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2009年7月 6日 (月)

苅谷剛彦『教育と平等』

102006 中公新書の新刊で、苅谷剛彦氏の『教育と平等』がでていました。

http://www.chuko.co.jp/new/2009/06/102006.html

>戦後教育において「平等」はどのように考えられてきたのだろうか。本書が注目するのは、義務教育費の配分と日本的な平等主義のプロセスである。そのきわめて特異な背景には、戦前からの地方財政の逼迫と戦後の人口動態、アメリカから流入した「新教育」思想とが複雑に絡み合っていた。セーフティネットとしての役割を維持してきたこの「戦後レジーム」がなぜ崩壊しつつあるのか、その原点を探る。

ということで、実際、辛気くさいほど緻密な教育財政の歴史分析が続く本で、新書だと思って軽く読めると思うと間違います。ハードカバーの新刊の方が軽く読めます。

しかし、文部省が主導した日本的な「面の平等主義」を中央集権化だ、画一化だ、と批判した戦後進歩派のロジックが、そのまま格差を容認し促進するロジックにつながっていったアイロニーは、他の様々な領域でも演じられてきたわけです。

コーゾーカイカクが褒め言葉から叱り言葉に移行した今日ただいまにおいてすら、チホーブンケンが依然として正義の旗印であるらしいこの日本で、この本のメッセージがどのように受け止められるのかも興味深いところです。

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コメント

自分もかつて「首都機能移転の掲示板」で議論したことがあるんだけど、その際問題になっていた首都機能移転論Vs.移転反対派の議論にしてさえ実は「東京を経済的に強化することで、日本は繁栄するんだ」って前提への批判が全く無い一点について通底しているんですよね。石原の「国の首都」という言説は勿論、移転推進派の堺屋太一にしてさえ遥か昔から東京の経済的一極集中を是認する立場だった訳で。

昨今では、マスコミに出てくる知事が「知事連合」とか言っているみたいですけど、その彼らにしてさえ東京のメディアと経済力があるから大声を挙げられ地元を売り込めるというアイロニーがある。この現状を温存したまま「地方分権」してみても、それは永田町や霞ヶ関に代わって大手町や日本橋の言うままの地方政治になるだけって気がするのですが・・・・・

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