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2009年7月28日 (火)

金子良事さんの批判

金子良事さんから拙著に対する批判をいただきました。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-43.html(『新しい労働社会』の提唱する新しい職場からの産業民主主義について)

戦前から戦時下にかけての労務の実態についての議論はブログ読者の関心からはいささか外れるでしょうから、第4章でのわたしが提示している政策方向についての批判が重要です。

>私はそもそも労働組合の形態としてユニオン・ショップに反対です。理想主義と言われようが、原理主義といわれようが、労働組合の理想は労働者の自主的活動にあると考えているからです。

>私は断然、中村圭介流の古風な産業民主主義を支持します。

>私が問題提起したいのは、いったい、新しい労働者組織を作って、誰が運用していくのか?ということです。言い換えれば、リーダーをどうやって育てるのか?ということです。現実的には、濱口案が実現すれば、既存の組合のリーダーの力が必要になるはずですが、何れにせよ労働者代表組織観を変えてもらわなければならない。それはどうやってやるのか?ということです。

実は、第4章での私の議論は本質的に矛盾を抱えています。「186ページの挑発」というのは、詰まるところ、「労働者代表組織は労働組合であってはならないが、労働組合でなければならない」ということなんですね。この論理的矛盾を論理的に解決するのは簡単で、どっちかに身を寄せてしまえばいいのです。

それをあえてしないで、労働組合を労働組合のままで包括的労働者代表組織にしてしまおうという論理的矛盾をわざと晒しているのが第4章なので、だからこそ、(世間で流行っている労働の議論からすると「地味」に見えますが)これほどコントロバーシャルで炎上しやすい議論もないはずだと、私は思っているわけです。論理的に二律背反のはずなのにあえてそういう議論を提示しているところに、わたしのリアリズム観があると考えていただければ。

細かい議論は、2年前に連合総研で出した『労使コミュニケーションの新地平-日本における労働者参加の現状と可能性』 の中の「労働者参加に向けた法政策の検討」で若干やっています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sankachap5.html

また、昨年『労働法律旬報』に書いた「過半数組合論の必要性」でもちょっと違う観点から述べています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roujunkahansuu.html

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コメント

今日はありがとうございました。

遅まきながらリンク先のものも拝見しましたが、ユニオン・ショップまで書いておいてよかったなと思いました。思っていた以上に噛み合って、ちゃんと「身を寄せる」べき両極が揃ったのは、何よりでした。

こちらこそ、楽しい時間をお過ごしいただけたとすれば幸いです。

今後とも、いろんな局面で辛口のご批判をお願いします。

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