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2009年9月26日 (土)

不幸の平等化

狂童日報さんのブログで現代日本の雰囲気についての大変的確な表現があったので引用。

http://d.hatena.ne.jp/qushanxin/20090923不幸の平等化

>今の日本の世論は「不幸の平等化」としかいいようのないものになっている。企業の劣悪な労働環境は批判されるようになってはいるが、その数倍規模の「それくらい社会人なんだから我慢すべきだ」という声が根強くある。そして職場では、三人集まれば人の悪口ばかりであり、みんなが後ろ指をさされないようにビクビクしているような有様である。こういう社会の風潮が、「既得権益の解体」とか「無駄の削減」といった、「不幸の平等化」を求めているだけの無内容のスローガンを政治の場面で跋扈させている。

こうした現実の中では、経済学者がいかに「経済成長」の必要性を訴え、福祉国家論者が「連帯」の重要性を訴えても、ほとんど嘘くさいものしか感じられない。なんか昭和10年代に社会の雰囲気が似ている、と言ったら言いすぎだろうか。

この「不幸の平等化」は、拙著の第4章で述べた「不利益の再分配」とは全く違います。後者が連帯感があるがゆえに、決して豊かとはいえないが少しでも持てるものが少しずつ不利益を甘受し、分かち合おうというものであるのに対して、前者は連帯感が欠落しているがゆえに、自分より遥かに不幸な他者のちょっとした幸福のかけらすら我慢できずに潰し合うことでわずかな心の慰めを得るのです。

この「不幸の平等化」感覚の結晶が、

http://d.hatena.ne.jp/qushanxin/20090926「みんなの党」について

>少数政党では、最も再分配に関心の薄いはずのみんなの党だけが、なぜか「政権交代」に埋没せず「一人勝ち」したのである。

最初この理由がどうも不可解だったのだが、私は日本の世論が弱者への再分配強化に傾いていると勘違いしていた。実のところは、そうではなかったのである。つまり国民は、苦しんでいる目の前の弱者を救うべきだという素朴な訴えではなく、まず既得権に安住している人間を懲らしめるべきだという、「不幸の平等化」の声のほうを支持したのである。そもそも民主党のマニフェストにしても、内容的には連立を組んでいる社民・国民新よりもみんなの党にずっと近いし、絶叫していたスローガンの大半も同じ「脱官僚」であった。

みんなの党はまだまだ少数政党だが、戦前の無産政党のような存在感を示すことになるのかもしれないという点で、これからも注視すべき政党であると考える。もちろんイデオロギー的には全く逆だが、既得権へのルサンチマンに基づく「不幸の平等化」の世論を背景にしているという点では、若干似ているところがある。

だというのもよく理解できます。

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コメント

厚生労働副大臣に就任された細川律夫議員のニュースレターにおいて、

http://www.hosokawa-ritsuo.jp/pdf/154.pdf">http://www.hosokawa-ritsuo.jp/pdf/154.pdf

>翌17日、細川律夫代議士は首相官邸に呼ばれ、鳩山新総理から厚生労働副大臣就任を打診され、受諾しました。厚生労働大臣の長妻昭代議士は年金記録問題で有名ですが、所管の広い厚労省のなかでも厚生分野が中心のため、労働関係については細川律夫が大臣同様の責任を負う立場に就任することになります。このことについては、長妻大臣が記者会見の席上で「労働分野は細川副大臣にお任せしたい」と述べているとおりで、最悪の雇用情勢のなか、極めて責任の重い役職でもあります。

>労働分野については、通常国会でも雇用保険法の改正案に対する対案や労働者派遣法改正の野党案の筆頭提案者になるなど、緊急雇用対策などで政策の提案をしてきた専門性を買われたもので、厚労省の労働関係はすべて細川律夫副大臣が中心となって政策決定や運用が行われることになり、省庁再編以前の労働大臣にあたる権能を持つことになります。

と書かれていますので、事実上長妻厚生大臣、細川労働大臣という分担になりそうです。

細川議員は民主党において非正規労働問題プロジェクトチームの座長を務められて、労働問題には詳しい方ですから、とりあえず厚労省の労働部門の中の人はほっとしているかも知れません。

ウィキには「所得再分配は、貧富の差を緩和させ、階層の固定化とそれに伴う社会の硬直化を阻 止して、社会的な公平と活力をもたらすための経済政策の一つ」とあります。貧富の差を緩和さ せるために、金持ちから税金を取って、貧乏人へ回す流動化が目的の一つですから、「不幸の平等化」という表現自体、上から目線です。

子育て手当にあれだけ税金投入するのであれば、「なぜ超高額な不妊治療は自己負担なのだろう?」といぶかしむのは当然です。少子化対策のために支援金を出すというのなら、自己負担で不妊治療を続ける人にもっと支援を!と考えるのが「不幸の平等化」ですか?

結婚もできない低所得者に具体的に国は何か支援していますか?むしろ切り捨てていませんか?彼等は自己意思で結婚・出産しないのだ・・と一方的に決めつけていませんか?「お金が無いから結婚できない」という悩みを持ったまま40の坂を越えてしまった非正規労働者の男女がどのくらいの数存在するのか?という問題に対して、なぜ国は大々的に調査をしないのでしょうか?

今回の民主党の子育て手当のように「世帯の年収を考慮せず、子供がいると言うだけで一律にあれだけの金額をばらまく」政策は、社会全体を見た時にナンセンスであり、なにやら国に「あらまほしき生き方」を強制されているように感じられてなりません。『プレジデント・ファミリー』やら『日経キッズプラス』を定期購読して、早期教育に白熱している裕福な子育て世帯も増えているはずです。

「すべての夫婦が安心して子育てできる環境づくり」・・に異は唱えませんが、そもそも国が子供の数を増やしたいと考えるのなら優先順位があるのでは、とか、子育て手当も将来的に持続できる政策なのか?とか、民意を得られにくい部分が多すぎでしょう。

「不利益の再分配」がさながら十五少年漂流記的なものであるなら、「不幸の平等化」は正しく蝿の王の世界と痛感します。
例えとして、さながらわずかな酸素を得るため、隣人の首を絞め上げる発想こそが「不幸の平等化」だと解釈します。その先にある末路は死という言葉に尽きる事は疑う余地がありません。
ここで出す事が憚られる本ですが、我が闘争におけるユダヤ人についての記述を見るようで背筋に寒い何かを感じる次第です。

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