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2009年8月 3日 (月)

「空気」の研究

というと、今は亡き山本七平氏になりますが、そもそもこういう日本社会批判のスタイル自体、丸山真男氏のスタイルであったことは、このリンク先の森田朗氏の示すとおりです。

http://pari.u-tokyo.ac.jp/column/column17.html

以前、中島勧氏の「医師を増やせば医療崩壊は止まる?」(下記参照)を紹介した東大政策ビジョン研究センターのコラムですが、今回は森田センター長による「「空気」の研究」です。

>言論の自由が保障されている現代、誰でも他人の名誉や権利を侵害しない限りは自由にものをいうことができるはずである。しかし、実際の社会での会話や議論では、誰もが感じていながら、あるいは全員がそうであると認識していながら、それを口に出してはいけないこと、まして否定することなどは許されないことがある。そこにある見えない呪縛が、ここでいう「空気」である。

それに触れることはタブーであり、あえて触れると、批判され軽蔑され、最悪の場合には仲間はずれにされる。そのようなみえない呪縛を理解できず、口にしてはいけないことを口にすると「KY」として批判されるのである。・・・

>今学期、私は、法学部のゼミで、学生諸君と、新聞や雑誌の記事を素材として、現在のわが国の議論にみられる「空気」の分析を試みている。政権交代の話や地方分権、公務員批判、年金制度、防衛のあり方を巡る議論を分析してみると、確かに議論の基底には、暗黙の前提とされている考え方──「空気」──が存在しており、それを正面から問い直すことを、世論を代表しているというメディアはしようとはしないし、それと異なるものの見方が存在することも、読者に知らせようとしていないようである。

ときにそうした「空気」の存在を示し、問題点を指摘するような見解も掲載されるが、そのような山本七平氏のいう「水を差す」発言は、格好の批判の対象として、むしろその場の「空気」を強化するために使われることが多いといってよいだろう。山本氏は、こうした空気に反する発言をした者は「抗空気罪」によって断罪されると述べているが、実際には、メディアも読者も、そうした糾弾を恐れ、その場の空気によって呪縛されてしまうのである。

しかし、多くの人たちがこのような空気に支配された思考を免れることができず、それに呪縛されたまま意志決定を行うと、それこそ誰もが回避したいと思った戦争に皆が賛成し突入していった愚を繰り返すことになりかねない。

とまあ、ここまでは「総論」でして、総論としては「いや、まさにそうですなあ、空気に支配されてはいけませんなあ」「かつての過ちを繰り返してはいけませんなあ」てなことを、それこそ空気に従っていくらでも言えるわけですが、問題がこと具体的な各論になりますと、いままで「KYなどというのはけしからん」とかいってた人に限って、まさにその空気の奴隷になってしまうわけです。しかも、多くの場合、自分が空気の奴隷になっているなんて全然思わずに、自分はKYなことを言っているように思いこみながらね。

>現在の日本では、「日本の諸悪の根源は官僚であり、公務員は悪い人である」、「北朝鮮は人権を無視した悪い国である」、あるいは「地方へ権限も税源も多く移譲すればするほど、日本は繁栄する」という主張に対しては、反対意見を述べにくい。それはここでいう「空気」の支配によるものである。官僚の弁護や北朝鮮の弁護を少しでもしようものなら、また地方分権を批判するならば、厳しい糾弾を受けかねないのである。

各論が大事なゆえんは、まさにここにあります。総論人間は、「官僚は悪である」「北朝鮮は悪である」「地方分権は善である」「空気に支配されてはいけない」という総論をただ並べて話は終わりですから。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8a42.html(医師を増やせば医療崩壊は止まる?)

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コメント

「地方分権は善である」というのはもはや空気としての支配力を失っているかもしれませんね。(選挙の興味ある論点アンケートでも地方分権は最下位近くにいました)
日本の世間の大部分を占める地方=非東京居住者が、もはや地方自身の税収でみずから立つことは不可能であることを悟るほどやせ衰えたことを感じているのかも…

ポパーとか須原一秀の漸進こそが道であるというイメージでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-5f77.html
>いずれにしても大切なのは、スパッと割り切れるような正解はないという認識を共有することである。(略)
少なくとも唯一方向に進むような議論はおかしいと思うべきである。しばらく前のように、規制緩和をすると世の中何でもよくなるよう議論もおかしいし、逆に最近のように、規制を強化すれば困っている人を皆救えるというような議論もおかしい。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_96de.html
>ここで必要なのは、規制緩和を主張する連中のいうことだから全部間違っているに違いないとか、構造改革はいいことだからその主張は全部正しいに違いないといった、党派的思考停止に陥らないことである。その議論を丁寧に腑分けし、是は是、非は非として、あるべき労働法制を探っていく主体性が求められる。

あるいは
抜本改革(トライアングル)
(笑)とか。

口を酸っぱくして言っておくに越したことはないですね。

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