S/Hさんのアマゾンレビュー 星4つの理由
拙著へのアマゾンレビューも続々とアップされています。今日はS/Hさんの「リアリストなのだろうか」というやや辛めの書評です。
http://www.amazon.co.jp/review/R20F822D3FCMJC/ref=cm_cr_rdp_perm
S/Hさんは拙著に星4つですが、その理由を明確にこう書かれています。
>本書やブログなどの主張を読むと、濱口氏は「外で騒いでいるだけ」のユニオンより、企業別組合によって職場の民主主義が再構築されることを現実的だと考えているようです。つまり、外延化よりも内包化であると。確かに、企業別組合の変化、職場における民主主義の実現は重要課題です。しかし、「民主主義は工場の門前で立ちすくむ」と言われて久しいなか、主流の労働組合が自ら率先して民主的な組合運営、職場の民主化を進めていくと考えているのだとしたら、濱口氏を「リアリスト」だと評価することはできません。実際、今これほど労働問題への関心が高まっているのはユニオンが「騒いだ」からこそであり、主流の組合は腰が重いのが現状です。また、民主的な組合運営の模索を長年行ってきたのもユニオンなのであり、そうした活動を軽視して「新しい労働社会」を展望することはできないと考えます。
>濱口氏の「ワークライフバランス」に関する鋭い議論と労働運動へのバランスを欠いた視点の微妙なズレが気になったので、星を一つ減らしました。
こうはっきり言っていただけるとうれしいです。
まさにそういう批判がされるであろうと予測しておりましたし、今までそういう批判があまり出てこなかった方が不思議だとも思います。
これは、『POSSE』第4号の「私は格差論壇マップをどう見たか」で語ったことなんですが、
http://homepage3.nifty.com/hamachan/posse04.html
>今野:横軸の右側に「ユニオン」が入っていますが、既存労組は巧みに入っていないですね。
濱口:そこが実は木下さんの議論で一番私が問題だと思うところです。社会的存在感でいえばはっきりいっていわゆる「ユニオン」などというのは「その他」的存在でしかない。木下さんのイメージではそれが今後産業的レベルで拡大していって、ということだと思うのですが、それはきわめて難しいと思います。あえていえばここは広い意味での「集団」なんです。必ずしも現在の企業別組合に限るものではないし、一つの軸にするためにはもう少しマクロなレベルでの集団的な枠組みを含めていかないといけないと思いますが、それをミクロなレベルで支える基盤はなにかというと、これは中期的レベルまでは企業別組合抜きには語れないはずです。
今野:それに関連して、コミュニティユニオンが連合の中に加盟して全国ユニオンを作っていますね。
濱口:ですがそれは横から突っついているだけです。私の労使関係のイメージは割と古典的で、現場レベル、職場レベルでものごとを規制できなかったらしょうがないというものです。そこで現に働いている人たちがそこのルールを作っていくべきだと思っています。そのためには、そこで働いている人たちがその場で団結しなければしょうがないのですね。もちろん、これは私のイメージで、このあたりは人によっていろんな考えがあるかと思うのですが。
今野:木下さんの議論においても「職場」は重視されていますし、個人的にも「職場」と産業別ユニオンや社会的ユニオニズムは矛盾しないと考えています。職場統治の自主性は、ユニオニズムの基本的発想ですからね。
最初おっしゃっていたこととも関連しますが、ある意味産業レベルと事業レベルはドイツもそうですけれど、融合しやすいわけですよね。そうするとある種産別の形成と企業単位の交渉ではなくて従業員代表制度(事業場ごと)を作っていくことはあまり矛盾しないことになります。
濱口:外から突っついているだけでは物事が動くわけではない。やはり中で動かないといけません。その「中」と言ったとき、むしろ職場レベルをもう一度再建していくということが重要だと思います。企業別といったときに、企業の経営陣と企業別組合の役員との間で物事を決めている姿から、ある部分はもう一度職場レベルに戻していく、ある分は産業別レベルに上げていくというかたちで考えていかないと、外から突っついているだけでは物事は動かないだろうということです。これは私なりのリアリズム的発想です。
現実に職場には企業別組合の分会という形があるのです。ただあくまで企業別組合だから、属している企業が違うからということで、派遣とか請負とかはそもそも入れませんし、非正規雇用もほとんど入れません。だけど実は職場の連帯というのは雇用契約の相手方がどのような名前になっているかということを超えてあり得るのではないか、という発想にもう一度戻ってもいいのではないかと思います。
この辺りについては、7月に出す岩波新書で言及しています。私はやはりこの職場からというところに重点をおきたいと思っています。ある意味で木下さんの議論と一番ぶつかるところかもしれないですね。
S/Hさんはこの対立を
>本書を戦後の労働運動のあり方をめぐってなされた「内包化・外延化」論争の現代版と位置づけます。企業別労組の枠を乗り越える「地域ぐるみ」の運動を展開した高野実に対して、大河内一男はそれを「外延化」と批判し、「経営の中に入り込む」ことによる企業別組合の補強(内包化)を主張しました。その後、日本の労働運動の主流は企業別組合によって占められる一方、地域の運動は○○ユニオンとして引き継がれました。
という戦後組合運動史の大きな対立図式の中に位置づけます。大変的確な位置づけだと思います。ここまで私が本書を書いた意図を理解していただいた上での星4つですから、その値打ちは大きいです。
« 志村建世さんのブログで拙著の書評が始まりました | トップページ | 悪者退治の三流政治学 »
>外から突っついているだけでは物事が動くわけではない。
黒船来航で開国したお国柄ですから、外部からつつくのもそれなりに効果があるのではないでしょうか。
そもそも、現状をつくりだしたのは、内側の人間であり、内側の人間が改革するのは難しいのでは。一方、外部(or 傍流)にいた勢力によって為された改革はありますよね。明治維新もそうですし、GHQもそうです。現在進行中の鳩山改革もそうだと思います。
価値観の変化を伴う改革には外部勢力は重要だと思います。そして、なされた改革を維持するのは内部の人々の役目。戦後民主主義ってまさにこの形でもたらされたと思います。
投稿: くまさん | 2009年10月 3日 (土) 10時08分