「マージナル」とはちょっと違う
金子良事さんの
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-56.html(マージナルなものに目を向けることの強みと限界)
>現代では、労働問題にせよ、社会福祉にせよ、いわゆる社会的弱者に対する問題関心からスタートしたことによる、思考の縛りがどこかしらにあるのではないのか、と考えることがある。
なるほどというところもあるけど、ちょっと違うと思う。
>たとえば、労働問題はもともとブルーカラーを対象にしていた。19世紀末日本の職工はまだまだ社会的弱者であり、彼らには生活面においてもしばしば救済が必要であった。時は流れて、戦後、ブルーカラーとホワイトカラーの身分差が撤廃されたにもかかわらず、労働問題研究や労使関係研究の中で扱われるのは、相変わらずブルーカラーであることが多かった。こうした現象は技術革新の大部分を外生変数としてきたこと、および内生変数と捉えても、QCサークル活動がやたらと強調されてきたことと無関係ではない。それによって見逃されたことも多いのではないか?ホワイトカラーの研究が少しずつ始まったのはここ20年くらいのことに過ぎない。
労働問題研究のあり方の議論としては、ほとんど賛成なのですが、ブルーカラーを「マージナル」っていうのはだいぶ違和感がある。
話はまったく逆で、労働問題がブルーカラー中心だったり、社会政策が貧民中心だったりしたのは、それが数量的少数者という意味での「マージナル」ではなく、社会の中のパワー構造では弱者の側ではあるけれども、数量的にはむしろマジョリティであって、近代社会の民主主義的建前上無視することができない存在だったからではないか、と。古めかしい言い方をすれば「多数派にすべての権力を」てな感じでしょう。
そうじゃなく、数量的にも「マージナル」でしかない存在に目を付けてそのアイデンティティポリティクスを強調するようになるのは、まさに「1968」以後の「1970年パラダイム」じゃないかという気がする。
ちょうど先日稲葉さんが紹介してくれた下田平裕身氏の回想録みたいなものを読むと、
https://soar-ir.shinshu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10091/656/1/KJ00004357390.pdf(<書き散らかされたもの>が描く軌跡 : <個>と<社会>をつなぐ不確かな環を求めて : <調査>という営みにこだわって)
下田平氏はちょうどその1970パラダイムに見事にぶち当たってしまった世代だったんだなあ、と思うわけですが、その中の例えば、
>私は、少数派労働組合運動の体験、イギリスでの<異質なるもの>が併存する社会での生活体験、さらに韓国語の学習をきっかけとしたアジアにおける民族と文化の多様な存在についての認識を総合しながら、80年代初めにおける自分の社会認識のパースペクティブを再構築しようとしている。<社会>において<少数派>である存在の意味をもう一度、より広い視野で捉えなおしたいと思ったからであった。
>私は、高度成長の時代を、明治以来、日本社会のオブセッションだった<貧困>から脱出するための激しい生存競争の時代と表現している。全般的な生活水準が上昇するとともに、目に見える<貧困>は減少し、モノが満ち溢れる。ゆたかな<大衆消費社会>が到来した。すべての人が<人並みの生活>、さらには<ヨーロッパ並みの生活>を求めて競い合うエネルギーは、<経済成長>そのものをも創り出したといえる。一体的な生活競争の過程で、そこから脱落する存在、あるいは離脱する存在が生まれた。日雇労働者、派遣労働者などの不安定就労者、中小零細企業の労働者、不況産業の労働者、ブルー系、ホワイト系を問わず技術や熟練の変化に伴って労働市場からはじき出された労働者、過疎地帯の住民、失業者、農民、さまざまな傷病や心身の障害を負う人々、都市のホームレスの住民、日本に永住する少数民族、日本に出稼ぎに来ている外国人、労働災害や公害・薬害の犠牲者、高齢者、中高年者、家庭・職場における女性、子供・・・・・。私は、こうした多様な存在に、一体的な生活競争が解体し、はじき出していった、さまざまな生活の<個性>を見ていた。
というような辺りを読むと、これは少なくともそれまでの労働問題や社会政策への関心の持ち方とは相当に違うと感じざるを得ません。
それまでの多数派たる弱者だったメインストリームの労働者たちが多数派たる強者になってしまった。もうそんな奴らには興味はない。そこからこぼれ落ちた本当のマイノリティ、本当の「マージナル」にこそ、追究すべき真実はある・・・。
言葉の正確な意味における「マージナル」志向ってのは、やはりこの辺りから発しているんじゃなかろうか、と。とはいえ、何が何でも「マージナル」なほど正しいという思想を徹底していくと、しまいには訳のわからないゲテモノ風になっていくわけで。
それをいささかグロテスクなまでに演じて見せたのが、竹原阿久根市長も崇拝していたかの太田龍氏を初めとするゲバリスタな方々であったんだろうと思いますが、まあそれはともかくとして。
そのことと、ホワイトがどんどん増えていっているのに、いつまでもブルー中心の枠組みで研究し続けたことの問題云々というのはちょっと次元が違うと思う。
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