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2009年7月15日 (水)

「身体を張る」ということ

労務屋さんが『POSSE』第4号について連投でいろいろコメントしておられます。

格差論壇MAPに「これだけ?」という感想は実はまあもっともなんですが、そこからあれだけいろんなネタが引き出せるということで。

大変興味深かったのは、例の「なんともはや」の鼎談です。

労務屋さんはどちらかというと杉田・増山コンビにシンパシーを感じておられるような。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090714「POSSE」第4号続きの続き

>杉田さんと増山さんにはすでに相当のリアルな活動の実績がある。言論活動だけでなく、実際に身体を動かしての活動もかなり実践してきているわけです。もはや彼らはそうした人生を歩んでいくほかの道はなかなか見出しにくいし、それでいくしかないとの覚悟もできているでしょう。

それに較べると、後藤さんはまだ実践が乏しく、政策提言、経済学や労働法の世界で世の中をなんとかしようとしているわけです。

>ところが、杉田さんや増山さんにしてみれば、それはとっくに乗り越えちゃった過程で、おそらくいくら政策提言をしてみてもなんの影響力もない、なんらかの実践、影響力を持った上で発言していかないと経済学や労働法の世界は動かないということを、たぶん身をもって知っている。彼らにとってみれば、政策を勉強して提言をまとめることも必要だけれど、しかしそれはすでに誰かが何度もやっていることであって、自分たちがやってきたような、それを実現に結びつけるパワーになるような実践活動のほうが大事だと思っているのでしょう。

うーーん、わたしの率直な感覚では、

>杉田さんや増山さんは身体を張ってきたことで相当程度深く問題の「当事者」になっている

といえるのだろうか、と感じるわけです。それこそ、

>精神の貧困がヘチマとかオルタナティブが滑った転んだという議論

をしている人が

>一朝一夕には解決しないから、根本なのだ。本当の関係者は、一歩ずつ解決策の積み重ねを、地道に模索している。

というタイプなのでしょうか、逆なんじゃないの?と。

率直に言って、空疎な理屈だけが空回りしているような印象を受けました。これでは、湯浅さんや雨宮さんの「身体を張った」活動のように、世の中を動かすのは少し難しいのではないでしょうか。

(追記)

同じ『POSSE』第4号のインタビューで、私はいわゆるロスジェネ論壇についてこう語っています。

>今野:濱口さんから見て、ロスジェネとか、今注目を浴びている人たちは、このマップで分析することはできるでしょうか?

濱口:この中で位置付けるというというよりは、どちらかというと彼らは問題提起をしているだけであって。それは問題提起をすること自体に意味はあるけれども、それが今後の社会のあり方をどういう方向を目指すのかというところまでの反省の次元になっているわけではないと思います。しかし、それを彼らに要求するべきなのかという問題もあるわけですね。
私はそこにある種の議論の分業があってもよいと思います。しかし、分業するためにはきちんと問題提起を受けとめて、議論を整理する人がいなければなりません。赤木さんの議論も同じようなもので、要するにあれは「叫び」です。叫びは叫びとして意味があるのですが、彼の思考では、自分の客観的な位置付けそのものがかなり危ういんですね。雨宮さんも含めて、「運動型」、「叫び型」の人々に共通の問題です。叫びそのものに意味があるのだけれども。

赤木さんや雨宮さんは「叫び」だといっても、その叫びはちゃんと心に届く言葉になっているわけです。湯浅さんはもう一段上で、「叫び」を人々の心に上手く届かせるように見事に捌きを見せています。

後藤さんは自分は「叫び」なんかにとどまってなるものかと思っているのでしょうが、私はそこは、「叫び」にもちゃんと社会的な意味がある、大きな意味があると思っています。

私がそれなりに評価している「ロスジェネ論壇」というのは、そういうちゃんと心に届く「叫び」なのです。杉山さんや増山さんは何かを叫んでいるらしいことは窺えるのですが、何を言わんとしているのかがさっぱり分からない。要するに、「叫び」が人の心に届く言葉になっていないのです。それこそ、労務屋さんではないけれど、ヘチマが転んだという以上のメッセージが届かない。

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コメント

揚げ足を獲るつもりは無く、素直な疑問なのですが、杉田さん達の「「叫び」が人の心に届く言葉になっていない」とのご判断は、どのような基準によって為されておられるのでしょうか。濱口さんの心に届かなかったことは解りますが、その一般化はどうして可能なのでしょう。

私は鼎談を読んでおりませんし、増山さんについてはどのような方なのかも存じませんが、素朴に考えて、ある程度の人の心に届く言葉を発してきたから、このような発言の場を得るに至っているのではないのかな、と思うわけです。

単純に、『POSSE』の鼎談における発言が、私にはまったく理解できなかったというだけのことです。

このお二人がどこでどういう発言をされてきて、この鼎談に出席するに至っているのか私はつまびらかではありませんが、少なくともかつて朝日新聞紙上で対談させていただいた雨宮処凜さんとは、3時間近く喋って、その言葉はすべて私の心に届く思いがしておりましたので、だいぶタイプが違うのであろうと考えています。

鼎談を読まれた労務屋さんがお二人にシンパシーを感じておられるようだったので、わたくし以上に実務家的視点で物事を見ておられるはずの方なのに「あれ?」と感じたという次第であって、別段何かを「一般化」しようなどと思っているわけではありません。

是非きはむさんの鼎談を読まれた感想をいただければ幸いです。

お返事ありがとうございます。あいにく、私の行動範囲にある書店では『POSSE』を置いていないようなので、テクストにあたらないままでコメントを重ねる無作法をどうかご容赦ください。

さて、それが一般化ではないとすると、私にはかえって解らなくなるところがあります。単に濱口さんの心には届かなかったというだけのことだとお考えならば、それが濱口さん以外の人々の心には届き得るものである可能性については、少なくとも否定されておられないということでしょう。要するに、杉田さん達の方に激しく共感する人々も、まぁいるだろう、と。

そこで、こういった類の「叫び」を届かせてしまう心を持つ人の方がおかしい、と判断するのでない限り(そうした判断は一つの立場として有り得ますが)、その「叫び」が「届いてしまう」(と敢えて書きますが)のには、何かそれなりの理由(一定の主観的合理性)が存在するのだろう、との考えに進むことになると思います。私は、社会学や経済学がその本領を発揮するのはこの地点においてではないのかなと思いますし、「届くべきでない」(と敢えて一方的に誇張しますが)声が「届いてしまう」理由を分析する作業の必要性自体には、たぶん合意を取り付けることができる気がします(実際にはその次元の合意すら形成させてもらえなかった個人的経験が多々あるので微妙ですが)。

杉田さんの主眼はたぶん、(相対的に)外在的な「理由」とはまた別に、そこに絡めとられてしまう自己の内的問題、いわゆる精神の問題への文学的問題関心にあるので、これまた厄介ですが(単純ではないという意味で)。しかし、「実務」的な部分こそが最も重要だと考えるからといって、分析的な関心や杉田さん的な関心を、少なくとも排除したり非難したりする必要は無い。正直に申し上げて、私とてそうした精神や実存の問題にはほとんど関心が無いのですが、ただそれが決定的に重要なんだと感じる人はいるだろうな、ということは分かる。だから、その問題はそれとして追究してくれればいいかな、と思います。

要するに何が言いたいかと申しますと、私には喧嘩別れするほどの対立に必然性が感じられないのです。(増山さんについては何も知らないので)少なくとも杉田さんは法制度や社会実態の細々とした部分を疎かにするような方ではなく、そういうそれとして重要なこととは別に、取り組むべき問題が此処――しばしば「私の中」――にある、と言う人でしょう。ならば、それもあるかもね(・けど私には興味無いな)、役割分担で行きましょう、という割り切りで済む話のはずです。なぜそういう多元的な態度は採れないのかな、と不思議に感じてしまうのです。

彼らの声が人の心に届くようなものではないという判断を仮に一般化できるのならば、彼らが発言の場を得ているのは何かの間違いだということで話は簡単に終わらせることができそうなのですが、単に自分の心には届かないから評価しないということですと、でもそれを評価する人もいるわけで、その事態そのものをどう評価すべきなのか、という面倒な問題が生じてくるように思えるのです。

長々とややこしい理屈をこね回して申し訳ありません。もちろん必ずしもお返事して頂かなくとも結構です。失礼致しました。

別に、わたしが喧嘩別れしているわけでもなければ、後藤さんが積極的に喧嘩を売っているわけでもなく、「それもあるかもね(・けど私には興味無いな)、役割分担で行きましょう、という割り切りで済む話」を、割り切れずに妙に攻撃的になっている杉田さんの姿に大変違和感を感じるというだけなのですが。

わたしは人の「いわゆる精神の問題への文学的問題関心」それ自体をあれこれあげつらうつもりは端からありません。ただ、「いわゆる精神の問題への文学的問題関心」がないのがけしからんと後藤さんが糾弾されている姿は、いささか自分を重ねて見てしまいがちな偏見があるのは認めます。

「いわゆる精神の問題への文学的問題関心」を評価する人々の間でお互いに心に届きあっていること自体をどうこう申し上げているわけではないということだけ理解いただければ。

ご意見ありがとうございました。お返事は、私のブログにエントリを立てて書かせていただきました(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090716
ポイントだけ申し上げますと、まず私は杉田、増山、後藤各氏には等しくシンパシーを感じておりません(関心は持っていますし、それぞれ正当に評価したいとは思っておりますが)。これは私の主義主張に関する部分ですので為念。
その上で、仮にhamachan先生が私が杉田、増山両氏のほうにより少なく「好意的でない」と感じられたとすれば、それはおそらく実践、行動を重視する私の実務家的発想の反映だろうと思います。実際、両氏には介護やアートの分野でかなりの実践の蓄積がありますし、丸の内オアゾの丸善では「フリーターズフリー」も「ロスジェネ」も「POSSE」と並べられて売っていましたし。
いっぽう、私としては両氏の「精神の貧困がヘチマ」だの「ブッダがどうしたこうした」という言説は意味があまりよくわかりませんし、実務家としてはこういう意味不明な言説にはもちろん抵抗がありますが、なにせ「論壇」のことでもありますので、わからないからといって否定はしないでおこう、くらいのレベルにとどまってしまっているわけです。

たぶん、杉田氏や増山氏の「ロスジェネ」というのが、別段就職氷河期にぶち当たったから悩んでいるわけではなくて、

>100年前、世界の中心・ロンドンで精神を病むまで近代を味わい、高等遊民という名の「ロスジェネ」を主人公に小説を書き続けた夏目漱石。
 漱石の死の数年前に渡仏、芸術の都・パリで喝采を浴びるという日本画壇の悲願を達成しながら、太平洋戦争中その力のすべてを「戦争画」に叩き込んだ藤田嗣治。
 彼らの絶望と希望を私たちは一度でも魂で受け止めたことがあるのか。

というたぐいの「高等遊民」的悩みであることに対して、私がより感覚的に反発を感じているということなのではないかと思います。

http://losgene.org/event/20090810.html">http://losgene.org/event/20090810.html

いや、もちろん、夏目漱石がロンドンで悩み、藤田嗣治がパリで悩んだことが大事でないなどというつもりはなく、それは文学的、芸術的観点からはきわめて重要な問題なんだろうなあとは思うわけですが、それが「ロスジェネ」なの?という素朴な疑問は抱いてしまうわけです。

少なくとも、まっとうに正社員として就職したかったのに就職氷河期でそうできずにフリーターやってますというような、はなはだ非文学的かつ非芸術的な俗っぽい悩みにシンパシーを抱いてしまうような俗っぽい人間からすると、

>現実の矮小化、下らぬマッピング、偽の問題、愚劣な揶揄が許される時間はもう終わりだ。

と仰られても、いやまあ、そういう矮小で愚劣な世界で生きておりますもので、としかいいようがないような。

これはいかなる意味でも、そういう文学的芸術的世界をおとしめているつもりはありません。

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