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2009年9月 7日 (月)

非正規労働と産業民主主義

機械金属関係の産別であるJAM(その歴史を語ると日本の労働運動史に重なりますが、それはまた別の機会に)の機関誌『月刊JAM』の9月号に、去る6月21日に開かれたJAMの政策・制度要求中央討論集会でわたくしがお話ししたことが載っています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jam0909.html

しゃべり言葉なので読みやすいと思います。拙著の第3章と第4章の要約ないしパラフレーズという面もありますので、ご参考までに。

拙著では、読めば分かるようには書きながらも、あまりはっきり書かなかったことを、こちらではかなり明確に喋っているところもあります。たとえば、

>格差とか貧困とかワーキングプアというのは、このところずっと流行りですが、そういう議論の中で労働組合がどのように扱われているかというと、だいたい二つあります。第1のタイプは、そういう格差が起きる原因は労働組合であると。正社員の労働組合が自分たちの既得権にしがみついているがゆえに、その一方でかわいそうな非正規の人たちが生まれているのだと。だから、この既得権にしがみつく正社員の組合を叩き潰して、そこからふんだくってきて、こっちにばら撒けみたいな議論が一つのタイプです。
 
 これはもちろん大変乱暴な議論なのですが、ここ数十年来、集団的労使関係とか産業民主主義という議論が、あまりまともな形では日本でされることがないままきたがゆえに、そういう無茶苦茶で乱暴な議論がすっと通ってくる傾向が、かなりここ数年来あるような気がします。
 もう一つのタイプは、「いやいや、何々労働組合というのはろくでもないが、何々ユニオンというのはいいのだ」と。何々ユニオンというところが、かわいそうな非正規の人たちを救う正義の味方として活躍し、あちこちで抗議デモなどをやっているのだと。やっているだけで、それがどういう影響を与えているのか、正直言って私は非常にネガティブに捉えているのですが、ただ少なくともマスコミ的には非常に絵になるので、そういう議論からすると、何々ユニオンみたいな企業の外側で騒いでいるグループが、これからのワーキングプアを救っていく救い主であるとされている。
 ここ2~3年ぐらい、この手の議論をやる論者の中身を見ていくと、労働組合の話が出てくるのは、だいたいこの二つのパターンなのです。私は、それが非常におかしいと思うのですが、どこがどうおかしいかということをきちんと言うこと自体が、正直言ってなかなか難しいと思っています。
ここで話す話なのかとお感じになるかもしれませんが、やはりそのようにしか集団的労使関係というものが捉えられていないという現状に対して、まずは働く場、職場で集団的な合意を形成していくことがすべての出発点なのだということをはっきりさせなければならない。こんなことは労働問題の一番の基礎みたいな話なのですが、まずはそこから議論を展開していかなければいけないのではないかと思っています。

>納得性というのは、中身が本当に客観的に正しいかどうかよりも、人々がそれに納得するかどうかです。どんなミクロの場でも、物事が納得性を得られるためには、それによって利益あるいは不利益を被る人たちが、その意思決定に何がしかの形で関わっていくことが、最も重要な要件ではないかと思います。そういう民主主義というものを職場のレベルで体現できる組織は何だろうかと考えると、やはりそれは労働組合しかないはずだろう。
 どうしても、ここのところの議論では、職場で組織された労働組合がそういう役目を果たし得るのだという議論がほとんどなく、先ほども言ったように、ある種の議論では、それが利権の塊みたいに非難されるとか、あるいは外側で騒いでいるユニオンだけが実現できるみたいな議論が非常に強いのです。マクロにいっても、そういう話なのだろうと思います。民主主義というのは、ある意味で労働問題の延長線上なのかもしれません。革命を起こして今までいい目を見ていた金持ちを皆殺しにすれば、社会はよくなるという発想でやっていた人たちもかつてはいたわけですが、決してそれが物事の解決にはならなかったのです。
民主主義というものをマクロな、大きな政治で考えるのはある意味で当たり前なのですが、ミクロなところで民主主義というものをきちんと積み上げていくというのは、実はその根底にあるはずであります。特に日本だけではないのだろうと思うのですが、そういう議論がわりとすとんと抜けているのではないかと思います。

>ある時期までは確かに、労働組合が民主主義の学校だという議論があったのです。昔の本などを読むと、けっこうそういう表現が出てくるのですが、ある時期から、そういうものが失われているように思います。失われているからといって、忘れていいはずではないのではないか。もう一度、ミクロの場の民主主義のいわば基盤として、労働組合というものを捉え直していく必要があるはずではないか。そういうことを、先ほどの話に戻りますが、ここ2年ぐらい労働法をどう考えるかという中で、私は議論してきました。
実は、その考え方に立脚してこの非正規問題も捉え直すべきではないかと思っているわけです。これはいくつかの局面で出てきます。ここまでの議論では、どちらかというと、処遇、待遇ということを暗黙の内に前提において議論してきました。処遇とは、要するに非正規の人たちの賃金水準をどうやって引き上げていくか、あるいは正社員並みの賃金水準に引き上げていくというのであれば、トータルとしての総額人件費を一気に引き上げるのはなかなか難しい話ですから、それをどうしていくかという話になります。ただ逆に言うと、ある意味でこれは程度問題であると私は思いますし、短期でやろうと思うとなかなか難しいのですが、中期的な中で解決していくという観点からすると、そんなに難しい話ではないはずだと、私は思っています。

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