1970年パラダイム
いや、上下併せて2000頁を超えるような大著を読み始めるだけの余裕はあまりないもので、とりあえず最後の「結論」というところだけをざっと走り読みしただけなんですが、
http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/1968.htm
結局のところ、結論でいうところの「1970年パラダイム」なるものがなにゆえに生み出されたのか、という問題意識から、その原点である1968年を探求しようと書かれたものではないか、と。
そして、その「1970年パラダイム」とは、本ブログで「リベサヨ」とペジョラティブに呼んできた「サヨク」なものの考え方の謂いであるといってほぼ間違いではなさそうです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c3f3.html(赤木智弘氏の新著)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)
>赤木さんにとっては、左派というのはいまの社民党みたいなものなのでしょうね。福島瑞穂さんみたいなのが「左派」の典型なのでしょうね。それは、年齢から考えれば、生きてきた時代状況の中ではまさにそうだったのですから、やむを得ないところがあります。
しかし、それは高度成長期以後のここ30年くらいのことに過ぎません。
それまでの「左派」というのは、「固有性に対する差別」を問題にするのはブルジョア的であり、まさに「努力しても報われない弱者」働いても働いても貧しさから逃れられない労働者たちの権利を強化することこそが重要だと考えるような人々であったのです。リベラルじゃないオールド左翼ってのはそういうものだったのです。赤木さんとおそらくもっとも波長があったであろうその人々は、かつては社会党のメイン勢力でもあったはずなのですが、気がつくと土井チルドレンたちが、赤木さんの言う「「固有性に対する差別」とたたかうことを強調するあまりに、「固有性でない差別」に対する理解が浅くなってい」る人々、私のいうリベサヨさんたちが左派の代表みたいな顔をするようになっていたわけです。この歴史認識がまず重要。
リベじゃないオールド左翼にとっては、「経済の強弱に於いて社会責任を付与」することは当然でした。当時の状況下では、これは、「女房子供の生活費まで含めて会社に賃金を要求する」こととニアリー・イコールでした。終戦直後に作られた電産型賃金体系が一気に日本中に広まったのは、そのためです。
しかし、やがてそういうオールド左翼のおっさんたちが、保守オヤジとして指弾されるようになっていきます。彼らに「固有性に対する差別」に対する感性が乏しく、「左翼は女性差別的」と思われるようになったからです。
ここまでの歴史が、おそらく赤木さんの認識の中には入っていません。その後の、オールド左翼が消えていき、社民党とはリベリベなフェミニズム政党であるとみんなが思うようになるのは、せいぜい80年代末以降です。そして、その後の彼らに対する認識は、赤木さんの言うとおりです。
リベサヨとネオリベが紙一重であるということは、実はこのブログでも何回も繰り返して述べてきたことです。そこを「左派」という言葉で括ってしまうと、せっかくの赤木さんの的確な認識が全然生きなくなります。むしろトンデモな言葉に聞こえてしまうのです。
>彼は、自分が「いわゆる左派」だったというのですが、その「左派」ってのは何かって言うと、最初に出てくるのが、オウム真理教バッシングに対する批判なんですね。
それが左派かよ!そういうのはプチブル急進主義って言うんだぜ!
と、昔風の左翼オヤジはいうでしょう。
オウムだの幸福の科学だの、そういう大衆をだまくらかすアヘン売人どもに同情している暇があったら、その被害者のことを考えろ!
と、ゴリゴリ左翼はいうでしょう。
でも赤木さんにとっては、そういうリベリベな思想こそが「左派」だったんですね。このボタンの掛け違いが、この本の最後までずっと尾を引いていきます。
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