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2009年8月12日 (水)

権丈節を求めて紀伊国屋へ

9784778311834 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-14e2.html

でコピペした権丈節あふれる「政策技術学としての経済学を求めて――分配、再分配問題を扱う研究者が見てきた世界」ですが、なかなか近くの本屋では手に入らなくて、新宿紀伊国屋まで買いに行きました。

権丈先生以外にも、こういうラインナップなんですが、

http://www.ohtabooks.com/publish/2009/08/04125337.html

・資本主義の「不都合な真実」/岩井克人
・ケインズの予言と利子率革命/水野和夫
・100年に一度や二度は起きても不思議はない普通の「危機」についての、ひどく常識的な結論/稲葉振一郎
・政策技術学としての経済学を求めて/権丈善一
・我は如何にして活動家となりし乎/湯浅誠
・反資本主義のエナルゲイア/白石嘉治

まあでも、「権丈善一先生に尽きる」という稲葉振一郎氏の評に同感。

上のエントリでコピペした以外の部分で、引用する値打ちのある部分を、以下に再現します。

>経済学、特に人々の生活に影響を与える、「政策」領域と密着する経済学分野を学ぶということは、経済学のテキストを読んで、計量経済学を学び、そしてデータをコンピュータにダウンロードして加工して、「はい、論文ができました」というものでは決してない。経済研究というものは、経済現象にまつわる事実と制度を正確に調べ、そこで何が起こっているのかこれからどのように変化していくのかに想像をめぐらせ、それらの現象と関連のある複数の価値の間の優先順位をつける判断の連続、しかもその時代時代における利害の対立、権力の分布を詳しく知り、その力の分布図をアダム・スミスが『道徳感情論』でいう公平無私な第三者の立場から俯瞰的に眺めた上で、リアリズムのある問い、分析と総合、判断の連続という作業から成り立っている。

そうであるはずなのに、最近社会保障の研究領域に参入してきた、すぐに「経済学的には」という経済学の門外漢にはそれが責任逃れの前口上にしか聞こえない言葉を口癖とする、自称「経済学者」は、不思議と制度を知らない、歴史を知らない、さらにいえば、面白いほどに政治も分かっていない。ゆえに、問いもトンチンカンならば答えもトンチンカン。その上彼らには、制度の細部も知らないままに政策提言するという傾向もある。政策論というのは細部への知識と洞察が生命線なのであり、制度の細部への知識と洞察が、思考の碇となって思想のブレを抑える働きもするわけである。しかしながら、そうしたことが、今日の経済学教育の中ではあまりにも軽視されている

まさに、権丈先生が社会保障分野で日夜感じておられることを、わたくしは労働分野で日夜感じておるわけです。

制度を知らない、歴史を知らない、政治も分かっていない、トンチンカンを絵で描いたような方々が、知ったかぶりして労働を論じるというこの日本の惨状を、何とかしてくださいよ。

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