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2009年8月20日 (木)

採用内定労働契約成立説の制度的基盤

ちょっと専門っぽいはなしですが、

大日本印刷事件判決以来、採用内定がすなわち労働契約の成立だというのは冒すべからざる金科玉条となっているように見えますが、そして、拙著でもそれを究極の「ジョブなきメンバーシップ」のみの雇用契約として提示していますが、あらためて元の判決に戻って、なんで「たかが」採用内定が労働契約の成立と判断されたのだろうか、を振り返ってみると、実は教科書の記述には出てこないある事情があったことが判ります。

それは、この事件の原告になった学生が大日本印刷に内定した頃の大学生の就職というのは、今のような「就活」なんてのはなくて、大学の推薦で、しかも高校の一社主義まではいきませんが、「二社制限、先決優先主義」をとっていて、制度的に内定した企業以外にはいけない仕組みになっていたということなんですね。

>上告人は、綜合印刷を業とする株式会社であるが、昭和四三年六月頃、滋賀大学に対し、翌昭和四四年三月卒業予定者で上告人に入社を希望する者の推せんを依頼し、募集要領、会社の概要、入社後の労働条件を紹介する文書を送付して、右卒業予定者に対して求人の募集をした。被上告人は、昭和四〇年四月滋賀大学経済学部に入学し、昭和四四年三月卒業予定の学生であつたが、大学の推せんを得て上告人の右求人募集に応じ、昭和四三年七月二日に筆記試験及び適格検査を受け、同日身上調書を提出した。被上告人は、右試験に合格し、上告人の指示により同月五日に面接試験及び身体検査を受け、その結果、同月一三日に上告人から文書で採用内定の通知を受けた。右採用内定通知書には、誓約書(以下「本件誓約書」という。)用紙が同封されていたので、被上告人は、右用紙に所要事項を記入し、上告人が指定した同月一八日までに上告人に送付した。本件誓約書の内容は、
 「この度御選考の結果、
採用内定の御通知を受けましたことについては左記事項を確認の上誓約いたします
   記
 一、本年三月学校卒業の上は間違いなく入社致し自己の都合による取消しはいたしません
 二、左の場合は
採用内定を取消されても何等異存ありません
 「1」 履歴書身上書等提出書類の記載事項に事実と相違した点があつたとき
 「2」 過去に於て共産主義運動及び之に類する運動をし、又は関係した事実が判明したとき
 「3」 本年三月学校を卒業出来なかつたとき
 「4」 入社迄に健康状態が選考日より低下し勤務に堪えないと貴社において認められたとき
 「5」 その他の事由によつて入社後の勤務に不適当と認められたとき」
というものであつた。ところで、滋賀大学では、就職について大学が推せんをするときは、二つの企業に制限し、かつ、そのうちいずれか一方に採用が内定したとき、直ちに未内定の他方の企業に対する推せんを取消し、学生にも先に内定した企業に就職するように指導を徹底するという、「二社制限、先決優先主義」をとつており、上告人においても、昭和四四年度の募集に際し、少なくとも滋賀大学において右の先決優先の指導が行われていたことは知つていた。被上告人は、上告人から前記
採用内定通知を受けた後、大学にその旨報告するとともに、大学からの推せんを受けて求人募集に応募していた訴外ダイキン工業株式会社に対しても、大学を通じて応募を辞退する旨通知し、大学も右推せんを取り消した。その後、上告人は、昭和四三年一一月頃、被上告人に対し、会社の近況報告その他のパンフレツトを送付するとともに、被上告人の近況報告書を提出するよう指示したので、被上告人は、近況報告書を作成して上告人に送付した。ところが、上告人は、昭和四四年二月一二日、突如として、被上告人に対し、採用内定を取り消す旨通知した。この取消通知書には取消の理由は示されていなかつた。被上告人としては、前記のとおり上告人から採用内定通知を受け、上告人に就職できるものと信じ、他企業への応募もしないまま過しており、採用内定取消通知も遅かつた関係から、他の相当な企業への就職も事実上不可能となつたので、大いに驚き、大学を通じて上告人と交渉したが、何らの成果も得られず、他に就職することもなく、同年三月滋賀大学を卒業した。なお、上告人の昭和四四年度大学卒新入社員については、同月初旬に入社式の通知がなされ、同時に健康診断書の提出が求められた。右入社式は、同月三一日に大学新卒の採用者全員を東京に集めて行われたが、式典は一時間余りで、社長の挨拶、先輩の祝辞、新入社員の答辞、役員の紹介、社歌の合唱等がなされた。式典に集つた新入社員は、その日、式典終了後、卒業証明書、最終学年成績証明書、家族調書及び試用者としての誓約書を提出し、東京で約二週間の導入教育を受けたのち、上告人の各事業部へ配置され、若干期間の研修の後それぞれの労務に従事し、上告人の定める二か月の試用期間を過ぎた後の同年六月下旬に、更に本採用者としての誓約書を保証人と連署して提出し、社員としての辞令書の交付を受けた。上告人における大学新規卒業新入社員の本採用社員としての身分取得の方法は、昭和四四年度の前後を通じて、大体右のようなものであつた。

改めて思うのは、労働契約法というのは純粋の私法ではなく、こういった労働をめぐる社会の制度的枠組みを前提として構築されているものだということです。ところが、教科書的に採用内定とはすなわち労働契約の成立なりとお経を読むように覚えてしまうと、このへんの感覚が却って喪われてしまうのではないか、と思います。

学校のメンバーから会社のメンバーへの移行という組織的なメカニズムを前提とした法理は、そういう限定を付けたものとして理解し、使うのでなければ、たまたまあるシチュエーションにふさわしかった法理をそうでない状況に無理に押しつけることにもなりかねないからです。

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コメント

社内の勉強会でこの判例を取り上げたとき、ある若手社員から「内定者は簡単に内定を辞退できる一方で、会社の内定取消しが制限されるのはおかしい」というコメントがありました。若手君にしてみれば、「純粋私法的に契約当事者は対等」というよりも、「是非、御社でお世話になります」といって握手した内定者が、後日「スイマセン、○○社さんから内定が出まして」などという内定辞退パンチを食らった実体験からのコメントですが。
折を見て、当時の「制度的に内定した企業以外にはいけない仕組み」を補足してあげるつもりです。そしてできれば、労働契約法の深い理解にまでつなげられればと思っていますが(難しそうです)。

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