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2009年5月23日 (土)

意地悪な質問?

32249653 『日本を変える「知」』(光文社)に、本田由紀先生が「教育・労働・家族をめぐる問題」という講義録を寄せています。

http://synodos.livedoor.biz/archives/715122.html

いつものテーマですが、都立普通科高校の3分化とか、若い世代ほど「いい大学」が「いい仕事」に結びつくとか、生々しいデータが繰り出されていて、このために買って読む値打ちはあります。

このへん、かつて本田先生がまだブログを閉じていなかったころ、本ブログや平家さんのブログなどをまたがって論じられたテーマでもありますね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c586.html(専門高校のレリバンス)

大変わかりやすく語っておられると思うのですが、この本の「売り」であるらしい「クロスインタビュー」にいささか的はずれな質問がありました。飯田泰之氏が、本田先生に対して、こういう質問をぶつけています。

>個人主義的な社会への移行に伴う諸問題に対してしばしば提唱されるのが共同体への回帰です。しかし、固定的な共同体の中で生き、認められることには高度なコミュニケーション能力が必要なように感じられます。結局のところ、個人主義社会と共同体社会の違いは評価軸、要される能力が異なるだけで非中核メンバーにとっての「生きづらさ」にはなんら変わりはないのではないでしょうか?

これに対して、本田先生は、

>そりゃその通りだろうと思います。・・・

としか言えないでしょうねえ。・・・以下は本書でお読みください。

ところが、飯田氏はこれを「結構意地悪な質問をしたつもりだったんですが,見事に切り返されているのでご笑覧いただければ幸いです」と、あたかも本田先生の痛いところに切り込んだら切り返されたという風に理解しているようなのです。

http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20090522

正直言って、この本の関係で一番びっくりしたのは、実はこの部分でした。どうも飯田氏は、本田先生が山のようなデータを繰り出して言いたかったことは、畢竟するところ、「共同体に回帰しよう」ということだと理解しているようなのです。市場原理に反対してああだこうだとよく分からないことを唱えているようだから、たぶんこいつは個人主義に反対で共同体バンザイにちがいない、と。そうでなければ、上のような質問を「結構意地悪な質問」などと自己認識はしないでしょうから。

もちろん、これを飯田氏の個人的な認識枠組みの問題ととらえることもできますが、私はもう少し深刻にとらえています。

つまり、飯田氏のように「経済学っぽい考え方の欠如が日本をダメにする」と語りたがる人々が陥りがちな二者択一図式的発想が、ここに典型的に現れているように思われます。

講義の最後のところで、例のハーシュマンの「ボイス」と「エグジット」が出てくるのですが、たぶん、飯田氏的な人々にとっては、

エグジット:市場:個人主義

ボイス:組織:共同体主義

という二者択一図式が牢固としてあって、「あ、こいつはエグジットじゃダメだと言ってる。てことは、共同体バンザイに違いない」という風に頭が起動して、「そういうけど、共同体だって生きづらいでしょ」と「結構意地悪な質問」をぶつけたということなのではないかと想像されます。

わたくしとしては、こういうふうに物事をゼロか百かの二者択一図式で割り切って、ゼロじゃないから百だね、というたぐいの考え方が、言い換えれば現実に根ざした中庸の欠如が日本をダメにするんじゃないの?と言ってみたくなることもあります。

ハーシュマン自身が述べているように、エグジットが保障されてこそ気兼ねなくボイスを発せられるわけで、共同体のプレッシャーが強くかかればかかるほどボイスも機能不全に陥ります。労働現場における「ボイス」をどうすれば強化できるかといったリアルな世界に関わると、そういうことはある意味で感覚的に当たり前なのですが、やはりそこが切り離されていると、二者択一図式で割り切れてしまうのでしょうか。

(追記)

>うぅ~ん.「意地悪な質問」っていうのは「答えられない質問」ではなくて「上手な(読者にとって自説の理解に資する+面白くてわかりやすい)返しが難しい質問」という意味なんだけどなぁ.

普通の日本語では、そういうのは「グッドクエスチョン」とはいっても、「意地悪な質問」とは言わないでしょう。「意地悪」というのは相手に対して意地が悪いということですから。

それに、どう見ても飯田氏の質問がそういう意味での「グッドクエスチョン」になっているとは見えませんね。「自説」という言葉の意味が不分明ですが、もし「本田説」という意味であれば、いかなる意味でも本田説の理解に資するどころか、それを混乱させるものですし、面白くもわかりやすくもない。本田先生も、自説の急所をついてくれたとうれしそうに「グッドクエスチョン」というどころか、

>>そりゃその通りだろうと思います。・・・

とやや呆れ気味の応答のようです。一方、もし「自説」が飯田説(というか飯田氏の頭の中の二者択一構造)を意味するのであれば、まさに飯田説の理解に資するものですが、そんなものを本田先生にぶつけるのはいささか筋違いであるように見えます。

まあ、3法則氏も人を罵りながらひそかにスタンスをシフトするという技を使っていますので、飯田氏が「意地悪なつもりで出した質問じゃなかったんだ」と後解説することはよく理解できます。

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コメント

こんにちわ。いつもお世話になっています。

hamachan先生のブログには本田由紀さんがときどき登場しますが
わたしは本田さんの本を1冊も読んだことがないので、読むことにしました。(『ニートとよぶな』)

hamachan先生が基本的に本田さんに肯定的なのか批判的なのかすらよく分かっていないのですが・・・。
(ファンかアンチか決めておく必要はないですが)

http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20090522

が空欄になっているようで読めませんでした

「結構意地悪な質問をしたつもりだったんですが」というのは、『「生きづらさ」の臨界』で本田先生が“不器用でも専門性を身につけて行けば、その面で、自分の立ち位置の確保はできるんじゃないの?”(以上私名なりの乱暴な要約)的なご発言をしているのに対するカウンターとしてぶつける意図だったんじゃないかな、と思いました。
そうしたら、丸ごと肯定されて、肩すかしを食らった、と。そういう文脈なのではないかなぁ。
概書も読んでいませんし、場の空気も文脈もわからんので、結局はご本人同士でないと何とも言えないように思いますが。

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