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2009年9月

S/Hさんのアマゾンレビュー 星4つの理由

拙著へのアマゾンレビューも続々とアップされています。今日はS/Hさんの「リアリストなのだろうか」というやや辛めの書評です。

http://www.amazon.co.jp/review/R20F822D3FCMJC/ref=cm_cr_rdp_perm

S/Hさんは拙著に星4つですが、その理由を明確にこう書かれています。

>本書やブログなどの主張を読むと、濱口氏は「外で騒いでいるだけ」のユニオンより、企業別組合によって職場の民主主義が再構築されることを現実的だと考えているようです。つまり、外延化よりも内包化であると。確かに、企業別組合の変化、職場における民主主義の実現は重要課題です。しかし、「民主主義は工場の門前で立ちすくむ」と言われて久しいなか、主流の労働組合が自ら率先して民主的な組合運営、職場の民主化を進めていくと考えているのだとしたら、濱口氏を「リアリスト」だと評価することはできません。実際、今これほど労働問題への関心が高まっているのはユニオンが「騒いだ」からこそであり、主流の組合は腰が重いのが現状です。また、民主的な組合運営の模索を長年行ってきたのもユニオンなのであり、そうした活動を軽視して「新しい労働社会」を展望することはできないと考えます。

>濱口氏の「ワークライフバランス」に関する鋭い議論と労働運動へのバランスを欠いた視点の微妙なズレが気になったので、星を一つ減らしました。

こうはっきり言っていただけるとうれしいです。

まさにそういう批判がされるであろうと予測しておりましたし、今までそういう批判があまり出てこなかった方が不思議だとも思います。

これは、『POSSE』第4号の「私は格差論壇マップをどう見たか」で語ったことなんですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/posse04.html

>今野:横軸の右側に「ユニオン」が入っていますが、既存労組は巧みに入っていないですね。 
 
濱口:そこが実は木下さんの議論で一番私が問題だと思うところです。社会的存在感でいえばはっきりいっていわゆる「ユニオン」などというのは「その他」的存在でしかない。木下さんのイメージではそれが今後産業的レベルで拡大していって、ということだと思うのですが、それはきわめて難しいと思います。あえていえばここは広い意味での「集団」なんです。必ずしも現在の企業別組合に限るものではないし、一つの軸にするためにはもう少しマクロなレベルでの集団的な枠組みを含めていかないといけないと思いますが、それをミクロなレベルで支える基盤はなにかというと、これは中期的レベルまでは企業別組合抜きには語れないはずです。
 
今野:それに関連して、コミュニティユニオンが連合の中に加盟して全国ユニオンを作っていますね。
 
濱口:ですがそれは横から突っついているだけです。私の労使関係のイメージは割と古典的で、現場レベル、職場レベルでものごとを規制できなかったらしょうがないというものです。そこで現に働いている人たちがそこのルールを作っていくべきだと思っています。そのためには、そこで働いている人たちがその場で団結しなければしょうがないのですね。もちろん、これは私のイメージで、このあたりは人によっていろんな考えがあるかと思うのですが。 

今野:木下さんの議論においても「職場」は重視されていますし、個人的にも「職場」と産業別ユニオンや社会的ユニオニズムは矛盾しないと考えています。職場統治の自主性は、ユニオニズムの基本的発想ですからね。
最初おっしゃっていたこととも関連しますが、ある意味産業レベルと事業レベルはドイツもそうですけれど、融合しやすいわけですよね。そうするとある種産別の形成と企業単位の交渉ではなくて従業員代表制度(事業場ごと)を作っていくことはあまり矛盾しないことになります。
 
濱口:外から突っついているだけでは物事が動くわけではない。やはり中で動かないといけません。その「中」と言ったとき、むしろ職場レベルをもう一度再建していくということが重要だと思います。企業別といったときに、企業の経営陣と企業別組合の役員との間で物事を決めている姿から、ある部分はもう一度職場レベルに戻していく、ある分は産業別レベルに上げていくというかたちで考えていかないと、外から突っついているだけでは物事は動かないだろうということです。これは私なりのリアリズム的発想です。
現実に職場には企業別組合の分会という形があるのです。ただあくまで企業別組合だから、属している企業が違うからということで、派遣とか請負とかはそもそも入れませんし、非正規雇用もほとんど入れません。だけど実は職場の連帯というのは雇用契約の相手方がどのような名前になっているかということを超えてあり得るのではないか、という発想にもう一度戻ってもいいのではないかと思います。
この辺りについては、7月に出す岩波新書で言及しています。私はやはりこの職場からというところに重点をおきたいと思っています。ある意味で木下さんの議論と一番ぶつかるところかもしれないですね。

S/Hさんはこの対立を

>本書を戦後の労働運動のあり方をめぐってなされた「内包化・外延化」論争の現代版と位置づけます。企業別労組の枠を乗り越える「地域ぐるみ」の運動を展開した高野実に対して、大河内一男はそれを「外延化」と批判し、「経営の中に入り込む」ことによる企業別組合の補強(内包化)を主張しました。その後、日本の労働運動の主流は企業別組合によって占められる一方、地域の運動は○○ユニオンとして引き継がれました。

という戦後組合運動史の大きな対立図式の中に位置づけます。大変的確な位置づけだと思います。ここまで私が本書を書いた意図を理解していただいた上での星4つですから、その値打ちは大きいです。

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志村建世さんのブログで拙著の書評が始まりました

元NHKテレビディレクターの志村建世さんのブログで拙著の書評が始まりました。

http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55307582.html(「新しい労働社会」を読む(1))

(1)というのですから、(2)、(3)と続いていくのだろうと思います。

>日本の雇用・労働関係、つまりは社会システムが今後どのようになって行ったらいいのか、その全体像をEUモデルを手がかりとして見通しています。私の考えてきたことと近い部分もあり、最後まで興味深く読めました。日本の労働モデルの特殊性と、福祉社会化のために必要とされる課題も、よくわかりました。

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『経営法曹』161号に私の座談会録

経営側に立って労働事件を担当する弁護士の集まりである経営法曹会議の機関誌『経営法曹』の161号が送られてきました。今号には、私が去る7月1日に新しい経団連会館で行った座談会の記録も載っています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-2bbb.html(経営法曹会議で)

座談会という言葉は若干誤解喚起的でして、別に私を含めた何人かで対談鼎談したというわけではなく、私が経営法曹の皆様方の前に『座』って『談』じた『会』ということで、普通の講演会です。テーマは「正社員及び非正規労働者の労働契約の終了にまつわる法的問題の現状と展望」。全文は以下に収録してあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/zadankai.html

内容は、主として解雇と雇い止めをめぐる法制史を民法制定から労働契約法の制定まで概観したものですが、その最後のところで、こういうことを述べております。ある意味で、労働弁護士の水口洋介さんからいただいたご質問に対する回答になっている面もあると思いますので、一部引用しておきます。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2009/09/post-0fc3.html(有期雇用の規制について 濱口桂一郎さんのコメントに対して)

>そう思う理由は、今までお話してきたような制度史的なこともありますが、実は、もう1つ理由があります。それは、解雇や雇止めというと、裁判でどういう結論が出たというのが公開された情報になるので、どうしてもそういう話が中心になりがちですが、世の中では、解雇とか雇止めというのは、あちこちで山のように行われているわけです。そういったところでは、金銭で解決どころか、びた一文も払わない形でそのまま雇用が終了するというのは幾らでもある。

 私は、今、労働政策研究・研修機構におりまして、今年度のプロジェクト研究として、各地方の労働局でやっている個別紛争の斡旋事案の中身を分析し始めています。まだ事案を見始めたところですが、実にさまざまであるというのは当然ですが、解決の仕方も実にさまざまで、もっと言うと、基準は何もない。斡旋というのは本来そういうものだといえば、会社側が嫌だと言えばそれまでの話なので、当然と言えば当然ですが、これはどう考えても会社がひどいなと思うものでも、本当に5万円、6万円のはした金で解決しているものもあれば、こんなひどい労働者に金を出すのかというようなものに40万円、50万円払ったりしている。

そんな“基準”があるわけはないと言えば、あるわけはないですが、しかし、逆に言うと、日本では解雇権濫用法理が確立しているから、立派なものだと言えば立派なように見えますが、一歩踏み込んで、一体どの程度の悪さだったらどの程度の解決がされるのかという基準は、日本には何も存在しない。当たり前と言えば当たり前ですが、それで本当にいいのだろうかという感じを今持っています。しかし、裁判所で、権利濫用法理でとにかく濫用だから無効だと言ってやり続けている限りは、そんな“基準”はなかなかできるはずもないわけです。

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スウェーデンにおけるパターナリズムと市民的公共性

『大原社会問題研究所雑誌』の最新号が、「パターナリズムの国際比較」という特集を組んでいます。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/611-612/index.html

>【特集】パターナリズムの国際比較 
       
「スウェーデンにおけるパターナリズムと市民的公共性」 クリステル・エリクソン&ジョン・ボリビィ/石原俊時訳 

「フランス・パターナリズムの史的考察:19~20世紀」 アラン・シャトリオ/廣田明訳 

「近代日本の経営パターナリズム」 榎 一江

このうち、とりわけ一見パターナリズムとは正反対の国のように見えるスウェーデンにおいて、パターナリズムこそが市民的公共性の形成に重要な役割を果たしたことを説明するエリクソンさんとボリビィさんの論考が大変興味深いものです。お二人はエーレブロー大学の歴史学教授で、東大経済学部で講演されたものだそうです。

まだPDFファイルの形でアップされていないので、是非図書館かどこかで探して読んでいただきたいところですが、内容の要約を訳者解題でされているのでそれを引用しますと、

>本稿は、およそ一世紀半にわたるスウェーデン近現代史をパターナリズムという概念で捉え直すことを試みた意欲的な論考である。たとえば、従来、19世紀前半に形成されたスウェーデンにおける市民的公共性については、身分制的秩序からの解放や自由という側面が強調されてきたのであるが、著者は、市民的公共性と私的親密圏双方を貫く同時期の家父長制的な社会構造を明らかにしている。

>また、本稿は、19世紀末葉から企業におけるパターナリズムが台頭する社会民主主義労働運動を次第に受容していったのだが、その後、単に受容するだけでなく、社会民主主義政権のもとでの福祉国家建設あるいはその繁栄のために不可欠な役割を果たすようになっていったことに注目している。スウェーデン福祉国家は社会民主主義のみでは語れないのであり、そのよって立つ社会構造や歴史的展開を理解する上で、パターナリズムや保守主義といった要素を無視できないと主張している。

パターナリズム+社会民主主義=福祉国家、と。

続くフランス編、日本編も興味深いです。

あと、

■講演   「私の労働研究-テーマと問題意識」 熊沢 誠

■書評と紹介   下夷 美幸著『養育費政策にみる国家と家族-母子世帯の社会学-』 阿部 彩

が目を通しておく価値があります。

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山野光正(Kousyou)さんの「日本の『クソ労働環境』成立の歴史的背景と諸悪の根源」

一昨日、拙著を書評していただいたKousyouさんこと山野光正さんが、そのKousyoublogで、標題のエントリをアップされています。ふろむだ氏の「分裂勘違い劇場」のクソ労働環境に関するエントリに乗っかる形で、

http://kousyoublog.jp/?eid=2409

拙著をはじめ、水町勇一郎先生の『労働法』教科書、広井良典さんの『コミュニティを問いなおす』などを引用しながら、短い中に壮大な歴史図を描き出していて、なかなか面白いです。

この「クソ労働環境」って言葉、もとをたどると、

http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/ニートの海外就職日記

から来ているようですね。このブログでも、上述のふろむだ氏のエントリや本ブログでも取り上げたmojix氏の議論を捉えて、いま解雇規制がホットなテーマになっているようです。

>労基法という制度はガン無視wしておきながら、お荷物社員や気に入らない社員のクビを自由に切れる解雇規制の撤廃は賛成って都合が良過ぎくない? 要は会社側に都合の良い制度(解雇規制の撤廃)は喜んで守るけど、都合の悪い制度(労基法)は守らないって事だろw?

わたしはこの「w」が語尾についた妙にペジョラティブなものの言い方をする人は(誰であれ)とても気に入らないんですが、それはともあれ、「解雇自由でみんなはっぴぃ」論に対する皮肉としては効果的ではありますね。

先日のアマゾンレビューをされたSaradin "SARA" さんとも共通する感覚のようです。

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平成20年技術革新と労働に関する実態調査

本日、厚生労働省大臣官房統計情報部賃金福祉統計課 から標記調査結果が発表されました。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/saigai/anzen/08/index.html

この調査で私が興味をそそられたところは、労働者調査の中の「コンピュータ機器の使用状況」です。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/saigai/anzen/08/02.html#4

事務・販売等従事労働者(生産工程・労務作業者以外の労働者)のうち、コンピュータ機器使用率は、87.5%、男性で86.5%、女性で88.7%です。つまり、コンピュータ操作ができないような事務労働者はほとんど使い物にならない、あるいはオフィスの雑務係でしかないという実態が窺われます。

ファイリングというインチキ専門職はともかく、事務用機器操作は確かにそういう仕事をやっていることは間違いないんでしょうが、オフィスの9割近くの職員がやれることが専門職なのか、というのは、これはまじめに議論を始めるとなかなか大変でしょう。

ちなみに、この調査は労働者派遣法ができる前の年の1984年以来5年おきくらいで行われてきていますが、最初の1984年の「昭和58年度技術革新と労働に関する調査(オフィス・オートメーション等実態調査)」を見ると、OA機器等を使用しているのは51.4%、男性で46.7%、女性で60.1%でした。

まあ、それだって過半数なんですから、専門職の名に値するのかどうかいささか疑わしいところもありますが、まあなにしろ、管理職ではわずか31.8%(現在は92.0%)と、パソコンのできない中年親父がいっぱいいた時代ですから、その補完的機能として専門職といってもよかったのかも知れません。

この時の調査では「OA機器を使用していない理由」なんてのも聞いていまして、管理職曰く、

>部下の仕事である 43.7%

てな寝言を平気で言っておられたんですなあ・・・。

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『人材ビジネス』の書評(フライング気味)

人材派遣業界の月刊誌『人材ビジネス』の拙著書評が、10月1日という日付なんですが・・・、既にHP上にアップされていますので、フライング気味ですがこっちでも紹介しておきます。

http://www.jinzai-business.net/book_details48.html

>「名ばかり管理職」「ホワイトカラーエグゼンプション」「派遣切り」など、労働にまつわるさまざまな問題がマスコミを賑わし、社会問題となっている。しかし、そこでの論議はステレオタイプな規制緩和論と規制強化論で二極化されてしまい、本質にまで立ち入っていないと著者は主張する。

本書では歴史的な背景やEUとの比較を交えながら、労働に関する諸問題の根源を探る。

まさしく。簡にして要。

ちなみに、小林良暢さんの『なぜ雇用格差はなくならないのか 』も併せて書評されています。

http://www.jinzai-business.net/book_details47.html

>製造業を中心に「派遣切り」と呼ばれる急激な人員削減が行われ、多くの非正規社員が仕事を失った。著者は、これらの「非正規リストラ」は非正規社員と正社員の間に埋めがたい格差があり、それが固定化されていることを浮かび上がらせたと指摘。
 そうした事態に至った日本の雇用制度の変遷をたどりながら、非正規社員と正社員の間に立ちはだかる「壁」の正体を明らかにする。

これもまさしく。

ちなみに、その10月1日発行の同誌10月号は、「新政権と派遣法」という特集で、

http://www.jinzai-business.net/

>総選挙は民主党が歴史的な大勝を遂げ、9月16日に社民党、国民新党との3党連立による鳩山内閣が発足した。政権交代に伴う新たな「政治システム」の基盤づくりが急ピッチで進む中、注目はマニフェストに並んだ各種政策の優先順位とその法案審議の行方に移っている。

そこに、わたくしのインタビュー記事「問題多い労働者派遣法の改正 ゼロベースからの議論が必要 "禁止"は問題のすり替え」も載る予定ですので、ご紹介まで。

>民主党の大勝で政権交代が実現した。同党などが公約してきた労働者派遣法は改正され、規制が強まるのだろうか。独立行政法人労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎統括研究員(労使関係・労使コミュニケーション部門)は「ゼロベースからの議論再開を」と提言する。(聞き手・本間俊典=編集部)

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アマゾンレビュー9件目は4つ星

アマゾンレビューの9件目がアップされています。評者は「モチヅキ」さんです。

http://www.amazon.co.jp/review/R2F1CGZ6B2Y1FL/ref=cm_cr_rdp_perm

>1958年に生まれ、労働省勤務を経て、労働政策研究・研修機構に勤める労働法研究者が、国際比較(主にEUとの)の視点と歴史的視点から、現実的な対策を提示しようとして、2009年に刊行した本。本書の主張を列挙すると、第一に・・・

と、順に第十五までわたくしの主張をまとめていただいております。

ご評価は、初めて星4つとなりました。できれば、星一つ分は何が足りないからなのか(あるいは何が余計なのか)を率直にご指摘いただければ嬉しかったのですが。

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だから、それをリベサヨと呼んでるわけで

kechackさんの「Munchener Brucke」というブログで、

http://d.hatena.ne.jp/kechack/20090925新自由主義と左派の親和性 思い出す90年代前半の政治風景

>日本の左派は環境保護や、公共事業を止めてその予算を社会保障に回して欲しいという願いから、伝統的に公共事業に批判的だ(国際基準では左派は雇用創出を可能にする公共事業を支持するのが普通なのだが、日本は特殊である。)。またケインズ主義の乗数理論に懐疑的なネオリベラリストは公共事業に懐疑的である。

さらに「すなふきんの雑感日記」さんでも、

http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20090927/1254053266(新自由主義と左派~同床異夢の原風景)

>新自由主義と左派の親和性は、過去の私が通ってきたややこしい遍歴の中にも散見されるようにも思える。特にわが国では歴史的に右派には国家社会主義の伝統があって、そのことが政府=国家=権力ラインへの左派の反発(反国家・反権力はわが国の左派のトレードマークだった)を喚起してきた大きな要因*2であり、これがねじれて現在の右派による反官僚主義*3につながっているんじゃないかと思ったりする。新自由主義的な政治家がわが国で異常な高支持率を得てしまうのは、国民の底流にあるルサンチマンのようなものと関係しているのかもしれない。

ですから、本ブログで何年にもわたって「リベサヨ」なる言葉を創って言ってきたことなんですが・・・。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

>自分が捨てたリベサヨ的なものと自分を救うはずのソーシャルなものをごっちゃにして、富裕層がどんな儲けても構わないから、安定労働者層を引きずり下ろしたいと口走るわけです。安定労働者層を地獄に引きずり下ろしたからといって、ネオリベ博士が赤木君を引き上げてくれるわけではないのですがね。

ついでに、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_28cd.html(ネオリベの日経、リベサヨの毎日)

>この手の発想には、国家権力がすべての悪の源泉であるという新左翼的リベラリズムが顕著に窺えますが、それが国家民営化論とかアナルコ・キャピタリズムとか言ってるうちに、(ご自分の気持ちはともかく)事実上ネオリベ別働隊になっていくというのが、この失われた十数年の思想史的帰結であったわけで、ネオリベむき出しの日経病よりも、こういうリベサヨ的感覚こそが団塊の世代を中心とする反権力感覚にマッチして、政治の底流をなしてきたのではないかと思うわけです。毎日病はそれを非常にくっきりと浮き彫りにしてくれていて、大変わかりやすいですね。

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明日のNHK首都圏ネットワーク

に、もしかすると出てくるかも知れません。

たぶん、その前に右カウンターの来訪者数が200万件を超えてるでしょう。

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『ノンエリート青年の社会空間 働くこと、生きること、「大人になる」ということ』

L35030中西新太郎・高山智樹編『ノンエリート青年の社会空間 働くこと、生きること、「大人になる」ということ』(大月書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.otsukishoten.co.jp/cgi-bin/otsukishotenhon/siteup.cgi?&category=1&page=0&view=&detail=on&no=480

>寄る辺なき社会のなかに、新たな〈自立〉の形を模索する
引っ越し屋や自転車メッセンジャー、請負労働者、フリーター…。標準的ライフコースから外れた青年たちが、不安定な雇用と生活環境のもとで、なお「何とかやっていける」空間を自ら築こうとする姿を、綿密なフィールドワークにより描き出す。労働・生活・文化にわたる実証的研究を通じ、若者/青年研究をさらに深化する試み。

ということで、以下のような内容です。第1章から第5章までのフィールドワーク記録が読み応えがあります。

序章  漂流者から航海者へ
  ――ノンエリート青年の〈労働―生活〉経験を読み直す(中西新太郎・横浜市立大学教授)

第1章 専門学校生の進学・学び・卒後
  ――ノンエリート青年のキャリア形成ルートとしての意義と課題(植上一希・福岡大学講師)

第2章 自転車メッセンジャーの労働と文化
  ――四人の「ノンエリート青年」のライフヒストリーより(神野賢二・一橋大学大学院博士課程)

第3章 若者が埋め込まれる労働のかたち
  ――「生活者」としてのアイデンティティの獲得とその困難(山根清宏・東京都立大学大学院博士課程)

第4章 請負労働の実態と請負労働者像
  ――孤立化と地域ネットワーク(戸室健作・山形大学講師)

第5章 大都市の周縁で生きていく
  ――高卒若年女性たちの五年間(杉田真衣・金沢大学准教授)

終章  「ノンエリート青年」という視角とその射程 (高山智樹・一橋大学大学院博士課程)

この中ではやはり、当JILPTの内藤研究員も学生時代にやっていた自転車メッセンジャーの話(神野さん)が興味深いものです。東野、西川、南田、北山(いずれも仮名)という4人のメッセンジャーまでの遍歴、メッセンジャー文化の魅力と将来不安などがみごとに描き出されていて、感動的でした。

バイク便文化との違いを語る東野さんのこの言葉は、労働史的な深みが感じられます。

>一番違うのは、横のつながり。例えば、俺たち(東野さんと調査者)も違う会社じゃん。例えばバイク便で、こうやって違う会社で話すことは、まずないね。まぁ、・・・前の会社が一緒だったからとか、そういうのはあるけど、例えばイベントで知り合ったとか、そういうのは全然ない。コミュニティっていうの?こういうの。それが、まるっきり違う。たとえば俺たち、メッセンジャーバッグ背負って、海外に行くじゃん。そうすれば、海外のメッセンジャーが仲間として受け入れてくれる。たとえば世界戦の時にいきなり泊めてくれたりとか。世界戦じゃなくても、『お前日本人か?メッセンジャーなのか?』って言って泊めてくれる。それはもう、バイク便とは全然違うよ。だってほら、メッセンジャーだったら、違う会社でも、町で会ったら『おう』って手を挙げたりするでしょ。そのへんが、俺がメッセンジャーに惹かれた理由だね。一番。そう、横のつながり。ほかの会社のやつも受け入れるっていうか。あんまり排他的じゃないんだよね。

とはいえ、その東野さんも将来については、

>まぁ俺も歳といえば歳だけど(35歳)、50,60になって続けられるもんでもないから、そのへんどうしようかって言われると・・・・・またバイクにいくかもしれないし、ほかのことするかもしれないし、でもさしあたっては、借金があるわけじゃないから、ワーキングプアだろうがなんだろうが、働いてさえいればなんとか食えるから。いちばん怖いのは、突然の病気とかは怖いけど、保険とか・・・入院保険とかは入っているから。うん。まぁ、そうだな。不安といえば不安だけど、基本的には性格が楽観的だから。悲観的には・・・悲観的になったら何もうまくいかないから・・・。

労働基準局の通達は出されていますが、現実にはメッセンジャーは個人請負契約者(自営業者)として扱われているため、労働者としての労働社会保険に入っておらず、まさに怪我と病気は自分持ちの世界であるわけです。

こういう労働世界を、そんなメッセンジャーなんて妙な仕事は禁止しろ、といえば済むわけのものではないし、一つの価値ある労働文化として評価しつつ、それがまっとうな生活を持続可能な形で保障できるようにするにはどうしたらいいのか、という方向にものごとを考えていくべきなのでしょう。

山根さんの引越労働者の話も引き込まれます。たまたま最近、今から半世紀くらい前に日通がまとめた当時の引越労働者の実態調査みたいな報告を読む機会があって、それと比べながら読むとまた興味深いものがありました。

戸室さんの工場の請負労働体験記も、職場を超えたネットワークの姿が描かれる一方で、自ら経験した「暴力が横行する職場」の実態も描き出されていて、なかなか渋い味わいです。

本書の著者たちは、中西さんを除けばすべて1970年代生まれ、つまりすべて30代なのですが、まさに同世代者による同時代的研究というべきなのでしょう。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_6ae7.html(ソクハイユニオン)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_57e9.html(バイク便ライダーは労働者!)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-5512.html(バイク便:労働者としての地位確認など求め初提訴)

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山野光正さんのKousyoublogで拙著の書評

山野光正さんのKousyoublogでも拙著に対する懇切な書評を書いていただいております。

http://kousyoublog.jp/?eid=2405

>歴史上屈指の英雄アレクサンドロス大王の有名な伝説に「ゴルディオスの結び目」というエピソードがあります。大王が征服した都市ゴルディオンの中心にある神殿に祀られた戦車は複雑に絡み合った縄で結わえられ、「この結び目を解いたものがアジアの支配者になる」という古代の王の予言が伝えられていました。アレクサンドロスは自ら剣を取り結び目を一刀両断、見事「ゴルディオスの結び目」を解いてみせたという武断主義的な英雄らしいエピソードです。

その英雄伝説にあやかってか、労働に関する複雑に絡み合った諸問題もまた一刀両断することで解決するかのような説がちらほらとあったりしますが、敢えて絡み合った諸問題を一つ一つ丁寧に解きほぐしながら新たに時代にあった結び目を作り直していくことで新しい労働社会を展望しようという、労働法系アルファブロガー(blog→「
EU労働法政策雑記帳」)のhamachanこと濱口桂一郎氏の最新刊です。

いやあ、ゴルディオスの結び目から拙著に説き及ぶ手際は思わず聞き惚れます。

内容についていろいろと評価をされた最後近くで、

>冒頭で例に挙げた「ゴルディオスの結び目」は英雄が一刀両断するのではなく、様々な人々が集まり知恵を出し協力して解きほぐすというのが、新しい労働社会のかたちであり、目指すべきはステークホルダー民主主義というのがこの本の「コロラリー」ですね。

と、見事に拙著の結びの議論とつなげていただきました。

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「ニュース・ワーカー2」の美浦克教さんの拙著書評

マスメディアで働く美浦克教さんが「メディア」や「労働」をテーマに運営している「ニュース・ワーカー2」というブログで、拙著をとりあげて、ジャーナリズム論にも広がりを持つ書評をしていただいております。

http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20090927/1254012424

>「格差社会」という呼び方が社会に定着し、「派遣切り」など非正規雇用の不安定さが社会問題として注目される中で、働き方、働かせ方をどうするのか。「過度に保守的にならず、過度に急進的にならず、現実的で漸進的な改革の方向」に関心のある方は、ぜひ本書を手にすることをお奨めします。特に、労働組合の執行部に身を置く方には、具体的な運動をどう組み立てていくのかを考える上でも、様々な示唆に富んでいると思います。

ありがとうございます。

このあと、美浦さんはマスメディアのジャーナリズムのありようと、マスメディアの企業内記者の働き方という観点から、論を進めて行かれます。とても面白いので、是非リンク先をお読みください。

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「障碍を持った人の雇用」さんの拙著書評

「障碍を持った人の雇用」さんのブログで、拙著が取り上げられています。

http://blog.livedoor.jp/crvmain/archives/50273576.html

>2009年現在での労働社会の現状と課題そしてあるべき姿を非常にコンパクトな形にまとめた好著

と評価していただいております。

>総じて現実的なアプローチでの改革を主張しているように感じた。

というのはその通りです。

>ここでの提言が実現された社会は、今より賃金格差の少ない社会となると同時にグローバリズム(国際的な価格競争、国際的な賃金平準化の動き)の影響を考えると全体的な所得の減少を受容せざるを得ないように思える。
少し悲観的に過ぎる見方だろうか。

というのは、マクロ的に所得減少を甘受せよというような含意はないつもりなんですが。

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伊東光晴氏の拙著書評@毎日新聞

本日の毎日新聞読書欄「今週の本棚」で、拙著が書評されています。評者は高名な経済学者の伊東光晴氏です。

http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20090927ddm015070004000c.html

「日本の労働市場の法的特質とは」と題されたこの書評で、拙著序章について、

>労働法の研究者は、個々の労働裁判については発言するが、日本の労働市場の特質について発言するのは珍しい。この本は序章で、これを試みている。

と、法律の中の人には珍しく・・・という感じで評されています。

>今まで労働経済学者が明らかにしてきたものを、法的に--なかなか見事に説明していく。

>国際比較を交え、経済学者の実証的研究を無視するところが心にくい。この分野は大河内シューレ(東大教授、故大河内一男氏、故氏原正治郎氏などの流れ)によって開拓されたものであるが、これらの労働経済学者の批判的見解が聞きたい。

いや、それは、「労働経済学者」というより先日の高梨先生ではありませんが「社会政策学者」というべきではないでしょうか、すくなくとも大河内先生や氏原先生は・・・と詰まらぬ突っ込みを入れたくなるのですが、それより、労働問題に関してはもともとそういうこっちは法律学だ、そっちは経済学だ、という方法論にこだわるディシプリン志向よりも、人々が働く現場がどうなんているんだろうという対象志向、オブジェクト指向が強い分野なので、そういう風に対立させて考える必要はないのではないかと、私は考えているのですが。

また、別に「経済学者の実証的研究を無視」しているつもりもなく、単にこれまでの労使関係論や労務管理論や産業社会学なども含めたさまざまな知見をごく簡単に要約したものであって、まあ、あえていえばすべてをメンバーシップ論という「公理」から導き出されるコロラリーとして説明したというところが新機軸かなとは思っていますが。

>第一章以下は、たしかに労働法学者の筆である。

私が労働法学者だなんて言ったら怒り出す人もいそうですが、少なくとも論理の運びは労働法制のそもそもの趣旨から議論を展開しておりますので、「確かに労働法学者の筆」なのかも知れません。

何というか、伊東先生はわたくしの議論の進め方があんまり肌にぴたっと来ないようで、いささか扱いかねているのかな?と思われる記述がいくつか見られました。

>ではどう改めるのか。それがよくわからない。

>適度に保守的、適度に進歩的、それがこの本の視点である。

どっちかにはっきりしろ、と言いたい気持ちがにじみ出ているように感じられます。

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『休暇』から『休活』へ

日本生産性本部が、「『休暇』から『休活』へ ~有給休暇の活用による内需拡大・雇用創出」という提言を出しています。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity000937.html

>有給休暇の完全取得で16兆円の経済波及効果、188万人の雇用創出へ

>日本の労働者が未取得の年次有給休暇・約4億3,000万日を完全取得することによって、下記の経済波及効果が得られる。

1.余暇消費支出額の増加、雇用増による消費支出額増加、投資による効果を合算すると、約15兆6,300億円の経済波及効果が得られる(日本のGDPの約3%に相当)。
 (他の経済波及効果 参考例)高速道路土日料金1,000円制:1.7兆円(2年間)、東京五輪開催:2兆8,000億円

2.経済活動活性化による新規雇用創出と、休暇の増加による代替雇用の創出を合算すると、約187.5万人の雇用が創出される(完全失業者の約52%を解消)。
 (他の雇用創出効果 参考例)グリーン家電エコポイント制:12万人、エコカー減税:12万人

で、そのためには、

>(1)休暇法制の見直し

2労働週の連続休暇を労働者に保証することを法律で定める(国際労働機関(ILO)132号条約第8条2項に準じる内容を、労働基準法の改正あるいは休暇に関する事項を規定する法律を新たに制定して定める)。

が必要であると。

試算の中身には立ち入らないでおきます。ここでは法政策について。

PDFファイルの方では、

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity000937/attached.pdf

>最も効果が期待できるのは、休暇に関する法制の見直しである。日本では主として労働基準法が有給休暇について定めている。しかし、労働基準法はILO132 号条約第8 条2 項が定める2 労働週の連続休暇に言及していないことが最大の問題である。これが、グローバルスタンダードから懸け離れた細切れの休暇を容認する原因となり、休暇取得拡大を阻害している。
連続休暇の付与は、労働者による時季指定権の一定程度の制限と表裏一体である3。全従業員が連続休暇を取得するためには、当然、取得時期の調整が必要となる。労働者が時期を自由に指定するのではなく、欧米の多くの国々のように、労働者の希望を聞いた上で、使用者側が取得時期を決定する方が合理的である。その際、全従業員が同一の時期に2 労働週の連続休暇を取得することは現実的ではないので、必然的に連続休暇の取得時期は分散化されることになる。

と述べていますが、これが単なる連続休暇規定だけの問題ではなく、現行労基法の法構造の問題点そのものから発生する問題であることは、本ブログの読者にはおわかりのところでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_3ccd.html(年次有給休暇の法構造)

>1954年に廃止されるまでの労働基準法施行規則第25条は、「使用者は、法第39条の規定による年次有給休暇について、継続1年間の期間満了後直ちに労働者が請求すべき時季を聴かなければならない・・・」と規定していました。すなわち、年休付与義務を負った使用者は、労働者の意向を聞いて、年休付与計画をまとめ上げ、これにより計画的に年休を付与していくというのが、労基法施行当初に描かれていた姿であったというわけです。

>ところが、この施行規則第25条は、1954年に削除されてしまいます。

>「この規定の削除は、単なる規則改正にとどまるものではなく、日本の年休制度のその後の発展の息の根を止め、結果として、日本の労働者の多くがゆとりのない、時には『過労死』にすら脅えざるを得ないような生活を余儀なくされるようになったという意味で、かえすがえすも悔やまれるところである」と評されています

昨日ご紹介した渡辺章先生の大著でも、

>しかし、旧労基則25条は「労基法の精神を忠実に表現したもの」であり、・・・今日、年休制度の改善の鍵は、日本の法制自体に存在したこの方式を法律規定として復活させること、このことがもっとも肝心である。

と断言されています。

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屈託庵さんの書評

「屈託庵書肆」というブログで拙著の書評をしていただきました。

http://kuttakuan2.naturum.ne.jp/e825026.html

>本書は今の日本が抱える雇用に関する諸問題に関して網羅した、おそらく唯一の解説書に加えて、解決に対しての方向性を示したものである(と思う)。

というご評価をいただいた上に、

>これで735円は安い!!!・・・・

ありがとうございます。

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佐藤博樹編著『人事マネジメント』

4623052672 本ブログにも時々コメントをしていただいている佐藤博樹先生より、先生の編著になるミネルヴァ書房の「叢書・働くということ」の第4巻、『人事マネジメント』をお送りいただきました。

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32314331

目次を各章の執筆者とともに示しますと、

序章 企業環境の変化と人事管理の課題 佐藤博樹

第1部 コア人材の活用と課題

第1章 労働費用と個別賃金管理—持続と変化 今野浩一郎

第2章 人材育成の未来 守島基博

第3章 新しい労働時間管理—規制の強化と緩和 佐藤厚

第2部 環境の変化と人材活用の課題

第4章 ミスマッチを軽減する採用のあり方—RJPを手がかりにして 堀田聡子

第5章 ワーク・ライフ・バランスと企業組織への課題 藤本哲史

第6章 定年延長か継続雇用か?—60歳定年以降の雇用延長 八代充史

第3部 非典型社員と外部人材の活用

第7章 非典型雇用の人材活用—非典型雇用の仕事とその割り振り 佐野嘉秀

第8章 パート社員の活用と均衡処遇—法的観点からの考察 土田道夫

第9章 非正社員から正社員への転換—正社員登用制度の実態と機能 原ひろみ

となっていまして、どの章を取り上げてもいくつか言えることはあるのですが、ここでは編者の佐藤先生の序章から、最後近くの「雇用区分の多元化と人事管理と賃金管理の課題」から若干のセンテンスをピックアップしておきます。

>第1に、雇用区分ごとの仕事やキャリア管理に適合的な賃金制度を設計することである。このことは一つの企業の中に複数の賃金制度が併存することを意味する。

>第2に、同一企業内に複数の賃金制度を導入することは、雇用区分間の賃金水準のバランスや均衡という新しい賃金管理上の課題を浮上させることになる。

>第3に雇用区分に即した賃金制度を導入し、雇用区分間の賃金水準のバランスに配慮する前提として、雇用区分の合理的な設定が求められる。・・・正社員・非正社員の区分を廃止し、雇用区分の実態に基づいた雇用区分の再編成が求められる。

>第4に、同一企業内に複数の雇用区分を設定した場合、雇用区分間の移動のルールをどのように設計し、運用するかが課題となる。

>第5に、正社員、非正社員の区分を超えて既存の雇用区分を再編する際の最大の問題は、雇用契約の違いである。・・・一時的な仕事以外はすべて雇用期間定めなしの無期雇用とし、同一の雇用区分内は同一の雇用保障水準とするためには、雇用区分の多元化に応じた「雇用保障の多元化」が求められよう。具体的には、無期雇用を前提とした上で、雇用契約における働き方の限定の在り方に応じて、雇用保障の範囲を限定する仕組みである。

最後が「具体的には」といいながらよく分からないかも知れませんので若干説明を付け加えると、たとえば仕事非限定・勤務地非限定の今までの典型的男性正社員型は職務変更や転勤ができるので雇用保障が一番強く、仕事限定・勤務地非限定や仕事非限定・勤務地限定がそれに次ぎ、仕事限定・勤務地限定タイプは職務や勤務地を変えられないので雇用保障がその分薄くなるということですね。

本書ではあと佐野さんの第7章が必読だと思います。これのもとになった調査報告がJILPTのHPにアップされていますので、こちらも参考までに。

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2008/08-036.htm(非正社員の雇用管理と人材育成に関する予備的研究)

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渡辺章『労働法講義(上)』(総論・雇用関係法Ⅰ)

439 渡辺章先生より、畢生の大著『労働法講義(上)』(総論・雇用関係法Ⅰ)(信山社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.shinzansha.co.jp/090818roudouhoukougi1%20.html

わたくしの「大著」という表現は伊達ではありません。

いただいた本は700ページ以上ですが、それでもなお上巻にすぎません。同じくらいの分量の下巻が待っているのです。

上巻の大目次は:

第1講 労働関係法総説

第2講 労働基本権の保障・雇用関係法の内容および法的性質

第3講 労働憲章・自由な労働

第4講 労働契約と就業規則

第5講 労働契約上の権利義務

第6講 労使協定等・労働協約

第7講 賃金法制

第8講 労働時間法制Ⅰ

第9講 労働時間法制Ⅱ

第10講 労働時間法制Ⅲ

第11講 労働契約の成立および試用労働契約

第12講 異動人事Ⅰ

第13講 異動人事Ⅱ

第14講 労働契約の終了

しかもこの本の凄まじいところは、単なる体系書にとどまらず、個人判例百選にもなっている点です。最近は、野川先生や大内先生のように、自分一人で判例百選を作ってしまうのがブームですが、渡辺先生のこのテキスト、ざっと見た感じではだいたい記述の半分くらいが普通の教科書で、あとの半分くらいは膨大な判例の評釈集になっているのです。

いささか失礼な申しようながら、渡辺先生のお年に達してなおかくもエネルギッシュに大著に挑まれる姿勢には頭が下がります。

この個人判例百選ですが、上巻だけで129件あります。そして、その選択にも渡辺先生的なところがかいま見えます。たとえば、第3講 労働憲章・自由な労働の均等待遇の「信条による差別の禁止」だけで6件の判例・裁判例がずらりと並び、

case3-1 従業員研修において神道参拝の儀式への参加等を拒否し帰社命令を受けた労働者の懲戒解雇(三重宇部生コン事件)

case3-2 政治活動をしない旨を約して雇用された私学教員の校内政治活動を理由とする解雇(十勝女子商業高校事件)

case3-3 事業施設内政治活動の制限と懲戒処分事由該当性(日本電信電話公社目黒電報電話局事件)

case3-4 会社食堂での赤旗号外等の配布を理由とする戒告処分(明治乳業事件)

case3-5 政党所属を理由とする賃金等差別と損害賠償請求(東京電力(千葉)事件)

case3-6 信条差別に基づく基本給額の決定と損害賠償請求(福井鉄道事件)

中には有名な判決もありますが、三重宇部生コン事件というのはたぶんあまり有名じゃないと思います。これは、創価学会員だと知りながら精神修養の講習だといって修養団神都道場に派遣し、そこで神道の行事に参加することを拒んだため「会社に帰れ!」といわれたので、会社の名誉・信用を傷つけたとして懲戒解雇した事案です。うーむ、日本にもれっきとした宗教差別の事案があるじゃないですか。

下巻は集団的労使関係法に加えて、男女平等、非正規労働、賃金制度、安全衛生、労災補償などとなっています。

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仲野ゼミの推奨本

神田外大の仲野昭ゼミのブログで、「推奨本」として取り上げられました。

http://kandaseminar.cocolog-nifty.com/nakano/2009/09/post-7cff-2.html

>雇用や労働問題について卒・ゼミ論を執筆中の学生に濱口桂一郎著『新しい労働社会ー雇用システムの再雇用へ』(岩波新書、700円、2009年7月刊)を推奨しておきます。

ということです。ありがとうございます。

10月から各大学で冬学期が始まりますが、こんなふうに言及いただくとうれしいです。

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不幸の平等化

狂童日報さんのブログで現代日本の雰囲気についての大変的確な表現があったので引用。

http://d.hatena.ne.jp/qushanxin/20090923不幸の平等化

>今の日本の世論は「不幸の平等化」としかいいようのないものになっている。企業の劣悪な労働環境は批判されるようになってはいるが、その数倍規模の「それくらい社会人なんだから我慢すべきだ」という声が根強くある。そして職場では、三人集まれば人の悪口ばかりであり、みんなが後ろ指をさされないようにビクビクしているような有様である。こういう社会の風潮が、「既得権益の解体」とか「無駄の削減」といった、「不幸の平等化」を求めているだけの無内容のスローガンを政治の場面で跋扈させている。

こうした現実の中では、経済学者がいかに「経済成長」の必要性を訴え、福祉国家論者が「連帯」の重要性を訴えても、ほとんど嘘くさいものしか感じられない。なんか昭和10年代に社会の雰囲気が似ている、と言ったら言いすぎだろうか。

この「不幸の平等化」は、拙著の第4章で述べた「不利益の再分配」とは全く違います。後者が連帯感があるがゆえに、決して豊かとはいえないが少しでも持てるものが少しずつ不利益を甘受し、分かち合おうというものであるのに対して、前者は連帯感が欠落しているがゆえに、自分より遥かに不幸な他者のちょっとした幸福のかけらすら我慢できずに潰し合うことでわずかな心の慰めを得るのです。

この「不幸の平等化」感覚の結晶が、

http://d.hatena.ne.jp/qushanxin/20090926「みんなの党」について

>少数政党では、最も再分配に関心の薄いはずのみんなの党だけが、なぜか「政権交代」に埋没せず「一人勝ち」したのである。

最初この理由がどうも不可解だったのだが、私は日本の世論が弱者への再分配強化に傾いていると勘違いしていた。実のところは、そうではなかったのである。つまり国民は、苦しんでいる目の前の弱者を救うべきだという素朴な訴えではなく、まず既得権に安住している人間を懲らしめるべきだという、「不幸の平等化」の声のほうを支持したのである。そもそも民主党のマニフェストにしても、内容的には連立を組んでいる社民・国民新よりもみんなの党にずっと近いし、絶叫していたスローガンの大半も同じ「脱官僚」であった。

みんなの党はまだまだ少数政党だが、戦前の無産政党のような存在感を示すことになるのかもしれないという点で、これからも注視すべき政党であると考える。もちろんイデオロギー的には全く逆だが、既得権へのルサンチマンに基づく「不幸の平等化」の世論を背景にしているという点では、若干似ているところがある。

だというのもよく理解できます。

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企業別労働組合の現在と未来

日本労働研究雑誌の10月号が「企業別労働組合の現在と未来」という特集をしています。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2009/10/

>特集:企業別労働組合の現在と未来

提言 戦後労働運動の第3の高揚期を生み出す新たな条件が生まれている
五十嵐 仁(法政大学大原社会問題研究所所長)

解題 企業別労働組合の現在と未来
編集委員会

論文 企業別組合に何ができるか―歴史から学ぶ
仁田 道夫(東京大学社会科学研究所教授)

労働組合の経済効果―研究成果と課題
外舘光則(千葉商科大学経済研究所客員研究員)

論文(投稿) 交渉内容別に見た労使協議制度の運用とその効果―「問題探索型」労使協議制の分析
梅崎 修(法政大学キャリアデザイン学部准教授)

南雲 智映(連合総合生活開発研究所研究員)

論文 企業別組合における非正規従業員の組織化事例の示すこと
橋元 秀一(國學院大學経済学部教授)

紹介 請負・派遣労働者に対する労働組合の対応―電機連合の取り組みと課題
新谷 信幸(電機連合書記次長)

論文 事業再生過程における労働組合の役割
藤本 真(JILPT研究員)

こうやって目次を眺めてみると、労働法の論文がないのが寂しいですね。「編集室から」によりますと、

>実は本特集では「企業再編時における集団法制について」というテーマでの法学の論考も予定していたのですが、ご執筆予定の先生が突然のお怪我で執筆が不可能になり、大変残念ですが今回は見送りとなりました。

とのことです。

さて今回の特集、読んで面白かったのは仁田道夫先生の「企業別組合に何ができるか-歴史から学ぶ」です。

>企業別組合の組織的特徴の一つは、その構成員の従業員性に求められてきた。特定企業の「本雇いの従業員」だけを構成員として組織され、一部の管理職を除いて職種を問わず、すべての従業員を組織する。このような組織のあり方は、工職混合組合と呼ばれ、それが企業別組合の行動様式を強く規定していると考えられてきた。

本稿では、企業別組合運動の歴史のなかに、このような一般的規定からすると異例と考えられような活動が見られることを指摘する。具体的には、1950年代後半から60年代前半にかけての製造業における臨時工・社外工に関する企業別組合の運動、および戦後直後から1960年代にかけての生保営業職員の労働運動を事例として取り上げる。前者においては、本工を主体とする企業別組合が臨時工の本工化闘争や社外工の組織化支援運動を展開した。後者では、営業職員による内勤外勤分離型の企業別組合が独自の運動路線を追求して成果を上げた。

これらの事例からもわかる通り、企業別組合は通説で考えられているよりも多様で豊かな運動展開の経験をもっており、それらを踏まえたより豊かで、奥行きのある企業別組合像構築が望まれる。それが企業別組合に何ができるのかを考え直す一つのきっかけとなりうる。

非正規労働者がまだ臨時工といわれていて、家計補助的パートが一般化する以前の「本工化闘争」についてはよく言及されるわりにきちんとした研究は少ないのですが、仁田先生は最近「趣味と実益をかねて、かなりな数の組合史を読んで」おられるとのことで、そこから興味深いエピソードを引き出しておられます。もう一つのそもそも労働者性が問題になる「生保のおばちゃん」の組合運動のお話もとても興味深いものです。

橋元秀一さんの「企業別組合における非正規従業員の組織化事例の示すこと」は、

>企業別労働組合が非正規従業員を組織化した10事例を分析し、組織化の実態やねらい、組合にとっての成果と今後の課題を明らかにした。

非正規従業員が増大し、その一部あるいは多数が基幹的労働力となったが、仕事への意欲や定着、職場のコミュニケーションなどに問題を抱え、企業業績に影響していた。組合は、こうした状況に危機感を強め、基幹的労働力となった非正規従業員層を組織化し、会社側はユニオン・ショップ協定締結を受け入れた。この過程で、非正規従業員の待遇改善が進み始め、組合活動も活性化した。格差是正のあり方など今後の課題は少なくないが、以前よりも、組合の存在感は増し、大きな役割を担うようになった。

例の中村圭介名著『壁を壊す』と同じく、例の連合総研の調査がもとになっています。

これは連合総研のHPに載っていますので、未見の方がもしいれば是非熟読されることをお勧めします。

http://rengo-soken.or.jp/report_db/pub/detail.php?uid=196(「非正規労働者の組織化」調査報告書-21世紀の日本の労働組合活動に関する調査研究Ⅰ-)

>ヒアリング事例
第1章 職場をよくする イオンリテール労働組合
第2章 「カギは日常活動にあり」-組織化で支部活動が活性化 日本ハムユニオン
第3章 契約社員による、契約社員の組織化 ケンウッドグループユニオン(ケンウッド・ジオビット支部)
第4章 組合活動はストレス解消 市川市保育関係職員労働組合
第5章 「正規職員主義」からの転換と人的資源を活用した組織運営 八王子市職員組合
第6章 執行部が納得することから始まった サンデーサン労働組合
第7章 一人ひとりと対話した 小田急百貨店労働組合
第8章 格差是正に団結で挑む クノールブレムゼジャパン労働組合
第9章 先行事例の経験を活用 全矢崎労働組合
第10章 ユニオン・ショップ協定を前提とした契約社員制度の導入 私鉄中国地方労働組合 広島電鉄支部

それから電機連合の新谷書記次長の「請負・派遣労働者に対する労働組合の対応―電機連合の取り組みと課題」。

要約はないのですが、最後の「まとめにかえて」から引用すると、

>これまで、派遣・請負労働者を中心とする電機連合の非正規労働者への取組についてご紹介してきた。筆者としては、派遣・請負労働者が抱える課題は、労働組合を結成し、産別組織の支援のもとで。個別労使関係において解決を図ることがベストと考えている。

>電機連合は「審議と友愛」という言葉を暗黙知的な行動規範として活動をしてきた伝統がある。非正規労働者を「ともに働くパートナー」として、労働組合という大きなネットワークの仲間として迎え入れられるか、今、連帯の意味が問われていると思う。

全くその通りだと思います。

そのほかの論文も興味深い知見を示していますので、是非ご一読を。

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G20: ‘It’s the jobs, stupid!’

欧州社会党のHPを覗いてみたら、G20金融サミットに向けて、標題のようなエントリが今日付でアップされていました。

http://elections2009.pes.org/en/posts/g20-‘it’s-jobs-stupid’

「問題は仕事だぜ、ばっきゃろう」てな感じか。

>The outcome of the upcoming G20 summit will be judged on what it can do to create jobs. Whether we take our cues from the OECD's warnings, from top mainstream economists, or simply from observation, the unfolding menace to our economies is one: the financial crisis has been transformed into a jobs crisis.

G20サミットの結果は雇用創出で評価されよう。金融危機は雇用危機に転換しつつある。

This makes talk of an ill-thought "exit strategy" all the more dangerous. We must be honest: we are not confronted with a U-turn into growth simply because some journalists choose to talk about "green shoots". Unemployment remains alarmingly high. If we are to avert the prospect of seeing the number of unemployed climb even higher, we must remain firm. This is no time for pulling back from stimulus and investment.

間違った「出口戦略」は危険だ。正直にいこう。一部のジャーナリストは「若芽が生えだした」なんて言ってるが、我々は成長へのUターンなんかしていない。失業率はなお高い。景気刺激と投資から撤退する時期じゃない。

If our economies were to plunge into a protracted slowdown, there is no telling when we would emerge and at what cost for our societies. One thing is for certain: we do not need an "exit strategy" from the stimulus packages - we need an "entry strategy" for the labour market. The primary goal for the G20 should be a commitment to creating sustainable jobs.

たった一つのことだけは確かだ。景気刺激パッケージからの「出口戦略」なんか要らない。要るのは労働市場への「入口戦略」だ。G20が目指すべきは持続可能な雇用へのコミットメントだ。

Afterall, it is also a matter of fairness, and justice. We will not allow workers to pay for this crisis twice: first by bailing out banks, and then by suffering cuts in public services and social protection.

結局のところ、公正と正義の問題だ。労働者に危機のツケを2回も払わせることは許せない。1回目は銀行救済で、2回目は公共サービスのカットで。

The second commitment therefore, should be to ensure a decent life for workers as we come out of the crisis.

だから2回目のコミットメントは「労働者にまっとうな生活を!」だ。

Finally, we must insist on proceeding all together. In an interconnected globe, a decision by some countries to go another way would spell trouble for everyone.

Of course, the G20 summit will also be about reforming our financial systems. The purpose of these reforms should be to avoid another such financial crisis in the future.

Industry lobbyists and the media are announcing that finance is 'back in business'.

ロビイストとメディアは金融界がもとに回復しつつあるなんていっているが、

But finance shouldn't go back to business as usual. In the absence of reform, even more crippling crises may develop in the years to come.

しかし金融界をかつてのように戻していけない。彼らを改革しなければやがてさらに手ひどい危機がやってくるだろう。

It is time to say openly that as things stand, finance just doesn't work. Not without consumer protection, to protect families and their homes. Not without regulation of bonuses and renumeration, to protect our economies from short-termism and excessive risk-taking. Not without strong direct supervision of banks, hedge funds and private equity to prevent speculation and the reckless behaviour that brought us to where we are today.

こうはっきり言うべきだ。今のままでは、金融は機能しない。消費者保護や家族やその家庭を守らない限り。我々の経済を短期成果主義や過度なリスクテイク志向から守るために金融界のボーナスや報酬を規制しない限り。こんな事態をもたらした投機や無謀な行動を防ぐために銀行やヘッジファンドやプライベートエクイティを強力に規制しない限り。

It is time for brave measures that can ensure that financial services serve the real economy, such as a financial transaction tax. We are well-prepared for it, with a comprehensive study: a 0.05% share of financial transactions would allow for fair burden sharing and would by itself finance thousands of new jobs

金融取引税のような、金融業が実体経済に奉仕することを確保するための大胆な施策に踏み切るときだ。十分研究して準備はできている。金融取引に0.05%課税するだけで、公正な責任分担ができ、何千もの新たな仕事をまかなうことができる。

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アマゾンレビュー第8弾はピアニストのSaradinさん

6064d0920ea06e2cfd7da110_m 拙著への8つめのアマゾンレビューが載りました。ピアニストをされているというSaradin"SARA"さんです。

http://www.amazon.co.jp/review/R24OW3R06RE5Q5/ref=cm_cr_rdp_perm

Saradinさんからも星5ついただいているのですが、評価いただいているところはほかの書評された方々とかなりおもむきが違っておりまして、拙著が実にさまざまな観点から評価いただいていることを改めて感じた次第です。

内容はぜひリンク先のレビューをご覧いただければと存じますが、わたしはこのレビューを読んで、最近話題の「ニートの海外就職日記」を思い出しました。

http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/?no=273

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sr-kinoeさんの拙著紹介:「はまちゃん」でなくてhamachanのことだ!!!

sr-kinoeさんの「kino-e-にっき」で、拙著をご紹介いただいております。

http://ameblo.jp/sr-kinoe/entry-10349179157.html(人のつながりと本のつながり ~ 新しい労働社会--雇用システムの再構築へ)

kinoeさんにご紹介されたのは、おれんじえすあーるさんだったとのこと。

面白いのは、

>でもおれんじえすあーるさんから「はまちゃん」とお名前を聞いても私は気がついてなかったのです。

いつもこの方の書く内容はしっくりくると思いながら、お名前をよく記憶しないままでした。

新聞の切り抜きなどのファイルを自分で見ると濱口氏の記事の切り抜き、

hamachanの労働法政策研究室ブログのブックマークもしてますし、

「新しい労働社会」も注文していたのでした。。。。

「はまちゃん」でなくてhamachanのことだ!!!と気がついたのは、あとになってからのことでした。(遅っ)

そうです、hamachanのことだったんです!

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水谷研次さんの拙著ご紹介

昨晩、現代社会民主主義研究会でお話ししたわけですが、そこにいらしていた連合東京の水谷研次さんが、ご自分のブログ「シジフォス」で、拙著の紹介を兼ねたこの会合のご紹介をされています。

http://53317837.at.webry.info/200909/article_22.html(『新しい労働社会』はぜひ一読を )

>終了後の飲み会で初対面故に「次号の現代の理論に書かれるそうですね」と自己紹介したら、このブログも読んでいると言われ、絶句。

いや、ですからこうして、ちゃんとご紹介しているわけで。

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実証を欠いた理論は暴走する by 高梨昌

最近、高梨昌先生はわたくしの言動をあまり快く思われておられないようで、小一時間ばかりお電話でお叱りをいただいたこともありますが、まあ、確かに派遣法は創ったときからインチキだったなどといえば、派遣法の生みの親である高梨先生がお怒りになるのはごもっともなのですが、こちらも派遣については空論をいってるつもりはなく、まさに現実に即した議論を展開しているつもりなので、中身までごもっともと申し上げるつもりもないのですが、まあそれはともかく、

それとは別にいろいろなところで高梨先生がいわれることには「その通り!」といいたくなるような台詞も多く出てきますので、本日はそれを紹介したいと思います。社会政策学会誌の『社会政策』第3号の巻頭言を書かれていてそのタイトルが「実証を欠いた理論は暴走する-労働経済学から社会政策へ」。

ますはじめに「市場原理主義の破綻」ということで、

>なるほど、新古典派経済学派は、数学的統計的方法などを用いて、経済的所領の「定量的」分析については若干の貢献をしてきたことは否定できないが、生身の人間の多様な価値観に基づく経済的社会的行動を解く「定性的」分析については合理的期待仮説に基づく人間の単純類型化によってまったく放逐してしまったのである。

新古典学派の知的構造は、古典は経済学を形式的に単純化し、自然科学的方法を借りて、統計的、数学的に厚化粧したに過ぎないのである。もともと統計的観察による数値は、アクチュアルステイタスであれ、ユージュアルステイタスであれ、相関関係は示せても、因果関係は示せないし、大量観察であっても、多数が有意味な事実であるのか、それとも少数が有意味な事実であるのか、その統計だけからは判断できないなど事実の一面しか解らないのである。

このあと「学問的実践としての実態調査」として、

>いうまでもなく実態調査では、文書資料の収集と整理、統計的調査と各種統計の収集、聞き取り調査など多様な事実発見の方法を用いて、労働の世界の実像を把握し、理論形成や政策立案の素材の提供に苦闘してきたのである。・・・既存のいわゆる官庁統計や数学的算式だけからは、生身の人間の経済的社会的諸行動が生み出す労働の世界は客観的かつ具体的に認識できないし、まして労働研究の理論形成も、政策形成にも寄与できないと考えていたからである。

と正論を述べられるのですが、そのあといささか横道に入り、「毛沢東の『実践論・矛盾論』を振りかざして革命家の政治的実践を学問的実践と同一視して調査を行な」う研究者を糾弾するのですが(関係者には誰のことかすぐに解るのでしょうが)、まあ、それはともかく、

最後の「社会政策研究の復権を」において、次のような宣言をされています。

>周知のように昭和30年代前半に「社会政策から労働経済学へ」という大きな流れが生まれ、大学の「社会政策」の講座も「労働経済」と看板を塗り替えられただけではなく、講義の内容は新古典派経済学に席巻されて今日に至っているのである。これでは労働問題研究を志す次世代の人材は育たないこととなろう。

今世紀こそ、経済政策の一分野として狭められ矮小化された「労働経済学」ではなく、社会理論を駆使した気宇壮大な「社会政策」研究の復権を図る時代の幕開けであることを訴えたい。

この威風堂々たる言葉の直後に、中谷巌氏といういささか矮小な相手に対する

>こうした恥知らずな手合いには、日暮れて鳴く「ミネルバの梟にもなれない」という、恩師大河内一男先生の皮肉を込めた言葉を呈すれば足りる。

という皮肉を付け加えているのはいささか余計な気もしますが。

(追記)

下のコメントで、稲葉振一郎氏が高梨先生にかなり手厳しい批判をしています。

「労使関係論とは何だったか」シリーズとも読み合わせると、なかなか興味深いものがあります。

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いよぎん事件最高裁判決今井功反対意見

昨日のエントリの関係で、肝心の今井裁判官の反対意見が判例雑誌に載ってないので見られない状態なので、関心ある皆様の参考に資するために、以下に写しておきます。

>私は、本件のうち、申立人の相手方に対する請求に関する部分は、以下に述べる理由から、重要な法律問題を含む事件として、これを受理すべきものと考える。

 申立人は、昭和62年2月、特定労働者派遣事業を行っていた伊豫銀ビジネスサービス株式会社(以下「IBS」という。)に派遣労働者として採用され、その後平成12年5月までの13年間、6ヶ月ごとにIBS又はその営業の譲渡を受けた相手方との間の雇用契約を更新されて、継続的に伊予銀行の支店に派遣され、事務用機器の操作の業務に従事していたところ、同年5月に雇用契約の更新を拒絶された。原審は、本件雇用契約は、伊予銀行を派遣先とするもので、伊予銀行と相手方との派遣契約が終了したから、本件雇用契約も当然終了するとして、更新拒絶に合理的な理由があるか否かを実質的に判断することなく、更新拒絶を正当と判断した。

 本件は、①派遣労働者である申立人が派遣元であるIBS又は相手方にいわゆる「常用型」として雇用されていた者であるか、②長期間更新を繰り返された雇用契約の更新拒絶について認められるいわゆる「雇い止めの法理」(客観的に合理的な理由を欠き社会通念上層等と認められないときには更新拒絶は許されないとする法理。最高裁昭和45年(オ)第1175号同49年7月22日第一小法廷判決・民集28巻5号927頁、最高裁昭和56年(オ)第225号同61年12月4日第一小法廷判決・裁判集民事149号209頁参照)が、派遣労働者の雇用契約についても適用されるかという2点において、派遣労働者の雇用関係についての重要な法律問題を含む事件である。

①の問題点については、IBSは、申立人と雇用契約を結んだ時点では、特定労働者派遣事業の届出をしていたに過ぎず、一般労働者派遣事業の許可を得ていなかったところ、特定労働者派遣事業とは、その事業の派遣労働者が常時雇用される労働者のみである労働者派遣事業をいうのであり、常時雇用される労働者でない労働者を雇用して事業を行った場合には、罰則を科されることになっていた。そして、申立人の雇用形態がその後変更された形跡はうかがわれず、更新拒絶の時点に至ったことからすると、申立人が「常時雇用される労働者」であって、申立人と相手方との間の雇用契約が常用型に当たると解する余地が十分にある。また、②の問題点については、申立人のように長期にわたって雇用契約の更新を繰り返されてきた労働者については、派遣労働者であっても雇い止めの法理が適用される場合があり得るところ、本件がそのような場合に当たると解する余地があり、更新拒絶について合理的な理由があるか否かを判断しなければならないことになる。

従って、本件のうち上記部分を受理し、この点について上告審としての判断を示すのが相当であると考える。

ところが、こういうことを述べたのは今井裁判官一人で、残りの3人は

>民事事件について最高裁判所に上告することが許されるのは、民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、意見及び理由の不備・食い違いをいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。

という理由で、

>本件上告を棄却する。

本件を上告審として受理しない。

といっています。

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全国ユニオンがILO提訴/登録型派遣原則禁止の勧告求める

連合通信の記事によりますと、全国ユニオンが登録型派遣禁止を求めてILOに提訴したそうです。

http://www.rengo-news.co.jp/news/kiji/090915.htm

>登録型の派遣労働者の場合、派遣契約が終了すれば、雇用契約も終了して当然という最高裁決定は条約違反であるとして、全国ユニオン(鴨桃代会長)が、ILO(国際労働機関)に申し立てた。九月十四日に発表したもので、登録型派遣の原則禁止や、通常の労働者との同等の権利確保などを日本政府に勧告するよう求めている。
 問題となった裁判は、伊予銀行で十三年間働いた派遣労働者の女性が、派遣先の上司に嫌がらせをやめるよう求めたところ、雇い止めにされた事案。高松高裁は女性を「登録型」の派遣労働者と認定したうえで、雇用継続の期待権は「保護すべきものとはいえない」とし、訴えを棄却した。最高裁は三月、裁判長裁判官の「上告受理申し立てを受理すべき」との少数意見を付け、不受理を決定した。
 申立書は、この司法判断が認められれば、日本の労働者派遣制度は、ILO一八一号条約(民間職業仲介事業所に関する条約)に違反すると主張。同条約第一条は、派遣事業について「第三者の利用に供することを目的に労働者を雇用することから成るサービス」と定義しており、派遣事業主は労働者を「雇用」していることが前提となっている。今回の事件はこの条文の要件を満たしていないという。
 提訴を全面的に支援するNPO派遣労働ネットワーク理事長の中野麻美弁護士は、「登録型派遣(の雇用)は『雇用』の名に値しない。労働法の保護が保障されなければ『雇用』ではない」「派遣契約の終了によって、雇用も終わる状態は、ILO条約が想定したものではない」と、条約違反を指摘した。
 申し立てが受理されれば、半年~一年審査され、ILO理事会に報告されることになる。中野理事長は「日本の法制度のあり方に警鐘を乱打したい」と期待を込める。
 
  ●国際基準にほど遠い

 「登録型派遣がいかに無権利なものかが示された判決」。派遣ユニオンの関根秀一郎書記長はこう指摘する。どんなに長く働いていても、商取引である派遣契約が終了すれば、雇用継続の期待権さえ認められないとする司法判断は、現行の労働者派遣制度の問題点を浮き彫りにした。
 ILO一八一号条約は派遣労働者の権利確保を目的として一九九七年に採択。通常の労働者との差別的取り扱いを禁じ、労働条件などについての保護を確保するよう規定している。
 日本の登録型派遣制度が、国際労働基準というグローバルスタンダードを満たしているといえるのかどうかが焦点。結果次第では、登録型の原則禁止を求める流れを後押しするものになりうる。

どうもいくつもの話が混線してごちゃごちゃになっているようです。

「国際基準」という観点からすれば、ヨーロッパでも派遣の主流は登録型であって、登録型の原則禁止が国際基準だなんて話を持ってこられたら、何を言っているのか理解されがたいでしょうし、ましてや専門職限定のはずだなどと意味不明なことを口走ったりしたら、それ以上相手をしてもらえない恐れが大きいと思います。そういう特殊日本的ルールの問題は日本の中だけでやってね、ということになるだけでしょう。

ILO181号条約はまさに派遣労働者の権利確保のために作られた条約であって、派遣労働を禁止するための条約ではありません。

日本の派遣法では派遣労働者の権利がきちんと保護されていないではないか!といって訴えるというのはまさに条約の趣旨に合致していますし、そのネタとしていよぎん事件を持ち出すこともおかしな話ではありませんが、それを「登録型派遣の原則禁止を求める流れを後押しするものになりうる」などというのはかなりの程度筋違いというべきでしょう。

「登録型派遣(の雇用)は『雇用』の名に値しない。労働法の保護が保障されなければ『雇用』ではない」というロジックは、少なくとも法律のロジックとしてはいささか八艘跳びの感があります。

いよぎん事件については、去る3月27日に最高裁が上告棄却の決定をしており、これに対してはわたしも間違った判決であると強く感じています。これに付された今井功裁判官の反対意見こそ正しい判断であって、この判決がいまだに『労働判例』等の判例雑誌に掲載されていないのは残念至極なんですが、まあそれはともかく、最高裁の不当判決に対するアピールをしたいという気持ちは分かりますが、もうちょっと議論を整理して、昨年派遣指令ができたばかりのヨーロッパの人々にも通じる話にして持っていかないと、せっかくのネタが使い物にならなくなってしまう恐れがありと思いますよ。

(参考)

いよぎん事件高裁判決に対するわたしの評釈(『ジュリスト』)はこれです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/iyogin.html

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現代社会民主主義研究会公開講座

明日夜6時半から、池袋の東京芸術劇場で「雇用システムの再構築へ-民主党政権の課題」という題でお話をします。

http://homepage3.nifty.com/gendaiform/

詳しい案内は:

http://homepage3.nifty.com/gendaiform/kenkyukai-pdf/kenkyukai-35.pdf

ですが、講師案内の最後のところに、

>専門分野は労働法、社会政策。ヨーロッパの労働政策の第一人者の一人でもあり、ネットの世界で咆哮する論客としても名が知られている(「EU労働法政策雑記帳」:http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/)。

とありまして、はあ、やっぱり「咆哮」しているように見えるんでしょうか・・・。

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だから、三者構成審議会とただの審議会は違うんだって

HALTANさん経由で、

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090923/p1[床屋政談]bewaadさんマジ切れ!?)

「いちごびびえす」なる掲示板のこういう発言を見つけましたが、

http://www.ichigobbs.net/cgi/15bbs/economy/1504/180-191おすすめ経済本調査 その2

>少なくとも長谷川さんや高橋さんが批判する各種審議会よりも、
竹中大臣(当時)や高橋さんが運営していた経済財政諮問会議の方が、
よほど恣意的で不公正な運営をしていたわけですが、
そこに問題意識を持っていないことは、その偏りの明らかな表れであるわけで。

bewaadさんの気持ちは気持ちとして判りますが、

わたくしからすると、何でもかんでも「各種審議会」とひとまとめにしないでほしいところです。

少なくとも、審議会の委員になる「有識者」が誰であるかを事務局である役所がすべて決めている労働関係以外の審議会と、ILOの三者構成原則に基づき、3分の1ずつは労使団体の推薦で決めている労働関係の審議会とでは、ステークホルダー民主主義の観点からして全然意味が違うわけですから。

労働関係以外の審議会の場合、審議会委員に誰を任命するかという時点で結論が見えているではないかという批判は、(経済財政諮問会議や規制改革会議と同様)それなりに成り立ち得ますが、労働関係の審議会については成り立ち得ません。

労使団体の代表性の議論はそれとしてあり得ますし、派遣規制などまさにそれが問題になる分野もあるわけですが、原則論としては利害の対立する当事者同士が直接政策決定に関わることによるマクロな自己決定の現れなのであり、もしこれらを味噌も糞もごっちゃにして、審議会という役人の隠れ蓑はつぶすという大義名分で三者構成原則まで排除するようなことがあれば、そのことの悪影響は計り知れないということはわきまえておく必要があろうと思います。

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連合の失業者調査

連合が連合総研を通じて行った「失業者の暮らしと就職活動に関するアンケート調査結果」の速報がアップされています。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/rengonews/2009/20090917_1253176774.html

>○昨年秋の経済危機以降、急増する失業者。正社員雇用にも及ぶ顕著な影響。
○切実な生活状況。「雇用保険」の給付が見込めない人は約3割。
○失業者の過半数が再就職に悲観的。企業面接に至らない人が過半数。
○今後の課題として、セーフティネットの拡充、ハローワークによる求人開拓の強化と職業紹介機関の周知および改善、職業訓練・職業相談の充実が必要。

ということですが、もすこしくわしく見ると、

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/rengonews/data/20090917report.pdf

失業者の内訳で言うと、

>②失業者の過半数は前職が正社員だった人で占められ、経済危機が非正社員だけでなく正社員にも大きな影響を及ぼしている。

③経済危機以降の前職正社員失業者の7割強が、倒産、解雇、退職強要など会社都合によるものである。

という状況です。

もっとも急を告げているのは生活状態で、

>①前職非正社員の主な収入源は、女性では「配偶者の収入」が7割、男性の場合は「親の収入」が5割となっている。これに対して前職正社員では、「預貯金」「退職金」の取り崩しだけでなく「親の収入」に依存する人が2割強にも及んでいる。これは「雇用保険」の給付切れやそもそも給付がない人がいることが背景にあると思われる。その数は2008 年秋以降に失業した人だけでも、前職正社員で15.1%、前職非正社員で44.8%(両者合算で27.8%)に及んでいる。

②蓄えについては、預貯金「100 万円未満(除く不動産)」は前職非正社員の男性で5割、女性で4割を占める。また前職正社員であっても3分の1を占めており、資産状況の厳しさが窺える。

③家計支出の切り詰めにより、生活全般に対し約4分の3の失業者が<不満>を抱いている。また、将来の職業人生に目標や希望を叶える「自信のない」人(6割強)や、再就職活動で「メンタル面での不調」を訴える失業者(3割強)が多くなっている(13項目中3つ選択)。

前職非正社員男性は5割、前職正社員男性も2割が親の収入に頼るというのはやはり正常な事態とは言えないでしょう。

再就職も大変で、

>①前職正社員失業者の62.3%(男性では75.7%)は正社員としての再就職を希望している。「正社員か非正社員かにはこだわっていない」人が3割強(男性では23.0%)みられるが、こうした回答は厳しい再就職状況を反映したものと思われる。

②希望の就職先が<半年以内>に見つかるという人が3割弱みられる一方、「1年以上かかる」「見込みはない」「わからない」といった悲観的な人が過半数を占めている。

③厳しい再就職状況は、応募書類の提出企業数と面接企業数との開きからもみることができる。1人あたりの応募書類提出企業数7.2 社に対し、面接企業数は約3割の2.3 社にとどまっている。面接を受けていない人(面接企業数「0社」)は約半数を占めており、面接ですら困難な状況が続く実態があらわれている。

この調査の興味深い点は、調査方法にもあります。

本調査は同一の調査票を、①Web モニター対象、②UI ゼンセン同盟人材サービスゼネ
ラルユニオン(JSGU)経由、という2通りの配布・回収方法で実施した。

JSGU経由は件数が少ないのですが、不況の影響を真っ先に受けた派遣関係の労組を通じた調査という意味で注目されます。

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99年改正前には戻れない-専門職ってなあに?

先週毎日新聞に載ったこの記事の持つ意味が本当に分かっている人はどれくらいいるでしょうか。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090913k0000m040110000c.html(派遣:大阪労働局が日生指導、「専門」実態は「一般事務」)

>派遣期限(最長3年)のない専門業務を行うとして派遣された労働者が一般事務が中心の業務に就いていたとして、生保大手の「日本生命保険」(本店・大阪市)が、大阪労働局から労働者派遣法に基づく是正指導を受けていたことが分かった。同社は「指導を真摯(しんし)に受け止めたい」とした上で、「労働者個別の問題。会社全体としては適正に労働者派遣を受けている」としている。

 派遣は本来、臨時的・一時的な労働とされており、労働者派遣法40条の2は、受け入れ期間を最長3年に制限している。しかし政令で定める専門業務はこの制限から除外すると規定。労働局は、専門業務以外の一般業務が就業時間の10%を超えていると判断した場合、違反があったとして是正指導している。また派遣期限を免れるため、専門業務の派遣を装う「業務偽装」の横行も指摘されている。

 関係者によると、同社の派遣労働者は子会社など3社から派遣され、ほぼ全員が「ファイリング」や「OA機器操作」など専門業務に就くとされる。今回、是正の対象となったのは本店で働く数人。「OA機器操作」など専門業務を行うとして派遣された。数人は約4年~1年勤務したが、今年3月ごろ「実態は一般的な事務作業」として大阪労働局に申告。労働局の立ち入り調査の結果、業務の中心が一般的な事務と裏付けられたため、4月中旬、是正指導した。

 日本生命広報室は「是正指導を受けたのは事実。一部の派遣労働者については業務内容を調査している」としている。

漫然と読み過ごしてはいけません。これは、日本で派遣法ができてから99年改正まで、ある意味では現在に至るまでずっと続いてきた核心的虚構をあっさり「嘘でした」とあからさまにしてしまったことなのです。

この点については、拙著『新しい労働社会』の第2章で、次のようにその経緯を解説しています。

> その無理が特に露呈していたのが「ファイリング」なる専門業務です。当時の産業分類にも職業分類にも、ファイリング業務なるものは見当たりませんし、当時の事務系職場において、ファイリング業務が専門的な知識経験を要する業務として特定の専門職員によって遂行されていたという実態にもありませんでした。実態から言えば、既に事務処理請負業として行われていた労働者派遣事業のかなりの部分が、当時オフィスレディといわれていた事務系職場の女性労働者の行う「一般事務」であったにも関わらず、それでは上記の対象業務限定の理屈付けに合致しないので、現実社会に存在しない「ファイリング」なる独立の業務を法令上創出したのだと理解するのが、もっとも事実に即しているように思われます。
 派遣法制定に尽力したマン・フライデー社長の竹内義信氏はその近著『派遣前夜』の中で、ファイリング業務について「図書館のファイリングシステムを例に出し、縦横斜めから求める本を探し出すためのシステムを構築するのは大変な能力を必要とするし、これは会社に於けるファイリングシステムも同じだと説いた」結果、対象業務に追加され、「法律が制定された後、このファイリングが思わぬ方向に展開した。幅広く捉えられ、このことによって派遣事業の発展に大きく寄与する結果になった」と回想しています。
 もっとも、男女差別の横行する当時の日本では、彼女らは日本的雇用慣行の外側の存在であり、OLが派遣になっても男性正社員に常用代替の恐れはないということであったのかも知れません。しかも、OL代替の事務派遣労働者はOL並の処遇を受けていました。上記竹内著は、「話が賃金のことに及ぶとその支給額の高さに「ホー」という声が漏れたのを覚えている。一般事務の賃金が、アルバイトの2.5倍であり、正社員雇用で働いている一般の事務員の給料と比較してもやや高いものであった」と自慢げに語っています。派遣の古き良き時代といえますが、それは専門職ゆえではなく、男女別雇用管理のゆえであったのです。
 この「無理」は、その後事務系職場でOA機器が一般的に使われるようになって徐々に解消していきました。派遣法制定当時には「事務用機器操作」はかなり専門職的色彩が強かったのですが、次第にワープロや表計算、プレゼンテーション等のコンピュータソフトを使いこなすことが一般事務の基本スキルとなっていったからです。こうして、かつては「ファイリング」という架空の専門職を称していたものが、今では実際に行っている「事務用機器操作」を名乗って派遣されるようになりました。ただし、24年前と同様にそれが「専門職」の名に値する業務であるかどうかは別の話です。

これがはじめから意図されたものであったことは、そもそも派遣法がすでに事務処理請負業という名称で行われていた一般事務の派遣事業を合法化するためのものであることから明らかであって、マンパワーにしろテンポラリーにしろ、別に図書館のファイリングシステムみたいなことをやってたわけじゃない。一般事務の派遣ができないのなら、彼らがそんな派遣法に賛成するはずがない。

はじめから「ファイリング」とか「事務用機器操作」という専門業務でございといいながら一般事務であることは関係者一同了解してやっていたわけです。

その虚構の上に85年から99年まで14年間にわたって派遣法を運営するという時代が過ぎて、ようやくネガティブリストによって、違法なことをやっている状態ではなくなったわけです。

99年にネガティブリストにしたのが諸悪の根源だ、99年改正前に戻せば幸福な時代に戻ることができるなどというのが幻想であることはおわかりでしょう。

このあたり、政治家もマスコミ関係者も、いや下手をすると労使関係者や学者までも、よく分からずに「登録型派遣は専門職限定にすべき」」などと口走っているのではないか、と危惧されてなりません。

いや、判って言ってるのならいいですよ(良くはないけど)。でも、専門職限定しても、今まで通り「ファイリング」やら「事務用機器操作」という架空の看板を掲げて一般事務の登録型派遣が続けられると思いこんでそういっているのであれば、それはもはや不可能になりつつあるということです。

上の毎日の小さな記事は、そういう意味を持った記事として読まれなければなりません。

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ラスカルさんの拙著短評について

twitterで、kuma_asset(ラスカル)さんが拙著に対する端的な短評を書き残しておられるので、採録。

http://twitter.com/kuma_asset/status/3780370608

>濱口本について。表題にもなっている「(日本的)雇用システム」の定義と輪郭が、やや曖昧かつ画一的印象。

それは、もともと外国からの留学生向けの啓蒙的講義のためのメモですし、拙著もそこが中心のつもりではなく、あくまで政策論の書物の序論として最後につけた部分なので。本格的に論じたら序章だけで一冊の本になってしまいますが、それでは新書としてこの時期に出す意味がない。

http://twitter.com/kuma_asset/status/3780372052

>あと、最後の「啓蒙専制主義」と産業民主主義との対比し、前者を批判する姿勢。(リフレ派含む)経済系の議論では、啓蒙、専門知重視が頻繁に語られるが、このあたりが、この人の手続き(システム)重視の姿勢と対立する中心軸か。

これはきわめて重要なところ。

昨日の読売の記事で一番力説した点とも通じるところですが、市場主義者とマルクス主義者に共通する「俺様は真理を知っている。汝愚昧の輩は真理の前に跪け」という思想が、実は一番恐ろしい。「神の真理よりもこの世の利害」というのが、未だ生煮えのステークホルダー民主主義論の中核です。

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大内伸哉『最新重要判例200労働法』

30160 大内伸哉先生より、弘文堂から出版された『最新重要判例200労働法』をお送りいただきました。いつもいつもありがとうございます。

現時点では大内先生のブログ「アモーレと労働法」では取り上げておられないようです。

http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/

出版元のHPでは、

http://www.koubundou.co.jp/books/pages/30160.html

>「生きた労働法」を学ぶために、重要判例のうち新しいものを中心に213判例を厳選し、単独著者による解説で統一的に理解できるように工夫された判例集です。
 判例の理解に必要な解説をコンパクトに付し、2色刷りにより判旨のポイントがひと目でわかる判例ガイド。労働法を学ぶ学生、司法試験をはじめとした国家試験受験生、法曹、企業関係者等の判例整理に最適の1冊。

題名は「200」ですが、実際は213の判例、裁判例が載っています。

労働法の場合、最高裁判例だけでは全貌は判りかねるところがあり、下級審の裁判例も重要なんですが、とはいえまだ上告中で判例として固まっているとは言えないような裁判例をどう扱うかというのはなかなか判断を要するところではないかと思います。

というのは、第17番として例の松下プラズマディスプレイ高裁判決が載っているのですが、これがおそらく最高裁で見直される公算が高くなったようだからです。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=200909/2009091400878

>パナソニックの子会社「松下プラズマディスプレイ」(現パナソニックプラズマディスプレイ)の工場で働いていた元請負会社社員の男性が、「偽装請負」を内部告発した後、不当解雇されたとして地位確認などを求めた訴訟で、最高裁第2小法廷(中川了滋裁判長)は14日、弁論を11月27日に開くことを決めた。
 弁論は二審の結論変更に必要な手続きで、男性の主張をほぼ全面的に認めた二審大阪高裁判決が見直される可能性がある。

32301551

この判決については、わたしもすぐに批判的な評釈を書きましたが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/nblhyoushaku.html(いわゆる偽装請負と黙示の雇用契約)

最近経営法曹会議事務局長の中山慈夫さんが『経営と労働法務の理論と実務 安西愈先生古稀記念論文集』(中央経済社)に書かれた論文でも、同様の観点から批判をしておられます。

これは、実は昨日中山さんから直接抜き刷りをいただいたもので、まだ生々しいのですが、この高裁判決はやはり論理構成があまりに粗雑で、見直しは免れないところでしょう。

それはともかく、最高裁でひっくり返る可能性が高い下級審判決を『最新重要判例』に入れるかどうかというのは、これ自体議論のあるところではないかと思いますが、とはいえ学会でも実務界でも大きな騒ぎをもたらした判決には違いないので、あえて落とすのも不自然なのでしょうか。

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7件目のアマゾンレビュー

本日、7件目のアマゾンレビューがアップされました。takokakuta "緑の森と図書館"さんによるもので、今までの6人と同様、星5つをいただいております。

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4004311942/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&showViewpoints=0&sortBy=bySubmissionDateDescending#R1G1W54HUD43K3

>労働問題について考察を加えれば加えるほど、モグラたたきのような小手先の改革だけではほとんど解決困難な問題が山積し、日本社会全体の仕組みを大改革しなければ、明日は見えてこないのではないかと考えさせられる。
 本書は、そこに大きな一石を投じている。

なお、本ブログで必ずしも一つ一つ紹介してこなかったものも含め、今まで公開されている拙著への書評はすべて私のホームページの次のページにまとめてリンクしておりますので、いろいろと読み比べてみると大変興味深いものがあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/bookreviewlist.html

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本日読売新聞「くらし・家庭」面で「民主政権」の「雇用」について発言

本日の読売新聞の17面、「くらし・家庭」の面ですが、数日前から「民主政権」という連載記事が続いていて、本日は「雇用」です。なにやら大きな顔写真とともに、わたしの発言が5段にわたって載っております。聞き手は左山政樹記者です。

HP上には載っていませんので、できればお買い求めいただけるとありがたいのですが、最低賃金引き上げと派遣法見直しの問題について述べた上で、労働政策の在り方の基本論として次のように述べております。ここは大変重要なところですので、是非新政権の皆様方に拳々服膺していただきたいところです。

>最後に一つだけ注文しておきたい。それは、最賃引き上げでも派遣法の見直しでも、新政権の「政治主導」を優先する余り、政労使、公労使で話し合う方式を変えてはいけないということだ。

労働分野では利害の対立する労使間の意見調整は欠かせない。小泉改革では、労働側代表を閉め出して一方的に規制緩和を進めたため、労働側が不満を募らせた。民主党政権で逆に経済界の意見に一切耳を貸さなければ、もし万一次の選挙で自民党政権が復活したら、手痛い仕返しにあうだろう。割りを食うのは弱い立場の労働者だけだ。

なお、新政権の労働政策については、近く発行予定の『現代の理論』秋号でかなり広範にわたって論じております。こちらもお買い求めいただければ幸いです。

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「不寛容なリベラル」というパラドクス

『時の法令』巻頭の「そのみちのコラム」は私も一昨年担当しましたが、今年は千葉大学の水島治郎先生が執筆者の一人となっています。水島先生はオランダ政治研究の第一人者で、いろいろとお世話になっているのですが、9月15日号に掲載された標題のエッセイが大変おもしろいので紹介したいと思います。

>「ヨーロッパで移民批判の右翼が台頭」と聞けば、日本ではネオナチなどの極右を思い浮かべ、反ユダヤ主義、暴力行動や反民主主義といったイメージを持つ人が多いだろう。

しかし、近年躍進したオランダや北欧の新右翼政党に着目すると、そのようなネオナチや極右とのつながりはなきに等しい。そして彼らの主張する論理が、従来の「極右」とはむしろ正反対であることに気づく。彼らの移民批判の論理は、リベラルな論理を徹底したところから出発しているのだ。

具体的にはどういうことかというと、

>彼らの主張のポイントは、リベラルな立場からイスラムの「非リベラル」なあり方を批判するところにある。つまり、自由・人権・民主主義・男女平等・政教分離といった西欧近代の築き上げてきた価値を積極的に強調した上で、返す刀で「個人の自由を抑圧し、人権を無視するイスラム」「女性を差別するイスラム」「政教分離を拒否し、政教一致に固執するイスラム」の後進性を徹底して批判するのである。特にフォルタインは、自らが同性愛者であることを公言した上で、イスラム社会やイスラム移民における同性愛者差別を糾弾した。

この立場からすれば、「後進的」価値観に彩られたイスラム移民が、ヨーロッパ社会の進歩的価値観を受け入れることなく大量に流入することは、許されることではない。ヨーロッパの啓蒙の伝統を守り、人権や民主主義という普遍的な価値観を発展させるためにも、イスラム移民の流入は阻止しなければならない。

人権を守るようなふりをしてかっこよさげにイスラム移民を擁護する「多文化共生主義者」こそ自由と人権と民主主義と男女平等の敵である、と。

>「真のリベラル」は自分たちであるという「自負」があるかのようだ。

>「リベラル」であるがゆえの「不寛容」。いわば「啓蒙主義」と「排外主義」が一貫したロジックのもとでつながっているところに、現代ヨーロッパの抱える矛盾が潜んでいるといえよう。

このロジックがそのまま日本に応用できるかというと、日本で排外主義をあおっている右翼な人々の国内政策における主張が自由と人権と民主主義と男女平等と政教分離を断固守れと強調しているとはいささか言いがたい面があるので(むしろ逆のケースが多い)、そのまま持ってこれるとは到底いえませんが、一般市民レベルにおける隠微な支持感情の背後には、中国やとりわけ北朝鮮の非民主性や人権レベルの低さが働いている面もあるかも知れません。ただ、韓国も一緒にして「特定アジア」への敵意をあおっているのを見ると、それは意識的なものではないのでしょうが。

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季刊労働法226号

Tm_i0eysjiyno2g 『季刊労働法』226号(2009年秋号)が出ました。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/004246.html

●「派遣村」報道に接しますと、今回の不況は従来の労働法、社会保障法では十分に対応できない面があることを浮き彫りにしたといえます。
今号では、労働法、社会保障法、社会福祉、社会政策という分野の異なる研究者による座談会を掲載します。社会福祉、社会政策の視点から社会法に対して問題提起をしていただきます。
座談会に加え、今般の不況について、使用者側弁護士、労働団体に何が今後の課題と考えているのか検討していただきます。

●職業訓練の機会に恵まれなかった外部労働市場にいる労働者への対策が求められています。職業訓練については、ジョブカード制度が創設されるなど、対策が講じられてきましたが、その利用は伸び悩んでいるとのこと。
第2特集では、改めて「職業訓練・能力開発」をテーマに今後の能力開発政策、OJTのあり方などを検討します。

ということで、いつもの労働法定食コースとはちょっと違った感じの今号です。まず第1特集は、

特集
現下の不況と雇用問題

座談会 貧困・格差をめぐる諸問題と社会法
 早稲田大学教授 菊池馨実 九州大学教授 野田 進
 慶應義塾大学教授 駒村康平 日本女子大学教授 岩田正美

雇用の変化が実務に与えた影響とその実態
 弁護士 丸尾拓養

雇用問題に対する連合の取り組みと今後の課題
 連合 雇用法制対策局部長 村上陽子

貧困・労働問題についての日本弁護士連合会の取り組み
 日本弁護士連合会・貧困と人権に関する委員会委員
 中村和雄 小久保哲郎 小川英郎

心に残る言葉をいくつか。

丸尾弁護士の最後の一節から、

>雇用に関する法実務はまじめに「働く」人に報いるべきものであろう。病理現象でもある裁判辞令よりも、声も上げずに「働く」人の実像に迫ることの方が、健全な労使関係のあり方を検討するために必要であると考えられる。

連合雇用法制対策局の村上陽子さん曰く、

>第四に、おそらく労働組合にとってはもっとも切実で重要な視点として、すべての労働者の参加と連帯に触れておきたい。今回の景気後退過程においては、例えば有期労働契約の期間途中の解除(解雇)など企業が労働関係のルールを無視する事例も多々見られ、罰則の強化や行政による監督の強化を求める声が各方面から強く発せられた。しかし、職場において公正なワークルールを確立するために、行政に過大な役割を期待することが適切なのだろうか。個別労働紛争の処理システムをさらに充実させることももちろん重要だが、一方で、職場における集団的労使関係をしっかりとしたものにし、それを通じて職場における公正を実現していくことこそが求められているのではないか。

拙著第4章のテーマそのものでもあります。

第2特集は諏訪康雄先生のもとで勉強している社会人大学院生たちによる論考です。

第2特集 これからのキャリア・職業能力開発

これからのキャリア・職業能力開発
 法政大学大学院政策創造研究科 諏訪康雄研究室

自発的学習を促進する公助

外部とのネットワーク化を前提とした内部労働市場における職業能力開発

キャリア形成の視点から見た労働者派遣の今後

能力開発とキャリア形成の場としての社会人大学院
 その現状と発展に向けた課題

そのほかにも今号は盛りだくさんです。

■集中連載■比較法研究・中小企業に対する労働法規制の適用除外
中小企業における労働法規制の適用除外―イタリア―
 神戸大学大学院法学研究科教授 大内伸哉
 姫路獨協大学専任講師 大木正俊
 同志社大学大学院博士後期課程 山本陽大

中小企業に対する労働法規制の適用除外―オランダ―
 神戸大学大学院 本庄淳志

中小企業に対する労働法規制の適用除外―台湾―
 台北大学法学部博士教師 李 玉春

■特別寄稿■
人間らしい労働を求めて
 フランスの産業保健制度との比較から
 北海道大学名誉教授 保原喜志夫

■研究論文■
団結権侵害を理由とする損害賠償法理(1)
 北海道大学教授 道幸哲也

就業規則法理の再構成
 関西大学大学院法務研究科教授・弁護士 川口美貴 弁護士 古川景一

■イギリス労働法研究会■
当事者の自律的規制を促すしくみ
 ─イギリスの「平等賃金に関する行為準則」を素材に
 労働政策研究・研修機構研究員 内藤 忍

■神戸労働法研究会■
フランスの最低所得保障・活動的連帯所得(RSA)─
 神戸大学准教授 関根由紀

■同志社大学労働法研究会■
個別合意による労働条件変更
 ─個別合意の成立・有効要件を中心に・
 豊田通商株式会社 同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了 北山宗之

■筑波大学労働判例研究会■
労災事故における被害者の既疾患が寄与した場合と民法722条2項の類推適用
 東日本電信電話事件 最一小判 平成20年3月27日 労判958号5頁
 筑波大学労働判例研究会 中澤文彦

■連載■
労働法の立法学(連載第20回)――最低賃金制の法政策
 労働政策研究・研修機構統括研究員 濱口桂一郎

個別労働関係紛争「あっせんファイル」(連載第8回)
韓国における不当解雇等の労働委員会による救済
 九州大学教授 野田 進

ここではJILPTの内藤忍さんのイギリスの行為準則の論文について、そのもとになったディスカッションペーパーを紹介しておきます。

http://www.jil.go.jp/institute/discussion/2009/09-05.htm(イギリスの行為準則(Code of Practice)に関する一考察―当事者の自律的取組みを促す機能に注目して)

>本論文は、イギリスの行為準則という法的文書について、その概要を明らかにした上で、特に、労働紛争を防止し、労使にとってよりよい労働環境を形成するために、労使が自律的にその組織の状況に適合したルールを形成し、これを遵守していくというしくみの形成を促進する機能について検討したものです。

行為準則は、雇用審判所等での手続において証拠として認められ、考慮されると制定法で規定されており、実際にその規定の遵守状況が判決の結論に直接結びつくなど、重要な役割を担っていることから、労使当事者等にとって大きな規範的意義を有するものと考えられます。

また、当事者がその組織の状況に応じて自主的、自律的に改善計画を策定し取り組むよう誘導するという行為準則の機能の側面からは、(1) 労使双方が主体的に取り組める具体的なしくみを政策的に提案することが重要であること、(2) 労働者側に集団的な基盤が存在することが最も重要であること、(3) 自律的取組みを行う当事者に対し必要に応じて財政面等の支援を行うことが必要であること、(4) 自律的な取組みを行う当事者に対し法的インセンティブを与える場合には、インセンティブの内容と導入後に起こりうる様々な影響についての事前の検討が十分に必要であることなどを指摘しました。

イギリス労働法の狭い専門分野の論文のように見えるかも知れませんが、いわゆるソフトローの議論について、大変興味深い事例を提供していて、とくに日本の努力義務規定とか指針といった何をどこまで拘束するのかしないのか必ずしも明らかではないのに大変多用されている法政策手法について考える上で参考になると思います。

あと、「特別寄稿」というのは今年亡くなられた保原喜志夫先生の絶筆です。最後の一節から、今号で一番心に残る言葉を。

>日本では、未だに多くの企業で月100時間を超える時間外労働が行われている。

こんな状態が長く続くようでは、事業場の片隅で、産業医や産業看護職など専門職がどんなに地団駄を踏んでも、世の中は少しも良くならない。トラックの運転手が長時間寝ないで運転すれば、その道路の先にあるのは交通事故だけである。

・・・そこで本稿では、このような状態を少しでも打ち破ることができるように、産業医等の身分保障をより強固にする方策を考えてみた。

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日系ブラジル人たちの秋

世間では新しい内閣が発足したというのが話題のようですが、わたくしは昨日朝から本日夕方まで連合総研の研究会で長野県は上田市に行って、日系ブラジル人の状況を調べておりました。請負(派遣)会社とその運営するブラジル人学校や、とりわけ現在失業中の日系ブラジル人6人の方々のお話は大変興味深く有益なものでした。

その内容はいずれ連合総研の報告書にまとめられることになるので、ここではごく印象論だけ。金融危機の影響で彼らが昨年末から今年の初めにかけて大量にクビを切られて、受給していた雇用保険が早ければ7月頃から遅くともこれから続々と切れていきます。

それに伴って、帰国する人々、なんとか日本に残ってがんばろうとする人々など、さまざまなのですが、その意思決定にかなり影響を与えているのが子どもがどちらの学校文化で育ったかなんですね。日本の小学校で精神形成した子どもたちは、今更ブラジルに戻ってもなかなかなじめず、そこで社会的上昇ルートに乗るのが難しい。逆にブラジルに戻るつもりの人々はブラジル政府認可のポルトガル語で授業をするブラジル人学校に通わせていて、その生徒数は親の帰国等によりこの1年で激減しています。

日系ブラジル人たちは請負という形式の実質派遣で働いてきた非正規労働者ですが、いずれも2人以上の子どもを育てていて、日本の少子化の影響はまだ及んでいませんが、その子どもたちの将来への展望が親の就労戦略をかなり左右しているというのは大変面白いと思いました。

ちなみに出張中に決まった閣僚の顔ぶれについて私のコメントがほしい向きもあるかも知れませんが、とりあえずはノーコメントと言うことで。

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ドラめもんさんの拙著書評

金融の鉄火場を生きるネット界でも有名なドラめもんさんに拙著を書評いただきました。

http://www.h5.dion.ne.jp/~bond7743/today.html

>基本的に金融屋のあたくしとしては、本書の第2章の非正規労働者問題に関する土地勘が無く(事務系の派遣さんしか見ないから)、金融屋的には第2章を読むのに少々苦労しました。ということで、この本ですが読む人に土地勘が無い分野(例えば日系の大手企業の勤務経験がないと第1章とか第4章とか土地勘無いと思います)を読むときは苦労するかもしれません。ということで、金融屋さん(ただし外資しか経験の無い人を除く)なら1章読んだ後3章、4章に飛んでから2章を改めて読んで、その後全部読むとじゃが良いと思います。

必ずしも金融屋さんだけでなく、第2章は読むのに苦労したというお話はいろんな方から伺っております。

そこは、ある程度予想はしておりましたが、全体構造上、第2章が話の要になっておりますので、ご容赦いただければ、と。第2章を踏まえて第3章を読んでいくと、話がすっすっと入っていくようになっておりますので。

>それから、著者が元々労働省の官僚さんだったこともあってか、提言される解決策とかが極めて現実的な処方箋(出来もしない理想論ではない)で、大変に好感をもてました。

ありがとうございます。理想を持ったリアリストをめざすわたくしにとっては、うれしい評言です。

>将来経営コースに進まれる方(特にドメ日系の方)は読んでおくべき本なのではないかと思います。

外資系の方も、異文化研究という観点から是非お読みいただければ、と。

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給与改定は人勧を受け労使交渉で決める仕組みに

東京新聞のサイトに載っている共同通信の記事ですが、

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009091301000373.html(民主、公務員人件費1兆円超抑制 給与と人員減半々で実現)

民主党の公務員政策について、

>また、従来制約されてきた国家公務員の労働基本権を人勧制度見直しに伴い回復。毎年の給与改定は人勧を受け労使交渉で決める仕組みに変える。その上で厳しい財政状況に関し理解を求め、労使合意に基づき給与をカットしたい考えだ。

これだけではよく分かりませんが、労働基本権を回復するといいながら、人事院も廃止するわけではなく、人事院勧告という制度は残るんですね。人事院勧告は残しながら、それを受けて労使交渉をするというのも、なんだかよく分からない仕組みです。

厳しい財政状況に理解を求めるのはいいのですが、理解しきれなくて労使合意に至らない場合にはどうするんでしょうか。まさかスト権まで回復するつもりがあるとも思えないのですが、労働委員会に持ち込んで仲裁裁定で決めるというのか、それとも政府が一方的に決めるのか、後者だとすると労働基本権を回復したとは実質的に言い難いと思われます。しかし、人事院勧告を残して決着は仲裁裁定で決めるというのでは意味不明としか言いようがありません。

これは、労働協約締結権を認めるなら人事院勧告は要らないのだし、人事院勧告を残すのであれば労働協約締結権を認めることにはならないのであって、どっちを取るか二つに一つだと思うのですがね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-4a78.html(人事院総裁が拒否するのは当然)

>逆に言えば、公務員に労働協約締結権が認められれば、人事院などという組織が独立の機関として存在する根拠は消滅します。

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こちらもお待ちかね、「夜明け前」水口洋介さんの書評

同じ労働関係ブログの「夜明け前の独り言」で有名な労働弁護士の水口洋介さんに、拙著を書評していただきました。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2009/09/post-04bb.html

拙著のロジックを丁寧に追いながら、次のような「疑問」を提示しておられます。

>戦後日本社会で形成された「日本型雇用システム」は変容しました。一方では、「左右」を問わず「労使」を問わず、「終身雇用、年功序列賃金、企業内組合の『日本型雇用システム』が良い」という人々がいます。他方で、社畜を作り出した「日本型雇用システム」を克服したいと考え、「同一価値労働同一賃金の原則」に基づいた「新しい公正な雇用システムの構築」を主張する人々もいます。著者は、後者の論者として、八代尚宏教授だけでなく、後藤道夫教授や木下武男教授も発想は同じだと位置づけているようです。

著者は、上記のどちらでもなく、EUの労働規制を念頭におきながら、現実を踏まえた実施可能な制度を模索すべきだとしています。そして、派遣労働を禁止しても、派遣労働者は現状の不安定で低賃金の有期労働契約になるだけだと指摘し、有期労働契約の規制こそが必要だと提案します。もっともです。

有期労働者に均等待遇原則を適用することは大いに賛同できますが、しかし、雇用保障の部分は現状の規制よりも後退させて雇用終了(解雇・雇止めを含めて)については金銭的調整で処理しようことは賛同できません。

何故、金銭調整でなければならないのでしょうか。有期労働に雇用保障をすると、経営者は労働者を有期であってさえ雇わなくなるという「経済学」の影響でしょうか。それとも、均等待遇原則の導入のひきかえに、金銭調整を導入しないと経営者が譲歩しない現実論なのでしょうか。この点は著者には明確に理由が書かれていないように思います。

この疑問は、現在の判例法理(判例集に載った事例に適用された法理)を前提に考えるとまことにもっともです。ここで私があえて(労働側には評判が悪いであろうことが明かな)金銭解決を打ち出しているのは、金銭解決はだめで職場復帰という判例法理は、有期雇用の雇い止めについては事実上絵に描いた餅に等しい状態になっており、それにこだわって「現状の規制よりも後退」などというのは、圧倒的に多くの有期労働者にとっては、ほとんど無意味なものになってしまうという判断があります。ここは、裁判になって解雇権濫用の類推適用というアクロバティックな細道を何とかくぐり抜けた少数事例から考えるか、そうでない圧倒的大多数の事例から考えるかの違いではないかと思います。

その上で、やや戦略的な面では、経営法曹会議が有期雇用の雇い止めに金銭解決を、という提言をしており、これは「使える」、少なくとも現状の圧倒的大部分の有期労働者にとってはより有利な方向への変更に「使える」という判断から、ああいう政策提言になっているわけです。

ここは、正直言って、裁判の場で労働者の権利をいかに守るかという立場からものを考える労働弁護士である水口さんとは、どうしてもずれが生じてしまうところなのかな、とも思っています。

>そういえば、厚労省に有期労働契約の研究会が昨年立ち上がりました。そして、民主党政権になりました。有期労働契約が労働法制(労働契約法の改正)の問題として、近い将来、浮上してくるかもしれません。

政治的なアジェンダがこれからどうなるかはわかりませんが、派遣事業の禁止・規制の問題がひとしきり騒ぎになったあとは間違いなく有期労働の在り方が重要課題になっていくでしょう。私としては、そこに、経営側も呑める現実的な有期労働者保護政策をきちんとはめ込んでいくことが重要だと思っています。

ついでに言えば、これは民間よりも公共部門の非常勤職員の問題への解決の糸口として、かなりの意味を持ちうるのではないかとも思っています。

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idoraさんの「Spare time」で書評いただきました

idoraさんの「Spare time」というブログで、3日間4回にわたり、拙著のかなりの部分を引用しながら、詳細に分け入った書評をしていただいております。

こういう読者を持てるというのは、著者としてこの上ない幸せであろうと思っています。

http://d.hatena.ne.jp/idora/20090909/p2

>確か、ブログによると「序章は最後に書き加えた」と書いていたはず。が、日本の労働に関する問題を俯瞰しようと思ったら、序章は不可欠である。自分自身、日本の雇用システムの特殊性を少しは知っているつもりだったが、歴史的経緯やそれぞれのトピックの関連性について説明されると、新たな視点が見えてきた。

http://d.hatena.ne.jp/idora/20090910/p4

>日本は、かつて一億総中流と言われたし、自民党の人たちは福祉のあり方について、よく「中福祉中負担」と言ったりする。どうやら高すぎず低すぎず、バランスがとれている状態を好むようである。が、よく見てみるときわめてアンバランスなものがあることが多い*1。これもまさにそれで、そしてこうした問題を二元論で片づけようとするのがいかに滑稽かを物語っている。

http://d.hatena.ne.jp/idora/20090910/p5

>「なるほど、確かに」というのが最初に感じた感想である。とはいえ、専門家でない人がそもそも論にたどり着くのがどれだけ難しいか。経緯説明を読んでいるとそれも実感する。「官僚というのはわざとわかりにくくするんだ」という冗談とも皮肉ともとれる言葉があるけれど、無理に無理を重ねた結果、全体像が見えにくくなっている現状はかなり深刻だと言わざるを得ない。

http://d.hatena.ne.jp/idora/20090911/p1

>解決すべき問題がいかにねじれているかが分かる。それぞれの時代において、抜本的な解決を(意図的にもしくは結果として)せず、今に至っているということである。また、最近は悪者扱いしかされないが、(大)企業がどれだけ貢献してきたかも分かる。これだけ膨大な功績(解釈の仕方によっては荷物)を変えていこうと思ったときに、勧善懲悪的発想をしていてはどうにもならないのではないか、という気がする。これは今の政治に言いたいことだけれども*1

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きはむさんの拙著に対するコメント

きはむさんの「on the ground」で、拙著への「書評ということではないが」「備忘がてら思うところを書き留めておきたい」ということで、「ステークホルダー民主主義の射程」というエントリを書かれています。

http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20090905/p1

実は、わたくし自身、「ステークホルダー民主主義」という必ずしも世の中に普及しているとは言えない表現をあえて拙著で用いる際、きはむさんからなにがしかのコメントがあるだろう、と思っておりました。

日本でこの表現を用いた例はあまりなく、労働法学者の毛塚勝利先生が早稲田のCOE関係の本に書かれた(すみません、いま手元になくて、題名が思い出せないのですが)論文で使われたこの表現は、また少し違ったニュアンスで使われています。

政治思想研究者であるきはむさんからすると、拙著における「ステークホルダー民主主義」という言葉の持ち出され方が、

>いわば産業民主主義の現代版として扱われている印象を受ける。それは決して間違いではないのだが、果たしてそのような解釈だけで十分かと言われれば、気安く是とは答えにくい面がある

と感じられるのは無理からぬものがあると思いますし、

>産業民主主義的な解釈に引きずられると、どうしても労働の現場に議論の対象が限定されてしまい、包括的な社会構成原理たり得るはずのstakeholder democracyの可能性が縮減されてしまいかねない

と苦情を呈したくなるであろうということも、実は書きながら考えておりました。

もちろん、拙著はそもそも「新しい労働社会」の在り方を構想しようというものですから、その外側のステークホルダーまで勘定に入れていないよ、というのは一つの答え方ですが、それにしても(これは岩波書店がつけた腰巻の台詞だとはいえ)「問われているのは民主主義の本分だ」とまで啖呵を切っているのですから、産業民主主義に限られない総合的なステークホルダーの民主主義はどうしてくれるんだ、という問いは不可避とも言えます。

その辺は、正直言って、あまり明確にできていません。たぶん、勘のいい人は気がついていると思いますが、最後の経済財政諮問会議のところで、

>むしろこういったマクロな政策決定の場に利害関係者の代表を送り出すことによってステークホルダー民主主義を確立していく方向こそが目指されるべきではないでしょうか。

 たとえば、現在経済財政諮問会議には民間議員として経済界の代表二人と経済学者二人のみが参加していますが、これはステークホルダーの均衡という観点からは大変いびつです。これに加えて、労働者代表と消費者代表を一人づつ参加させ、その間の真剣な議論を通じて日本の社会経済政策を立案していくことが考えられます

と、労働者代表と並んで突然消費者代表が飛び出してくるところに、産業民主主義とそれより広いステークホルダー民主主義のずれが露呈しているわけです。この小さな裂け目を追求していくと、「民主主義の本分」をめぐる大きな議論にもつながっていくのでしょう。

きはむさんは、また、

>濱口さんがベーシック・インカムの考え方に否定的なことは、やはり産業民主主義的なstakeholder democracy解釈と無関係ではないのかな、という気はする。

と、鋭く指摘されています。これもまた、第4章の議論を超えて、第3章の議論の構造にも関わる重要なご指摘だと思います。

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スウェーデンは「ナチ」か?

Alter_new_2009_0708 雑誌『オルタ』の7-8月号が「北欧神話?―グローバリゼーションと福祉国家」という特集を組んでいます。

http://www.parc-jp.org/alter/2009/alter_2009_07-08.html

この最初の市野川容孝さんと小川有美さんの対談がなかなか面白い。

>小川 ところで市野川さんは『社会』という本をお書きになられていますが、北欧にとって「社会」はもっともベーシックなキーワードで、社会(ソーシャル)を抜きにして国家(ステート)は語れません。ただ北欧の場合、国家に対して社会があるとの考えが希薄で、スウェーデン語の「社会」という言葉の中には「国家」の概念が入っているといわれています。社会が解決しなくてはいけないというときは、市民社会だけでなく国家も含め解決しなくてはいけない。この社会と国家の近い関係は、ラディカルな市民社会論の立場からは、「北欧の社会運動や環境運動は飼いならされたものだ」といった批判が向けられます。逆に北欧の組合や運動の側は、自分たちが組織率が高く、国家の意思決定にも参画できている、高度で活発な市民社会だと自負していたりする。こうした「社会に近い国家」を私たちがどう見ていくのかは、「モデル」ということ以上に、討議する価値があると思います。

もちろん、問題は、「ソーシャル」のかけらもないくせに、スウェーデンは解雇自由だという間違った思いこみだけでスウェーデンモデルを振り回す無知蒙昧さんなどではなく、国家はキライだけど「社会」はスキという「ラディカルな市民社会論」な方々にあります。北欧のことをよく知らないまま、そういう「左バージョンの反近代主義」(@高原基彰)でなんとなく憧れている人にとっては、次の会話は大変ためになるでしょう。

>市野川 ・・・それで、少し乱暴に言ってしまうと、今までソーシャルなものはナショナルなものと不可分で、ナショナル・ソーシャリズム、極論すれば「ナチ」しかなかった。つまり、ソーシャルなものがナショナルな境界、ナショナルな規制の中でしか担保されないというところがあったと思うんです。・・・・・・そこで、小川さんにお聞きしたいのは、北欧についてもソーシャルは結局「ナチ」でしかなかったのかどうかなんですが、その辺りいかがでしょうか。

小川 ナチス・ドイツのような自国民中心主義は、北欧のような小国ではそもそも成立しようがない。ただ、北欧福祉国家がナショナルなソーシャリズムから発展したかといえば、確かにそういう面があります。様々な歴史的背景がありますが、まず大きな転機として両大戦間の危機があった。世界大恐慌など戦間期に経済危機が深刻化する中で、共同体的な結合を志向するコミュニタリアン的な渇望が生まれていく。この時、議会制民主主義、社会民主主義が多くの国で挫折してしまいました。スウェーデンでは、社会民主党のハンソンがマルクス主義にはない「国民の家」というスローガンを唱えました。ソーシャルな救済とある種のコミュニタリアン的な価値が統合された形で、北欧の社会民主主義は生き残ったわけです。

つまり、一言で言えば、スウェーデンの社会民主主義とは「ナチ」である、と。

それが今もっとも先鋭的に現れている分野が移民問題になるわけです。

>現代ヨーロッパは、移民をめぐる問題で大きく揺れています。北欧も例外ではなく、福祉国家の価値観を共有せず、負担を十分に行わない移民、また男女平等とイスラム的な文化の衝突などに直面して、福祉国家の権利を国民に閉じようとする福祉国粋主義(ショービニズム)が問題になっています。つまり、国民的(ナショナル)に平等を確保することが、他者の排除を意味するようになってきている。それはまさにナショナル・ソーシャルゆえの境界化だと思うんですが、ではそこから、現実にここまできたナショナルな平等を否定すべきなのか、それは「赤子を風呂の水とともに捨てる」ことにならないかと。

こういう問題を真剣に考えないで、ふわふわと北欧ステキとかいってるのが「北欧神話」なんじゃないかとも思いますが、それはともかく、

>市野川 ソーシャルなものと多文化主義って、本来そりが合わないんですよね。・・・ソーシャルなものって、平等の創出に向けて介入や支援を呼び込んでいく一方、平等を求めるがゆえに、どうしても画一性の方に傾いてしまうんですね。

このナショナルな画一性、平等性ががっちりとあるがゆえに、解雇法制自体の規制度とは別に、北欧社会が雇用の流動性と社会の安定性を両立させているという面もあるわけです。わたしがよく引用する、「デンマーク社会って、国全体が一つのグループ企業みたいなもの」という某労組関係者の話ともつながってきます。

逆に日本はそういう画一性、平等性が欠けているというところから話が出発するのです。

>小川 北欧を持ち上げる論調では、最近ではしきりに「フレクシキュリティ」という言葉が濫用されていますが、大きな政府という部分はあえてあまり言われないんですね。公共部門により地方で雇用を創出し、男女の公私の共同参画を促進し、職業教育を行う。そうした公的な基礎的インフラがあっての労働市場の柔軟化であることが忘れられている。日本には市民的な反公務員・反増税感情があり、アナキズムの伝統もあり、北欧とはまったく異なる国家観を形成していると思います。

こういうところに、「左バージョンの反近代主義」(@高原基彰)が効いているんでしょうね。

ま、与党も野党も、公務員叩けば人気が出ると思い、実際その方が人気が出るような国に「フレクシキュリティ」は無理というのが本日の「ナチ」ならぬ「オチ」ということで。

(追記)

なんだか、相当な数のはてぶがついたようです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-7380.html

多くの方はご理解いただいているようですが、念のため一言だけ。上で市野川さんやそれを受けてわたしが言ってる「ナチ」ってのは、もちろんドイツの国家社会主義労働者党とわざとイメージを重ねることをねらってそういう言い方をしているのですが、文脈から判るように、あくまでも「ナショナル」&「ソーシャル」な社会システムという普通名詞の意味で言ってるわけで、ここでホロコーストだの南京虐殺だのといった話とは(根っこにさかのぼればもちろんつながりがないとは言えませんが)とりあえずは別次元の話です。

むしろ、これは必ずしも市野川さんの意見とは同じではないかも知れませんが、わたしの歴史観からすれば、アメリカのニューディールも、フランスの人民戦線も、日本の国家総動員も、スウェーデンの社会民主主義も、「ナショナル」&「ソーシャル」な社会システムへ、という同時代的な大きな変革のそれぞれの諸国における現れなのであって、その共通性にこそ着目すべきではないか、という話につながりますし、日本の話で言えば、戦時下の国家総動員体制と終戦直後の戦後改革とが一連の「ナショナル」&「ソーシャル」なシステム形成の一環としてとらえられるという話にもつながるわけです。

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広田照幸『ヒューマニティーズ教育学』

4000283243 昨日、日本学術会議の大学と職業の接続検討分科会に出席し、親委員会から出席されていた広田照幸先生から近著『ヒューマニティーズ教育学』(岩波書店)を直接お手渡しでいただきました。ありがとうございます。

教育学にはほとんど無知蒙昧のわたくしですが、早速読ませていただきました。あまり本筋には関係のないつまらない感想になるかも知れませんが、労働業界という斜め横から覗き込んだ感想ということでご容赦をいただければと思います。

http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-028324-3

教育は社会のあり方やその変化と無縁ではありえない.その思想や制度は,近代の大きな変動のなかで変容を遂げ,経済のグローバル化や地球規模の課題が,現代の教育にさらなる変容を迫っている.未来の人間や社会のあり方を考え,そこに働きかけていく営みに向けた知として,いま教育学の何が組み換えられていくべきなのかを考える.

1 教育論から教育学へ―教育学はどのように生まれたのか?(誰でもしゃべれる/誰でもやれる教育?;教育とは何か;教育学の成立)

2 実践的教育学と教育科学―教育学を学ぶ意味は何か?(実践的教育学;教育科学;なぜ学ぶのか)

3 教育の成功と失敗―教育学は社会の役に立つのか?(教育の不確実性;教育可能性に向けたテクノロジー;教育学と社会)

4 この世界に対して教育がなしうること―教育学の未来はどうなるのか?(何のための教育か;ポストモダン論の衝撃;教育目的の迷走;教育目的再構築論の危うさと可能性)

5 教育学を考えるために―何を読むべきか(本を探す;好循環;教育学を学び始めるために;教育学を深めるために;最後に)

昨日の高原基彰さんの本への書評のテーマともややずれながらつながるのですが、もともとそれなりに(失敗もしながら)教師たちの役に立ってきた規範的理論としての実践的教育学が、ポストモダン論の衝撃で「教育の正当性や方向性を根拠づける最終的な足場はない」ということになり、あらゆる教育学的規範は恣意的な言明だということになってしまい、

>近代教育学の言明が持つ恣意性や権力性が暴かれる研究が、次々にされた。

>教育学者が確固とした足場に立って教育の目的について語り得なくなった近年の事態は、実践的教育学の規範創出力が著しく減殺された状態である。

その結果、教育学者がシニシズムに陥り、黙り込んでいる空隙に、財界人、エコノミスト、保守政治家や保守的評論家がやすやすと入り込んできて、教育システムのなかに市場原理や競争、評価を持ち込もうとしたり(新自由主義)、ナショナリズムや道徳的保守主義を浸透させようと(新保守主義)するようになった、というわけです。そして、「シロウト教育論が、十分な教育学的吟味を経ないまま、教育改革を強力に推し進めてきた」という事態が今日まで政府の中枢部で展開してきたわけですね。

この歴史的見取り図はほぼ正しいように思います。ただ、斜め横からの感想ついでにいえば、ふわふわしたポストモダンの攻撃を受ける前のモダンな教育学自体に、その規範を支える現実感覚がどの程度あったのだろうか、という思いもしないではありません。

それは、この分科会で田中萬年さんが述べたように、「教育における職業的イレリバンス」の問題とどこかで深くつながっているように思われます。

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『DIO』で麻生裕子さんが拙著を書評

本日、連合総研の『DIO』241号がアップされました。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio241.pdf

特集は「セーフティネット論再考」で、3編とも大変興味深い論点を示しており、このあとすぐに取り上げますが、本日はまずなにより、同号に掲載されている拙著の書評を紹介させていただきます。26ページです。

書評していただいているのは、連合総研主任研究員の麻生裕子さんです。

>いま労働問題への国民の関心は確実に高まっている。さらには民主党への政権交代によって、本書のタイトルどおり「新しい労働社会」をどう築くかが問われている時期でもある。その意味でも、本書から得られる示唆は実にタイミングがよいといえる。

タイミングがいいというのは、いろんな方から言われました。

まあ、こっちが別に総選挙に合わせたわけではなくて、解散の方が勝手に拙著の発行日にぶつけられてきたわけですが(笑)。

以下、

>第一は、すべての労働者に仕事と生活の両立を保障するために、労働時間規制や解雇規制をどのように改革するか

>第二の論点としては、三者間労務供給システムを実態に即してどのように再編成するか

>第三の論点は、均等待遇を実現するための社会的条件をどのように整備するか

>第四の論点として、労働組合は職場におけるルール形成にどのようにかかわるか

について拙著の内容を要領よくおまとめいただいた上で、

>いずれの論点も、正社員のみならず非正規労働者をも包摂したルールの形成と深くかかわっており、全体をつうじて示唆に富む内容である。

と評価いただき、さらに

>とりわけ第四の論点は、産業民主主義という社会の根幹にかかわる提起であり、きわめて重要である。

とひとまずは褒めておいた上で、

>ただ、企業内の課題の解決に限定される労働者代表組織の役割を重視しすぎると、労働組合が果たす社会的機能の側面が小さくなるのではないかという疑念も残る。社会的組織としての労働組合の役割を重視するならば、また、社会のあり方として「新しい労働社会」を論ずるのであれば、従業員代表制度の構成員としてのみではなく、非正規労働者を含む労働組合としての組織化の意義についても重視したほうがよいと考える

と、言葉柔らかにかなり鋭い批判を投げかけられています。

これをもうすこしはっきり言い換えると、ミクロの労働者代表としての労働組合像と、マクロな産業民主主義の担い手としての労働組合像とをリンクさせるロジックが拙著には明確に示されていないのではないか、というのは、わたし自身認識しているところです。ここは突っ込むといろいろと論点が湧いてくるところでもあります。

麻生さんからは最後にも、

>著者らしい広い見識に裏づけられた、そして、いま日本の労働組合に問われているテーマが盛りだくさんの必読書である。

とご推薦いただきました。ありがとうございます。

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高原基彰『現代日本の転機』

32298824 現代史の解釈として、わたしが労働政策の視点から考えた歴史認識と大変共通するものがあり、興味深いところです。

>今日、すべての人が被害者意識を抱え、打ちひしがれている。現代日本を覆うこの無力感・閉塞感はどこから来たのか。石油危機に端を発する「七三年の転機」を越えて「超安定社会」というイメージが完成した七〇年代から、バブル景気を謳歌した八〇年代を経て、日本型新自由主義が本格化する九〇年代、二〇〇〇年代まで。政治・経済システムの世界的変動を踏まえながら、ねじれつつ進む日本社会の自画像と理想像の転変に迫る。社会学の若き俊英が描き出す渾身の現代史、登場。

内容は、

>序章 左右の反近代主義のねじれ
第1章 「七三年の転機」とは何か—官僚制からグローバリゼーションへ
第2章 「超安定社会」の起源—高度成長・日本的経営・日本型福祉社会
第3章 多幸感の背後で進んだ変化—外圧・バブル・迷走
第4章 日本型新自由主義の展開—バブル崩壊後の日本社会
終章 閉塞感の先へ

ですが、序章で要約されているように、日本では「1973年の転機」を境に、それまでの近代主義から左右の反近代主義が主流になり、そのすきまに1990年代になって新自由主義が出てくるというストーリーを、労働、地方経済、消費などさまざまな領域に目をやりながら語っています。

私にとっての最大の違和感は、70年代半ば以降政労使その他社会の主流派をすべて巻き込み、90年代半ばまで日本社会の公定イデオロギーであった「右バージョンの反近代主義」と、たかだか反体制的ディアスポラが人文系出版物に立てこもって散発的に打ち上げていたに過ぎない「左バージョンの反近代主義」とが、まるでこの20年間対等の立場で争っていたかのように聞こえるこの表現自体です。「右」「左」という言い方自体、その内容とは必ずしも即応していないようにも思われます。そこでいう「左」とは、本ブログで何回もペジョラティブな文脈で使ってきた「リベサヨ」であって、高原氏自身

>それは、右バージョンの圧倒的な影響力のもとで、あくまで非主流の対抗運動や思想として現れた。この思考は、1950~60年代から存在する「自国のファシズム化、軍国主義化への反省」という問題関心が、国家や賃労働そのものを否定するまでに前衛化したものであり、政治・法・経済といった「近代的」な「大きな物語」に依拠することをやめ、少数者(マイノリティ)や女性(フェミニズム)など、多様な利害を個別的に追求することを是とするアイデンティティ論などへとつながってゆく。特に、当時既に年長だった論者からは、政治への関心の退潮と見なされた「消費主義」の進展を、こうしたラディカルな関心の実現に資するものとして評価し始めたことが重要である。こうした左バージョンのラディカルな反近代主義は、現在まで存続しているが、ほぼ信頼を失墜している「自由」のイメージの原型なのではないだろうか。

と述べているように、社会を現実に動かすようなものではなかったように思います。あえていえば、「サヨク」な人々がこういう白昼夢に没頭していたために、この企業主義の時代の次の時代の社会のあり方をマクロに構想するようなイメージが、遅れてやってきた新自由主義以外には90年代には(とりわけ西欧の社会民主主義勢力に対応すべき人々の間においては)完全に払底してしまっていたという消極的な意味合いでしか、その存在意義は語れないのではないでしょうか(まあ、未だにその白昼夢の中に生きてる人々もいるようですが)。

逆に、高原氏が「右バージョン」という企業主義とは、ある意味で労働者の包摂という先進社会共通の社会的課題をいささか特殊な形で遂行しようとしたという面で、当時の「ソーシャル」な関心に対応していたとも言えるのです。その歪みが拙著の一つのテーマでもあるわけですが、それはともかく。

私の『労働法政策』では、70年代初頭までの「近代主義の時代」が終わった後の20年間は端的に「企業主義の時代」であり、90年代半ば以後は「市場主義の時代」であって、問題はその次の時代をどう構想するかではないか、と思うわけですが、これはマクロ社会学者でないわたしの性急さかも知れません。

わたしの歴史観について、最近書いた簡単なものを引用しておきます。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hitotokokudo.html

>2 近代主義の時代
 
 1950年代半ばから1970年代半ばまでの20年間は、日本も先進欧米諸国と同様に、マクロレベルではケインジアン福祉国家をめざし、ミクロレベルでは生産性向上と賃上げの交換によるフォーディズム的労使妥協が確立した時代である。雇用政策においてこの時代を特徴付けるのは、終身雇用慣行や年功賃金制度、企業別組合に特徴付けられる日本的システムの閉鎖性を打破し、職種別に賃金が決定される欧米型の外部労働市場中心のシステムの確立が目指されていたことである。当時、そうした「職業能力、職種を中心とした労働市場」は「近代的労働市場」と呼ばれていた。日本社会の「近代化」が時代の課題であったわけである。
 奇妙に思えるかも知れないが、当時「同一労働同一賃金」を掲げていたのは経営側であり、労働側は中高年の賃金引き下げにつながる職務給導入には否定的であった。政府は企業横断的労働市場の確立を目指して、公的職業訓練や技能検定制度、職種別中高年雇用率制度、広域的労働移動の促進とそのための住宅整備などに取り組んだ。また、臨時工や社外工といった不安定雇用問題が大きな関心の対象となっていた。
 
3 企業主義の時代
 
 1970年代半ばから1990年代半ばまでの20年間は、それまで前近代的と批判されてきた日本的雇用慣行が「近代的」な雇用システムよりも効率的と評価されるようになった時代であり、企業レベルの共同性が雇用政策の中心となった時代であった。使用者は職務給への移行をもはや語らなくなり、労働側も産別中心化をもはや語らなくなった。そして、雇用政策もそれまでの外部労働市場中心から内部労働市場中心に180度の転換を遂げた。企業内部における雇用維持を目的とする雇用調整給付金がその典型である。アカデミズムにおいても終身雇用や年功制を評価する内部労働市場論が一世を風靡し、日本社会全体で肯定的な「日本人論」が流行した。
 公的職業訓練の政策的位置づけは著しく下げられ、企業内の教育訓練なかんずくOJTによる企業特殊的技能の修得が政策目標とされた。中高年問題は雇入れに着目する雇用率制度から継続雇用を求める定年延長政策に転換した。ちょうどこの時期に国連の影響で男女平等政策が進められたが、諸外国のように同一労働同一賃金から出発するのではなく、あえてそれを回避する形で、男女正社員の雇用管理におけるコースの平等が追求された。その裏側で、パートタイマーなど非正規労働者に対する政策的関心は顕著に失われた。
 
4 市場主義の時代
 
 1990年代半ばから今なお継続中の20年間(あるいはもっと短いか?)は、英米で猛威を振るっていたネオリベラリズムが日本にも輸入され、構造改革というスローガンの下、余計な規制は撤廃して市場に委ねるべきというイデオロギーが展開している時代である。
 日本で内部労働市場志向の政策がとられていた時期は、世界的には新自由主義政策をとるアングロサクソン諸国と従来の福祉国家路線を維持するヨーロッパ諸国が対立していた時代であるが、日本はいずれよりもパフォーマンスの優れたシステムとして自らを誇っていた。ところが1990年代にバブルが崩壊すると、日本型システムを全否定し、アングロサクソンが他市場経済を唯一のモデルとする論調が一世を風靡するようになった。
 そういう政策が進歩的なものとしてプラスに受け止められた一つの理由として、労働者の利害の個別化が進んでいたにもかかわらず、それへの対応が遅れ、とりわけ性別や年齢による差別といった人権課題への労働関係者の対応が鈍かったことが指摘できる。そのため、主観的には市場主義ではないつもりの進歩的知識人たちが、企業中心社会や会社人間を批判することによって、結果的に職場に根ざした連帯を突き崩すことに貢献した。この時期、自己決定という言葉が美しい言葉としてもてはやされたが、それが組織の中で守られることによって生きてこられた弱い立場の人々にどのような事態を帰結するかには、必ずしも敏感ではなかったようである。
 雇用政策の基調は規制緩和と労働市場の流動化におかれた。派遣労働は累次の改正で規制緩和され、労働時間の弾力化も進んだ。助成金の主力は労働移動の支援に移行し、雇用調整助成金のウェイトは顕著に低下した。「自己啓発」の美名の下、職業能力開発政策の中心は企業内教育訓練から企業外に移行した。とはいえ、公的職業訓練施設のウェイトが高まったわけではなく、労働者個人が自分で専門学校を選び、その費用を教育訓練給付で負担するという仕組みが設けられた。その帰結がNOVAのような英会話学校やパソコン教室の公費による隆盛であったことは皮肉である。
 
5 市場主義の時代の終焉
 
 こういった個人志向・市場志向の時代は、2005年のいわゆる小泉郵政選挙で頂点に達した後、社会の雰囲気は構造改革や規制緩和への熱狂から、格差社会への恐れによる規制強化に逆転した。例えば、一定の労働者を労働時間規制から除外しようとする「ホワイトカラー・エグゼンプション」は2007年に激しい批判のために失敗した。地域最低賃金は2007年、2008年と、内閣の介入により大幅に引き上げられた。さらに、三者構成審議会における派遣労働の審議は更なる規制緩和から制限と規制の方向に転換し、2008年には短期派遣の原則禁止、常用派遣労働の促進、派遣労働者の適正処遇などと規定する派遣労働法の改正案が国会に提出され、さらに規制を強化する方向の修正が議論されている。
 また、2008年秋以来の金融危機による雇用不安の拡大の中で、これまで収縮の一途をたどっていた雇用調整助成金の適用が緩和され、その利用が急激に拡大している。公的職業訓練への無理解から「ムダ」の代表とフレームアップされ、廃止が決定された雇用・能力開発機構が、廃止が決定されたとたんにその重要性がクローズアップされ、全面廃止されるはずであった雇用促進住宅が派遣切りされた労働者たちの住居として活用されだしたのは象徴的といえよう。
 この突然の「逆流」に直面して、規制改革会議の労働タスクフォース(座長:福井秀夫)は2007年5月、「脱格差と活力ある労働市場へ」と題する喧嘩腰の文書を発表し、「一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っている」と、労働市場におけるほとんどすべての規制を激しく非難した。しかしながらこのような市場原理主義はほとんど支持を得られず、政府部内で孤立化するに至った。一方、「労働ビッグバン」を掲げて経済財政諮問会議に設置された労働市場改革専門調査会は、ワーク・ライフ・バランスや非正規労働問題を取り上げるなど、時流に棹さす政策を提言しつつ、職務給や職種別労働市場の形成という近代主義の時代に掲げられた目標を提示している。
 
6 市場主義の時代の次に来るのは何か?
 
 今日の雇用問題の中心に位置するのが、雇用を保障された正規労働者は拘束が多く、過重労働に悩む一方で、非正規労働者は雇用が不安定で賃金が極めて低いという点、いわゆる労働力の二極化である。これに対して、労働ビッグバンを掲げる労働経済学者と反主流的立場にある労働運動家が揃って同一労働同一賃金原則に基づく職務給への移行を処方箋として提示していることは興味深い。内部労働市場志向の制度を解体し、もっぱら外部労働市場志向の仕組みに作り替えることが、正規労働者と非正規労働者の格差を究極的になくすことになるという議論である。
 ここには、市場主義からの転換の先にいかなるシステムを構想するかという、哲学的な問題が顔を覗かせている。時代区分で言えば、70年代半ばから90年代半ばまでの企業主義の時代に回帰すべきと考えるのか、その前の50年代半ばから70年代半ばまでの近代主義の時代の理想を追求すべきと考えるのか、という問題である。
 これは雇用政策だけでなく、社会保障政策や教育政策、住宅政策など国民生活に関わる広範な政策領域に影響を与える大きな社会的意思決定である。企業主義に立脚するのであれば、労働者の生活保障の相当部分は企業に依存することになり、国の社会保障制度は相対的に手薄になるが、近代主義を再建するのであれば、企業の責任は相対的に薄くなり、その分国の責任が重要になる。住宅政策でいえば、企業の社宅や持ち家援助制度に重きを置くのか、公的住宅の供給や公的な住宅手当の創設という方向に進むのかという問題である。
 企業中心社会への反発が過度な市場志向をもたらす原因でもあったことを考えれば、また労働者の利害の個別化や、差別問題への感覚の鋭敏化といった社会の流れは逆転するどころかますます進行するであろうと考えられることからすれば、単純な内部労働市場志向政策が適切であるとは思われない。一方、職務給や職種別労働市場の形成といった半世紀前の理想がなぜ現実化しなかったのかという問題に正面から取り組むことなく、漫然と外部労働市場中心の社会を掲げてみても、実現への道筋が見えてくるわけではない。
 この問題と密接に関わるのが、集団的労使関係システムの在り方をどのような方向に展望するのか、という問題である。単なる組織率の低下にとどまらず、非正規労働者や管理職といったある意味で集団的利益代表システムをもっとも切実に必要としている労働者層が労働組合から事実上排除されている現状に対して、企業内における包括的な利益代表システムと企業を超えた利益代表システムの両面から真剣に検討していくことが求められよう。

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信濃毎日新聞に宇野重規さんの書評が載りました

信濃毎日新聞の8月30日の読書欄に、拙著『新しい労働社会』の書評が載りました。一般紙でははじめてになります。

書評をされているのは東大社会科学研究所の宇野重規さんで、「複雑な労働問題への総合的な視座」と題されています。

>・・・・・・・本書は労働法の専門家であり、ブログなどでも積極的に発信していることで知られる著者による一般向けの解説書であるが、歴史と比較の視座を取り入れ、「問題は単純でない」ことが繰り返し説かれている。特にいわゆる日本型雇用システムの特質から、現在の問題を総合的にとらえようとしている点は、示唆的である。

>・・・・・・・しかしながら、このシステムは非正規の中心が主婦や学生であった時代はともかく、現在の若年大量失業の時代にあっては維持しがたい。とはいえ、歴史的に形成されてきた制度を、新たな働き方の方針や社会保障の仕組みを含めて論じることなしに、かんたんに再構築することもできない。正規と非正規の壁をいかに崩すか、際限なく増大する労働時間にいかに歯止めをかけるかを軸に、最終的には民主主義の問い直しを含め、議論の整理と見通しをつけてくれる貴重な一冊である。

宇野さんは、政治思想史、政治哲学が専門で、こういった諸論文を書かれています。

http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/mystaff/uno.html

JILPTが2006年にまとめた「労働関係の変化と法システムのあり方」という報告書の中で、第1章第2節「政治哲学からの考察−中間集団と社会的なものの再編」を書かれています。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2006/055.htm

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2006/documents/055_1.pdf

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Gelsyさんの書評

Gelsyさんの「concretism」ブログで、拙著を書評いただきました。左下にトラバを送っていただいています。

http://d.hatena.ne.jp/Gelsy/20090909/1252509309

わたしが池田信夫氏の無内容ないちゃもんに対して

>拙著の序章で示している認識枠組みは、労働研究者の中ではごく普通に共有されているものの一種であって、たかが10年前に池田氏が博士論文を書いて始めて提示したようなものではありません。

と本ブログで述べたことに対して、

>私のように、現状を的確に示した「序章」により大きな価値を見いだす人は多いのではないでしょうか。少なくとも、労働問題の門外漢から見れば、これだけの内容が700円で手に入る新書に詰め込まれていることは非常に喜ばしいことです。

と述べていただいています。ありがとうございます。いままでの多くの書評を読ませていただいても、そういうご意見の方々が多いようです。

さて、この書評の眼目は、

>興味深いのは、「日本型雇用システム」を欧米、特にEUのそれと対比させていきながらも、どちらが優れているのかについて本書は断言を避けている点であり、これは、かなり意識的になされていることだと思われます。当然、我々読者はどちらが優れているのかを考えながら読むわけですが、メンバーシップに基づく雇用システム自体は、職務に基づく欧米のそれと比べてそう劣るものではない、という私の所感は、おそらく著者の考えとは逆なのでしょう。

という観点から、

>根本的な解決にはならないのかもしれないけれど、より多くの人がより厚い恩恵を受けられるようなメンバーシップを作り上げ、メンバーシップから外れてしまった人には国が手を差し伸べるという従来のシステムを、より「漏れ」のないように維持していくことが最も現実的だと思います。

という見解を示されているところでしょう。

実のところ、わたしはジョブ型とメンバーシップ型の優劣は、雇用システムそれ自体としてはつけようがないと考えています。むしろ、戦後半世紀の経験は、メンバーシップ型のシステムがどこまで成果を収めることができるかを示しているとも言えます。

メンバーシップ型システムの問題は、それと整合的に作られた隣接する社会システムにおいて矛盾が生ずるという形で発生してきているのでしょう。ですから、拙著の提示する対策もより補修的な性格になっています。

いずれにしても、拙著をきっかけにさまざまな議論を始めていただけるのは、著者として大変うれしいことです。

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ハローワークでフランチャイジーの求人を受け付けるべきか?

民主党政権で廃止されるんじゃないかといわれている規制改革会議ですが、最後まで熱心に仕事をしています。

9月4日には「全国規模の規制改革要望に対する各省庁からの再回答について」を公表し、さらなる規制緩和に向けて努力の手を緩めません。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/accept/200906/0904/index.html

そのうちの、厚生労働省関係の要望の中に、大変興味深いものを見つけました。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/accept/200906/0904/0904_1_10.xls

左端の番号で74番、提案事項管理番号で5047016、

(社)日本フランチャイズチェーン協会による「ハローワークにおける求人用件(ママ)の緩和」です。

>ハローワークにおいて、現状フランチャイズオーナーの募集を行うことができないため、ハローワークにおけるフランチャイズオーナーの募集を許可していただきたい。

その理由は、

>現在、失業者が増加し、ハローワークが人であふれている状況にありながら、フランチャイズオーナーの募集を出すことができない。ハローワークによっては、パンフレットを設置することさえ許可されない場合がある。また、店舗における契約社員を募集する際にも「将来オーナーを目指す方、歓迎」等の付帯条件、案内を掲載することができず、結果として、契約社員の募集を出すことができない。フランチャイズオーナーの募集を認める等ハローワークにおける規制を緩和することで、失業者の減少につなげられるのではないかと考える。

なるほどなるほど。

職業安定法は

第四条  この法律において「職業紹介」とは、求人及び求職の申込みを受け、求人者と求職者との間における雇用関係の成立をあつせんすることをいう。

第五条  政府は、第一条の目的を達成するために、次に掲げる業務を行う。
三  求職者に対し、迅速に、その能力に適合する職業に就くことをあつせんするため、及び求人者に対し、その必要とする労働力を充足するために、無料の職業紹介事業を行うこと。

と規定しておりますので、(社)日本フランチャイズチェーン協会のお考えでは、フランチャイザーとフランチャイジーの関係は雇用関係ということになるのでしょうね。

それはそれで一つの考え方でもありますし、セブンイレブンユニオンの方々はよろこぶと思われますので、ハローワークでフランチャイジーの「求人」を受け付けてもいいのではないでしょうか。ハローワークの「職業紹介」によって「就職」したフランチャイジーは、多分「労働者」ということになると思いますけど。

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お待ちかね、労務屋さんの書評

「まあ、しゃあないわな」などといいつつ、労務屋さんが「キャリアデザインマガジン」に書かれた拙著の書評をアップされています。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090909

「辛口に心がけたつもりです」とのことですが、もう少し辛めの批評が来るかと思っておりました。「hamachanはいつの間にか八代尚宏さんの陣営に行っておられたようですね」とか。

実は、まさにそういう批評をもらいたかったので、あえて労務屋さんには「辛口の批評を」リクエストしたという面があります。

ここで労務屋さんが語られているように、拙著各章で私が提示している具体的な政策論については、私たちの考え方は非常に近いのです。ではどこに「違和感」を感じられるのかというと、

>メンバーシップ型を基軸とした雇用システムには、たしかに功罪があろう。著者はその「罪」を強調するいっぽうで、「功」にはいささか冷淡な感がある。たとえば長期雇用・内部昇進制について「労働者は仕事に全力投球することを求められ、これが長時間労働のような弊害を伴いながらも、企業の発展に貢献したことは間違いありません」という記述が第3章にあるが、著者は企業の発展が労働条件の向上につながり、雇用の増加をももたらしたことには口を閉ざす。その雇用システムゆえにありふれた労働者が郊外のマイホームと一家に一台のマイカー、月に一度の外食や年に2回の宿泊旅行を手に入れることができたという「功」の部分は語られない。「部分部分の改善は全体像を常に意識して行わなければならない」「全体としての現実適合性を担保する」という理念との整合性にかすかな疑念を感じざるを得ない。

労務屋さんは「かすかな疑念」と言われていますが、実はかすかどころか、これがわたくしに対する大きな疑念であることは、

>しかしながら、日本の過小評価、EUの過大評価によるものか、違和感を禁じえない提言もある。たとえば、第1章の「普通の労働者に適用されるデフォルトルールは」「男女労働者とも家庭生活とのバランスが取れる程度の時間外労働を上限と」「明確に変更すべき」との提言である。そもそも特定のワークライフバランスを行政がデフォルトとしてセットするというのが余計なお世話なわけだが、それは別としても、なお「それで本当に日本は国際競争に勝てるのか?」という懸念はぬぐいがたい。もちろん健康を害するような働き方はよくないにしても、故飯田経夫先生は「日本という国の特色は(「人の上に立つ人」だけではなく)「ヒラの人たち」もまた非常に真面目に働くということにある」と言っておられたではないか?橋本久義先生は、「日本には報われることの少ない分野で、おそらく、一生報われることのない汗を流しつづけている従業員がたくさんいる。そういう「普通」の従業員が、素晴らしい力を発揮して、素晴らしい製品を生み出してきた」と述べているではないか?私が著者のこの提案に強く抵抗を感じるのは、これは結局「国の発展のためになる高度な仕事に没頭するのはエリートに任せて、『普通の労働者』はほどほどに働いて帰宅して家事・育児をやっていなさい」と言わんがばかりの印象を持つからだ(もちろん、著者はそんなことは一切考えていないと思うので、言いがかりに過ぎないのだが)。一定の要件を課され、審査をパスした人でなければ仕事に没頭することが許されないということになると、それは新たな社会階層の形成につながるのではないか、とまで考えるのは大げさかも知れないが…。

まさに予期したとおりの的確な批評です。そう、私の議論は、そういうインプリケーションをまさに持っています。「言いがかり」ではありません。

細かいことを言えば、「普通の労働者」でないのは一部の評論家や政治家が好みそうな「国家戦略エリート」とかいう極端な議論ではなく、むしろアメリカ式に言えばエグゼンプトとノンエグゼンプト、フランス式にいえばカードルとノンカードルといった感覚をある程度(二極分化型ではなく)取り入れた方がいいのではないか、男性正社員はみんな総合職でバリバリ24時間働けますかがデフォルトルールというのは、考え直した方がいいのではないでしょうか、くらいの穏健な議論のつもりですが、それにしても、「ほどほどに働いて帰宅して家事・育児をやっていなさい」をデフォルトにして、「私はもっと頑張る!」という人がオプトアウトするという提案は、まさに労務屋さんが懸念するような「新たな社会階層の形成」とまったく無関係ではないと、私も思っています。

日本型雇用システムを作り上げたのが、戦時中の皇国勤労観と終戦直後の急進的な労働運動による工職身分差別撤廃であり、それが「ヒラの人たち」が「上の人」以上に一生懸命働く社会を作り上げた、という歴史認識を、まさに私も持っています。

それがかつては日本の経済社会の発展に大きく貢献したけれども、そこには無視し得ないマイナス面もあり、それがもはやそのままの形では維持しがたくなってきている、というのが拙著の基本認識であり、こういう風にまとめてみると、これはまさしく八代尚宏さんの議論とまったく同型であることが分かります(細部はもちろん異なりますが)。

まあ、だから「hamachanはいつの間にか八代尚宏さんの陣営に行っておられたようですね」というのが来るか、と思っていたのですが、もちろん労務屋さんはそう思いながらあえてそこまで書かれなかったのでしょう。その代わり、

>このように、本書は現実的な政策を標榜しつつ、その目指すところはかなり大胆であるといえそうだ。案外「現実的を装った抜本改革の書」なのかもしれない。

と、なかなか渋い「評価」をされています。同じことを裏から言えば、抜本改革というあんこを何重もの現実的施策の皮でくるんだ書物ということになるのかも知れません。

実は、そこのところが、抜本改革を市場主導で進めようとされる八代尚宏さんや、同じような理想の実現をユニオン運動に託そうとする木下武男さんたちと、一番異なるところだと思っているのです。

(念のため)

上でカードルとかエグゼンプトとかいったので、あたかも欧米のようにジョブで階層を分ける発想かと誤解されるかも知れないので一言。もちろん、日本のようなジョブのない社会ではジョブでは分けられません。だから、本人がオプトアウトするかどうかでしか決められないと思います。ブルーカラーでもオプトアウトする人はあり得るし、逆もあり得る。ただ、どんな仕事であれ、「ほどほどに働いて帰宅して家事・育児をやる」正社員をデフォルトにして、バリバリしたい人はオプトアウトということです。拙著でも述べたように、多分、大部分の男性正社員はオプトアウトするでしょうが。

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駐日デンマーク大使館員が語るデンマーク雇用法制

前に資料がアップされたときに紹介した厚労省の有期労働契約研究会第5回の議事録がアップされています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/07/txt/s0731-1.txt

ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、韓国についても詳しく語られていますが、いままでセコハン情報の形でしか語られてこなかったデンマークの雇用法制について、労働行政の人ではないとはいえ、一応デンマーク政府(外務省)の人による紹介が初めてされていますので、その語るところを紹介しておきます。語るのは、デンマーク大使館参事官領事 ベンツ・リンドブラッド氏です。

>○リンドブラッド氏 資料があまりないのです。申し訳ありません。ここにある資料は大体デンマークの2003年の法律の訳なのですが、実際にデンマークの労働市場は、その法律が出来てから、あまり変わっていないと思うのです。先ほどのイギリスの例と同じように、デンマークではworkerとemployeeというような区別もありまして、結局、有期契約に関する労働者はemployeeのほうが多いと思います。工場とか建設場、造船工場で働いている方々は、やはり自分の組合の契約によって仕事をしているのです。フランスとイギリスと同じように、どのような人が含まれているか、どのような人が含まれていないのかは、大体同じです。どれぐらいこの法律が使われているかは、例えば裁判になったかどうか、ホームページで調べたのですが、1つの例しか出てこなかったのです。どこかの音楽大学の先生が2年間仕事をして、それから、その契約が終わったあとに仕事を失ったわけですが、その裁判によって彼は負けたのです。結局、自分の同じ契約を2年間延ばして、彼が教えた分野はもう必要なくなってしまったのでと裁判は決めました。そのほかには例を聞いていないのです。ただ、私の働いているデンマークの外務省の中にはいくつかの例を覚えているのです。

 デンマークの外務省が短い間に職員を雇っていることがある。例えば、デンマークがEUの議長国になっているときには、外務省あるいは関係している官庁の仕事が非常に増えるのです。そういうときには、割合に若い大学を卒業したすぐあとの人たちを雇っているのが普通です。場合によっては、その外務省のスタッフの中でも2、3%ぐらいになるときもあります。その半年が終わったあとにはもうこれが終わりですが、場合によっては外務省は間違っているのです。デンマークの外務省が間違っている例を1つ覚えているのです。

 結局、デンマークが議長国だったときには、あるいは別のイベントをやったときは何人かを雇ったのです。その雇った人たちの中には、結局、普通の仕事に回した場合もあったのです。結局、いつもやっている仕事と同じような仕事に回した若い人もいたのです。それで結局、その議長国に関する契約、あるいはそのイベントに関する契約が終わったときには、その人たちの契約も終わったと思ったのですが、こう言ったのです。「自分たちは本当の契約どおりの仕事をしていないのです」。でも、外務省が言うには、「ただ、あなたたちが雇われているときには、大蔵省からこの予算しかもらっていないので」。でも、結局、その有期契約の期間はお金とは関係ないのです。大蔵省がいくらこの金額しか外務省に渡していなくても、結局、外務省の別のスタッフと同じような仕事、いつもと同じような仕事を続けるのであれば契約違反になったわけです。結局、外務省は決まった金額を払ったか、それとも、その人たちをそのまま外務省のスタッフにしたかどうかわからない。ただ、その問題があった覚えがあるのです。そのほかには、あまり覚えがないのです。

 デンマークは、先ほどヨーロッパの国々の労働者に対する法律は、かなり弾力性を持っている法律を持っているわけです。ですから、デンマークでは、労働者をクビにするのは簡単です。デンマーク人の労働者の3分の1が、1年間で仕事を替わるのです。ですから1年間でデンマークの労働人口の80万人が別の仕事に移るのです。これは、ヨーロッパでは非常に多いのです。例えば大体同じような人口を持っているベルギーに比べれば、大体倍ぐらいです。しかし、経済的に見ると、デンマークの労働者の給料、デンマークの経済などは、ほかのヨーロッパの国々に比べれば非常に高いのです。いま、デンマークの失業率はヨーロッパでいちばん低いのです。これは、たぶんこの弾力性によるのです。1つの言葉があります。これはいまの有期契約と直接関係ないのですが、1つのデンマークの単語、フレキシキュリティという言葉があります。たぶんご存じかどうかわからないのですが、フレキシキュリティは2つの単語を合わせて。フレキシは弾力性、キュリティはecurity、安全性を持っている制度。

これには、労働者側と経営者側のほかにもう1つ必要です。これは国です。結局、労働者が仕事を失った場合には誰が補償するか。それは国です。労働者に仕事がなくなってしまったときには必ず仕事を探す、必ず仕事を見つける、あるいは教育に入れる。それだけではなくて、必ずお金を渡す。だから、デンマーク人の労働者が仕事を失っても経済的に大きな問題がないのです。それによって弾力性が高いわけです。いいところがあれば悪いところもあるので、たくさんの人がずっと仕事を替わったりするときには、その仕事場の中の教育はどうなるかとか、いつでも新しい工場に、あるいは仕事場に入ったときには、労働者の質を失うかどうかわからないけど。でも、結局、仕事のないときは、いちばん大切なのは教育です。教育に入れるわけです。だから、たぶんデンマークの労働者の質は高いと思います。有期契約法が出来た大きな原因の1つはEUの指令があったので。でなければ、そのままデンマークの労働法が続いたと思います。でも、それがあったから、ほかのヨーロッパの国々と同じような法律を作りました。先ほど言ったように、例外はいくつかあって、教育のために仕事をする人たちの契約、法律とは関係ない。それから、軍隊の場合も、場合によっては関係ないときもあります。違反をした場合には、経営者側が、例えば同じ仕事場の中で同じ仕事をした有期契約の労働者と無期契約の労働者の給料は同じでなければ、経営者は、当然にその差額を払わなければならないと、まずないと思います。

 このような法律の中にはいくつかの穴があると思います。これは、例えば建設。建設あるいは造船は、もともと季節によって仕事をするときもあるのです。デンマークの冬は、結構寒い、暗い、長いのです。仕事ができる期間は、例えば日本に比べれば、かなり限られています。ですから、このように時間的に失業になっているのは、デンマーク人はもう慣れていますので、案外、組合と経営者との間の問題なのです。いまデンマークでかなり大きな問題になっているものの1つは、安い労働力がデンマークに入ってきているのです。特に建設です。そこにいままで、今はちょっと変わってきているのですが、90年代と今世紀に入ってから建設ブームがあったのです。結局、ヨーロッパ全体、特にデンマークには、失業問題とは逆に、労働者が非常に足りなかった時期がつい最近まであったのです。したがって、東ヨーロッパ、いちばん近い東ドイツとか、あるいはもっと有力なポーランドから、たくさんの建設関係の労働者がデンマークに入ってきているのです。これは、デンマークの労働市場の中ではかなり大きな問題になっているのです。このポーランドから来る労働者たちの給料は、デンマークで同じ建設の仕事をしている労働者に比べれば低い、割合に低い。これ、どうしてできるか。組合がずっと反対しているのです。組合は、ずっとその仕事場の前でデモ、プラカードを持って反対運動をしているのです。

 ただ、そのポーランドから来ている労働者は派遣労働者です。経営者はポーランドにいるのです。ポーランドにその派遣会社がありますので、結局、派遣労働者としてなっているわけです。この有期の法律には含まれていないので、大きな問題になっています。デンマークの組合にも入っていないので、ほかのデンマークの労働者は大変反対運動をしています。いまのところでは、結局、建設ブームはちょっとダウンになったところになりましたので、現在どのようになっているかわからないのですが。でも、これは、直接この有期契約とは関係ないのです。この法律が出来ても、穴がいっぱい出てくるだろうと思うのです。デンマークの資料があまりないのですが、あとでデンマークの労働市場についての何か質問があれば、できる範囲には返事をしたいと思います。

出てくる実話が外務省で臨時に雇った非常勤職員の話なんですね。

また、問題になっているのがポーランドから派遣されてくる建設労働者というのは、まさにスウェーデンのラヴァル事件と同じ構図で、しかもこれは「派遣」と言ってますが、法律上の「派遣」じゃないですから(デンマークの建設工事をポーランドの建設会社が請け負ってポーランドの労働者をポーランドの賃金で雇って工事しているのであって、デンマークの建設会社にポーランド人が派遣されているわけではない)、ここでの議論にはあんまり関係がないのですね。

○山川委員 デンマークはやや特殊で、リニューアルはしてはいけないという原則はあるけれども、別に締結事由とか期間の定めの制度もないという。

○リンドブラッド氏 ないと思います。いまこれを見ると、ずっと「契約」という言葉を使っていますが、ただデンマークの法律は契約という言葉は「契約しよう」と考える。法律の中で有期雇用条件。デンマークの労働者の中で、契約しようと思っているのは、たぶん有期契約で働いている人だけだと思います。例えば、12月にコペンハーゲンでは気候問題の会議があります、この3カ月の間には。こういうようなことが書いてあるけれども、ほかの人は書いていない。

それから、フランスとドイツに比べれば、デンマークの保険のシステムが随分違います。保険は会社ではないです。保険は国。第三者になっています。だから、1つの会社からクビになった場合には、健康保険とか労働保険に関する問題は起こらないです。雇用関係のない所からお金が出てきます。

 もう1つは公務員。デンマークの公務員の大部分は、ある意味では契約です。自分の組合の規制によって給料をもらっています。デンマークの外務省の中にも、4つぐらいの組合が入っています。本当の公務員、国の年金をもらう権利を持っているのは、課長より上だけです。少ないです。消防署、警察はまた別ですが、例えば官庁あるいは地方政府で働いている公務員のほとんどは、正社員ではないです。自分の組合が決めた金額をもらうわけです。例えばエンジニアであれば、コペンハーゲン市の水道局に働いている技術者の人たちの給料は、組合から決まった給料をもらう。そこから交渉ができますが、基本的にはそういうふうになっています。

これも、研究会の問題意識とはなかなかつながりませんが、それ自体としてとても興味深い話です。「本当の公務員は課長より上だけ」というのは、それ以下は民事上の雇用契約で、すべて労働組合との労働協約で決めているという話なのでしょう。

こういう労働者はみんな組合員で何でも協約で決めているというのがデンマークモデルであって、言葉のもっとも正確な意味における「ギルド」的な社会ということができるでしょう。

だからこそ、労働組合という「ギルド」に属さない外国人(ポーランドの建設労働者)がEU統合のおかげてどやどやとやってくると、大きな摩擦を生ずるわけです。

日本の企業別組合というのが、いかにこういう真の「ギルド」からかけ離れた存在であるかもよく分かります。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_a4ee.html(半分だけ正しい知識でものを言うと・・・)

池田信夫氏がわたくしに対する悪罵を連発するようになるきっかけを作った記念すべき(?)エントリです。

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「tu.mada? on Marketing」さんの書評

8月22日付で、「tu.mada? on Marketing」さんに書評をいただいておりました。

http://d.hatena.ne.jp/tumada/20090822/1250950087

>最も心に残ったのは「労働問題に限らず広く社会問題を論ずる際に、その全体としての現実適合性を担保してくれるものは、国際比較の観点と歴史的パースペクティブである」とする序文であり、その啖呵の通りに本文で論ずるところが素敵だった。

ありがとうございます。「啖呵」とまで言えるかどうかは別として、労働問題という本質的にインターディシプリナリーな学問分野において、どうも近年になればなるほど、法解釈学や理論経済学という「本籍」にのみ忠実で、肝心の「現住所」にはなんだか覚束ない「研究」が多くなっているように感じています。

>そういえば、いわゆる教養好きな私にとって、大学の職業訓練校化は反対だけれど、切羽詰った事態のことを考えると、賛成せざるをえないのかな。たとえば内田先生による純粋な教育を守るためのロジックはあるけど、若干アクロバットなので、対外的な説得力がなー(アカデミズムの人間には通じるんだろうけど)。

いやだから、わたしも哲学は大好きなんですって。ただ、それに哲学科教授以外の職業レリバンスがあるなんて言わないで欲しいだけなんです。

労働者にも教養は必要なんですよ。哲学科だけで哲学をやってるわけじゃない。このへんも、昔の方がセンスがあったような気がする。

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「順風ESSAYS」さんの書評

「順風ESSAYS」さんに書評をいただきました。

http://blog.goo.ne.jp/beforethewind/e/fb91d6fed35f0ac4c53c9732de8b4a95(新しい労働社会/ジョブ型雇用契約の並行導入)

>学生の分際で先生方の文献を分類するのは無礼なことであるが、資料集めのとき著者の文献は「信頼できる」カテゴリに入れる。著者はヨーロッパの政策に通暁し、ブログで一般向けにも積極的に情報発信しており、時に他のブログ(池田信夫氏)とケンカしている。

「知」の世界に「学生の分際」も「教授の分際」もありません。

「知的誠実さ」があるかどうか。それだけです。

まっとうに研究対象に取り組んでいるのか、自分のちっぽけな自尊心を満足させるために一知半解ででっちあげをしていないのか。

それに尽きます。

知的誠実さに欠ける者は、大学教授であろうが博士であろうが、ただのクズです。

一介の学生であろうが、役人であろうが、現場の労働者であろうが、知的誠実さをもって研究対象に取り組む者は信頼できます。

「分際」なんて言葉はやめましょう。

「無礼」ということばをそういうときに用いるべきではありません。

それは、中身については一切一言も反論できないくせに、もっぱら論敵の属性、身分、所属組織、さらには出版社のみを攻撃の対象とするような、低劣な人格の持ち主にのみふさわしい言葉ですから。

>これまで私は、解雇規制を出発点として挙げ、これと整合的にするために他の部分(配転や労働時間・労働条件変更)を犠牲にする仕組みで、戦時中から高度経済成長期にかけて歴史的に確立していった、という感じで説明することにしていた。これに対し本書では、欧米の「ジョブ型」と対比して日本の雇用は「メンバーシップ型」であると位置づけ、その帰結として各種の特徴を導き出す。「メンバーシップ型」というのは、具体的にどういう職務をするのか明らかでないまま労働者は使用者に言われたことを何でもやることを約束するというもので、「労働契約の白地性」として指摘されてきたものだ。

>解雇規制からスタートするとこれを緩和すれば他の部分も変わっていくという発想になりやすいが、メンバーシップの観点から説明するとそう容易い問題ではないと気付かされる。

そうですね。序章で言ってることはすべて既存の議論で指摘されていることですが、メンバーシップ型雇用契約をいわば公理の地位において、そこからもろもろの特性をコロラリーとして導き出すという説明の仕方をここまで明確にとった例はあまりないかも知れません。

>各種解決策の特徴としては、実現性を重視して、抜本的な変更というより現状の修正という性格が強いことが指摘できる。例えば、正規と非正規の格差是正について「同一労働同一賃金」を目指すといっても日本では「同一労働」の物差しが作りにくい、それでは勤続期間をひとつの指標にしてはどうか、という主張や、労働者代表組織について非自発的結社・使用者からの独立性等の性質をもつ組織が必要としながら、企業別組合の存在に照らすと非正規労働者を包括した企業別組合が唯一の可能性である、といった主張が挙げられる。そのために、進むべき方向性を明快な一言で表すことが難しく、各論ごとに丁寧にみていく必要がある。専門的議論としては実に適切なことだが、一般向けの訴求力という点においてはあまり強くないのでは、と感じた。

そうですね。ただ、その「一般向けの訴求力」の「一般」というのは、当事者じゃない野次馬的観客でしょう。彼らには地味な改革よりも抜本的な革命が「ウケ」る。しかし、現実にはそんなことはほとんど不可能なので、それは「革命を夢見て畳で寝そべる」だけになりがちです。

一方で、私も議論がいささか「玄人ウケ」に走りすぎていないか、反省すべき点もあるのでしょう。「リアルな改革」の世間へのウリ方が今後の検討課題かも知れません。

このあと、「順風ESSAYS」さんは、「ジョブ型雇用契約の並行導入」という処方箋を展開しておられます。これは是非リンク先をお読みください。

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黒田慶樹さんは自治労の組合員でありましたか

黒川滋さんのところを見ていて、なるほど、そうであったか、これは気がついていなかった・・・、と。

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2009/09/94-ea77.html(組合員でなくなっちゃう)

>清子さんの夫、黒田慶樹さんが東京都の管理職試験に合格した。そのため、2年後には課長になる。

そのため、我が労働組合の組合員であったが、2年後には卒業されることになる

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非正規労働と産業民主主義

機械金属関係の産別であるJAM(その歴史を語ると日本の労働運動史に重なりますが、それはまた別の機会に)の機関誌『月刊JAM』の9月号に、去る6月21日に開かれたJAMの政策・制度要求中央討論集会でわたくしがお話ししたことが載っています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jam0909.html

しゃべり言葉なので読みやすいと思います。拙著の第3章と第4章の要約ないしパラフレーズという面もありますので、ご参考までに。

拙著では、読めば分かるようには書きながらも、あまりはっきり書かなかったことを、こちらではかなり明確に喋っているところもあります。たとえば、

>格差とか貧困とかワーキングプアというのは、このところずっと流行りですが、そういう議論の中で労働組合がどのように扱われているかというと、だいたい二つあります。第1のタイプは、そういう格差が起きる原因は労働組合であると。正社員の労働組合が自分たちの既得権にしがみついているがゆえに、その一方でかわいそうな非正規の人たちが生まれているのだと。だから、この既得権にしがみつく正社員の組合を叩き潰して、そこからふんだくってきて、こっちにばら撒けみたいな議論が一つのタイプです。
 
 これはもちろん大変乱暴な議論なのですが、ここ数十年来、集団的労使関係とか産業民主主義という議論が、あまりまともな形では日本でされることがないままきたがゆえに、そういう無茶苦茶で乱暴な議論がすっと通ってくる傾向が、かなりここ数年来あるような気がします。
 もう一つのタイプは、「いやいや、何々労働組合というのはろくでもないが、何々ユニオンというのはいいのだ」と。何々ユニオンというところが、かわいそうな非正規の人たちを救う正義の味方として活躍し、あちこちで抗議デモなどをやっているのだと。やっているだけで、それがどういう影響を与えているのか、正直言って私は非常にネガティブに捉えているのですが、ただ少なくともマスコミ的には非常に絵になるので、そういう議論からすると、何々ユニオンみたいな企業の外側で騒いでいるグループが、これからのワーキングプアを救っていく救い主であるとされている。
 ここ2~3年ぐらい、この手の議論をやる論者の中身を見ていくと、労働組合の話が出てくるのは、だいたいこの二つのパターンなのです。私は、それが非常におかしいと思うのですが、どこがどうおかしいかということをきちんと言うこと自体が、正直言ってなかなか難しいと思っています。
ここで話す話なのかとお感じになるかもしれませんが、やはりそのようにしか集団的労使関係というものが捉えられていないという現状に対して、まずは働く場、職場で集団的な合意を形成していくことがすべての出発点なのだということをはっきりさせなければならない。こんなことは労働問題の一番の基礎みたいな話なのですが、まずはそこから議論を展開していかなければいけないのではないかと思っています。

>納得性というのは、中身が本当に客観的に正しいかどうかよりも、人々がそれに納得するかどうかです。どんなミクロの場でも、物事が納得性を得られるためには、それによって利益あるいは不利益を被る人たちが、その意思決定に何がしかの形で関わっていくことが、最も重要な要件ではないかと思います。そういう民主主義というものを職場のレベルで体現できる組織は何だろうかと考えると、やはりそれは労働組合しかないはずだろう。
 どうしても、ここのところの議論では、職場で組織された労働組合がそういう役目を果たし得るのだという議論がほとんどなく、先ほども言ったように、ある種の議論では、それが利権の塊みたいに非難されるとか、あるいは外側で騒いでいるユニオンだけが実現できるみたいな議論が非常に強いのです。マクロにいっても、そういう話なのだろうと思います。民主主義というのは、ある意味で労働問題の延長線上なのかもしれません。革命を起こして今までいい目を見ていた金持ちを皆殺しにすれば、社会はよくなるという発想でやっていた人たちもかつてはいたわけですが、決してそれが物事の解決にはならなかったのです。
民主主義というものをマクロな、大きな政治で考えるのはある意味で当たり前なのですが、ミクロなところで民主主義というものをきちんと積み上げていくというのは、実はその根底にあるはずであります。特に日本だけではないのだろうと思うのですが、そういう議論がわりとすとんと抜けているのではないかと思います。

>ある時期までは確かに、労働組合が民主主義の学校だという議論があったのです。昔の本などを読むと、けっこうそういう表現が出てくるのですが、ある時期から、そういうものが失われているように思います。失われているからといって、忘れていいはずではないのではないか。もう一度、ミクロの場の民主主義のいわば基盤として、労働組合というものを捉え直していく必要があるはずではないか。そういうことを、先ほどの話に戻りますが、ここ2年ぐらい労働法をどう考えるかという中で、私は議論してきました。
実は、その考え方に立脚してこの非正規問題も捉え直すべきではないかと思っているわけです。これはいくつかの局面で出てきます。ここまでの議論では、どちらかというと、処遇、待遇ということを暗黙の内に前提において議論してきました。処遇とは、要するに非正規の人たちの賃金水準をどうやって引き上げていくか、あるいは正社員並みの賃金水準に引き上げていくというのであれば、トータルとしての総額人件費を一気に引き上げるのはなかなか難しい話ですから、それをどうしていくかという話になります。ただ逆に言うと、ある意味でこれは程度問題であると私は思いますし、短期でやろうと思うとなかなか難しいのですが、中期的な中で解決していくという観点からすると、そんなに難しい話ではないはずだと、私は思っています。

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「Cafe Esquisse」さんの書評

「Cafe Esquisse」さんに、8月23,24日の両日、書評をいただいておりました。

http://wyeth.jugem.jp/?day=20090823(アカデミズムとプレカリアートの断絶の深さを思い知る)

http://moonlight0516.jugem.jp/?eid=154(アカデミズムとプレカリアートの断絶の深さを思い知る2)

>『新しい労働社会』読了。ブログ「EU労働法政策雑記帳」の読者には、エントリの単行本化はめでたいことである。著者のhamachan先生のご専門が「EU労働法と社会政策」なので、雇用のはなしばっかりじゃなくって、本の30%ぐらいはセーフティネットについて書いてある。いわゆる「格差はいけん!」みたいな床屋談義に堕することなく、イデオロギーや党派性はとことん排して、事実の検証と、緻密で隙のない多面的な論考によって社会政策を包括する、みたいな本である。

「アカデミズムとプレカリアートの断絶の深さを思い知る」という標題の意味は、次の通りです。

>あまりにも手厚い失業手当×生活保護を与えると、働こうという意欲が削がれるという問題は日本もEUも共通らしいのだが、生保@日本は「受給しにくく、一度もらいはじめると支給停止になりにくい」とある。読んでいて「求職意識のない人の生保支給は、支給停止にする(ような制度改正が必要)」という部分で違和感があった。雨宮さんとかプレカリアートの人たちだったら、絶対にこういう言い方しないだろうなぁとふと思ったからだ。

確かに言わないでしょう。

でも、そこを言わないで、ただただ「寄こせ」論だけで、どこまで攻めきれるのか、派遣村の衝撃でみんな言葉を失っている間はいいけど、みんな気持ちが落ち着いてくると、そういうロジックだけで世の中が動かせると思うのは、やはり違うと思うわけです。

いったんもらい始めたらなかなか出て行かないから、よほどのことがなければ中に入れないんだ、といういままでのロジックを破るためには、言いにくいことをあえて言わないと、説得力が出てこないのです。

これは、「アカデミズム」との断絶という話ではないと思います。福祉系の学者は結構ワークフェア的発想には批判的なんです。むしろ、私の中の「実務家」的側面が、それをあえて言うと損するよと言う世間的配慮を押しのけて言わせていると思っています。

>繊細で傷つきやすい自分が、強く勤勉な「人材」に変わる必要なんかないんだよ・・という政治的メッセージがプレカリアートで、そういう人がすがる制度が生保である。生保が今のような柔軟性のない制度であることが、優しすぎてうまく生きられない若者にはむしろ好都合に働いている。

それは違うと思うな。「繊細で傷つきやすい」ことは悪いことじゃない。繊細で傷つきやすくては働けない、という社会がおかしいのだとは思わないですか。

>しかしhamachan先生じゃないけど「働く気のない奴の生存権は知らん・・」制度に変更されたら、プレカリアートのような(何のバックも利権もない)政治的な運動もその灯が消されてしまうなぁと、暗い気持ちになった。別にhamachan先生が特に冷たいというわけでなく、常識的な日本人はそのように感じ、考えるだろう。しかしアカデミズムとか政策決定という場において、「異質な感受性を持つ人の声も聞きましょう」という主張は、ある種、贅沢かわがままに受け取られてしまうのだなぁ。うちはここに支配階層とプレカリアートの断絶を感じるよ。以前にhamachan先生と雨宮さんが朝日新聞で対談をやって、雨宮さん「すれ違い対談だった」と書いていたが、そのすれ違いの理由がこの本を読むとよくわかる。「労働と競争は別だから、わけてほしい・・」というプレカリな声は、勝ち組(支配階層)の闘争本能の発露の前にかき消されてしまう。

冷たいんじゃなくて、「僕は繊細で傷つきやすいんだから、働かなくても社会が面倒見るべきだ」というロジックが、そのコストを負担する人々にどういう影響を与え、その結果、「働きたいんだけど、いまはとても働けないから何とかしてほしい」という声に的確に対応することをかえって困難にしてしまうという社会的帰結をどう考えるのか、ということなんですが。

そして、私自身雨宮さんと対談して、彼女の主張は決して「働く気がなくても面倒見ろ・・・」というものではないと感じていますが。

(参考)

雨宮処凜さんとわたくしの対談(朝日新聞紙上)は、これです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/asahiamamiya.html

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「未来のD・グロール」さんの書評

「未来のD・グロール」さんのブログで、書評というか、かなり詳しい拙著の要約をしていただいておりました。

http://next-d-g.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-2c3b.html

>丁度インターンシップをやっている時期でもあるし、これから労働市場に出て行く訳で、参考になるかなと思って読んでみた。要約を載せるのはいかがなものかと思うけど、自分のメモでもあるし、本当にメモを用意しても書く気がしないし、どうしたものか。

ということで、ちょうど8月下旬から某総合電機メーカーでインターンシップで職場実習中の方なんですね。

>自分は、世界の動きを見渡せて、かつ高度な技術を扱うプロフェッショナルとして働きたいと思っている。

希望目指してがんばってください。

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シリーズ『自由への問い』

岩波書店から、今年の11月から順次刊行される予定のシリーズ『自由への問い』の宣伝用リーフレットが送られてきました。まだ岩波のHPには載っていませんが、もう宣伝モードに入ったと考えていいのでしょうから、本ブログでも宣伝しておきます。

このシリーズ、編集委員が次の8人、

齋藤純一

宮本太郎

坂口正二郎

北田暁大

広田照幸

佐藤俊樹

岡野八代

加藤秀一

この方々が各巻を責任編集する形で、次の8巻編成です。

1 社会統合:自由の相互承認に向けて

2 社会保障:セキュリティの構造転換に向けて

3 公共性:自由が/自由を可能にする秩序

4 コミュニケーション:自由な情報空間とは何か

5 教育:せめぎあう「教える」「学ぶ」「育てる」

6 労働:働くことの自由と制度

7 家族:新しい「親密圏」を求めて

8 生:生存・生き方・生命

で、この第6巻「労働」の中身がこうなっています。

Ⅰ 【対論】働くことの自由と制度・・・・・・・・・・・・・佐藤俊樹・広田照幸

Ⅱ 【考察】「働くことと自由」

・働くことと自由・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤俊樹

・「会社からの自由」の両義性・・・・・・・・・・・・・・・高原基彰

・正社員体制の制度論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・濱口桂一郎

Ⅲ 【問題状況】労働と自由の歴史的編成

・仕事と価値と運動と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宇城輝人

・労働における自由とジェンダー・・・・・・・・・・・金野美奈子

・就職空間の成立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福井康貴

Ⅳ 【構想】現代的な労働の現場から

・コンビニエンスストアの自律と管理・・・・・・・・・居郷至伸

・ケア労働の組織・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三井さよ

・社会に「出る」/「出ない」・・・・・・・・・・・・・・・・貴戸理恵

というわけで、わたくしは「正社員体制の制度論」なる文章を書いておりますが、他の論文もとても面白そうでしょう。

他の巻では、宮本太郎先生編集の『社会保障』が興味深そうなタイトルの論文が並んでいます。

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水谷綾さんの書評

水谷綾さんの「手帳の余白」というブログで、

http://ma-manten.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-41ec.html(8月の本棚からもう一冊)

>製造業に対する非正規雇用問題が注視される昨今。労働法制を多面的(体系的)に捉えるのに、読み応えのある一冊として、濱口桂一郎さんの『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ』が、最近の中ではちょっとおススメです。

「すべての労働者に生活と両立できる仕事を保障するということは、その反面として、非正規労働者をバッファーとした正社員の過度な雇用保護を緩和するという決断を同時に意味するはず」という点は、宮台さんの『日本の難点』で示された視点にも通じており、今こういった本質的な労働政策への議論と合意形成が問われていることを痛感します。

うーむ、私の言ってることは宮台真司氏と同じなのかな、と思わず考え込んでしまいますが・・・、

なんにせよ、「読み応えのある一冊」としておススメいただきありがとうございます。

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経営法曹研究会報61号

経営法曹会議から、『経営法曹研究会報』第61号をお送りいただきました。ありがとうございます。

今回の特集は、「労働時間制度の再考察」です。

榎本弁護士の基調報告のあと、

1.改正労基法により生じる実務問題

2.管理監督者の範囲に関する裁判例の動向、

3.実労働時間法制になじまないホワイトカラーの働き方、

4,ワーク・ライフ・バランスの実現および安全配慮義務違反の責任追及への対応としての労働時間管理の在り方

の4つの検討がされています。

このうち、興味深かったのは4.の次のような問題提起でした。

>しかしながら、本人が仕事に打ち込んだ結果、長時間労働となり死亡に至ったような場合でも、本人としては本望であったとしても遺族が訴えてくる、というような事態が考えられます。

>そこで、本人が仕事の充実を優先し且つ使用者がこれにブレーキをかけられない場合、結果として長時間労働が生じたときに問題となりうる点について、検討してみたい

具体的には、

>使用者に労働時間を管理する権限がない、あるいは在宅勤務、テレワークの場合等のように、労働者のプライバシーとの関係で管理が不可能に近い場合です。

>このような働き方をしている労働者が、自らのWLBとして仕事に専念することを選択した場合に、結果的に長時間労働について干渉し得ないのか、また、その長時間労働の結果、いわゆる「過労死」が生じた場合、安全配慮義務違反を問われないためには、使用者としては何をどこまで行うべきなのか、という点です。

これがなかなか難しいという話で、

>一つには、そんなに働くな、と指示することも考えられると思います。

>しかしながら、働かないことの指示ないし労働の禁止が、特に在宅勤務のように施設管理権はないし、そもそも働いているのか遊んでいるのか寝ているのか、そもそも家にいるのかさえ判らない場合に、現実に可能なのかははなはだ疑問です。

>やはり、この問題は、真実、本人が長時間労働をいとわず仕事に専念することを選択した以上、使用者としてはそれを制限することが不可能に近く、反面権限がない以上責任もないはずである、と考えるべきでしょうが、そうだとしても、ご遺族が・・・、という問題は残るかと思われます。

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真正リバタリアン氏と私との唯一の大きな違い

真正リバタリアン氏が、なかなか興味深いことを言っています。

http://libertarian.seesaa.net/article/127352993.html(Don't trust anything except truth)

はじめは、まあ当たり前のことですが、

>世の中には、自分はなんでも分かっているようなふりをする思い上がった自称専門家が多い。
特に大学の世界には、そのようなアホしかいないといっても過言ではないと思えるほど、思い上がった自称専門家であふれている。大した一流大学ともいえない大学の教員でも驚くほどの尊大な無恥厚顔ぶりだ。”サイバーなんちゃってリバタリアン”氏なんかも、いい加減な”専門知識”を振りかざしつつ、まじめに財政破綻論や増税を唱えているようだが、そういう”経済評論家”というのは、すぐに底を見透かされて飽きられる運命だということを肝に銘じたほうがいい。そろばん1級をとった人間がなんでも分かったような顔をしないのと同じくらいの当たり前の謙虚さをこれら自称専門家はわきまえる必要がある。

その次のパラグラフが重要です、

>真摯な態度とは、いわば法律に対する信頼とJusticeに対する信頼との違いでもある。学問に対する献身と、真理に対する献身の違いとも同じだろう。前者は必要ないし、後者が欠如している場合は前者はまず完全に有害なものとなる。

実のところ、この部分に私はほとんど賛成です。

拙著『新しい労働社会』において、残業代ばかりを規制するくせに実労働時間の規制力が弱い現在の労働時間法制や、派遣労働者の労働条件はホッタラケにして派遣事業の事業規制ばかりにこだわる現行派遣法に対して、手厳しく批判しているのも、まさに「法律」に対する信頼ではなく、私なりの「Justice」に対する信頼を示しているつもりです。

ただし、共通するのはそこまでです。

次のパラグラフで、真正リバタリアン氏と私がどこで別れるかが判ります。

>現実=市場は常にある意味真実なのだから、大事なのは経済学といった”なんちゃって科学”ではなく真実=市場なのだ。観念的に理解するのではなく、植物学者が顕微鏡や拡大鏡で植物を観察するように、現実と向き合って観察すべきなのだ。

私ならこう言います。

>現実=社会は常にある意味真実なのだから、大事なのは経済学といった”なんちゃって科学”ではなく真実=社会なのだ。観念的に理解するのではなく、植物学者が顕微鏡や拡大鏡で植物を観察するように、現実と向き合って観察すべきなのだ。

市場「も」社会の一部であることは確かですから、その意味では上の文も全く間違いではありません。しかし、もし、市場だけが社会だと思いこんでいっているのであれば、それは間違いです。

たった一つの、一見言葉一つだけの違いですが、しかし、人間観、社会観として最大の違いです。

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ビジュアルブログ検索エンジン

これは面白い!

http://blogopolis.jp/view/http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/

社会保険労務士日記さんの記事を見て、早速試してみました。

http://blog.goo.ne.jp/orangesr/e/34a2428b104cd926bbe662981ff47152(自社ビルが建つ!・・・か)

>ブログの各記事を立体的なビルとして表現しそのビルが集まった巨大な仮想の都市空間をGoogleEarthで上空から眺めるようにしてブログ記事の検索をしようというサービス

ブログの人気度がその土地の広さで、各記事の人気度がビルの大きさで示されるわけですね。

似たようなブログが近いところに配置されているので、ご近所を見回すと、なるほどなるほどという方々が・・・。

これは実物を見るしかないので。是非上をクリックしてください。

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「読書メーター」の短評いくつか

「読書メーター」というところで、拙著に対する短評がいくつか寄せられています。

http://book.akahoshitakuya.com/b/4004311942

新しいところから、

安眠練炭さん:

>理想論を押しつけるのでなく、いかにして理想の状態に近づけるかというプロセスを提示しているのがいい。

はい、それは明確に意識し、伝えたいと思った点です。法解釈学や理論経済学と違って、政策論というのは、そういうものであるはずだと思っています。

ishii-hiroさん:

>ひとまず読了。良書。 たとえば派遣法改正という単純な規制緩和か強化かという立ち位置でなく。 いわゆる非正規労働者問題(というネーミングがミスリードになっていることも本書は指摘されています。)は、正規労働者の過大な負担と表裏一体から始まるという今までの議論の敷衍から始まる本書は、現代社会の有用な補助線だなあと

これも、わたくしの意のあるところを的確に捉えていただいていています。

takizawaさん:

>本書の特徴は、「過度に保守的にならず、過度に急進的にならず、現実的で漸進的な改革の方向を示そうとした」点にあるといえる(はじめにより)。例えば、非正規労働者問題には、長期的には賃金制度改革が望ましいが、現在の賃金制度を前提にすれば、期間比例原則を採用するのが好ましい、といったように。日本にはコーポラティズムの思想が薄いが、巻末での提言にあるように、経済財政諮問会議に労働者代表・消費者代表を加える形で民主主義を徹底させることが必要(声の届いていない程度が余りにもアンバランスなため)。

このように、多くの方々が拙著の意図するところを正確に読んでいただき、共感していただいていることは、日本の将来にとても希望を与えてくれます。

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「契約社員」って誰のこと?

JILPTのコラム、前回の前浦穂高さんに続いて、今回も今年JILPTに入った新人の高橋康二さんです。(新人といっても、研究者としてはすでに一人前ですが)

http://www.jil.go.jp/column/bn/colum0130.htm(「契約社員」をどう定義するか)

>研究活動の基本は、研究対象を定義することである。しかし、これが意外とむずかしい。筆者が現在かかわっている「契約社員」の研究においても、このことはあてはまる。

>これまでの調査で比較的多く用いられているのは、「専門的職種に従事する有期契約の労働者」という趣旨の定義である。

>しかし、ヒアリング調査を進めていくと、今日の企業において「契約社員」と呼ばれているのは、必ずしも専門的職種に従事する労働者ばかりではないことを実感する。仕事内容が正社員とほとんど変わらない労働者、もっぱら正社員のサポートを担う労働者が「契約社員」と呼ばれていることが、しばしばある。それらに共通するのは、フルタイムで働く有期契約の労働者という点である。

まあ、そもそも、労働法学的に言うと、「契約社員」という言葉は出発点からナンセンスなんですが(契約じゃない労働者がいるはずがない)、社会意味論的に言うと、この「契約」というのは「メンバーじゃない」という意味なのでしょう。

「会社のメンバー」じゃないけど、「社員」という地位にある、つまり「社員」じゃない「パート」や「アルバイト」(彼らは「正社員家族」の「メンバー」)とは違うというインプリケーションのある言葉だったのでしょう。地位が高いのにメンバーじゃないことが可能なのは、一定の専門的技能を有するから(ある種の請負的性格)だったのでしょう。

それが、一方ではパートやアルバイトの基幹化(「社員」的地位への接近)と、「社員」的地位自体の低下とが相まって、「契約社員」が要は「会社メンバーじゃない」というだけのコノテーションを示す言葉になってきたということでしょうか。

>定義を変えることでみえてくるものもある。たとえば、「専門的職種に従事する有期契約の労働者」という趣旨の定義を用いる2007年の「就業形態の多様化に関する総合実態調査」によれば、「契約社員」が現在の就業形態を選んだ理由の第1位は、「専門的な資格・技能を活かせるから」となる。これに対し、「フルタイムで働く有期契約の労働者」という趣旨の定義を用いる2007年の「契約社員に関する実態調査」によれば、第1位は「正社員として働ける適当な企業がなかったから」となる。

>「契約社員」と呼ばれている若年者のなかには、即戦力として活躍することとは別の理由から現在の就業形態を選んだ人が少なくないと考えられる。そこで思い浮かぶのは、正社員として働ける条件を持っていながら、正社員の雇用機会に恵まれず、やむを得ず現在の就業形態で働いている若年者の姿である。

なぜ専門性という高い地位を担保しうるような資産を持たない彼らが「契約社員」と呼ばれるようになったのか、一つは、「パート」や「アルバイト」という言葉がインプライする就労場所以外に正社員家族というちゃんとしたメンバーシップを有しているという特性を欠いているからでしょうか。

「パート」「アルバイト」という用語に駆逐されて高度成長期以後死語になってしまった「臨時工」の輪廻転生という面もあるのかも知れません。

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官房長官に松下労組出身の平野博文氏

Hiranohirofumi いや、週刊誌辞令がいかにあてにならないか、という話じゃなくて。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090904-OYT1T00695.htm?from=top

>民主党の鳩山代表は4日午後、16日にも発足する新政権の官房長官に平野博文役員室担当を起用する方針を固めた。鳩山氏が同党幹部に伝えた。

 平野氏は今年5月、鳩山氏が代表に就任した際、役員室担当に就くなど、鳩山氏の側近として知られる。衆院大阪11区選出で、当選5回。松下電器労組などを経て、96年に衆院に初当選した。

たぶん、労働組合出身の官房長官としては、片山内閣の西尾末廣官房長官以来じゃないでしょうか。

村山内閣の五十嵐広三官房長官は社会党といっても労組出身じゃなかったし。

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コバヤシユウスケさんの書評

コバヤシユウスケさんから書評をいただいておりました。

http://d.hatena.ne.jp/yu-koba/20090827/1251346299

>数々の書評が個人ブログで書かれており、うちの近所の文教堂ですら平積みでドーン!(岩波の営業さん、気合い入っているのかな?)どうやらとっても売れているんじゃないか?と、ちょっと喜んでしまいそうですが、まあそんな話は置いておいて...

ああ、そうなんですか。うちの近所の啓文堂では1冊棚に突っ込んであるだけですが、書店の方針もあるのでしょうし。

コバヤシユウスケさん、わたくしのブログやホームページへのいささかの苦情から、

>・・・でもやはりブログという形式上、日本の雇用とか労働について、基本的なことを広く学びたいという僕の欲求にぴったりフィット、というわけにはいきません。またhamachan氏は「hamachanの労働法政策研究室」というHPに、自著の論文等を掲載していて、これがまたまた参考になるのだけれども、いかんせんどこにどんな論文があるのかがわかりにくく、さらには、それぞれの論文のページを開くと、これがまた見づらい。

どうもすいません。かなりわかりやすく整理したつもりなんですが、やぱりだめですか。

>ってなわけで、ようやくです。こんな新書、待ってました。

ありがとうございます。

以下、いくつかの論点についてコメントされていますが、それは是非リンク先をお読みください。

最後近くで、こう評していただいているのは、心に沁みました。

>じつはこのあたり、著者の思想、「人間」というものに対するある種楽観的な「信頼」が感じられます。社会に幻滅して「なんとかしないとこのままでは日本がダメになる」という悲壮感たっぷりな言説が目につく今の時代にあって、この著者の立ち位置には非常に好感が持てます。

(参考)

左下の「労働関係ブログ」の欄に、拙著に対する書評のリンク集をリンクしておきました。適宜更新しておりますので、ご利用ください。なお、内容批判のない罵倒だけの”書評”も含まれています。

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総選挙を支える日雇い派遣

Img_gotoh NHKの解説委員というのは、そんじょそこらの評論家よりも遥かにものが見えているという実例。この後藤千恵さんは、何回かお会いしてお話ししていますが、とても素晴らしい方です。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/300/25655.html

>Q1:日雇い派遣は、禁止される方向で検討が進められていたと思うんですが?

A1:はい、そうです。日雇い派遣は、アルバイトとは違って、派遣会社に登録している人たちが、一日単位で雇用契約を結んで、仕事につくものです。低賃金で不安定な雇用の象徴とされ、今回の選挙戦でも、各党が日雇い派遣の禁止や原則禁止を公約に掲げています。その選挙の投開票作業に、大勢の日雇い派遣の人たちが携わるんです。たとえば、横浜市では1200人、神戸市では700人。投票所での受け付けや、開票の際に票をそろえたり、仕分けしたりする作業をすることになっています。

Q2:アルバイトで働く場合と、何か条件が違ってくるんでしょうか?

A2:たとえば、賃金です。アルバイトの場合、自治体が直接、採用しますので、賃金も、基準に従って支払われます。休日加算もあって、おおむね、時給1000円ほどです。一方、日雇い派遣の委託費は入札で決められます。実は今、民間の派遣の仕事が減っていることもあって、多いところで10社を超える派遣会社が殺到し、熾烈な価格競争が起きました。首都圏のある自治体では、1時間あたり1575円の予定価格に対して、ある派遣会社が911円と、6割を切る低価格で落札しました。その結果、働く人に支払われる賃金は、時給で780円と、その地域の最低賃金すれすれになってしまったんです。

Q3:そうした日雇い派遣が広がっているのはどうしてなんでしょう

A3:自治体の話を聞きますと、限られた準備期間のなかで、自らアルバイトを募集して、1人ひとりと面接し、契約を結ぶとなると、職員の負担が重くなる。けれど派遣なら、派遣会社に委託すれば、あとは全てやってもらえるので、負担の軽減につながるということでした。

Q4:それだけのニーズがあるということなんですね

A4:そうですね。与野党ともに、日雇い派遣の禁止を公約に掲げている選挙で、その日雇い派遣が大量に使われるというのは皮肉なことです。一方で今回、自治体によっては、派遣に頼らず、短い準備期間に1000人を超えるアルバイトを直接、採用したところもあるんです。また、選挙への関心を高めてもらおうと、高校生にボランティアで投開票の作業に参加してもらうところもあります。今後も選挙の際には、臨時に、大量の人手が必要になります。どうやって人手を確保していくのか、次の選挙に備えて考えておかなければならないと思います。

以上に尽きているのですが、念のため一言。

直用日雇アルバイトなら時給1000円なのに日雇い派遣だと時給780円になるというのは、そもそも派遣労働者に自治体の賃金基準を適用しないことが原因であって、派遣という形態自体が低賃金を義務づけているわけではありません。

派遣形態を利用するのは、上の自治体の場合募集・採用にかかる「職員の負担」の軽減のためであって、そのことは何ら悪いことではありません。しかし、それに伴ってチープレーバー化してしまうとすれば、それはどこかがおかしいのです。おかしいのは「派遣」形態自体なのか、それとも派遣だからといってチープレーバー化することに対する歯止めがないことなのか。

短絡的に日雇い派遣を禁止すれば、後藤さんが指摘するように、次の総選挙では自治体職員が泣くことになるでしょう。

まっとうな労働者保護をどうするかということをホッタラケにして、事業規制ばかりに熱中するという点において、今までの与党の政策も、これからの与党の政策も大して変わりません。日雇い派遣禁止が50歩なら、製造業派遣禁止が100歩というところでしょう。

そういう思考停止状態から脱却して、本当の労働者保護政策に一歩を踏み出せるかどうかが、新政権の試金石になるのです。

(というようなことが近々どこかの新聞に載ると思います)

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安原宏美さんの書評第2弾

安原宏美さんの拙著書評第2弾です。

http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10333978307.html

ちなみに、すでに紹介していますが、第1弾はこれ。

http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10333978307.html

2回にわたってご自分の幼い頃の思い出からエッセイ風につづられた流れを追っていくと、

>私にとって「まっとうなソーシャルの原点」というのは何だろうと考えてみると、小学生のときに、地元倉敷の地域学習で「アイビースクエア」に行ったんですね。
 「アイビースクエア」は07年に「近代化産業遺産」に認定されている明治時代の紡績工場をリフォームして作られたホテルです。

>この工場のことを調べると、この会社(クラボウ)は倉敷中央病院も作ってます(祖父が最期の迎えた病院)。この病院は当時から会社の工員用だけにとどまらず、地域に開いています。そのほかにも銀行も作ってるし、商業高校も作ってるし、奨学金も作ってるわ、蒸気エネルギー政策も転換させて、電力会社も経営しているわ、女工哀史の前の時代から、貧乏な労働者のために社員寮は作ってるわ、託児所まであるわ、飯場制度(ピンハネと労働環境がひどかった)を徹底批判、従業員を雇って会社で教育してるわ、孤児院の経営資金も出しているわ・・・・。そのほかもいろいろあるんですが、ネロも倉敷に生まれていれば・・・牛乳配達どころか小さな牧場のひとつでももてたかもしれない、と思ったわけですね。

>紡績は当時の日本の主要産業になったわけですから、働く人が足りません。引き抜きが横行します。引き抜いてこき使うほうが安上がりなので、いわゆる「女工哀史」や「職工事情」的な労働問題があったわけですね、ただ、「ちょっと待てよ」と考えた企業ももちろんありました。「こんなんだったら、工場に定着してくれない、よって技術が伝承できない」。長期的に経営を考えている人からは、まあそう考えます。それだけじゃないですけど、そういう問題意識もあったのが、大原率いる倉紡だったり、鐘紡武藤さんだったりしたんでしょう。鐘紡などは、条件がよかったので、女工さんが集まり過ぎて、地元のまわりの企業が人材不足になって、文句言ってたりしてたかな。「うちじゃできません!」という意味の文句でもあります。まあ余裕がないと難しいですわね。

>このあたりの福祉の面倒みてた人というのは、ほんとにすごいなあと思います。孫三郎もそうですけど、渋沢栄一などは「いったい何人いるんですか!」と思うほど。

大原は「ほんとは国がやること」と言ってた記憶がありますが、「民間:会社で面倒みるから、国は口出すなー(本音は深夜営業をさせて)」「国:ほな、よろしく」みたいな方向にも行くんで先生曰くのネオリベちゃんとリベサヨちゃんが仲良しになれるわけですね。工場法の制定に時間がかかるわけです。

そして、

>先生の本のタイトルは「新しい労働社会」です。「教育」、「女子労働」、「児童手当」といった、近代化の熱狂の中で、冷静に社会をよくしようと(実際良くした人でもある)考えていた人とつながります。宗教による慈善ではなく、「社会として問題をどう解決していくか」と考えた人たちが訴え続けていることでもあります。だから、あのタイトルの「新しい」は近代人としての「新しい」ではないでしょうか

という風につなげていただいています。

女工哀史、職工事情、大原孫三郎、武藤山治・・・・・・・とくると、一言なかるべしという人がいそうな気もしますが。

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佐伯啓思・石水喜夫対談

Cover_6899 厚生労働省の広報誌である『厚生労働』の9月号が、平成21年版労働経済白書を特集していまして、目玉が佐伯啓思さんと石水喜夫さんの対談です。

http://www.chuohoki.co.jp/products/magazines/kouseiroudou/new.html

>【対談】

平成21年版労働経済白書をめぐって

佐伯啓思・京都大学大学院人間・環境学研究科教授
石水喜夫・厚生労働省労働経済調査官(聞き手)

JIL雑誌と違って、こちらは石水さんが自由に対談相手を指名できるので、労働問題の専門家じゃないいろいろな分野の方が出てこられます。昨年は情報学の西垣通さんでしたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/on_2008_c76f.html(西垣通 on 労働経済白書2008)

今年は

>今日、私たちのような組織人も、自らの仕事の意味について、改めて問い直すことが迫られています。昨年秋に発生した世界金融危機は、日常生活に忙殺される我々に、もう一度、現代という時代をとらえなおしたい、あるいは、世界というものについて、もう一度考えたいという気持ちを呼び起こしました。また、1990年代の半ば以降、日本の雇用慣行の見直しが叫ばれ、業績・成果主義など市場価値を重視した人事・処遇制度の導入が進んできましたが、こうした改革が、私たちをどこに誘っていくのか、改めて冷静に考えたいという雰囲気も出てきました。先生の作品は、現実の中で葛藤する組織人の心に、もくもくとわき起こりつつある学問的欲求にしっかりと応えるものです。

という石水さんの思いから、佐伯啓思さんが対談相手となったようです。

今年の労働経済白書はマクロ経済分析を正面から取り上げた初めてのものですが、佐伯さんは、

>景気動向について労働経済白書がここまで踏み込むというのは、確かに、珍しいことですね。今日の問題を解き明かそうとして、ここまできたということでしょう。他の白書がそこを逃げている中で、とっかかりとして、ものすごくいいと思いますよ、これは。ただ、私が思うのは、今、問題は通常の経済学でいうような景気循環の形では多分説明できないようなことが起きているということですね。

>白書のマクロ分析における一番のポイントは、2000年代に入ってから景気は回復しているけれども、国内需要は対して伸びていないという話なんですよね。もっといえば、1990年代以降、日本経済は需要が伸張して経済を牽引するというような構造にもなっていないということです。

>やはり問題は、この十数年の日本の経済、あるいは先進国経済の低迷は、本質的にはものに対する十分な需要が得られない。需要に対して、生産設備が過剰になってしまっている。そこに問題があるという風に考えるべきだろうと思います。

>だがもしそうだとすると、構造改革政策というのはまったく逆の発想による政策だったということになるわけですね。需要は無限にあるが、行政規制のために本来欲しいものが作られていない。そこを解決すれば、つまりサプライサイドの問題を解決すれば、いくらでも経済は成長するというその発想が根本的に間違っていたとすれば、我々は根本的に政策転換をしないと駄目になっている。政策転換というより、ものごとの考え方を根本から変えないと駄目になる。実はこれが今、起きている問題だと思うのです。

>そのことに対して、この白書は踏み込もうとしているんですね。ただおそらく、多くの人には、説明を補わないと、白書の背後で考えられているポスト構造改革の問題意識は分からないだろうという気がします。

と、白書の文章に書けなかった石水さんの思いを代わりに喋ってくれています。これを言って欲しかったんですよね。

この後、話は「現代経済学の問題性」(ケインズの話)、「科学主義の罠」(イギリス・ケンブリッジ派とか、ラディカルエコノミクスとか、パラダイムシフトとか)、「分析と政策と価値判断」とかの話になっていきます。ここでは、石水さんの次の発言が面白い。

>政策現場にいる人間からしますと経済学に対する期待は大変大きなものです。・・・・・・・学者はその経済理論が100点満点であって欲しいでしょう。しかし、官庁エコノミストや現場で動いている人間にとっては、そこまで欲しくはないんですよね。例えば60点ぐらいのものでもいいわけです。ところが100点を目指す中で、現場で使いようのない経済学になってしまっているところがありませんか。

>それがなぜ、今日の経済学のようになってしまったのか。その後、大学を卒業したサラリーマンにしてみると、私はよく分からないのです。

>政策運営のために分析をして政策を作るというときに、分析のための道具がいるわけですよ。その道具はやはり理論的なものであり、経済学である必要があるわけです。現場はそれを必要としています。何らかの形で社会的に有用な道具を持たせて欲しいと思うわけです。ところが、学問世界の自律的な論理展開の中でいけば、社会的に有用な道具が作れませんという話になってしまって、それで経済学って駄目ですよねという話になってしまうと、もうなすすべを失ってしまいます。

>反経済学に行くのではなく、経済学そのものを改善させることはできないのですか。

>しかし、政策にはやはり価値判断や政治判断が必要なんです。経済学はそれに貢献するものなんですよ。

>分析と政策と価値判断と、どのように結びつけて社会の進歩を生み出す仕組みを作り上げるかということなのだろうと思いますけれども、私が白書で分析をして、価値判断につなげていこうと考える世界は、基本は労使関係ですが、労と使があって、認識の違いもある。しかし、分析することによって論点の整理を行うことはできます。そして、共通認識の部分をつくる。最後の決められないところは、やはりどうしても政治的な判断が出てくる。政治的判断に貢献するような分析を行い、その分析によって、また意見集約をする。

>経済学もそれに貢献できるような分析と政策の核みたいなものをつくっていくことが求められるのではないでしょうか。

ここは、対談という形をとって、石水さんの経済学への思いをぶつけているところのように読めます。

次は日本型雇用システムの意義について、石水さんが日本型システム再評価の気持ちを全面に出しているのに対して、佐伯さんは「私は共感を覚えます」と言いつつ、

>従来の日本的慣行を維持しながら、どこまで流動性を確保できるのか。どういう形で中途採用の労働市場を開いていくかという調整はまだ未解決の問題で、これからの課題でしょうね

と、やや半身の感じです。底の浅い成果主義に対する批判には共感しつつも、「ここまできてしまった若者たちを救うことができる何かをもう一つ用意しておきたい」という気持ちとの間で揺れている感じです。

ここは、実のところ、なかなか経済学そのものが「価値判断に貢献」できる分野ではないようにも思われます。

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規制改革の取組と成果-私たちの暮らしをもっと豊かに

同じ内閣府の規制改革会議の方は、「規制改革の取組と成果-私たちの暮らしをもっと豊かに」というパンフレットを作成して、規制緩和がいかに役に立っているかを宣伝しようとしているようです。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2009/0901/item090901_04.pdf

>規制改革の効果が顕著に現われている事例を、過去に遡って、平易な表現で分かりやすく広く国民へPRすることで、規制改革の必要性やメリットについて更なる理解を促すとともに、国民生活を豊かなものへと導く規制改革の取組みについてより関心を深めていただくために、パンフレットを作成いたしました。

ということになれば、増田悦佐氏と並んで幸福実現党応援団代表の福井秀夫氏が精魂込めて取り組んでこられた労働分野の規制緩和の成果がさぞ大々的に掲載されているのではないかと期待したのですが、

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2009/0901/item090901_01.pdf

>1 携帯電話をさらに便利に使えるようになりました
2 国内の航空運賃に利用者のニーズが反映されるようになりました
 【コラム】 規制改革は消費者のための取り組みです
3 一般用医薬品が安全でより便利に買えるようになりました
4 車検の有効期間が延長されました
5 就学校の変更が認められても良い理由が明確になりました
 【コラム】 規制には明確な根拠が求められます
6 駐車違反の取締り関係事務の一部が民間委託されました
 【コラム】 公的な仕事に民間の力を活用しましょう
その他の事例紹介

あれ?

「その他」にあるのかな?

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2009/0901/item090901_03.pdf

労働分野の事例がたった一つだけありました。

>労働契約法制の整備

をいをい、労働契約法を作れといってきたのは誰ですか(いろんなところが俺だ私だといいそうですが)。規制改革会議でないことだけは確かですが。

どうして、ちゃんと規制改革会議が要求して実現してきた「成果」を誇らしげに書かないんでしょうか。不思議でなりません。

まさか、たった2年前のあの心意気をお忘れになったわけではないのでしょうが。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/0521/item070521_01.pdf(脱格差と活力をもたらす労働市場へ)

>一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っている。不用意に最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、そのような人々の生活をかえって困窮させることにつながる。過度に女性労働者の権利を強化すると、かえって最初から雇用を手控える結果となるなどの副作用を生じる可能性もある。正規社員の解雇を厳しく規制することは、非正規雇用へのシフトを企業に誘発し、労働者の地位を全体としてより脆弱なものとする結果を導く。一定期間派遣労働を継続したら雇用の申し込みを使用者に義務付けることは、正規雇用を増やすどころか、派遣労働者の期限前の派遣取り止めを誘発し、派遣労働者の地位を危うくする。長時間労働に問題があるからといって、画一的な労働時間上限規制を導入することは、脱法行為を誘発するのみならず、自由な意思で適正で十分な対価給付を得て働く労働者の利益と、そのような労働によって生産効率を高めることができる使用者の利益の双方を増進する機会を無理やりに放棄させる。

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新たな経済社会の潮流の中で生活困難を抱える男女について

内閣府の男女共同参画局が、標記の最終報告に向けた論点のとりまとめについて意見募集をしています。

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1010&BID=095090689&OBJCD=100095&GROUP=

この最終報告案は:

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1030&btnDownload=yes&hdnSeqno=0000056230

ですが、とても興味深い。というのは、冒頭に書いてありますが、ここでいう「生活困難」とは、

>本検討では、「生活困難」を経済的困難に加え、教育や就労等の機会を得られない、健康を害する、地域社会において孤立するなどの社会生活上の困難も含めた広い概念として捉える。

特に、自分の力だけでは乗り越えられない何らかの不利な状況(健康、教育、家庭の事情等)を抱えるために、個人あるいは世帯として経済的な自立の困難に直面している状態を中心に検討する。併せて、経済的な困難から派生して、あるいはそれ以外の何らかの不利な状況にあるために、地域社会で人間関係を保てずに孤立したり必要なサービスを享受できなかったりする社会生活を営む上での困難も含めて捉える。

まさに「ソーシャル・エクスクルージョン」なんですね。

男女共同参画という枠はありますが、ある意味で行政の枠を超えて非常に包括的に社会的排除問題を取り上げていて、なかなか論ずるにたる文書になっています。

はじめに、なぜこの問題を取り上げるのか、として、

>結婚や家族をめぐる変化、雇用・就業をめぐる変化、グローバル化など経済社会が大きく変化する中、ひとり親世帯、不安定雇用者、外国人、障害者等、生活に困難を抱える人々の状況は多様化かつ深刻化していると考えられる。加えて昨今の金融危機に端を発した経済あるいは雇用情勢の急激な悪化が、生活困難を抱える人々をさらに生み出し、またその状況を悪化させてしまっていることが懸念される。

このうち女性が生活困難に陥りやすいという問題については、かつてはみえにくい問題であったものが経済社会の変化のもとで顕在化しつつある。また、雇用情勢が厳しくなったりグローバル化が進む中、生活困難を抱える層の多様化・一般化が進みつつあるが、その状況や背景には男女共同参画の観点から留意すべき点がみられる。

(経済社会の変化のもとで顕在化しつつある女性の生活困難リスク)

○女性の生活困難は、単身女性世帯や母子世帯には以前からみられた問題であったが、配偶者による扶養がある標準世帯モデルの陰に隠れてみえにくい問題であった。

○しかし、単身世帯やひとり親世帯が急増し、また配偶者である男性の雇用不安も増す中において、女性が自ら生計を維持する必要性が増しつつある。このような中、経済的な困難に直面し、またそれから派生して様々な困難を抱える女性が増加していると考えられる。

○女性の生活困難の背景には、男女共同参画社会の進展が道半ばであるといった問題が根底にある。雇用・就業場面における男女間の格差が、女性に経済的な困難をもたらしている。自ら選ぶ場合も少なくないが、女性は出産をきっかけに7割が離職し、非正規雇用が多いなど、いまだ女性が持てる能力を発揮して必要に応じて自身で生計を維持していける社会環境が十分には整っていない。

○なお、女性自身が生計維持のための収入を得る道が十分開かれていない中で男性の雇用が不安定になることは、経済面あるいは生活面が安定しない家庭の増加につながって子どもの教育や養育の環境に大きな影響を及ぼす。そのため女性の生活困難は、次世代に連鎖する極めて由々しき問題として捉えることができる。

(生活困難層の多様化・一般化とそこに潜む男女共同参画をめぐる問題)

○経済のグローバル化、産業構造の変化などにより雇用情勢の厳しさが増す中、女性のみならず、主たる生計の担い手である男性についても不安定な雇用が増加し、生活困難に陥るリスクが高まっている。

○また、若年層における無業や不安定雇用の増大が、キャリアの積みにくさや長期的な経済的困難につながることが懸念されている。この問題については、これまでは男性イメージで語られることが多く、男女間で問題の様相が異なることについてあまり焦点が当てられてこなかった。

○他方、国際化の進展のもとで、国際結婚や外国人労働者の急増がみられる中、在留外国人女性とその子どもの社会適応の困難など、新たに目配りすべき問題が生じている。

(本調査のねらい)

○以上を踏まえ、本調査においては、新たな経済社会の潮流のもと、女性、男性それぞれのライフスタイルや置かれている状況が大きく変容してきたことを踏まえながら、新たに生じてきた、あるいは顕在化・深刻化しつつある生活困難の所在とその実情を探り、その背景にある男女共同参画をめぐる問題について検証、考察する。

○このことにより、生活困難防止のための施策について、女性が生活困難に陥るリスクを低減するなど、男女それぞれの状況に応じた効果的な取組の方向性を明らかにすることを目指す。

以下、いろいろと議論が展開され、最後のところで、中長期的課題と、当面の課題が並んでいます。

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個人請負型就業者に関する研究会

さる8月28日に第1回目が開催された「個人請負型就業者に関する研究会」の資料が厚労省HPにアップされています。

http://www.mhlw.go.jp/za/0901/d41/d41.html

まず趣旨ですが、

http://www.mhlw.go.jp/za/0901/d41/d41-01.pdf

>雇用労働者の働き方が多様化する一方で、個人自営業者であっても、1つの企業と専属の委託業務契約や請負契約を交わし、常駐に近い形で就業するいわゆる個人請負型就業者(ディペンデント・コントラクター)のような雇用と非雇用の区別がつきにくい層が出現し、既存の制度や法律の適用から漏れている場合が見られるといった問題が指摘されている。
しかしながら、個人請負型就業者の就業については、これまでその実態を正確に把握できておらず、課題や対応策も整理できていない状況にある。
このため、本研究会を開催し、個人請負型就業者の実態把握を行うとともに、実態を踏まえた施策の方向性について検討する。

と、まずは実態把握から、ということのようです。

委員は、

奥田 香子 京都府立大学公共政策学部准教授
佐藤 厚 法政大学キャリアデザイン学部教授
佐藤 博樹 東京大学社会科学研究所教授
佐野 嘉秀 法政大学経営学部准教授
原 ひろみ 労働政策研究・研修機構人材育成部門副主任研究員

調査系4名、法律系1名というのは、上の趣旨からして妥当でしょう。実態を抜きにした法律論というのはとかく空中の神学論になりがちですから。ただ、実態の議論をする際に、その法律的位置づけは常に意識しながらでなければなりません。

資料2が総括的にまとめていて、

http://www.mhlw.go.jp/za/0901/d41/d41-02.pdf

以下さらに詳しい資料が並んでいます。

現行の法制度は、

http://www.mhlw.go.jp/za/0901/d41/d41-04.pdf

各種報告・提言等は、

http://www.mhlw.go.jp/za/0901/d41/d41-05.pdf

ここに、国民生活審議会の消費者・生活者を主役とした行政への転換に向けて(意見)、今後の労働契約法制の在り方に関する研究会報告書、男女共同参画会議影響調査専門調査会の「ライフスタイルの選択と雇用・就業に関する制度・慣行」についての報告、有識者の発言などが並んでいます。

また、最近の事例というところは最近話題になった事例がよくまとまっているので、引用しておきますね。

>○ バイク便
バイク便業界は、会社が個人事業主であるライダーと「運送(業務)請負契約」を結び、配送業務に従事させるのが一般的なため、労災や雇用保険などを適用しないケースが多い。
厚生労働省は平成19年9月27日、「バイシクルメッセンジャー及びバイクライダーの労働者性について」とする通達を出し、一定の要件を満たす場合には労働者に該当するとの見解を示した。

○ 飲食店アルバイト
大手牛丼チェーン店にアルバイトとして雇われていた者が、残業代の支払いを申し入れたところ、会社は、アルバイトの店員を、請負契約に類似する業務委託契約を結んだ個人請負であるとし、残業代支払を拒否した。
仙台労働基準監督署は平成20年12月10日、会社と賃金担当役員を労働基準法違反(賃金不払い)容疑で仙台地検に書類送検した。

○ メーカーの修理技術者
大手電機メーカーの子会社に対し、その子会社から業務を請け負っている「代行店」と呼ばれる委託契約労働者らが、待遇改善を求める団体交渉を会社に申し入れたところ、労働者ではないとして交渉を拒否された。組合はこれを不当労働行為であるとして、救済を申し入れ、中央労働委員会は、組合法「労働者」であると判断して救済命令を出したが、東京地方裁判所では労働者性は否定され、中労委の救済命令は取り消された。

○ コンビニオーナー
公正取引委員会は、大手コンビニエンスストア経営会社に対し、独占禁止法の規定に違反する行為を行っているとして、排除命令を行った。違反の概要は、会社側が優越した地位を利用し、加盟店が、消費期限の近づいている商品を値引きすることを禁止しているというものであった。
また、本年8月には、大手コンビニエンスストアの加盟店経営者を中心に、コンビニエンスストア加盟店経営者による労働組合が結成された。
※ フランチャイズ契約は、厳密には業務請負契約ではなく、一方が自己の商号・商標などを使用する権利、自己の開発した商品(サービスを含む)を提供するする権利、営業上のノウハウなど(これらを総称してフランチャイズパッケージと呼ぶ)を提供し、これにより自己と同一のイメージ(ブランド)で営業を行わせ、他方が、これに対して対価(ロイヤルティー)を支払う約束によって成り立つ事業契約である。

諸外国については、英独仏及びILOについて

http://www.mhlw.go.jp/za/0901/d41/d41-06.pdf

先行研究としては、

http://www.mhlw.go.jp/za/0901/d41/d41-08.pdf

リクルートワークス研究所、JILPT、村田弘美さんが挙がっています。

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「学卒就職」の枠外からの職業キャリア

本日届いた『學士會会報』に、JILPTの小杉礼子さんの標題のエッセイが掲載されています。

新規学卒採用からこぼれ落ちてしまう若者のコーホート分析をすると、1970年度生まれまでは8割近くが新卒就職していたのが、団塊ジュニア世代で下がり始め、1982年生まれで学卒就職比率は60%にまで下がり、その後若干上昇に転じているというデータを示し、非正規雇用からの職業キャリアには問題が多いことを述べた上で、最後に次のように述べます。

>私は、会社の外の社会が果たす人材育成機能を高めることこそが重要だと思っている。多くの日本企業は人材育成を重視してきたと思うが、ある意味では、そのことが公共職業訓練の規模を小さくし、また、学校教育における職業教育のウェイトを小さくしてきた。こうした社会の側の人材育成機能を高めることで、新規学卒就職以外の経路をたどっても、実践的な職業能力を高めることができ、自立できるだけの収入が確保できる雇用につなげることが可能ではないか。それはこれまでの学校や訓練校の枠を超えて、NPOなどでの就業経験も含めて、社会の側の教育力を活用できる枠組みを作ることである。そのためには職業能力について、さまざまな角度から可視化し、違う土壌で育った力への評価を共有する枠組みが必要だと思う。

拙著第3章はいろんなことを詰め込んだため読みにくくなっているきらいはありますが、一つのテーマはここで小杉さんが正面から言われていることを、これまでの教育システムへの皮肉を込めてやや斜め裏側から提示してみたというところです。

どうでもいいことですが、前号までは『学士会会報』だったと思うのですが、今号から『學士會会報』になったようです。もっとも、発行所は学士会のままのようです。

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立岩真也『税を直す』

2009b2 立岩真也さんの『税を直す』(青土社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.arsvi.com/ts2000/2009b2.htm#r

さて、しかし、正直言って、書籍小包が届いたとき、「青土社」という出版社名を見て「あれ?」と思いました。青土社といえば『現代思想』に『ユリイカ』。ばりばり人文系で、わたくしと接点があるような感じがしなかったのです。

封筒を開けてみると中から出てきたのは立岩真也さんの本。これまた大変意外でした。正直言ってわたくしは、これまで立岩さんの良い読者であったとは必ずしも言えないからです。社会学といっても、非常に哲学に近いところの方という印象を持っていました。ところが、題名が『税を直す』。そして帯の文句に曰く、

>多くあるところから、少なくあるところへ

>医療崩壊、介護問題、失業、格差、貧困…。迫りくるさまざまな難題を解決するためには根本的に財源が足りないと言われる。だがじつは税制のある部分を見直すことによって、消費税増税なしでも財源を確保することは十分可能だ—。丹念な思索によってさまざまな反論を吟味し導き出された、財源問題への画期的提言

かなり離れたところでそれぞれに考えていたことが、今日の社会状況の中で、意外なまでに近いところに来ていたのかな、という感じです。

立岩さんの言いたいメッセージは、上にリンクしたご自身のHPに書かれた文章を引用すると、

>言いたいことは簡単なことだ。それは幾度もその本で繰り返しているし、さきにも述べた。多くあるところから少ないところへ渡す、また普通に暮らすために多くを必要とするところに多くを渡す、それが政府の、唯一のとは言わないまでも主要な仕事であり、税金の機能である。その本義を確認し、そして実現するべきである。まずそれだけである。

>ただこんな当たり前な――と私には思われる――ことを、今言うのには、この御時世であるから、という思いはあった。

その「御時世」というのは、いわゆる「小泉・竹中ネオリベ路線けしからーん」と唱和していればいいだけの話ではありません。むしろ、それを批判すると称する側の

>そして、「官僚支配」が批判され、そして「地方分権」が称揚される。これらもわかりやすいが、すこしでも考えるとやはりよくわからない。・・・・・・財源を含めた分権がもたらしうる事態、実際にもたらしてきた事態、すなわち、各々の域の間の流出流入の「自由」のもとで、しかも税収と支出とがある域において各々によって設定される場合に、税による(再)分配機能が弱まる傾向があることにどう対するのか。

>すくなくとも争いをしようというのであれば、何を争っているのかわかる争いをした方がよいし、争うに足る争いをした方がよい。

税金をとって再分配するということに対する敵意、わたくし流にいえば、ネオリベとリベサヨの両方に共通するこの再分配国家に対する敵意が、いかにこの30年間(話は小泉改革から始まったわけでもなければ、「改革」に狂いだした90年代から始まったわけでもない、ということを、立岩さんは丁寧な知識社会学的手法によって暴き出していきます)この国を浸し続けていたのかということが、改めて目の前に突きつけられる感じです。

この本には出てきませんが、ある年齢以上の方々には、野末チンペイなるコメディアンの「税金党」なる滑稽なミニ政党が、妙にマスコミや「市民」の支持を得ていたことを思い出す方もおられるかも知れません。

ただひたすら国家の再分配機能を敵視する「リベラル」な「市民」の感覚にここまで浸された日本社会で、その論理的帰結としての「格差」や「貧困」を糾弾する「リベラル」な「市民」たち、というこの逆説は、4年前の小泉選挙から今回の選挙まで、本質的には何も変わっていないのではないか、と、「リベラル」な「市民」の皆さんは反省してみてもいいのではないでしょうか。

(なお、105ページの註08によると、今年にもワークフェア批判、ベーシックインカム称揚の共著を出されるとのことです。その際には、正面からぶつかるような「書評」を書かせていただくつもりです。)

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毎週評論さんの書評

「毎週評論」さんに拙著を書評いただきました。

http://maishuhyouron.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-daa7.html(リセット思考の拒否)

こうして、多くの方々の批評を読ませていただいてくると、ほんとにいろんな視点があるのだな、という感を強くします。

毎週評論さんが「著者に底通する最も共感できる(と私が一方的に感じた)価値観」として挙げられているのは、

>それは、最終章で既存の日本型労働組合を再活用していく道を模索しているように、「リセット思考を徹底的に拒否する」ということである。ここで「リセット思考」というのは、現行の社会制度とその歴史的な文脈、世論の感情や文化意識などを抜きにして、法律学にせよ経済学にせよ、単純に論理的な一貫性のみで政策論を展開してしまうことである。

ここで指摘される「リセット思考」について、

>残念なことに今や政治動向に圧倒的な影響のあるマスメディアでは、こういう一見歯切れのよい人たちばかりが目立ってしまっている。

>「リセット思考」の政治家や学者は、政策がうまくいかなかったことを「既得権益層」のせいにすれば、自分の責任から逃避することができる。

>われわれが下からの熟慮と討議、地道な利害の調整に基づく民主主義というものを放棄すべきでないとすれば、「リセット」は不可能なのである。

と述べられています。その挙げ句の果てとして挙げられるのは

>冷戦時代には気骨のあるバランス感覚を示していたはずの日本の保守論壇は、田母神氏のような人物を無邪気に持ち上げるまでに堕落してしまった。

と、いささか労働問題から離れますが、そのお気持ちは大変共感できます。わたしが雪斎こと櫻田淳氏の文章を愛好するのも同じ感覚ですので。ですから、

>その意味で本書は保守主義的思考のもっともよい部分を継承していると言うことができる。

という評価は、大変嬉しく、ありがたいものです。

一点だけ注釈的に申し上げておきますと、

>逆に言うと、「正社員の賃金を下げれば問題は解決する」などという「リセット思考」の持ち主にとっては、最後まで我慢して読み通せないかもしれないのだが。

正確に言えば、本書を最後まで我慢して読み通せないような「リセット思考」とは、正社員の賃金を下げること自体ではなく、ごく普通の正社員を敵として血祭りに上げることを政治的目的とするようなある種の扇情的思考だと思います。

拙著第4章は、まさに中長期的に正社員の賃金を非正規労働者との関係で相対的に引き下げることを提起しています。ただし、正社員と非正規労働者を包括する産業民主主義的枠組みの中で、「不利益の再分配」という形で。

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