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佐伯啓思・石水喜夫対談

Cover_6899 厚生労働省の広報誌である『厚生労働』の9月号が、平成21年版労働経済白書を特集していまして、目玉が佐伯啓思さんと石水喜夫さんの対談です。

http://www.chuohoki.co.jp/products/magazines/kouseiroudou/new.html

>【対談】

平成21年版労働経済白書をめぐって

佐伯啓思・京都大学大学院人間・環境学研究科教授
石水喜夫・厚生労働省労働経済調査官(聞き手)

JIL雑誌と違って、こちらは石水さんが自由に対談相手を指名できるので、労働問題の専門家じゃないいろいろな分野の方が出てこられます。昨年は情報学の西垣通さんでしたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/on_2008_c76f.html(西垣通 on 労働経済白書2008)

今年は

>今日、私たちのような組織人も、自らの仕事の意味について、改めて問い直すことが迫られています。昨年秋に発生した世界金融危機は、日常生活に忙殺される我々に、もう一度、現代という時代をとらえなおしたい、あるいは、世界というものについて、もう一度考えたいという気持ちを呼び起こしました。また、1990年代の半ば以降、日本の雇用慣行の見直しが叫ばれ、業績・成果主義など市場価値を重視した人事・処遇制度の導入が進んできましたが、こうした改革が、私たちをどこに誘っていくのか、改めて冷静に考えたいという雰囲気も出てきました。先生の作品は、現実の中で葛藤する組織人の心に、もくもくとわき起こりつつある学問的欲求にしっかりと応えるものです。

という石水さんの思いから、佐伯啓思さんが対談相手となったようです。

今年の労働経済白書はマクロ経済分析を正面から取り上げた初めてのものですが、佐伯さんは、

>景気動向について労働経済白書がここまで踏み込むというのは、確かに、珍しいことですね。今日の問題を解き明かそうとして、ここまできたということでしょう。他の白書がそこを逃げている中で、とっかかりとして、ものすごくいいと思いますよ、これは。ただ、私が思うのは、今、問題は通常の経済学でいうような景気循環の形では多分説明できないようなことが起きているということですね。

>白書のマクロ分析における一番のポイントは、2000年代に入ってから景気は回復しているけれども、国内需要は対して伸びていないという話なんですよね。もっといえば、1990年代以降、日本経済は需要が伸張して経済を牽引するというような構造にもなっていないということです。

>やはり問題は、この十数年の日本の経済、あるいは先進国経済の低迷は、本質的にはものに対する十分な需要が得られない。需要に対して、生産設備が過剰になってしまっている。そこに問題があるという風に考えるべきだろうと思います。

>だがもしそうだとすると、構造改革政策というのはまったく逆の発想による政策だったということになるわけですね。需要は無限にあるが、行政規制のために本来欲しいものが作られていない。そこを解決すれば、つまりサプライサイドの問題を解決すれば、いくらでも経済は成長するというその発想が根本的に間違っていたとすれば、我々は根本的に政策転換をしないと駄目になっている。政策転換というより、ものごとの考え方を根本から変えないと駄目になる。実はこれが今、起きている問題だと思うのです。

>そのことに対して、この白書は踏み込もうとしているんですね。ただおそらく、多くの人には、説明を補わないと、白書の背後で考えられているポスト構造改革の問題意識は分からないだろうという気がします。

と、白書の文章に書けなかった石水さんの思いを代わりに喋ってくれています。これを言って欲しかったんですよね。

この後、話は「現代経済学の問題性」(ケインズの話)、「科学主義の罠」(イギリス・ケンブリッジ派とか、ラディカルエコノミクスとか、パラダイムシフトとか)、「分析と政策と価値判断」とかの話になっていきます。ここでは、石水さんの次の発言が面白い。

>政策現場にいる人間からしますと経済学に対する期待は大変大きなものです。・・・・・・・学者はその経済理論が100点満点であって欲しいでしょう。しかし、官庁エコノミストや現場で動いている人間にとっては、そこまで欲しくはないんですよね。例えば60点ぐらいのものでもいいわけです。ところが100点を目指す中で、現場で使いようのない経済学になってしまっているところがありませんか。

>それがなぜ、今日の経済学のようになってしまったのか。その後、大学を卒業したサラリーマンにしてみると、私はよく分からないのです。

>政策運営のために分析をして政策を作るというときに、分析のための道具がいるわけですよ。その道具はやはり理論的なものであり、経済学である必要があるわけです。現場はそれを必要としています。何らかの形で社会的に有用な道具を持たせて欲しいと思うわけです。ところが、学問世界の自律的な論理展開の中でいけば、社会的に有用な道具が作れませんという話になってしまって、それで経済学って駄目ですよねという話になってしまうと、もうなすすべを失ってしまいます。

>反経済学に行くのではなく、経済学そのものを改善させることはできないのですか。

>しかし、政策にはやはり価値判断や政治判断が必要なんです。経済学はそれに貢献するものなんですよ。

>分析と政策と価値判断と、どのように結びつけて社会の進歩を生み出す仕組みを作り上げるかということなのだろうと思いますけれども、私が白書で分析をして、価値判断につなげていこうと考える世界は、基本は労使関係ですが、労と使があって、認識の違いもある。しかし、分析することによって論点の整理を行うことはできます。そして、共通認識の部分をつくる。最後の決められないところは、やはりどうしても政治的な判断が出てくる。政治的判断に貢献するような分析を行い、その分析によって、また意見集約をする。

>経済学もそれに貢献できるような分析と政策の核みたいなものをつくっていくことが求められるのではないでしょうか。

ここは、対談という形をとって、石水さんの経済学への思いをぶつけているところのように読めます。

次は日本型雇用システムの意義について、石水さんが日本型システム再評価の気持ちを全面に出しているのに対して、佐伯さんは「私は共感を覚えます」と言いつつ、

>従来の日本的慣行を維持しながら、どこまで流動性を確保できるのか。どういう形で中途採用の労働市場を開いていくかという調整はまだ未解決の問題で、これからの課題でしょうね

と、やや半身の感じです。底の浅い成果主義に対する批判には共感しつつも、「ここまできてしまった若者たちを救うことができる何かをもう一つ用意しておきたい」という気持ちとの間で揺れている感じです。

ここは、実のところ、なかなか経済学そのものが「価値判断に貢献」できる分野ではないようにも思われます。

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コメント

佐伯・石水対談面白かったですね。私も石水さんからゲラ段階で送っていただき、早速読みました。佐伯さんは保守系の論壇の中では注目していた論者ですし。石水さんが白書の中で書ききれなかったところを佐伯さんが語っているのは、そのとおりでしょうね。サプライサイドの問題じゃないのに、サプライサイドの規制緩和で資本主義は短期的には延命できたけど、より大きな蹉跌に直面、てなところですか。結局規制緩和は、金融市場で投資というより投機の機会を増やして巨額の利益をもたらしたけど、そのツケは大きすぎた。ろうどう市場の規制緩和は非正規低賃金労働者を増やして、かえって需要を衰退させてしまった。脱工業社会ってのは金融資本主義じゃないだろう。もうひとつの市場経済を考えなきゃならない転換期なんでしょう。
石水さんにお礼メールを送りましたら、22年度の白書も頑張りますと、早くも来年の白書に向けて意欲を漲らせておられました。政権交代後、初の労働経済白書、今から楽しみですね。事前討論にも参加したいものです。

投稿: JAM早川 | 2009年9月 5日 (土) 10時12分

石水さんは、「昨年は経済財政白書に勝ったけれども、今年は派遣村に負けてしまった。来年は戦略を練ってがんばる」と言ってました(大意)。

佐伯啓思さんについては、本ブログで一度「正論」を取り上げたことがあります。


http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_3b65.html
(佐伯啓思氏の正論)

この佐伯啓思さんの「正論」と竹中平蔵氏の「正論」が続けざまに産経新聞に載ったのをやや皮肉ったのが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_7d3a.html(どっちが正論?)

>いずれかが正論であることはあり得ても、両者が同時に正論であることは不可能な関係にあるように思われます。

>まあ、しかしこれは保守派メディアたらんとする産経新聞だけの問題ではなく、両足をそれぞれの相矛盾する「正論」に突っ込んだまま歩こうとする安倍首相自身の問題でもあるわけです。

これはちょうど2年前のエントリですが、その時の安倍政権からいま去りゆく麻生政権まで、ポスト小泉自民党政権は全く相容れないこの二つの「正論」の両方に片足ずつ突っ込んで歩こうとし続けて、ついに転んでしまったというのが、実は最大の敗因であるようにも思えます。

この二つの「正論」が表層的に「共闘」できるテーマが、「民主党政権になったら労働組合支配になる!」というおどろおどろしいネトウヨ型攻撃だったのでしょうが、実のところその「心」も全く相反するもので、一方にはアメリカ占領政策直系のニッキョーソの左翼リバタリアニズムが最大の敵であるのに対して、他方には日本型護送船団方式を経営者とともに支えてきた労使協調型組合こそが諸悪の根源なんでしょう。

そういう根源的哲学的な対立を、いつまでも「どっちも正論」でやっていけるのかな?というのが最大の問題でしょうね。

ついでに、佐伯啓思さんと似た立ち位置にいる西部邁さんについても、本ブログで何回か取り上げています

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_e775.html(西部邁氏の正論)


http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_04cd.html
(西部邁氏の公正賃金論)

このエントリで取り上げている西部氏の30年以上前の論文は、いま読み返しても面白いものです。

投稿: hamachan | 2009年9月 5日 (土) 13時10分

「そういう根源的哲学的な対立を、いつまでも「どっちも正論」でやっていけるのかな?」・・・確かにそうですね。いろいろ参考になります。
ところで石水さんは「今年は派遣村に負けてしまった」というようなことをおっしゃっていましたが、真意は「派遣村報道に負けてしまった」というようなことだったと思います。緊急対応的な話ばかりで、問題の背景や奥行きが、かえって見えにくくなってしまい、白書が提起した問題をしっかり論議する環境ではなくなってしまった、ということでしょうか。ここいらはhamachanとも共通する認識なのでしょうか。

投稿: JAM早川 | 2009年9月 5日 (土) 22時28分

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