労働と福祉国家の可能性
生活経済政策研究所より、『労働と福祉国家の可能性-労働運動再生の国際比較』(ミネルヴァ書房)をお送りいただきました。
まだミネルヴァのフクロウさんのHPに載っていないので、生活研のHPのシンポジウムの案内のページにリンクしておきます。
http://www.seikatsuken.or.jp/info/20090612simpo.html
>シンポジウムのご案内「今なぜ労働運動か」
深まる世界経済の破綻、日々失われ分断されてゆく雇用、そして踏みにじられる保障と生活世界。福祉国家と民主主義と平和の主たる担い手だった労働運動は、戦後最大といわれる現在の危機の時代に、どのような構想を持って運動を進めていけばいいのか。労働運動の自己革新の課題は何か。労働運動への期待が高まっている今日、雇用の同権化、社会運動ユニオニズム、新しい社会保護システムの創出、国際労働連帯などを軸に労働運動の今とこれからを語り合う。
>本シンポジウムは、小研究所の研究成果として出版される『労働と福祉国家の可能性:労働運動再生の国際比較』(新川敏光・篠田徹編 ミネルヴァ書房 本体価格3800円)の刊行記念事業として行われるものです。
ということで、
『労働と福祉国家の可能性;労働運動再生の国際比較』の内容(新川敏光/篠田徹編著 ミネルヴァ書房 本体価格3800円)
21世紀型労働運動を展望する(新川敏光)
日本の労働政治(中北浩爾)
日本の労働運動(鈴木玲)
韓国の民主化とグローバリゼーションのはざま(磯崎典世)
現代アメリカ労働運動の歴史的課題(篠田徹)
カナダの労働運動と第4の道(新川敏光)
オーストラリアの労働運動・労使関係と福祉国家(杉田弘也)
イギリスの労働運動と福祉国家(今井貴子)
フランス労働組合と団体交渉・社会保障(松村文人)
ドイツの労働運動と政治(安井宏樹)
オランダのコーポラティズムと対抗戦略(水島治郎)
イタリアの労働政治(伊藤武)
スペインの社会的協調と「遅れてきた」福祉国家の改革(横田正顕)
スウェーデンの福祉国家と労働運動(宮本太郎)
ヨーロッパ化する労働運動(小川有美)
新段階へ向かう国際労働運動(小川正浩)
幾つもの労働運動再建物語(篠田徹)
各国の章はいずれも大変参考になりますが、日本の諸章については、人によっていろいろと議論のあるところでしょう。
私が大変気になったのは、鈴木玲氏の書かれた第2章(日本の労働運動)の中の、「企業別組合、コミュニティユニオンの言説分析」というところです。
ここでは、企業別組合のリーダーたちと、コミュニティユニオンのリーダーたちの公式の発言の内容を分析して、企業別組合の言説は労働者の個別化を促進するものであり、込むにティユニオンの言説は不正義に怒り連帯を求めるものだと述べているのですが、正直言って、あまりにも言葉を真正面から受け取りすぎて、政治的言説を政治的文脈で分析するということになっていないように思われます。
企業別組合リーダーの言葉は、まず何よりも主流派志向の言葉であり、コミュニティユニオンリーダーの言葉は、まず何よりも反主流派志向の言葉である、ということを抜きにして、言われている中身をそのまま受け取ってはいけません。
これらの言葉が発せられた時期は、世の中が個人主義こそが正義で、集団主義は悪であるという考え方が猛威をふるっていた時期です。これが、保守派よりもむしろいわゆる革新派にこそ強かったことは、中間集団全体主義を指弾する言説が自民党よりも遙かに社民党と親和的であったことを想起すればよく分かるでしょう。
そういう流れの延長線上に小泉改革があり、中間集団の既得権をぶっ壊せ、が左右を問わぬ時代精神になっていたその時代の中で、まさにその中間集団の典型である労働組合が時代の流れに棹さそうと思えば、内心は「何を莫迦なことを」と思いながらも、個別化バンザイ的な言説になるのは不思議なことではありません。
同じ企業別組合のリーダーが、70年代半ばから90年代半ばにかけての時代には、やはり時代精神に沿う形で、集団主義志向の言説を語っていたことと、それは同じ現象なのであって、文字面だけで「分析」しても仕方がないのではないかと思うのです。
逆に、コミュニティユニオンの言説は、そういう企業別集団主義に対して、労働者個人の権利性を強調するという意味で、言葉の正確な意味における個別化促進的言説であるはずですが、それを(いささか理念的な)「連帯」という言葉に載せているから、単純に「連帯」志向というのが適切かは疑問です。正確に言えば、「連帯を求めて孤立を恐れず・・・」という「連帯」主義であって、企業の中では「孤立」という形で現象することが圧倒的であったと思われます。
ここ数年、時代精神が大きく転換しましたから、企業別組合リーダーの言説ももはや脳天気に個別化促進にはなっていません。これらはすべて、時代状況の従属変数としてとらえるべきものでしょう。
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