安原宏美さんの書評第2弾
安原宏美さんの拙著書評第2弾です。
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10333978307.html
ちなみに、すでに紹介していますが、第1弾はこれ。
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10333978307.html
2回にわたってご自分の幼い頃の思い出からエッセイ風につづられた流れを追っていくと、
>私にとって「まっとうなソーシャルの原点」というのは何だろうと考えてみると、小学生のときに、地元倉敷の地域学習で「アイビースクエア」に行ったんですね。
「アイビースクエア」は07年に「近代化産業遺産」に認定されている明治時代の紡績工場をリフォームして作られたホテルです。
>この工場のことを調べると、この会社(クラボウ)は倉敷中央病院も作ってます(祖父が最期の迎えた病院)。この病院は当時から会社の工員用だけにとどまらず、地域に開いています。そのほかにも銀行も作ってるし、商業高校も作ってるし、奨学金も作ってるわ、蒸気エネルギー政策も転換させて、電力会社も経営しているわ、女工哀史の前の時代から、貧乏な労働者のために社員寮は作ってるわ、託児所まであるわ、飯場制度(ピンハネと労働環境がひどかった)を徹底批判、従業員を雇って会社で教育してるわ、孤児院の経営資金も出しているわ・・・・。そのほかもいろいろあるんですが、ネロも倉敷に生まれていれば・・・牛乳配達どころか小さな牧場のひとつでももてたかもしれない、と思ったわけですね。
>紡績は当時の日本の主要産業になったわけですから、働く人が足りません。引き抜きが横行します。引き抜いてこき使うほうが安上がりなので、いわゆる「女工哀史」や「職工事情」的な労働問題があったわけですね、ただ、「ちょっと待てよ」と考えた企業ももちろんありました。「こんなんだったら、工場に定着してくれない、よって技術が伝承できない」。長期的に経営を考えている人からは、まあそう考えます。それだけじゃないですけど、そういう問題意識もあったのが、大原率いる倉紡だったり、鐘紡武藤さんだったりしたんでしょう。鐘紡などは、条件がよかったので、女工さんが集まり過ぎて、地元のまわりの企業が人材不足になって、文句言ってたりしてたかな。「うちじゃできません!」という意味の文句でもあります。まあ余裕がないと難しいですわね。
>このあたりの福祉の面倒みてた人というのは、ほんとにすごいなあと思います。孫三郎もそうですけど、渋沢栄一などは「いったい何人いるんですか!」と思うほど。
大原は「ほんとは国がやること」と言ってた記憶がありますが、「民間:会社で面倒みるから、国は口出すなー(本音は深夜営業をさせて)」「国:ほな、よろしく」みたいな方向にも行くんで先生曰くのネオリベちゃんとリベサヨちゃんが仲良しになれるわけですね。工場法の制定に時間がかかるわけです。
そして、
>先生の本のタイトルは「新しい労働社会」です。「教育」、「女子労働」、「児童手当」といった、近代化の熱狂の中で、冷静に社会をよくしようと(実際良くした人でもある)考えていた人とつながります。宗教による慈善ではなく、「社会として問題をどう解決していくか」と考えた人たちが訴え続けていることでもあります。だから、あのタイトルの「新しい」は近代人としての「新しい」ではないでしょうか。
という風につなげていただいています。
女工哀史、職工事情、大原孫三郎、武藤山治・・・・・・・とくると、一言なかるべしという人がいそうな気もしますが。
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