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2009年9月30日 (水)

『経営法曹』161号に私の座談会録

経営側に立って労働事件を担当する弁護士の集まりである経営法曹会議の機関誌『経営法曹』の161号が送られてきました。今号には、私が去る7月1日に新しい経団連会館で行った座談会の記録も載っています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-2bbb.html(経営法曹会議で)

座談会という言葉は若干誤解喚起的でして、別に私を含めた何人かで対談鼎談したというわけではなく、私が経営法曹の皆様方の前に『座』って『談』じた『会』ということで、普通の講演会です。テーマは「正社員及び非正規労働者の労働契約の終了にまつわる法的問題の現状と展望」。全文は以下に収録してあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/zadankai.html

内容は、主として解雇と雇い止めをめぐる法制史を民法制定から労働契約法の制定まで概観したものですが、その最後のところで、こういうことを述べております。ある意味で、労働弁護士の水口洋介さんからいただいたご質問に対する回答になっている面もあると思いますので、一部引用しておきます。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2009/09/post-0fc3.html(有期雇用の規制について 濱口桂一郎さんのコメントに対して)

>そう思う理由は、今までお話してきたような制度史的なこともありますが、実は、もう1つ理由があります。それは、解雇や雇止めというと、裁判でどういう結論が出たというのが公開された情報になるので、どうしてもそういう話が中心になりがちですが、世の中では、解雇とか雇止めというのは、あちこちで山のように行われているわけです。そういったところでは、金銭で解決どころか、びた一文も払わない形でそのまま雇用が終了するというのは幾らでもある。

 私は、今、労働政策研究・研修機構におりまして、今年度のプロジェクト研究として、各地方の労働局でやっている個別紛争の斡旋事案の中身を分析し始めています。まだ事案を見始めたところですが、実にさまざまであるというのは当然ですが、解決の仕方も実にさまざまで、もっと言うと、基準は何もない。斡旋というのは本来そういうものだといえば、会社側が嫌だと言えばそれまでの話なので、当然と言えば当然ですが、これはどう考えても会社がひどいなと思うものでも、本当に5万円、6万円のはした金で解決しているものもあれば、こんなひどい労働者に金を出すのかというようなものに40万円、50万円払ったりしている。

そんな“基準”があるわけはないと言えば、あるわけはないですが、しかし、逆に言うと、日本では解雇権濫用法理が確立しているから、立派なものだと言えば立派なように見えますが、一歩踏み込んで、一体どの程度の悪さだったらどの程度の解決がされるのかという基準は、日本には何も存在しない。当たり前と言えば当たり前ですが、それで本当にいいのだろうかという感じを今持っています。しかし、裁判所で、権利濫用法理でとにかく濫用だから無効だと言ってやり続けている限りは、そんな“基準”はなかなかできるはずもないわけです。

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