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2009年7月 9日 (木)

『POSSE』第4号さらにつづき

Hyoshi04 さらに、『POSSE』第4号の話題を続けます。

「なんともはや」の鼎談の次にくるのは、阿部真大氏の「『やりがい』は間違っちゃいない」です。

阿部氏は『搾取される若者たち』などで、不安定な就業形態のもとで仕事にのめり込んでいく姿を批判的に描き出したわけですが、ここでは「やりがい」をポジティブに捉えています。

それはいいのですが、なんというか、「今の日本の状況だと、『やりがい』を求めてフリーターを選ぶとずっと『底辺』のままで這い上がることすらできなくなってしまう」という言葉に示されているように、「やりがい」は不安定な仕事にこそあって、安定した仕事は「やりがい」のないつまらない仕事であるかのような二分法が裏に感じられます。

しかし、日本的雇用システムというのは、ある意味で会社のメンバーとしての安定感とともに、会社の運営に参加しているという「やりがい」を感じさせながら、協同的自発的に「搾取」するシステムであったわけで、それが果てしない長時間労働の源泉ともなってきたことを考えれば、そして、資本主義的企業に対するオルタナティブを称するある種の事業体が、まさにそういう「やりがいの搾取」の仕組みとなっていることを考えれば、実は問題は大変複雑に入り組んでいるのであって、あまり単純な図式に押し込めない方がいいのです。

先に紹介した『情況』7月号で、パルシステムと生活クラブの2生協の方が対談していますが、高度成長期に新左翼の活動家だった方々が、党内闘争に敗れて地域運動に入り、生協活動をやってきたんですね。それがその後の高度消費社会にうまく対応するところがあって、事業が拡大されてきたのだと思いますが、それは実は日本的雇用システムを再上演しているところもあるように思われます。

http://homepage3.nifty.com/rouso/

こんにちは。
私たちは生活クラブ生協神奈川で働く労働者による労働組合です。

生活クラブ生協は、「安全・健康・環境」を原則とした共同購入の他、
地域福祉・まちづくりにも積極的に関わる生協として知られていますが、
私たち職員にとっては、昼休みも充分に取れず、
サービス残業を含む長時間の時間外労働を前提としたような業務形態、
成果主義に基づく新賃金体系導入による大幅な生涯賃金の減額、
トップダウンの決定機構など、
変えていかなければならない問題が山積しています。

当たり前のことですが、生協の中でも経営側と私たちとでは
立場の違いが存在します。
私たち労働組合は生協から自立して自らの労働条件と労働環境を改善し、
いきいきと働ける職場づくり、
働く者の自治領域の拡大のために闘っています。

日本的雇用システムの問題が難しいのは、それが欧米型の雇用システムのようにやりがいの薄い仕事をやらせる代償として高い労働条件を保障するという社会的交換ではなく、やりがいのある仕事をやらせる分、労働条件にあまり文句が言えないという社会的交換になっている面があるからです。生協の仕事も同じでしょう。確かに「やりがい」は間違っちゃいません。しかし、「やりがい」のやりすぎには注意した方がいいのは、株式会社でも協同組合でも変わるところはないはずです。

ものごとを論ずるなら、ここまで踏み込んで論じないといけないでしょう。

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コメント

欧米と日本でそういう違いがあるとすると、アクティベーションに対するイメージも違ってくるような。
日本だと「仕事に喜びを見出せるような人間に育てる」みたいなイメージが付随しそうだ。

>欧米型の雇用システムのようにやりがいの薄い仕事をやらせる代償として高い労働条件を保障するという社会的交換

この部分の具体的なイメージがつかめません。過去の関連ブログなどをご教示いただくとうれしいのですが。

日本の社会的交換については、実感できます。

アメリカ型フォーディズムの一般的なイメージでしょう。

ありがとうございます。すぐに気づくべきでしたね。

始原のところに思いをはせると、他所より高い賃金(5 dollars a day)と交換したのは、「やりがい」だったのでしょうか?
そもそも「やりがい」というようなものは、近代の労働観に付随して発生したものと考えます。それ以前の「労働」には、やりがいもへったくれもなかったのでしょうから。
その段で言えば、「やりがい」論は一見、贅沢な悩みに見えるのですが、ここ一連のブログを読むと、それはそれはリアルな問題であることが分かりました。


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