入するという展開だけは避けたいと、失業者に思わせる仕組みができあがっているのだ。つまり、新たな仕事、雇用主、ひいては勤務地を選ぶのは、以前より困難になっている。それが厭なら、失業手当を断たれることになる。明日のデンマーク型社会保障モデルでは、ワークフェアがウェルフェアに取って代わることになるのだろうか。

国家財政が無尽蔵でない以上、働けるのに働かない人に働いてもらうように努力するのは当然でしょう。

少なくとも、最近日本で奇妙に支持者が増えているように見えるベーシックインカム論などがまかり通る状況ではないと思います。

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コメント

デンマークについて、一言。
hamachanはもっぱら労働の観点からデンマークを見ておられるので、「労働組合に入らなくちゃ何も守られない社会」という印象を持っておられるかもしれませんが、デンマークを訪問したことのある私の印象では、デンマークの市民は、労働組合に限らず、自分で自分の所属する共同体を選び、そこで納得できる暮らし方をする、その暮らし方について国や自治体の政策にコミットしている、との印象を受けました。ですので、労働組合だけでなく、地方自治体や各種NPO・NGO的団体を通じて、国の政策に発言している、そのかわり、所得の50%近くもの税金を納めている、というのがデンマーク国民ですね。とはいえ、デンマークってほんとに小さな国で、国の人口は500万、日本ではせいぜい北海道や兵庫と同じ、首都のコペンハーゲンでも50万、、という、とても小さな国です。地方自治体のレベルでいうと、住民がお互いの顔が見えるような国、そして、地方自治体の政策決定権もとても大きい、日本とはそうとう違う国です。国や自治体の小ささは、量は質に転化する、といいますか、日本とは全く異なる政治的共同体を作り出していると思われます。
で、デンマークにおいては、失業保険に比べるとかなり貧弱と言われる社会扶助ですが、EUの社会保障データベースMISSCOで見るとわかりますが(http://ec.europa.eu/employment_social/missoc/2007/tables_part_1_en.pdf 「最低生活保障の参考事例」を見てくださるといいかと)、その社会扶助は相当良いレベルですよ。25歳以上の単身失業者で月額1201ユーロ、というのは、約16万円だったような。ただし、これは、国民の合意にもとづく高負担に支えられているセーフティネットで、その国民とは相互に顔の見える範囲の人々(移民受け入れにはデンマークでも議論沸騰中)、です。
で、しつこいですが、「相互に顔の見える」という範囲は、労働組合を組織する職場にとどまらず、市民の生活のいろいろな分野に存在する、のがデンマークだというのが私見です。

コメントありがとうございます。
「労働」組合に限らず、社会生活全般が「組合」=「ギルド」精神で作り上げられているということでしょうか。

公的扶助が国際的に見て決して低レベルでないのは北欧諸国として当然そうだろうと思いますが、上の記事は労組運営の失業保険との比較で「非常に貧弱な公的扶助」といっているのでしょう。

>国家財政が無尽蔵でない以上、働けるのに働かない人に働いてもらうように努力するのは当然でしょう。

たとえ、それがブラック企業であってもでしょうか?

派遣村をはじめとする報道で、「真面目に働いても踏んだり蹴ったりになってしまうことがある」という日本の現実が知れ渡ったからこそ、ベーシックインカムが支持されるのではないでしょうか。

現在の日本は「マジメに働けば報われる国」なのでしょうか?
「職を失ってもセーフティネットが救ってくれる国」なのでしょうか?
これらに対する「絶望」が、ベーシックインカムが支持される根底にあると思います。

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